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妖しい馨  作者: 月猫百歩
紅の屋敷
6/60

五ノ怪

 ビー玉そっくりな黄色い玉をお湯が半分まで入った桶に入れ、両手で挟んでくるくる転がす。次第に泡が立ち、清涼感のある香りが漂い始めると両手で泡をすくい、それで頭を丹念に洗う。

 

 最初の頃は、まさか妖怪の世界にシャンプーの類があるとは思っていなかったので、ひたすらお湯でごしごし洗っていたものの、やっぱり髪が痛むのが嫌で駄目元で鬼さんに聞いてみた。そしたらあっさり、この『洗い玉』なるものを出してくれたのだ。

 これはシャンプーとリンスの二つの効能があるようで一度洗えば済むそうだ。

ちょっと物足りない気もするけれど、慣れてしまえばなんてことは無い。


 別の桶に張っていたお湯を頭に掲げてゆっくり泡を落とす。泡を落としきったら、次は体だ。


 体を洗う石鹸は水晶みたいに綺麗な透明な玉で、こちらは野球ボールのぐらいの大きさだ。

 用意してもらった肌触りの良い手ぬぐいに擦り付ければなめらかな泡が立ち、それでまた丹念に体をごしごし洗う。隅々まで洗ったら、先ほど使った桶にまたお湯が満たされているのを確認して一気に洗い流す。

 全て洗い流したのを見てそれからゆっくり、淡いオレンジ色のお湯に浸かった。


 この時間帯からお風呂に入るってなんだか新鮮。

 けれどもこんなこと何度もあったら体を壊しそうだわ。夕飯時でもないのにお酒飲んで泥酔だなんて。だらしが無い事この上ない。今度は上手く断わらないと。


 ある程度体が暖まったところでお湯から上がる。そして翡翠の水瓶から冷水を汲んで口へ運んだ。

 お酒が抜け切らないままお風呂に入ったせいか、のぼせ気味で喉が妙に渇く。体もなんだかむくみ気味だ。


 お風呂から上がって薄紅色の浴衣に着替え、ドライヤー代わりの風袋で髪を乾かし軽く身支度を整える。

 この後はまた鬼さんのお酌につき合わされるのかしら。体もこんな感じだし、鬼さんとの会話だって未だ解決策は浮かばない。さっきみたいな自棄酒はもう使えないし。こうも八方塞な状態だと気持ちも体も重くなってくる。

 本当にどうしたら良いんだろう。


 暗い気持ちで暗い廊下へ出れば、今のわたしの気持ちとは真逆に煌々と光る鬼火が待っていた。

鬼火はわたしが戸を閉めたのを見計らって、ふらふらと闇が広がる廊下を進み始めた。


 紅い鬼火の導きに従って歩き出す。

 窓の無い廊下はたまにある蝋燭の灯火以外は基本的に真っ暗だ。しかもあちらこちらに似たような襖や曲がり角も多くて未だに部屋への道順をはっきりと覚え切れていない。


 鬼さんのお屋敷って見た目よりも広い気がするんだけれど、気のせいかしら。いつも歩いているけれどまるで迷路だわ。


 いつだったか、鬼さんに連れられていつもとは違う場所を少しだけ歩いたことがあった。

 その時に見た光景はなかなか印象的で、明らかに鬼さんじゃ入れなさそうな小さな扉や人一人通るのも難しそうな狭い廊下とか、押入れから別の部屋へ行ける変な部屋もあった。あと綺麗な曲線を描いた廊下もあったわね。

 小さな廊下や襖は子鬼が使ってもおかしくなさそうなんだけれど、なんか物によってはすごい派手って言うか豪華なのよね。小間使いされている子鬼専用の入り口とは思えない。


 極めつけは誰がどう使うのか、謎の天井に設置してある観音扉だったり、普通の和室の中に更に二つの小部屋があったり。

 鬼さんのお屋敷は用途不明な扉や廊下や階段が結構あるのだ。


 これじゃあ忍者屋敷っていうより、和風ミステリー館よね。こうまでシュールさを前面に出されたら忍者だってびっくりだわ。


 

 ……ん?



 思わず黙々と動かしていた足を止めて鼻に神経を集中させる。

 この匂いは……鬼さんがくれたあの花の匂い。


 ふと辺りの闇に自分が呑まれそうになっているのに気づいて、鬼火を探す。紅い鬼火はふらふら宙を漂いながら籠の部屋に続く道をわたしを置いて一人で進んでいく。


 ここで立ち止まっても仕方ない。真っ暗闇の中では一歩先すら見えなくなってしまうもの。わたしは足を速めて鬼火の後に続いた。


 

 あれ? 匂いが強くなってきてる?


 しばらく大人しく歩いていたけれど次第に花の香りが強くなってきて、今では微かなんて強さじゃなく、優しいけれどハッキリとしたものになっている。どこから匂いがするんだろう。 

 鬼火が角を曲がる。わたしも後に続いて曲がろうとしたその時。


「……そうだナ」


 聞こえてきた鬼さんの声。

 小さいけれど、この訛りのある声は鬼さんだ。珍しい。お客さんかしら。誰かと話しでもしているのかしら。


 誰が来ているのか興味はあったけれど、鬼さんの話を盗み聞きしたってそれこそ仕方がない。

 鬼さんのお客さんならわたしには関係ないだろうし、例え常闇の数少ない知り合いでもわたしには会うことは許されていないのだから、顔を出すわけにもいかない。


 でも誰だろうな。無難な線だと子鬼かな。それとも嫌味な花魁とか。いや、もしかしたら濡れ女さんかもしれない。

 察するにわたしの部屋周辺は鬼さんのプライベート空間だと思うのよね。だからそこに招待するって事はある程度親しい人物なんだろう。


 ふと自分の周りに闇が広がってきて、鬼火の光が遠ざかっていくのに気づく。早く後を追わないと。

 ここまでくれば道順はなんとなく分かるけれど、真っ暗じゃ一歩進むのも危ないもの。


「で、鈴音に会って――は――どう――ダ?」


 歩き出そうとした足が止まる。そして振り返る。

 会った? わたしと?


 耳を良く澄ませば微かに聞こえる品のある女性の笑い声。

 酔って勘違いしていたのだとばかり思っていたけれど、やっぱり誰かいたんだ。あれだけ誰とも会わせなかったのに今更どうして。


 鬼さんはわたしを誰と会わせたんだろう。一体、何の為に?


 鬼火はずっと向こうへ行ってしまった。辺りは真っ暗だ。だからか、より聴覚が過敏になって先ほどより話し声が耳に届く。


 ハッキリとしたものは聞き取れないけれど、声の調子から鬼さんは訝しげで女性のほうはコロコロ笑っているみたい。

 なんだか花魁と濡れ女さんではなさそうな気がする。彼女達ならここまで鬼さんが警戒するような声は出さない。


 本当に一体誰なの?


 そろりそろり足を運ぶ。手で探れば壁にあたり、慎重に伝いながら声のほうへ歩く。

 次第に声も大きくなればあの花の香りも強くなる。

 一度曲がり角を曲がって耳を澄ます。方向はあっているみたい。


 普通に歩けばさほど無い距離なんだけれど、こう真っ暗だと物凄く長い道のりに感じる。

 なんとか進み続けるとようやく明かりが漏れている襖に辿り着いた。襖に近寄れば中から先ほどの話し声。もっと近寄れば襖は金色に鶏の絵が生き生きと描かれているものだった。

その襖にそっと耳をそばだてて張り付く。低い鬼さんの声と細いくすくす声。


「紅い鬼様。何度も申し上げましたが、ご覧になったでしょう? とても喜んでいたじゃないですか」


「喜んでいる、ねぇ」


「えぇ。最初は嘘でも、そのうち本物になりますわ。わたくしが保障致します」


「お前が保障と言ってもナァ~」


わたくしの力は鬼様がよく御存知ではないですか」


 この声、どこかで聞いたことがある気がする。

 透き通る綺麗な声。……どこだっけ。


「鈴音ちゃんだって、きっと喜んでくれますわ」


「――おいッ」


 鋭い鬼さんの声。殺気を含んだそれに心臓が鷲掴みにされたような錯覚を起こしてしまう。 


「そんなに怖いお顔をなさらないでくださいな。真名まななら兎も角、仮名かりなを呼んだだけじゃないですか」


 襖越しにでも伝わる鬼さんの殺気を感じていないのか、女の人は相変わらず品よく笑って、声に怖気づいた様子がない。

 それにしても『真名』とか『仮名』ってなにかしら。名前のこと、かな。


 ……あ、そうだ。


 今女の人、わたしの名前を言った。やっぱり以前どこかで会った事があって、わたしの事を知っているんだ。でも、誰だろう。


「呼んで良い許しを出した覚えは無いナ」


「それは御免遊ばせ」


 変わらず怒気を含んだ鬼さんの声に、これもまた変わらずコロコロ笑う声。鬼さんに媚びる風でもない。そんな女性はいたかしら。わたしが出会った女の妖怪で、鬼さんへ畏れを示さないひとはいなかった気がするけれど。


「それでは、色よいお返事をお待ちしておりますわ」


 パタンと扇子を閉じる音がする。これから帰るんだろうか。

 あっ。そしたら、出口ここにいたらまずいんじゃないの!?


 気づいた途端心臓が飛び跳ねて足が震える。ゆっくり遠ざかろうとしても転びそうになってうまく動かない。


 一人焦ってあたふたとしていた時、ふと気づく。

 部屋からなんの音もしない。誰もいなくなったかのようにシンとして、人の気配がまるでない。衣擦れの音も畳を踏む音も、なにかが動く気配が無い。

 別の入り口から出て行ったのかしら。


 じっとして音を聞き取ろうとしばらく息をつめて固まっていたけれど、何も起こらないし、何も聞こえない。


 と、とりあえず大丈夫そう、ね。

 早くここから移動しないと。


 へばりついていた襖から離れようとして足を動かしたその瞬間、勢いよく襖が開かれ、バランスを崩したわたしはとても間抜けな格好で部屋に倒れこんだ。

 頭と頬に衝撃が走る。ついでに膝も打ったようで鈍く痛い。


 あぁもう最悪。


 苦い顔をしながら起き上がろうとしてはたと気づく。そして畳ばかりの視界に紅い足が映って自分の顔が凍った。


 鼓膜が心臓の音で震える。喉が急速に渇いていくのを感じながら、ぶれる視界をぎこちなく上げる。

 目の前には少し驚いた表情でわたしを見下ろす鬼さんただ一人。無意識に辺りを見回しても、誰も居ない。


「……悪い子ダナァ鈴音」

 

 驚いた顔が面白そうに歪んで口端を吊り上げる。さも美味い物を見つけたと言いたげに、真っ赤な舌で端正な唇を舐めて目を細めると、


「お仕置きダナ」


 この上なく楽しそうに呟いてわたしの腕を掴んだ。

弁解の仕様も無く、物言わさぬ力に部屋の中に引きずり込まれる。 


 助けを求めるように廊下の闇へ視線を投げても、紅い指が目の端で払う動作をすれば、無情にもぴシャンと音を立てて襖が闇を隠してしまった。








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