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妖しい馨  作者: 月猫百歩
黄金色の箱庭
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二十七ノ怪

 籠の中で座椅子に座り、ぼんやり格子の向こうに開かれた窓を見上げる。


 あれから数日経ち、足が不自由なわたしはあれこれ世話を焼きたがる鬼さんにされるがまま、大人しく紅い紐に繋がれながら籠の中で生活していた。


 今日も壁の一面が外され、大きく開けたその場所に紅い満月が見える。とても大きく常闇の真っ暗な空に浮かんでいる。


「鬼様は御姫さんに触れなかったのですね」


 ふわりと紫色の煙がわたしのまわりを漂う。

 突然の訪問に沈黙で返せば、目の端に霞む空気が入り込んでくる。


「それにしても、御姫さんは私等のお仲間に近づいた存在になられたのですね。この紫、大変嬉しく思います」


「……そうですか」


 特に何を言うのも思いつかず適当な相槌を打つ。

 目を下げれば青白く映る自分の両手が見え、手首に巻かれた紅い紐がより映えてみえた。 


「御姫さん、そう目を伏せないで下さい。とても美しい瞳ではございませんか。なにも恥じらうことなどありません」


「……化け物になったのに?」


 自分でも驚くぐらい低い声が出た。一瞬驚いて喉を詰まらせるけれど、すぐに息を吐いて垂れた髪を耳に掛ける。

 紫さんに八つ当たりしたって仕方ないのに。何を言っているんだろう。


「御姫さん。貴女様は化け物に等なってはおりません。もし人間で居たいのでしたなら、お心を暗くしてはいけません。闇に染まって正真正銘のあやかしになりますよ」


 紫さんの言葉に黙り、小さく頷いた。

 そうだ。いつかの青年に言われた通り、光を忘れてはいけない。そうすれば人間でいられるのだから。

 少なくとも完全な妖怪には、ならないんだから。


「分りました」


 もう一度頷いて。顔を上げる。

 四隅に置かれている灯篭の柔らかい光と交って、紅い月光が部屋を妖しい雰囲気で浮かび上がらせいている。

 それなのに、自分の手は青白いままだ。決して紅く染まらない。


「しかし、鬼様は本当に御姫さんがお好きなのですね。もし御姫さんがただの人間であるなら、散々なぶって食べてしまうでしょうに。鬼様が手出しなされないのも、恐らく加減が分らないのでしょうね。うっかり殺してしまっては、元も子もないですからね」


 何気なく言われた言葉に顔が渋る。

 その手の話はもうしたくない。紫さんにとっては特に重い内容では無いのかもしれないのだけれど、わたしからしたら、トラウマでしかないんだから。 


「紫さんはわたしに会いに来て平気なんですか?」


 話題を変えようとしたのもあって訊いてみる。

 鬼さんはわたしを自分以外の妖怪に会わすのを嫌がっていた。だから紫さんがこうして部屋に来てわたしと話をしているのは、良くないんじゃないかしら。

 バレてしまっては怒られるだけでは済まないでしょうに。


 ふわふわと宙に漂っている紫色の煙に尋ねれば、ゆらりとゆれた。


「改めて、御姫さんのお話し相手にと遣わされました。それとまた何かありましたらいけないとのことで、お傍にいるよう言われております」


 と、いうことは監視役を兼ねているという事ね。

 流石にもう一人で籠に置いておく気にはならなくなったということね。

 例え気に入らないにしろ、監視の目があったほうが良いのだから。


「まぁ御姫さんを一度逃がしてしまいましたからね。二度は無いとのことで、今度御姫さんに何かしらあった場合は、鬼様の呪いにより私は消滅することになりまして」


 え? 消滅?

 驚いて顔を上げて目を見開いた。

 

 そんなわたしに、まるで気にしないというように軽い感じで「えぇ、そうなんですよ」と返した。


「仕方のないことです。ですが鬼様は情け深いお方ですぐに私を殺さず、このように私に今一度、御姫さんの世話役として遣わせて頂きました」


「紫さんがわたしの世話役?」


「はい。煙ですから出来ることは限られてきますがね。よろしくお願い申し上げます御姫さん」


「は、はぁ……」


 間の抜けた声を上げて軽く頭を下げた。

 それからまた俯いて、膝の上に乗せた両手を見る。手首にはやはり変わらない紅い紐。膝から下も、変わらず動かない。


 わたしが鬼さんから意図的であろうがなかろうが、離れてしまえば紫さんは死んでしまうという。そして紫さんはそのことをまるで世間話のように話している。

 妖怪の考えや感覚はよく分からない。それとも紫さんが鬼さん同様、少し変わっているからか。



「香を焚きましょうか?」


 押し黙ってしまったわたしに、紫さんが声をかけてくる。

 でもわたしは「いいえ」と首を左右に振った。そんな気分になれない。


「……ねぇ紫さん」 


「はい」


「もしわたしが……まだ人間でいるのなら、このまま年月が経てば年を取って死んでしまうでしょう?」


「まぁそうですね。そうなりますねぇ」


「紫さん達妖怪にとって、老いた人間は美味しいですか?」


「肉や骨を、というのであれば、どちらかと言えば不味いですね」


 そうよね。そうなるわよね。

 わたし達人間が動物を食べるのだって、年を取った生き物を好んで食べたりはしない。


「鬼さんはわたしに老いることを気にするなと言いましたけれど、老いたらお酌も難しくなると思うんですよ。体も言うことを聞かなくなるんですから」


「そうですね」


「鬼さんは老いたわたしをどうするつもりなんでしょうね」


 自嘲気味になって呟く。

 皺だらけになって、腰も背中も曲がって、立つのもやっとで。自分のことをするのだってきっと大変になるだろう。


 おばあちゃんは亡くなる直前まで元気だったけれど、動作はいつもとてもゆっくりで、時折座ったり立ったりするのが大変そうなだった。


 籠の中で飼われ続けるなら、足も動かないのであったなら。老いた自分に何の価値もないようにしか思えない。

 

「今そのことを考えても仕方ないでしょう。もし不安であるのでしたら、鬼様にお心を寄せるよう尽くして下さいませ。鬼様が御姫さんを末永く想うのでしたら、老いたとしても大事に扱いましょう」


「……そうですか」


 どう話しても同じ答えしか返ってこない。知らずに溜息が漏れる。

 恐らくこの辺りの妖怪の誰に同じ話をしても『鬼様を好きになれ』としか返ってこないだろう。

 努力ではどうすることも出来ないというのに。無理だって言っているのに。


 はぁとまた思わず深く息を吐いた、――その時だった。

 鼻をくすぐる、とても甘い不思議な匂い。とても、良い匂い。


「どうかなさいました?」


「なにか良い匂いがしません?」


 わたしが訊けば、煙の塊がくるくるとその場で回って何かを探っているような動作を始めた。


「確かにしますね」


 鼻は無いけれど紫さんにも嗅ぎ取れるようで、煙が一点に集まり丸くなる。

 それを目にしながら、もう一度大きく吸い込むと、頭に大輪の花が浮かんだ。


 そうだ。常闇の花に似ている。

 あの花の匂いそのものではないけれど、甘い、とろける様な妖しい馨。 


「これってなんの匂いですか? お香とは違いますよね?」


 わたしの問いに紫さんは答えなかった。

 紫さんも考えているのか、首を傾げる様な気配を感じる。そして何かに気が付いたのか、うろうろとしていた様子がピタリとやんだ。


 雀の絵が描かれた襖が開く。目をやれば、鬼さんが部屋に入ってきたのだ。

 鬼さんは黒と赤で描かれた嵐の着物を身にまとい紅葉の羽織をかけ、何かを手に持ちながら籠の中へ入ってきた。


「紫、席をはずせ」


「畏まりました」


 入ってきて開口一番言い放つと、紫さんは言われた通り籠を抜け、襖の隙間に入り込んで部屋から出ていった。


 鬼さんは大股でわたしへ歩み寄ると、わたしの前に胡坐あぐらをかいて乱暴に座る。そして二人きりになって不安に目を泳がせるわたしに、手に持っていたものをぐいと押しつけてきた。


「鈴音。これを喰え」


「え? な……なんですか?」


「肉だ」


 明るい緑の小皿の上には真四角の紅い塊が乗っていた。どうやら匂いの元はこれらしい。

 目の前の塊から強烈な甘い馨が漂ってきて、一瞬くらりと眩暈を覚える。それ程食欲を掻き立てる強い、かつ上品な香りだった。

 

 ――でも、食べるにはひとつ問題があった。


「これ、生肉です……よね?」


 どう見ても焼いてもいなければ煮てもいない。そのままの、調理されていない生の肉。


「お前もコレが食えるようになったハズだ。コイツを喰ったら紐を外して足も動くようにしてヤロウ。そしたら外で食い物も食えるようになるしナ」


 ということはやっぱり、これは妖怪の食べ物か。

 これと同じものかは分らないけれど、前に何度か生肉を出されたことはあった。でも食べなかったし、最終的に鬼さんが食べてしまっていたから問題なかったんだけれど。


「人間の……肉ですか?」


「ンなわけナイだろう」


 言った途端、喉から何かがせりあがってくるような気がして気分が悪くなるけど、鬼さんの言葉になんとか治まる。


「何故これを食べるんですか?」


「せっかく俺らに近づいたんダ。祝ってやろうと思ってナ」


「け、結構です」


「まぁそう言うナ。コイツを手に入れるのに随分と骨が折れてナァ、鈴音に食わせようと思ってやっと獲ってきたカナ。……お前が喰ってくれねば寂しい限りダ」


 わざとらしく拗ねて小首を傾げる。

 先ほどから軽い口調ではあるのだけれど、目が全く笑っていない。射殺さんばかりの視線がとても痛い。


「これはなんですか?」


「魚のたぐいダナ」


「魚……」


 魚にしては動物っぽい。

 見たことがあるだけで食べたことないけれど、クジラの肉もこんな感じだったような気がする。でも、どうなんだろう。


 唾を飲み込めば喉が鳴る。

 冷や汗が出て背中や額を濡らす。どうしても食べなければいけないんだろうか。


「喰わなければ紐も足もそのままダ」


 過度な緊張からわたしが固まっていると顎を掴まれ、上を向かされる。

 妖しい紅は鈍く光り、鬼さんの横顔に浮かぶ朱の模様が波紋の形をして広がっている。


「俺は飽きやすくてナァ。動かないお前を見ていると、この場で喰ってやりたくなる」


 顎を掴んでいた指が首筋に這わされ、思わず全身が粟立つ。反射的に逃げようとしたわたしの腕を大きな手が掴み、捉える。


「サァどうする?」


「え……」


「喰わないのカ?」


「わ、わたし」


「それとも喰われるか?」


「いえでも……」


「喰わないんダナ?」


 首筋を撫でていた手が素早く動き、羽織の襟元を掴まれて力任せに引っ張ろうとしてきた。強引な力がわたしを前のめりに倒し、お腹にお皿がぶつかる。

 それにも気にせず、鬼さんは羽織を引っ張り続け、わたしの肩が肌蹴た。


「や、やめて!」


 抗議の声を上げるも鬼さんは力を緩めてはくれない。

 喰われる。また体を良いようにされる。


 薄手の羽織はきっとあの時の浴衣より簡単に裂けて布きれに変わるだろう。そしてそれからまた抑え込まれて、手や舌が這ってその先に待つのは――

 


 わたしは気づいた瞬間、皿の上に乗っていた四角い肉を手で直にわし掴み、口の中へ放り込んでいた。


 それは甘い匂い同様、味もとても美味しかった。

 今まで食べたお肉より何倍も美味しく溜まらなかった。


 でもわたしはそれを口の中で堪能するなんてことはせず、息つく間もなく無我夢中で咀嚼して喉へ飲み込んだ。



「いい子ダ」


 荒い息をして食べ終えたわたしに鬼さんが優しく声をかけ、端整な顔を綻ばせた。ゆったりと髪を撫でられ、小さな子を褒めるように何度も「良い子だ」と頷いた。


 食べた……食べてしまった……


 動揺し青白い顔をするわたしに、鬼さんが抱きついてきた。それからおもむろに離れて何かを呟くと、紐が独りでに外れ足先に感覚が戻ってくる。

  

 手で足首やすねを触れば、ちゃんと触れられている感触がある。

 試しに動かせようと力を籠めれば、ずっとさっきまで動かなかったのが嘘のように動いた。紅い紐も床の上に垂れるだけで何も縛ってはいない。


 空気が動いた気配がすると、そっと紅葉模様の羽織を肩に掛けられた。薄手の羽織とは違う、重みのある暖かい羽織。

 鬼さんが着ていたからか、煙草の匂いがした。


「わ、わたしは」

 

「お前は鈴音ダ」


 わたしはどうなったの? と訊こうとした声はすぐに遮られた。

 鬼の紅い瞳には怯えた自分の顔が映っている。目を伏せて厚手の羽織を掻き抱くと、急に抱きすくめられた。



「ずっと大事にするからナ鈴音」


 紅い月を背後に、紅い鬼が微笑む。

 口元には少し八重歯の先を覗かせて、わたしをまっすぐ見つめていた。 





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