壊滅
深夜、静謐に包まれた代官所。
野菊たち一行に割り当てられた一室にて――、
正重は大いびきをかいて寝入っている。
平太も安心しきって、かすかな寝息を立てていた。
一方、野菊は――、
「むう……」
うなるように息を漏らした。今宵、何度目になるかわからぬ寝返りを打つ。
先ほどから横たわってはいたが、寝付けそうにない。
この代官所は周囲を化け物の大群に囲まれている。そんな状況では当たり前のこと。
だが、野菊は忍びである。いかなるときも万全の体調を保つ義務があった。
それが、こうも心身を休ませずにいたのは理由がある。
「どうしました? なにか……気になることでも?」
そんな野菊に背後からひっそり声をかけたのは――胡蝶だった。
今まで寝入ったふりをしていたのだ。
いや、完全に熟睡する忍びなどはいないのだが、それにしても信頼できない挙動である。
一瞬、警戒した野菊だったが、すぐに思い直す。
(……いや。話し相手がいたほうがよい。考えがまとまるかもしれぬ)
そう考え、野菊はひっそりと体をおこした。
「……ああ、あの庄屋どののありさまだ。妙に気にかかる」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
先ほど野菊が遅れてたどりついた一室では――、
すでに胡蝶と小夜が凶屍を始末したところだった。
娘の遺骸に取りすがって嘆く庄屋・仁兵衛――その絶望にくれた表情に、野菊は何とも言われぬ嫌な感じを覚えたのである。
娘を無残に死なせた男の悲痛だけではない。もっとなにか禍々しい想いを感じ取ったのだ。
(仁兵衛の中にあったあの不吉ななにかが、もっと危険なものを招くのではないか?)
野菊にはそう思えてならない。
「それは歩き巫女の勘ですか?」
「そうやもしれぬ。だがそれだけではない。葵の――先読みのおばばの言葉もある」
いたずらっぽくたずねた胡蝶に野菊がむっつりとこたえる。
ここは元は砦――防備が固められた場所である。
いかに凶屍が常軌を逸した化け物であろうと、そうそう楽に侵入できる場所ではない。
それなのに異能の力を持つ老婆はおのれの死を予言した。それも近いうちであろうと言っていた。
実に不吉な言葉である。
――そして、もう一つ気にかかることを老婆は口にした。
小夜や正重が去り、一対一になったあの座敷で老婆は野菊にこう告げたのだ。
「姫さま、黄金の髑髏に気を付けなされ」
「黄金の髑髏じゃと?」
妙な言葉に首をかしげた野菊に老婆はうなずく。
「夢に見たあの禍々しき造形が頭にこびりついて離れそうにありませぬ。何者かはわかりませぬが、おそらくあやつが、今回の騒動の黒幕でありましょう」
そう恐ろしげに語った老婆の顔が野菊の脳裏によみがえる。
「――黄金どくろか。まったく次から次へと……」
老婆の口にした言葉――その意味を問いただす前に先の騒ぎが起き、野菊はそれ以上の話を聞きそびれてしまっていた。
それから『黄金どくろ』という名が、どうにも野菊の胸の奥に引っかかり続けている。
そんな野菊の独り言に、胡蝶は首をかしげた。
「黄金のどくろ?」
「いや、忘れてくれ……気にし過ぎのようだ。さ、もう寝るぞ。早く体力をもどさねば」
「はあ、それならばよいのですが」
胸の奥、どろどろと巻き起こる黒い不安を無理やり押し隠し、野菊は眠りにつこうとするが……
――しかし、野菊の予感は当たっていた。
「……むっ!」
まぶたを閉じかけた野菊が、びくりと体を震わせる。胡蝶も遅れて反応を示した。
眠っているかに見えた小夜も、がばりと体を起こす。
「おぬしら、気づいたか?」
「ええ」
「ああ……殺気だ」
顔を見合わせた少女たちの動きはすばやかった。
「平太よ、起きるのじゃ」
「ん……姫さま?」
と、野菊は熟睡していた平太を揺り起こし、さらに小夜が正重を乱暴に蹴り起こす。
「起きろ、へぼ侍――襲撃だ」
「な、なにッ!」
飛び起きた正重だが、周囲には物音ひとつ聞こえない。
「なにもないではないか。まったく……」
そんな正重の抗議をかき消すように――、
「ぎゃああああああああああッ……!」
……夜の静寂を破る絶叫が響く。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「わぁあああああッ!」
「出やがった! 凶屍が入ってきやがった!」
「殺せッ! 早く追い返せッ!」
ふすまを開けると――悲鳴に怒号が飛び交っていた。
みなが右往左往逃げ惑い、混乱のなか、悲痛な叫び声もひびく
――そこには左門の姿もあった。
「――奥へ! 奥の座敷へ向かうのだ! 皆の衆!」
「左門どのッ! これはいったいなにごとか!?」
必死で避難の指示を行っている左門に、正重が声をかける。
「おお、正重どの! 門を破って凶屍が侵入したらしい!」
「そんなバカな!? あの頑強なつくりの門が破られたというのか?」
左門が短く告げた事実に、正重が大きく目を見開いた。
なにがあったのか、正重が問いただすと左門は大きくため息をついていう。
「それが、その……庄屋どの、仁兵衛どのが門に火をかけたようなのだ」
「なんと!?」
「おそらく、心が折れてしまわれたのであろう。最愛の娘を失われたのだからな」
左門の声には不思議と庄屋への恨みはない。
だが――事態は最悪と言っていい状況だ。
「そうか。しかし、まずいぞ。こちらは立てこもった穴熊だ。逃げ場がない」
「……うむ」
正重が重い口調でつぶやいた事実に左門もうなずかざるをえない。
と、そのとき――、
「あがあああああああああああッ!」
視界に飛びこんできた凶屍の姿が二体、三体――いや、もっとだ。
あまた侵入してきた凶屍は目についた村人に片っ端から襲いかかっている。
「ぎゃああ、来るなァ!」
「離せッ、はなせぇ! ……あ、ぐあッ!」
混乱で足をもつれさせて倒れ、凶屍に食いつかれた人々の断末魔がひびく。
「……ひッ!」
四姓村の惨劇を思い出した平太は悲鳴をあげかけるが――、
びょうッ……どつッ!
村人の首筋に食らいつこうとした凶屍の額に矢が突き立つ。
続けて小夜の投げ打った小太刀が別の凶屍の喉笛を裂いた。
さらに胡蝶の短筒が轟音を発すると、凶屍がのけぞって吹き飛ぶ。
「おぬしら、話してるヒマがあったら一体でも片付けよ!」
「お、おう!」
野菊の叱咤を受け、あわてて前衛に立つ正重たち。
そんな彼らの脇を抜け、小夜の小太刀が自在に飛来する。一往復ごとに血の花を大輪に咲かせ、ときに鋼線でからめ捕り――湧いて出てくるような凶屍を片端から葬っていく。
「ふッ。やはり研ぎ直したかいがあったというもの。切れ味がちがう!」
突如、顕現した修羅場だが、小夜は上機嫌に笑っていた。
一方、野菊と胡蝶も得意の武器を存分に振るう。
野菊は矢の補充を終えている。胡蝶のほうも玉薬を手に入れていた。
だから、しばらく武器にはこまらぬはずだが――、
「……まったく、これではどれほど矢玉があっても足らぬぞ」
新たな矢をつがえながら野菊はぐちをいう。
「……姫さま」
「待っておれ平太。すぐに終わらせてやる」
その背におびえる平太をかばい、しがみつかれながら、そのかまえに揺るぎはない。
一射また一射と凶屍の急所を射抜いていく。よどみなく繰り返される動作には一切の容赦がない。
「わたしは色々試すことができてうれしいですよ。長く平穏が続くと、せっかく鍛えた腕も新たな装備も試すことができませんからねえ……さあ、次はあられ弾を試してみましょうか?」
ぶっそうなことを言うのは胡蝶だ。
実に楽しそうに笑いながら、すばやく新たな弾をこめては撃ち放っている。
そのたび、凶屍が体に大穴を開け、吹き飛んで行った。
――そんな少女たちの姿に、左門はあきれたようにつぶやく。
「……実に強いな。技だけではなく、心も――まさかここまでとは思いませなんだ。そして……また恐ろしげな女子たちですな?」
「ああ。まさしく。このようなときには頼もしいが――しかし左門どの、この後、どうする? このまま守り続けることは、この娘らとて難しいぞ?」
左門の言葉に大きくうなずいたあと、正重は問う。
「まさか門が破られるとは思いませなんだ。籠城して助けを待つ目論見でありましたから」
と、苦々しげに返す左門。
「では……他に出口はござらんのか?」
「裏口が一つ。ですが、そちらもあの化け物どもに囲まれております」
「ふむ……とはいえ、表門からはあれだけの数が来ておる。やはり裏から逃げるしかないのでは?」
と、相談を重ねる侍二人であったが――、
「ゃああああああああっ!」
「ぎゃあああああっ!」
――左門、正重たちが背後に守っていた奥座敷から悲鳴が上がる。
「うううううううううぅぅぅぅぅッ!」
そして一度聞いたならば耳から離れない――あの重く低い凶屍のうめきも響いてきた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「まさか!? あの化け物どもに奥へ回り込まれた?!」
信じられないという表情を見せた左門。
そこで事情を察した正重が、推測を口にする。
「……どうやら、先に裏門から逃げようとしたものがおったようですな?」
おそらく、恐慌にかられ、後先も考えずに裏門を開けたのだろう。
しかし、逃げようとしたその先にも凶屍が待ち構えていて――
「――くッ、愚か者めッ! なぜ、我らを待たぬ!?」
守ろうとした者たちが上げる悲鳴――怒りと無念に左門は背筋を震わせる。
そのまま、奥の座敷へ駈け出そうとした左門を、正重があわてて止めた。
「待たれよ左門どの! 言いにくいことだが、もはや、あちらの座敷の者たちは……」
「むう、しかし放っていくわけにも……」
二人が言い争う間にも、先ほど凶屍に食らいつかれ、絶命した村人らが、化け物に変じて起き上がろうとしていた。
「ううううううううぅぅぅ……」
地の底から響くようなうなり声が、よどんだ血の臭いとともに押し寄せる。
一方、奥座敷では今の今まで響いていた絶叫が……途切れた。
凶屍たちが血の饗宴を終えたのだ。奥の座敷にいたものたちは、すでに犠牲と成り果てたということである。
「左門どの、あちらはもうだめだ。そして、ここもこのままでは……」
守るべきものは失われてしまった――かくなる上は早く逃げるように、正重は呆然としている左門をいざなう。
そんな正重に、野菊が凛とした声をかけた。
「ごちゃごちゃ話し合っておるでない! さっさと行くぞ、正重!」
「野菊、どこへ向かうのだ?」
問われた野菊は弓を構え直し――そして堂々と正面突破を告げる。
「もちろん表門から斬り破るまでじゃ! ……小夜、胡蝶、おぬしらもよいな?」
「指図するな、野菊! こちらはもとより、そのつもりだ!」
「うふふ、今夜は存分に楽しめそうですねえ」
小夜、胡蝶――どちらの闘志にも衰えはない。
野菊は満足そうに鼻を鳴らした。
「……大久保正重ッ! 平太をまかせる。命に代えても守るのじゃぞ!」
そういって正重に平太をあずけた野菊を先頭に――くのいち三人娘は各々の武器をかまえて凶屍の群れに突進していく。
その背中に勇気づけられた正重もまた、急ぎ平太を背負い、左門に声をかけ走り出した。
「行くぞッ! 左門どのッ!」
「……むう、やむをえまい!」
ここにきてやっと逃走の覚悟を決めた左門がそのあとに続く。
苦難と危険の末、一行がようやくたどり着いた砦。
しかし、そこは……わずかの安息を過ごしただけで修羅場へと変わってしまった。