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再動

 代官所近くの大樹――、

 その枝の上にて――、


 野菊たちは用心深く、あたりのようすを見下ろしていた。

 周辺に凶屍の残りがいないか、引き返してきはしないか――目のいい野菊が入念に警戒している。


「……やはり、去っていったようじゃ」

「……そうか……ふぅ」

 

 ようやく告げた野菊の言葉に正重は大きな安堵の吐息で応えた。

 溜めていた息を大きく吐き出しながら、正重はそっとつぶやく。 


「……これで助かったか」

「犠牲が……あまりに多すぎましたがな」


 一方、左門は苦い表情で首を横に振った。

 守りきれなかったものたちへの後悔にさいなまれているらしい。

 だが、となりに座る平太の悲しげな表情を見るや、温かな笑顔を見せて安心させてやっている。

 

 そんな一行のようすに一度ちらりと目を走らせた野菊は――、


「さて、わたしが先に降りさせてもらおう」


 そう告げるや、返事も待たずにひらりと飛び降りた。

 枝から地面までかなりの高さがあったが、体重を感じさせぬ軽やかな着地を見せ、野菊は降り立つ。

 続けて小夜、胡蝶も同じように大地に足をおろした。

 彼女たちの投げてよこした縄で正重に左門、平太も地上へたどりつく。 


「ふう」 

 

 一晩、きゅうくつな樹上にいて、こわばってしまった体――男たちは大きく伸びをしてほぐす。 

 一方、くのいちである娘たちは前日あとにした代官所へ視線と注意を向けていた。


「どうかしたのか?」

「……気配がある」


 たずねた正重に野菊は短く伝えた。

 その言葉に正重は気色ばむ。 


「なに!? 気配だと?! まさか……凶屍か?!」

「凶屍ではないようじゃが……行ってみねばわからぬな」

「おい、待て!」


 つぶやいた野菊を正重はあわてて止めるが……三人娘はすでに駆け出したあと。


「ええい! 人の話を聞かぬ娘らよ!」


 忌々しそうに一言はきだすと、正重もそのあとを追う。



 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆  



 代官所近く――、

 気配を感じて駆け寄った野菊たちの耳にけたたましい鳴き声が届いた。

 高々ひびく、そのいななきの主は――、


 ひひいいいいいいぃぃん


「なんと。馬……か?」

 

 馬小屋の中――姿を見せたのは栗毛の馬であった。

 あきれたように言った小夜に左門が同意する。 


「うむ。おるのはたった一頭だけ。それも包囲されては役に立たぬと馬屋に放置しておったが……生き延びておったようだな?」


 なんと。あの凶屍の襲撃と火災にあってなお、この馬は生存していたらしい。

 風の具合か、馬屋は無造作に置かれた馬具ともども焦げあと一つなく残っていたのだ。

 栗毛の馬の元気ないななき、そして悠然とまぐさをはむようすに左門は苦笑しつつも安堵する。


 その一方で――、

 野菊は端正な顔の眉間にしわを寄せていた。


「むむぅ、あの凶屍ども。まことに人しか襲わないようじゃの」

「……なんとも不気味なことだな」

 

 執拗に人ばかり襲う凶屍の習性をかいま見て、不吉を禁じえないようだ。

 そんな野菊に対し、正重も不安げな表情を見せる。



 ――しかし、とにもかくにも『足』が手に入った。



 あの凶屍どもの疾走――疲れを知らぬ追跡からも逃げられる『足』だ。

 その事実は一行に大きな希望をもたらした。


「よし! たとえ、また凶屍に追われても、これで逃れられよう!」


 左門は大きくうなずくが――、

 平太が、おずおずとその喜びに水を差す。 


「……でも左門さま……馬一頭じゃみんなが乗ることはできないよ?」

「むう……それは…………」


 一行を見回し、うろたえる左門。

 どうやら馬を見つけた歓喜のあまり、そこまで頭が回っていなかったようだ。 


 だが――、

 

「よい。おぬしらだけでいけ。……左門どの、平太をお願いいたす」 


 野菊は平太の背を押し、左門のほうへ行かせた。

 左門と二人で行け、自分たちは残る――と、しぐさで告げたのだ。



「ならぬ! それではおぬしらが助からん!」

「そうだよ! 逃げるなら、姫さまたちもいっしょに!」



 左門も平太もあわてて、野菊の提案を拒否した。

 生死をともにした仲間を死地に置いて行き、自分たちだけが助かる――そんな虫のいい話があってはならない。罪悪感が彼らをとがめたのだ。



 ――しかし、野菊は首を左右にふって平太、左門にこたえる。



「いや。そもそも我らは凶屍の……あの化け物どもの調査に参ったのじゃ。しかし、いまだやつらがどこから来たか、なにゆえ生まれたのか――まったくもってわからぬまま。こんな状況でおめおめと逃げ帰れるはずもない」

「……そうだな。たしかに本多さまに報告できるような事実はない」


 野菊の言葉に正重がうなずき――、


「うむ。こちらにはまだ余力がある」

「はい。玉も煙硝も残っていますしね。使い切らなければもったいないですよ」


 さらに、ぶっそうな言葉で同意する小夜、胡蝶。

 

「でも……」

「よせ平太。我らが居ては、かえって足手まといとなろう。邪魔をしてはならん」


 なおも言いつのろうとする平太を左門が止めた。

 野菊の言葉に理を認め、同時に平太を逃がそうという情も感じ取ったからだ。

 さすがに『足手まとい』という言葉がこたえたのか、平太はもう野菊らに反論しようとはしない。

 ただ、くやしそうに唇をかんでうつむく。


「ずっと助けられてばっかりで……何ひとつお役にたてずに……ごめんよ、姫さま」


 そうつぶやき、肩を震わせる平太。

 そんな少年の頭をそっとなで、野菊は真情のこもった声を贈る。


「……いや、平太。ここまでよく生き延びてくれた。そなた一人でも助けられたおかげで、わたしも心も救われた」

「姫……さま」


 強く、美しい少女――少年にとってはあこがれの対象であった野菊。

 命の恩人である彼女からかけられた思いもかけぬ温かな言葉に、平太の目からじわり、熱いものがこみあげた。

 平太はあわてて目頭を乱暴にこすり、ごまかそうとする。



 ――しかし、平太の眼が乾くことはなく。

 少年のほおを熱い涙がとめどなく流れ続けるのだった。



 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



 代官所前――、

 すでに馬上の人となった新庄左門は一礼していった。


「では。お先に失礼。おのおの方もご武運を……」


 武人らしく短いあいさつにも万感の思いがこもる。

 そんな左門のあいさつに野菊がうなずいて応えた。


「左門どの。平太のこと、くれぐれもよろしゅう」

「心得た、命に代えても必ず!」


 力強く応えた左門は背後の平太をうながす。

 左門の太い腰に手を回し、しっかりつかまった平太は大きな声で野菊に礼を述べた。


「姫さまッ、ここまでありがとう!」

「……うむ。平太、達者でな」


 平太のあいさつに、いつになく湿りがちな口調で野菊がこたえ――、 


「せっかく生き延びたのだ。また凶屍に捕まったりせぬようにな……今度は助けてやれぬぞ」


 憎まれ口をはさんだ小夜も心なしかさびしそうだ。

 ここまで道行をともにした少年との別れは、冷徹な小夜の心にも響いていたらしい。


「うん――小夜さま、胡蝶さま、それに正重さまもどうかご無事で」  

「ええ、お二方ともお気を付けて」

「左門どの、平太――絶対に逃げ延びてくれよ」


 正重、胡蝶ともあいさつを交わした平太は、後ろを振りかえっていた左門と視線をあわせ、大きくうなずく。

 かくして一行は別れをすませた。

 左門が名残惜しさを振り切るように声を張り、背後の少年に呼びかける。


「よし! 行くぞ! しっかりつかまっておれよ、平太!」

「はい、左門さま!」 


「はッ」


 掛け声とともに左門が馬腹を力強く蹴ると――。

 栗毛の馬は弾かれたように飛出し、疾走をはじめる。 

 


 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



 あっという間に小さくなっていく馬上の二人――平太と左門を見送ったあと。

 きびすを返した野菊が一行を見回して言う。 


「さて……我らも行くか」


 小夜、胡蝶、正重――同行者一人一人に強い視線をむけた野菊は、向かうべき進路を告げる。 


「――凶屍どもはあちらへ向かったようじゃ。そのあとを追う」


 野菊の表情に、先ほどまであった別れの寂寥は失せていた。

 ただ強い闘志の光が、その秀麗な眼からあたりを圧するように発される。


「うふふふッ、楽しみですね~」

「うむ。腕がなる」


 小夜と胡蝶も、野菊の闘志が乗り移ったかのように不敵な笑みを浮かべていた。


(あれほどの事態にあってなお、おびえず、ひるまぬとは……忍びとは恐ろしいものよ)

 

 くのいちたちの頼もしさを感じながらも、その強靭な精神におびえすら覚える正重。



 と、そこで――、

 考えこんだ正重をおいて三人娘が一斉に駆け出す。 


「お、おい! おぬしら――待つのだ!」



 見る見るうちに遠ざかる少女たちの背中――正重は必死で追いかけるのだった。

 


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