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妖しい馨  作者: 月猫百歩
紅の屋敷
5/60

四ノ怪

 揺れる藤の大滝を見上げて、その壮大な姿に目を奪われる。

 そこの真下に立てば頭上一面薄紫色だ。


 あれから鬼さんが出かける度に何度か箱庭へ出向いた。

 けれども、ちっとも気分なんか晴れなくて。


今日もまた『はぁ~』と深い溜息が口から出る。

 愛想笑いが禁止されてから露骨に鬼さんとの間に大きな溝が出来た。

 いや、元々あったんだけれど表面化していなかっただけで、今回のをきっかけに表に出てきただけだ。


 最初こそいつもの癖で反射的に笑顔を貼り付けてしまったんだけれど、そうした途端に射殺さんばかりに睨まれて、わたしの愛想笑いは強制的に剥がされる。そして今まで一番気まずい晩酌タイムに入るわけだ。


 お互い何も話さず笑わず、ずっと緊張状態。鬼さんもあんな状態でお酒なんて呑んでも楽しくないだろうに。


 しゃがみこんで池の中を覗き込む。

 中には何も泳いでいなくて、透き通った水底に岩肌と苔が見えるだけだ。ふぅと溜息を吐けば水面が震えて、映った自分の顔が歪む。


 鬼さんはわたしがこのまま心から笑わなければ、いつかわたしを始末する気なんだろうか。

 そもそも鬼さんはなんでそんな事を望むのかしら。やっぱりわたしの愛想笑いがあまりにも露骨過ぎて、我慢出来なくなったのかな。


 一応わたしの作り笑いは家族にも同級生にも、それこそ先生にも「作ってる」だなんて言われたことなんて無かったのに。


 う~ん、でももしかしたらみんな、わたしが作り笑いしてるって事に気がついていたんだけれど、わたしに気を使って言わなかっただけなのかもしれない。みんな優しかったから。

 


「鈴音」


 前触れも無く呼ばれて肩が跳ねる。それからひどく顔が歪んだ。

 あぁ、もうどうして良いか分からない。


 顔を向けるのが億劫で、とりあえず「はい」と返事をしても振り返ることが出来ない。いっそお面でも被っておきたいわ。

もちろん鬼さんが気に入る顔にして、ついでに特殊メイク使用にでもして、いつでもどこでも貼り付けておけるのが良い。


「何してる。コッチ向け」


 そんな馬鹿らしい事を考えている間に鬼さんが背後からわたしの肩を掴んできた。ぐいっと引き寄せられれば、鬼さんの胸に背中が当たる。


「戻ったゾ」


 変なふうに口端が曲がって自分の目が泳いでいるのが分かる。胸も不安に鳴り始めて変な汗まで掻き始める。もう鬼さんがわたしの一挙一動に対してどれが気に障るのか分からないのだ。

 何もせずに突っ立っていたら、ぎりっと肩に軽く鬼さんの鋭い爪が食い込む。こちらを向けと言いたいのだろうか。


「おかえりなさい、ませ」


 顔が見えないよう振り向きざまに頭を下げて返事をする。

ただずっと下を向いているわけにもいかず、そろそろと頭を上げて視線を鬼さんの鎖骨辺りに止めておく。顔はやっぱり見れない。


「何をしていたカナ?」


「花を、見ていました」


「ほう? ……それでどうダ?」


 どう、と言われても。

 毎回毎回同じ質問を連日されても答えに困る。歯切れが悪くなり、考えても良い返事なんて思いつかなくて、わたしは正直に「特には」と返した。

 すると視線を合わせてもいないのに、鬼さんの鋭い視線がわたしを射抜いたのを感じて心臓が痛く脈打った。


「あ、あのっ、ここにはどれくらいの花があるか、考えてました」


 慌てて動かした口から無難な言葉が飛び出る。

 ついでに顔を上げれば鬼さんがなんとも言えない複雑な顔をして、わたしを見下ろしている。


「どれくらい、とは?」


 ほんの少し、鬼さんの睨みが弱まった気がして緊張もいくらかほぐれる。

 知らないうちに肩に力が入っていたのか、自分の肩が下がったのを感じた。


「ここには色々な花があるので、もしかしたら常闇にしかない花もあるんじゃないか、と思って見ていたんです」


 実際見たこともない花がいくつかある。もちろんただ単にわたしが知らないだけで、別に妖怪の世界にだけしか存在しない花とわけじゃないんだろうけれど。


「鈴音は花に詳しいのカ?」


「いえ詳しくはないです。桜とか向日葵ひまわりとか、一般的にみんなが知っている程度です」 


「そうカ」


 呟くように鬼さんが言えばまた気まずい沈黙が流れる。息を吐くのもなんだか気持ちが重い。


「なぁ鈴音」


 びくっと肩が跳ねる。

 きっとその反応も気に入らないんだろう。

 再度掴まれている肩にまた指に力が込められてわたしの体にも緊張が走る。それから大きな指がわたしの顎を掴み上を向かされると、二つの紅とぶつかる。


 冷たい眼。それでいてどこか、複雑そうな表情かお

 そしてわたしと視線をぶつけ合うけれど、何も話そうとしない。ただこちらをじっと見つめている。


「あ、の……?」


「こいつをヤル」

 

 一向に話そうとしないので思い切って声をかければ鬼さんに遮られる。そして顎を離されると同時に胸の辺りに何かを投げやりに押し付けられた。


 あまりにも強く押されたものだから一歩退いてしまいつつも、押し付けられた物を取りあえず両手で受け取り、それに視線を落とす。


 目に入ってきたのは足元が見えなくなるくらいの大輪の花。ややずしりと重い大きなそれは葉も茎も無く、朝霧と同じ色をした瑞々しい厚みのある花びらだった。よく見れば一枚一枚淡く波状に光っている。そして何より――――


「……甘い」


 そんなに強くもないはずなのに、寄せてもいない鼻をくすぐる甘い香り。なんだか気持ちの良い、優しく頭を撫でられるような、まどろむ錯覚を起こす。

 花の香りに酔ってしまい、思わずうっとりとして一枚の花びらを指で撫でると、指先にしっとり透明な雫がついた。


「どうダ?」


 長い指が頬を撫でるのも気にならずにもう一度花を撫でる。

 先程の険悪な雰囲気などもう頭の片隅にも無くて、ただ目の前の花に見入ってしまう。


「これは、なんていう花ですか?」


「さぁナ。ただまぁ、強く勧められてナ。ここで創られた花みたいダ」


 ということは、常闇にしかない花なんだ。そうよね。こんなふうに光る花なんて見たことも聞いたことも無いもの。とても綺麗。


「鈴音。酌をしてくれないカ?」


「はい」


 って、え?


 知らずに頷いた自分に驚き目を見開く。上の空になっていたからか、思わず反射的に返事をしてしまった。   


「よし。じゃあ行こうカナ」


「あ……はい」


 まさか今更嫌ですなんて言えない。いや、上の空じゃなくたって言わなかっただろうけれど。


 鬼さんにせっつかれるように背を押され、促されるまま箱庭を後にする。

 今日もまたこれからお酌をするんだろうけれど、いつもと違うのはこの大輪のお陰であまり憂鬱な気分ではないことだ。


 本当に良い香り。小さい頃おばあちゃんの膝枕でお昼寝していたような、良い気分になる。


 これなら鬼さんとのお酌も、ほんのちょっとだけ、良くなるかもしれない。


 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 ふらふら眩暈めまいがする。

 意識が混濁して、手足が重い。

 息も少し苦しい。


 でも、けれども気分はとても良い。

 どうしてこうなったんだっけ。


 あ、そうだ。

 鬼さんにお酒を無理やり飲まされたんだ。

 それも結構な量を。


 横を見上げれば紅い口が牙を覗かせながら笑っている。

 自分の肩にはがっしりとした大きな紅い手。


 そしてここはどこだっけ。

 それと、あの女の人は、誰だっけ。


 盃に映る、笑っているこの顔は、誰だっけ。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 ぼんやりとした頭がようやく晴れてきた。

 ついでに頭も痛い。これが二日酔いというものかしら。……一日も経ってないけれど。


 えーっと、あれからどうなったんだっけ。

 あ、その前にお水。喉渇いた。


 籠の中に置いてあるガラス製の水差しに手を伸ばして湯飲みに注ぐ。それを一気に飲み干してほっと息を吐く。

 これで少し気分が楽になった。重い動作で湯飲みを元に戻して、そのままどさりと畳の上に横になる。




 鬼さんのお酌をしている間、やっぱり話が弾まなくて気まずかった。

 以前のように鬼さんが楽しそうに延々と喋ってくれれば良いんだけれど、鬼さんはなんにも話してくれない。


 どうしようかと思案していたら鬼さんがお酒を勧めてきて、最初はわたしも断ったんだけれど、鬼さんがまた鬼みたいに(あ、元々鬼か)怖い顔したものだから仕方なく一杯だけならと一気におちょこの中を飲み干したんだ。


 今思えばそれがいけなかった。


 お酒を飲んだわたしに『ナンダ、飲めるんじゃないか』と鬼さんはガンガン勧めてきて、断り切れなくなったわたしはほぼ自棄酒状態で次々飲んだ。当たり前だけれど一気に酔いが回り、途中から意識は吹っ飛んだ。そしてあっという間に泥酔してしまったのだ。




 なんか酔っている間に色々あった気がしたけれどまったく思い出せない。

 なんだか誰か来ていた気がするけれど、それはまずあり得ないわね。

だって鬼さんがわたしの前に誰かを呼ぶなんてことはしないから。鬼さんはわたしが誰かと会ったり話したりするのを良しとしたりしないものね。 


 あぁ、もう! さっきから頭が痛いっ。

 しかも体もお酒臭いっ。


 ガンガンする頭を押さえながら畳から体を起こす。お酒臭くて着物が変わっていないって事は、お風呂に入ってないんだろう。


 鬼さんどこにいったのかな。お風呂に入ってから眠りたい。


 そう思って灯篭の明かりを見ると、まだ小さくなっていない。ということは、まだ眠る前なんだ。結構時間が経った気がしたんだけれどまだ(元の世界で言うなら)昼間の時刻なのね。

 もう一度お水を飲んで喉を潤し、いまだ気だるい体を横たえる。

 

 早く鬼さん来てくれないかな。お風呂に入りたい。今は鬼さんとの気まずさよりお風呂に入りたい欲求のほうが強い。

 紅い鬼が来ないかと籠の向こうにある部屋の襖を見やったとき、すっと襖が動いた。


「ん? 起きたカナ?」


 わたしの顔を見て鬼さんが籠へ寄ってくると、籠の鍵を開けて中へと入ってくる。

 あれ? わたし寝ていたんだっけ。


「わたし寝ていたんですか?」


「あぁ」


 問えば肯定の返事が返ってくる。いつの間に。全然寝た記憶も起きた感覚も無いんだけれど、寝ていたんだ。


 そこで不意に顔へ手が伸ばされているのに気がついて、反射的に仰け反る。それからすぐ『あっ』と思って体が緊張に固まった。

 すぐ目の前で鬼さんがあぐらを掻いてわたしへと腕を伸ばし、わたしと同じように固まっている。 


 きっとまた怒らせてしまった。

 そう思ってびくびくしながら紅い鬼のほうを盗み見た。


 鬼さんは僅かに目を見開いて、少し驚いたような顔をしていた。


 どうしてそんな顔をするんだろう。

 意外な反応にわたしが戸惑っていると、鬼さんはおもむろに伸ばしていた腕を引っ込めて腕を組み、顰めっ面をして首を傾げた。

 

「お前宴のことは覚えているカ?」

 

「あ、えっと。お酒を飲んでしまった以降はあまり」


「……そうカ」


 そう呟いて視線を落とし、端正な唇を噛む紅い鬼。  

 なんだか鬼さんらしくない反応。どことなくがっかりしたようにも見える。


「まぁ良い。風呂はマダだったナ? こっち来ナ」


 溜息混じりに呟いて鬼さんは一人立ち上がると、籠の出入り口のほうへ歩いていった。それから未だに不可解なままでいるわたしを手招きする。 


 胸にもやもやしたものを抱えつつも、わたしは体を清めるために籠の入り口へと足を進めた。



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