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8/9 PM 0:30 モニター

 ??? ~夢の中で~


 ―――夢を見ていた。


 病院に独特の真っ白いリノリウムの廊下の片隅に、白衣の人だかりができていた。


 その真ん中で、幼かった妹が泣いていた。

 そんな妹の頭を抱きかかえながら、俺も泣いていた。


 ―――どうして!? ねぇ、どうしてなの!?


 当時中学生だった妹は、過去に……いや、今思い返しても他に覚えがないほどに泣き叫んだ。当時中学の生徒会長なんかを務め、頭脳明晰才色兼備、近所でもよくできた娘だと評判だった彼女は、まるで聞き分けのない童女のように何故と繰り返した。


 それほどの、理不尽だった。

 不条理で、無意味で、暴力的な運命だった。


 俺はそんな妹ほど出来のいい人間じゃあなかったけど、―――あるいは出来の悪い人間だったからこそ、そんな不合理な事態にも、歯を食いしばって耐えていた。俺は男だったから、そんな運命が殴りかかってくるなら、妹を守るのは俺だと思っていたから。


 泣き叫ぶ妹をあやす。必死に慰める病院の先生や看護師の声が聞こえる。


 あれは、なんだったのだろう。

 なぜあんなことが起こったのだろう。


 ただひとつ、バカな高校生だった俺に分かったのは、あれがとても。とても。


 ―――冒涜的な事件だったということだった。



 8/9 Friday PM 0:30

 ~食事科学研究室~



 ―――……ろ!……赤城!


 呼ぶ声が聞こえた。自分のことを読んでいるのは幽かに聞こえた声から推察できたが、しかし俺はそれに応じたくなかった。そこに大した理由はない。ただ単純に、俺、赤城あかしろ烈斗れっとが非常に寝起きが悪い人間であったというだけのことだ。


 「む、ううん……まだ……」

 「まだ、じゃないぞ! 眠るなと言っただろうが!」


 だが、声の主はぐずる俺を無理矢理に叩き起こした。


 四角い黒縁眼鏡の奥の目を神経質に瞬かせる、白衣の男。面長の顔できょろきょろと落ち着きなくあちこちを見ながら、白衣の中で右手が小刻みに動いている。その仕草から分かるのは、極度の苛立ちだ。実験前・・・に「眠るな」と言われたのを俺が破ったのが相当におかんむりらしい。


 「まったく、何回か起こしたけど、ホントぐっすりなんだから。レット、そんなに昨日のバイトはハードだったのかい?」


 声をかけてきた友人……藍原あいはらは、苦笑気味だ。


 「いつもと比べて格別に、ってわけじゃねえよ。無理してるつもりはねえ」

 「で、昨日の睡眠時間は?」

 「……三時間……」

 「それがいつも通り、と。それは眠くもなるだろうね。いい加減にしないと体壊すよ?」

 「ぬかせ。万年不健康野郎に言われたかねえよ。お前と違って体力には自身があるんだよ」

 「まあ、レットはそうだよね。……こほっ、こほっ」


 弱弱しい笑みを浮かべた藍原は、最後に若干咳き込む。もともと病弱なタチであり、大学の講義も割と休みがち、レポートやらなんやらで単位を取っていたことも多かった男だ。体力的には正反対だが、共通点としてはお互い貧乏学生であり、こうして俺のためにバイト掲示板で得たいい値段の短期バイトのことを逐一教えてくれる、いい奴でもある。


 「にしても、メシ食って寝てるだけで五万とはなあ……」

 「寝ちゃダメだったんだよ? ホントは」


 今日のコレ(・・)も、バイトだった。


 健康食品……いわゆる巷で流行りのサプリメントのモニターというやつだった。なんでも地域の名産物からの抽出した高ミネラルな植物の云々……というよく分からない説明を受けた後、なんだか特徴的な赤い錠剤をいくつか飲まされた。怪しげなことこの上ないが、悔しいことに藍原が持ってくる治験、モニター系のバイトは一日、短期ものとしては破格の値段だ。


 バイトの雇い主……研究室の男は、相変わらず神経質に眼鏡を治しながら言う。

 流石に五万出してるだけあって口調も荒く、態度もそれなりに横柄だ。


 「一日じゃあない。この先の連休中は毎日朝晩一錠ずつ、だ。週明けと一か月後には採血もある。残りの分のバイト代はそれが終わった時に渡すことになっているから、ちゃんと来るんだぞ」

 「了解っすよ。今日も血ぃ採るんすか?」

 「ああ、今日もだ。……ちょっとスピッツ用意してくるから、そのまま待っていろ。変なところを触ったり、渡した分のを時間を変えて飲んだりするんじゃないぞ。いいか、『絶対に指定した時間以外にのむんじゃない』ぞ。……これはさっきの眠らないのとはわけが違う。……絶対に、破るんじゃないぞ」

 「はいはい。分かりましたよ」


 なにやらやたらに押し付ける相手だったせいで、こちらも少々横柄に言ってしまった。バイトを受ける身としてはあまりよろしくない態度だっただろうが、あちらの苛立ちは俺の態度のせいというわけでもなかったらしいので気にしない。


 だから。


 「ま、漁るな、って言われたら、漁りたくなるわけだけどね」


 俺は、そういう人間だった。



 8/9 Friday PM 1:30

 ~大学構内、人のはけた学生食堂~



 「あ、あはは……僕は見なかったことにしとくよ。だから」

 「おーけー。俺も何も見なかったし、見られなかった。……ってか、俺は見たって何も分からなかったからなぁ。怪しげなモン、ってことしか分かんなかったよ。ナントカ山、ってのも、聞いたことも行ったこともねえよ」

 「土淦ドドロ山、たしか隣の市でしょ? あんまり登るって話は聞かないけど、結構高い、標高だと千五百メートル超えてたかな? 人の手のほとんど入ってない山、っていうくらいしか自分も知らないなあ」

 「そこで採れた、現地の人たちが食べてるっていうのを錠剤にしたモン、ねぇ……」


 俺の手癖の悪さに苦笑しながら、藍原が笑う。藍原は、俺がする悪事を基本的に……口ではその限りではないが……咎めない。いや、口では諌めるのだから正確には「止めない」が正解か。きらきらしたその目の輝きから察するに、虚弱な外見に反して案外こいつもいたずら好きなのかもしれない。


 「恐いね、まったく。レットを部屋にあげたら、コンピュータ以外の鍵は全部開けられるって思っとかないとね。僕の家とかぼろ家だから、いつ侵入されてもおかしくないや」

 「ばーか。お前んち行くくらいならメールして呼び出すほうがはえぇや」


 俺は自慢できたことじゃないが、手癖は悪い。一応犯罪に手を染めたことは無いが、道行く通行人のポケットからはみ出した財布くらいだったら盗める自信があるくらいには。元来器用だったことに加えて、最近は来年以降の就職先である場末の機械修理工にちょくちょく顔を出して作業を教えてもらっているために、ちょっとした鍵屋の真似事や簡単な機械修理くらいならこなせるくらいの技術がついている。


 今回もその腕を如何なく発揮して鍵のかかっていた棚をあっさりと漁ってお目当ての書類……今回飲まされた錠剤の出所らしきものを確認していた。とはいえ、俺の無知ではそのナントカ山というものがなんなのかということが分からないわけであって、だからまあ、この手癖の悪さは単なる癖というか、趣味のようなものだった。自分で言ってなんだが、ひどい趣味だ。


 と、藍原が言った。


 「ところでレット、もう江戸和えどわ先生のレポートは提出したのかい?」

 「……えぁ? なんだ、レポートって?」

 「……まあ、レットはそういう奴だよ。生物学の江戸和先生の単位、今日提出のレポートで決まることになってたよ。試験がないからって取ったはいいけど、レポート出せなかったらさすがに江戸和先生もどうにもできないんじゃないかな?」

 「……提出って、さぁ……」


 相変わらず笑顔で、藍原は言う。

 まあ、その笑顔は苦笑以外の何物でもないのだが。


 「今日まで、だね。こほっ、こほっ。……まあ、あの江戸和先生だから、頼みに行けばなんとか延長してくれるんじゃないかな、多分」

 「藍原、提出今日なら、」

 「僕はもう一昨日に出したよ。……でも、まあ、」

 「悪いっ! 一緒に今から先生んとこに、」

 「……そう言われるとは、思ってたよ。こほっ、こほっ。まあ、咳も出るし、保健センターにもともといくつもりではあったから、一緒に行くよ。それから今日は僕も午後あけてあるよ。先生に頼みに行った後に提出レポート書くんでしょ? ファミレスでよければ手伝うよ。ああ、それなら丁度いいからセイコちゃんも呼んであげなよ」


 咳き込みながら、やはり藍原は笑う。江戸和先生は生物学の講義を行う傍ら、大学の学生用の保健センター……所謂、「保険の先生」もやっている。この時間なら、恐らくそっちのほうにいるのだろう。もともと体の弱い藍原は先生とはずいぶん親しかった。


 思い出したように、藍原は付け加える。


 「ああ、セイコの奴もどうせやってないだろうしな……なんか、悪ぃな、いつも」

 「気にしないでって。……友達だろう?」

 「おぅ。……なんか困ったら、いつでも言ってくれよ。金の無心と勉強以外なら、何時だって力になるからよ。いじめる奴なんざいやがったら、いつだってボコボコにしてやっから」

 「あはは、レットが言うと洒落にならないって、それ」

 「っつってももう空手やめてだいぶ経つしなぁ……人、殴る感覚忘れちまいそうだ」


 他愛もない話を、無料の冷水を飲み続けながら俺と藍原は続けていた。


 俺はこの時、気づくべきだったのかもしれない。いつもより藍原の咳の数が多く、息遣いも荒かったことに。顔色はさほど悪くはなかったにしても、それでも妙にふらつく様子があったことに。このことに俺がもっと気を使っていれば、あの一連の事件は、もっと違った結末があったかもしれない。



 8/9 Friday PM 2:00

 ~大学構内、保健センター~



 「いいわよ、月曜日まで待つわ」

 「ありがと、先生! 恩に着る!」

 「……敬語を使いなさい、とまでは言わないけれど、もう少しあなたは悪いことをしているという自覚を持ってフリだけでも申し訳なさそうにしなさいな。そういうのがうまくできないと人生渡っていきにくいわよ」

 「あはは、でも先生、いつもは「そんなに畏まらなくていいわよ」って言ってませんか?」

 「この子がここまで字面通りに捕えやがるとは思わなかったのよ、さすがの私も」

 「素直ないい性格だと自負してますよ、俺」


 俺がそう言うと、彼女は藍原と一緒になって苦笑した。


 白衣にスーツ。腰のあたりまで伸びた黒髪に、細めと泣きボクロが特徴的な柔和な笑顔。成人女性としては身長体重は平均的、と言ったところだろうか。年ははっきり聞いたことこそないが、曲がりなりにも大学での講義まで担当しているということは三十半ば、あるいは四十になるかもしれない。外見的にはまあ、二十代と言っても笑えるくらいには若作りだ。そしてなにより、保健センターがこの夏季休暇まっただ中でなければそれなりの人出で賑わうのは、彼女の平均以上の美しさの理由が大きい。


 そのために、彼女……江戸和先生は、人をあしらうのも上手なのだが。


 「でも助かるわ、藍原君がいてくれて。そうでなかったらレット君なんて絶対単位落としてたでしょうね。ほんと、レット君はいい友人を持ったわね、大事にしなさいよ」

 「それに関しては全面的に同意っすよ、ホントに。ってわけで先生、さっそくですけど藍原の奴診てやってくださいよ。まーたゲホゲホやってんすよ」

 「ゲホゲホは言いすぎだよ、レット。すいません、ちょっと咳に加えてふらふらする感じがあって」

 「ふーん、どれどれ……あら、ちょっと速脈ね。貧血かしら。ご飯はちゃんと食べてる?」


 江戸和先生は藍原の手を取りながら言う。医学部卒でもある彼女の診察は、イチ保険医として以上に様になっている。ふーん、貧血なのか。貧血だと顔色悪くなりそうな気がするけど、藍原いつもより青くはないんだがな。そういうもんなのか。


 「一応、いつも通りは食べてるつもりですけど……」

 「食べてるっていえば今日のアレは?」

 「……今日のアレって?」


 思い出すように言う藍原の言葉に俺が被せると、先生は聞き返してきた。ものはついでなので、モニターのことを話しておくと先生の顔は若干曇った。……まあ、いろいろと思うところはあるのだろう。俺のような体の頑丈さが取り柄のような典型的体育会系学生はともかくとして、藍原のような極貧弱な深窓の令嬢系男子|(悪気があって言っているわけではない)がそんなバイトをしているというのは、保険医としてあまりいい気はしないだろうとは思う。


 「まあ、藍原君の生活が厳しい、っていうのは私も分かってるから、バイトするな、とは言わないわ。でも、体には十分気を付けてね。……ちょうどいいからちょっとレット君も脅してあげるわ。昔外国で治験があったときに、被験者の半数が死亡した薬があったのよ。助かったのは、半分だけ。その半分はプラセボ……つまりは比較するための偽薬ね、を投与されていたメンバー」

 「先生、またその話ですか……僕結構聴きましたよ、それ」

 「まあ、いいから聞きなさいな。……でもね、この話にはつづきがあるのよ」


 そう言って、苦笑する藍原をなだめて江戸和先生は俺に向かって笑う。いい先生なのだが、こういういたずら好きな面があるのがこの人の困ったところだ。もっともこの保健センターに通い詰める不埒モノの中には、「この小悪魔顔が堪らない」という物好きがいるのも事実だが。……俺はまあ、嫌いじゃない、くらいだろうか。


 「今の治験ではね、より公平性を増すために二重盲検定、っていう方法がとられるのよ。これはね、簡単に言えば投与された患者と投与した医者、その両方が本物と偽物どちらが投与されたのかが分からない試験。……だからね、その治験では『投与された薬の真偽』はわからないのよ……でも、その『真偽』を知っている担当者は、なぜか行方不明なの……」

 「え……」

 「疑問は疑問を呼ぶわ……生き残った人たちは本当に、本当に偽薬を飲んだのか……それとも逆に死んだ人たちは、本当に薬のせいで死んだのか……もしかしたらもっと別の、」

 「先生、そのくらいにしてあげてくださいよ。モニター受けた直後にその話はちょっとハードル高いでしょ。そんなに嬉しそうな顔して、それだけで僕としてはちょっと怖いですよ」

 「いや、俺はオカルトは嫌いじゃないっすけど、まぁ、なんつーか、恐い話もあるもんですね」

 「はーいはい。じゃ、この話はここまで。とにかく、治験とかモニターとかは確かにお金はもらえるかもしれないけど、恐い面もあることをちゃーんと知っとかないと駄目よ。ほら、レット君も腕出して。……んー、こっちもちょっと速脈気味かしら。不眠?」


 江戸和先生は藍原に諌められて、若干残念そうにしながら俺の診察をする。なんというか、藍原が笑っている以上俺もビビってるなんては言えない。そこはまあキャラ的にというかプライド的にというかの問題なのだが、江戸和先生の怪しい微笑と嘘言ってるようには思えないなめらかさには、俺は正直少しビビってた。


 しかし、藍原が言うには先生の話は結構実話だったりするらしい。

 まったく、このご時世にもオカルトちっくなことは探せばあるんだなと感心させられる。


 (へー……治験とかモニターって、結構恐えーんだな……)


 寝不足気味の頭で俺はその時、ぼんやりと考えていた。


 (……治験。モニター……)


 でも、俺は考えていなかったのだと思う。

 本当の意味でそれを俺が経験するのはこの日から続いた三日間の地獄でのことであり。


 この時から、恐らく俺の体は炎に呑まれていたのだった。



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