二十四ノ怪
意識が浮上したのを感じて目を開ける。
映ったのは何本もの白い線。その向こうには木目調の天井。久しぶりの光景。
顔を横へ向ける。自分の手首が映るが、その手首には紅い紐。わたしを囲む格子の角に繋がっていて、畳と布団の上に長く垂れていた。
これはどういうことだろう。
今のこの状態は、どうなっているの?
もう一方の手を見れば同じように手首に結わえられ、格子の角に繋がれている。
異常な自分の状況に戸惑うけれど、鬼さんが怒り狂った時にわたしに浴びせた罵声を思い出して心臓が凍った。
鬼さんはあの時言った仕置というものを、本当に実行したんだ。
首に手をやれば、何かが巻きついている。
確認するまでもない。新しい首輪だろう。柔らかく細いけれども、とてもしっかりとして頑丈そうだ。
足はどうだろう。左足は動かなくなっていたはずだけれど。右足はどうなんだろう。
試しに布団の中で足に力を込める。意外なことに左足が動くようになっている……という訳ではなかった。
太ももは動くけれど、膝から下は動かない。それは右足も同じようで、感覚がなかった。
落胆から、はぁと深い溜息を吐く。
髪をかきあげながら、もぞもぞと布団を剥いで自分の体を見下ろす。
やはり洋服は着ていない。とても薄い水色の羽織を身に巻いているだけ。パーカーなどはきっと取り上げられて、恐らくわたしが常闇に連れ戻された時と同様、また燃やされたのだろう。
でも……裸に剥かれていないだけましではあるかな。そうは思っても、それでもまた深く息を吐いて両手で額を擦る。
とにかく、ちょっと起きてみよう。このまま寝ていても仕方ないもの。
手と肘を着きながらなんとか体を起こす。なんだろう、体が重い。腕も力が入りづらい。
四苦八苦しながら上体を起こして、まだ少しぼんやりとしながら周りを見渡した。
籠の向こうに広がる壁には金色の空を背景に花々が描かれ、天井の梁や部屋の柱にも鳥の絵が施されて、色鮮やかな光景が広がっている。
四隅には小さな灯篭が回って柔らかな光を灯しており、そのせいか部屋の中はとても明るく感じた。
でも、ここはどこなんだろう。初めて見る部屋だけれども。わたし、どうしてここにいるんだっけ。
白い籠の中なのだから、鬼さんのお屋敷には間違いはないのだろう。でも、ここにいる経緯がパッと浮かばない。
うーん……現世に行って帰ってきて…………えっと、あぁそうだ。その後、愚痴の黒鬼に会ったんだ。
それからみっちゃんと光助くんとお別れする夢を見たんだわ。教室のドアに繋がる、砂利道の夢の中で。
それで――……その後は?
しばらく頭の中をめぐらしてみるけれども、ただ頭が痛くなるだけで無駄に終わる。
だめだ。思い出そうとしても頭が重くて働かない。まるで思い出すのを拒否しているみたいだ。
長いこと横になっていたのか、体のあちこちが鈍くて動かしづらいうえに、とても重かった。
いったいどれだけ長く眠っていたのだろう。
頭痛が治まったところで布団から這うように出る。そして再度籠の中を見渡した。
まだ起きたばかりのせいか、なんだか焦点が合わない。部屋が少し眩しく感じるのもあるかもしれない。
何度も擦って顔を上げると、そんなに高くはない金色の衝立が目に入った。
あんなの、今まで籠にあったかな。
ふぅと息を吐いて四つん這いになりながらその衝立に近寄った。そんなに距離はないのに、これだけで息が多少上がる。膝下が動かないとは言え、どれだけ体力が落ちているんだろう。
また息を吐いて衝立の向こうを覗き込んだ。
見えたのは籠の出入り口と、わたしが鬼さんの屋敷で使っていた文机だった。
あの時のまま変わらずに、硯と半紙が置かれていて、机の中央にはわたしが書き溜めた日記があった。
そうだ。あれ、鬼さんのお屋敷から出て行くとき持っていくつもりだったのに、持って行き損ねていたんだ。
よたよたとしながら文机の前に這っていき、半紙が綴られた自分の日記を手に取る。
これがこうしてここに置いてあるということは、鬼さん中身見たのかな。どちらかといえば半分日記で、半分はストレス発散による、鬼さんに対する文句しか書いていなかった気がする。
ということは、鬼さんは読んでいない可能性もあるわよね。だって鬼さんが読んだらビリビリに破いてしまいそうなことも書いた記憶があるもの。
試しにパラパラと半紙を数枚めくった。
どんなことを書いたんだっけ……。適当に一枚選んで読んでみる。
『今日は赤茶色の着物に白い蝶。朝ごはんは白いご飯と、きのこの味噌汁。お漬物。朝のお酒は十一本。
お昼は鮭のお茶漬け。お酒は二十一本。
夜は豆ご飯と煮物とお吸い物。お酒は三十五本。
昔話では、鬼は炒った豆が嫌いと聞くけれど、鬼さんも豆が苦手なんだろうか。いつか試したい』
へぇ……こんなこと書いてたんだ。
ずいぶん面白みのない中身の日記だけれど。他に書く事なかったから仕方ないよね。
苦笑いしながら先を読んで、ふと目を留める。
「ん? ……あれ?」
自分の黒い墨字が並んだ最後の行。その隣に荒っぽい朱い字で、自分ではないものが一行書かれている。
「これ……誰?」
達筆で読みづらくはあるけれど、なんとか読めなくもない。カタカナと漢字で書かれているそれをじっと見つめて、なんとか解読してみる。
「今、宵ノ……酒……二? ……今宵の酒に? 合ワナイ、ダケ? 豆ガ……怖イ、カ……馬鹿?」
ん? 『酒に合わないだけ。豆が怖いか馬鹿』?
書かれた内容に間の抜けた声が出そうになる。
誰がこんなこと書いたの。馬鹿って……。
いやでも、この書き方というか、内容だと。思い当たるのは一人しかいない。
「鬼さん……?」
呆れたようにして口にして呟く。が、突如それが合図になったかのように、突然体が小刻みに震えだした。
体だけでなく両手も震え、バサっと膝の上に持っていた半紙が落ちる。何が起きたのかも分からず、とにかく突然震え始めた体を同じく震える両腕で抱きしめる。
ど、どうしたの? 体が、勝手に……!
何かに怯えるようにも、発作が起きたようにもみえる体の異常に狼狽える。奥歯もガチガチと鳴って止まらない。
心だけが置いてけぼりにった。体と気持ちが真逆の状態になっている。
そのままどうして良いかも分からず、自分の体を両腕で抱きしめることしか出来ないでいると、静かに背後の襖が開かれた気配がした。
振り返れば雀が隠れ鬼をしている絵が描かれた襖。そしてその隣には闇の空間と、そこに佇む――紅い鬼。
「あ……」
その姿を目に留めた瞬間、わたしの目は大きく見開かれた。
一秒にも満たない時間のなか、わたしは全て思い出したのだ。目を覚ますまでに見ていた、夢の内容を――
「ぁ……嫌……」
鬼を目にした瞬間に失神してしまいたかった。
でも湧き上がった恐怖が、心臓の悲鳴が、緊張を呼び起こして気を失わせてくれない。
ガクガク震える体を動かそうとするが、両足が使えない上に鈍いせいで体が思うように動かない。
這っているのか転がっているのか自分でも分からないまま、少しでも鬼から離れようとひたすら体を叱咤して命令する。
逃げろ、と。
慌ただしく行き着いた先は籠の奥。皮肉にも先程まで横になっていた布団の上だった。
わたしはひたすらそこへ転がり込んで、布団が乱れるのも気にせずに倒れ込んだ。
鬼さんは無表情にこちらを紅だけで追い、動かない。
布団の真横に並ぶ格子が背中に当たった。わたしは白い格子に縋り付いて、肩ごしに震えながら鬼を凝視した。
鬼さんは襖の横に突っ立って何も言わない。顔も無表情で読めない。わたしも口をきつく結んで黙っていた。
そうしてしばらく二人とも何も言わずに、ただお互いを視界に収めた。
どれだけ経ったのか。先に動いたのは鬼さんだった。
大きな手が籠の入り口に触り、鍵を開ける。無機質な音が鳴ると、わたしの心臓が飛び跳ねた。
鬼さんが籠の中に入り大きな足が入り込む。それと同時に、いつの間にか落とした半紙の束が鬼さんの大きな足に踏まれて乾いた音を立てた。
きょろりと鬼さんの目が下を向く。
「あ……それは……」
わたしが言いかけるも、鬼さんは足をどけて日記を拾い上げた。そしてわたしがしたようにパラパラと半紙をめくって、僅かに紅を動かす。そして全てめくり終えれば、文机の上に軽く放った。
また妖しい紅がわたしに向けられる。
鬼さんの大きな足が、こちらに歩んでくる。
ゆっくりわたしの方へ歩む鬼に、わたしは羽織を胸元できつく掻き合せて格子にしがみついた。
声は出ない。怖いはずなのに目が逸らせない。
へたり込むわたしの前に、鬼さんが目線を合わせるように腰を落とす。
わたしが動けずに震えていると、長い指がそっと顎を掴んで顔を合わされた。
「マッタク……仕方のない雀カナ」
呆れた声と吐息が顔に掛かった。皮肉がかった口調ではあるけれど、どこか穏やかな気配がある。
意外な静けさに瞬きすれば、鬼の親指がわたしの唇を撫でる。
「コトの最中に自ら息を止めて気絶するヤツがあるカ。しかもマダ触り程度で。……本当にお前はどこまでも怖がりダナ」
「気絶……?」
「夢から抜けて様子を見れば、お前は実際息をしていなかったんダゾ? 俺が息を吹き返してやらなけりゃ、どうなっていたカ」
「そう、なんですか?」
肩から力が僅かに抜ける。息、止めてたんだ。
結局そのおかげでわたしは無事だったのか。いや、決して無事ではないのだけれども。最悪なところまでには至っていなかったのか。
「本当に困った雀カナ」
言われたと同時に、鬼の逞しい両腕に捕えられる。
格子を掴んでいた手が知らないうちに緩んでいたみたいで、呆気なく手の中から格子が離れた。
「あ、待って、待ってくださ」
「マァ落ち着け、落ち着け」
上擦った情けない声をあげるわたしに、まるで馬でも宥めるかのようにおどけながらわたしの頭を撫でる。
「俺もそこマデお前がビビリだと思わなかったからナァ。それともわざと息止めたのカ?」
「……息継ぎ、忘れてたかも知れないです」
「ハァ~、世話の掛かる。おかげで喰う気も失せたカナ」
眉間に皺を寄せて深く溜息を吐く鬼さんに、まだ震えが止まらない体を固くさせながら見上げる。
「わたしが眠っている間、なにもしなかったんですか?」
不安に目で問えばフンと鼻を鳴らされる。
その返答に、わたしはどう捉えて良いのか分からず俯いた。顎に触れていた大きな手が、そっと頬に添えられる。
「想いを寄せられナイ、ね。前も俺のことを嫌いだのナンダの叫んでいたガ。鈴音はおかしなところで度胸があるナ」
「すい、ません……」
「怯えたり泣いたり吠えたりと、お前は忙しい雀ダナ」
怒った声に呆れを含ませて呟く。
どう返していいのか分からず、わたしが押し黙って震える息を吐くと顔を寄せられる。
「怨まず想わず、身体も喰わせてくれン。お前はワガママな奴ダナ。ならせめて、想いを寄せられないのなら、こうして体を寄せていろ」
ギクリと体が強張る。
それはどっちの意味なんだろう。
「夢のように、ですか?」
背中が凍る思いに駆られながら訊いた。ドクドクと心臓が酷く鳴ってうるさい。
「今はコレで良いカナ」
力強く抱きしめられる。思わず呻き声が口から溢れ、鬼さんが首筋に顔を埋めてくると、硬い黒髪と尖った耳が顔に触れる。
「鈴音は良い香りがするナァ。今はコレで良い。……コレで良いカナ」
どこか言い聞かせるような口ぶりに目を丸くする。鬼さんの心境に何があったと言うんだろう。
「鈴音」
「は、はい」
ゆるりと体が離れ、鬼さんが懐から丸い手鏡を出した。裏が黒い漆に紅い梅模様が描かれている小さな鏡。それをわたしに差し出して覗けと目配せされる。
鬼さんの意図が分からないまま大人しく受け取り、鏡を見る。
そこに映っているのは自分の顔。すこしだけ青い顔をしているが、問題はそれではなかった。
「目が……」
鏡に映っているわたしの目は、その瞳は黒くなかった。
体にいつもあった灰梅の痣。それがまるでそのまま目に移ってしまったかのように、梅の形をしてわたしの瞳の上に浮かんでいたのだ。




