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妖しい馨  作者: 月猫百歩
紅の屋敷
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三ノ怪

 これは……気のせいなんかじゃないみたいね。

 小ぢんまりとした金色ばかりの部屋でいつもの盃を手に、また今日もなぜか鬼さんがこちらを探るように見つめてくる。絡み付いてくる視線が気になって居心地が大変悪い。


 鬼さん最近どうしたんだろう。何か言いたげな、様子を窺うような。

 まさかわたしがまた逃げ出そうとか考えてるんじゃないかと疑っているのかしら。だとしたらもういい加減そこらへんは信用してくれたって良いのに。じゃないとこう毎日毎日鬼さんの感じの悪い視線に晒されるのは正直うんざりだ。これが一時的なものならまだ我慢も出来るんだけれど。

 ……それにしても鬼さん今日は出かけないのかな。


「鈴音」


「は、はいっ」


 突如名前を呼ばれて反射的に声が跳ねる。うっかり持っていた酒瓶を落としそうになりながらも、それでもなんとか笑顔を貼り付けて「なんでしょうか」とやや首を傾げて問うてみる。


「お前……」


 じっと妖しい紅に凝視される。まさに蛇に睨まれた蛙状態なわたしは、次の言葉を緊張した面持ちで待つしかない。

 え? 何か失態を犯してしまったのかな。不安な面持ちで赤銅色の鬼の顔を見つめる。


「庭をやろうカ?」


「え? お庭、ですか」


「あぁ。籠と広間だけでは飽きタロウ。体の鈍りをほぐすのにも丁度イイ」


 あぁ、なんだ。予想していたものより悪くない言葉が出てきてホッとする。

 しかもお庭だなんて、むしろ喜ばしいものだ。

 う~んだけれど、あの眼は絶対に言葉に出したものとは違う気がするのよね。お庭をわたしにあげる事が本当の目的じゃなくて、別に何かがあるような……。

 まぁそう思ったところでわたしは何も出来ないのだけれど。

 

 ほんと、鬼さんと付き合ってると色々心の中で諦めることが多いわ。でもこれが鬼さんと生活するうえでは大事なことだ。


「俺も少しばかりの間、出掛ける用が増えてナァ。その間お前を籠に押し込めているのはイタダケナイ。病にかかっても面倒だからナ」


「それはありがたいです」


 鬼さんが居ない事はともかく、ずっと籠の中はやはり堪える。お庭でちょっとした気分転換が出来るなら願ったりだ。


 心から嬉しかったのだけれど、ついつい、いつもの癖で作った笑顔を浮かべてしまう。でもまぁそんなことは鬼さんには分からないし、例え自然だろうが自然じゃなかろうがこの際問題ではない。要は愛想良く出来れば良いのだから。


「……そうカ。なら今から行くとしようカ」


「今からですか?」


 きょろりとした目を捉えて目を瞬かせる。

 もうそろそろ就寝前になると思うのだけれど。

 ちらっと近くの灯りに目をやればぼんやりとして今にも小さくなろうとしている。


「嫌カ? なら別に」


「い、いえ! 行きます!」


 こんなチャンスを逃すなんて勿体無い。気紛れな鬼さんの事だから、明日になったらあげる気を失くしてしまうかも。

 わたしは慌てて首を振って「是非」と鬼さんへお願いした。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 いつもと同じ窓も明かりもない長い廊下を、睨みあう虎が描かれた紅い背を追って歩く。わたしの足元には鬼さんが作った紅い鬼火。ペタペタと音を鳴らす素足を照らして木目調の板の上を漂っている。


 気のせいか、前に比べて聞こえてきた妖怪たちの笑い声や話し声が遠くになった気がする。前はもっと近くで聞こえていた気がするけれど、鬼さんが遠ざけているんだろうか。

 常闇で過ごすために様々な自由を諦めた分、いっそ清清しくらい気持ちも軽くなる。けれど比例して心も虚しさに凪いでいく。


 鬼さんと二人きりの生活は想像していたよりもずっと安全で快適だ。現代人のわたしでもあまり目立った不便さは感じられないし、命の保障は多分、今のところは……まぁ恐らくは……大丈夫? だと思うし。

 規則正しい生活リズムだって、太陽の代わりにある灯篭の灯火によって一応守られているし。


 けれども閉ざされた空間で長時間過ごす上に気の合う人との遣り取りも無いし、楽しみも限られていて時折無性に寂しくなる。

 籠の中で一人きりの時に声を殺して泣いたこともあるし、夢にまで家族や友達と過ごした生活を蘇らせる事だってあった。

 ただ鬼さんと過ごす時にはそんな感傷は捨てないと命まで捨てることになる。おかげで精神的健康とやらのバランスを保つのも楽ではない。


 この生活も疲れてきたなぁ……


 「はぁ」と、無意識のうちに溜息をついてしまい慌てて飲み込む。

 鬼さんの前で溜息は禁物だ。睨まれる上にネチネチ怒られる。もしくは最悪、胸倉を掴まれて怒鳴られてしまう。

 冷や汗を掻きつつちらりと前の背中を見れば、先程と別段変わった様子は無い。鼻歌を歌って鬼さんは呑気そうに歩いてる。


 良かった。気づかれなかったみたい。

 わたしは安堵しながら、今度は余計なことを考えないよう黙々と鬼さんの後を付いて行った。


 


 普通の廊下から幅が少し狭い廊下へ移動してしばらく歩き続ける。この廊下は初めて歩く道だわ。空気が動くような気配がしたけれど、そろそろお庭が近いのかしら。

 ほのかに前が明るくなり、鬼さん越しに草木が僅かに見える。

 良く見ようと顔の角度を変えようとしたところで、おもむろに前を歩いていた鬼さんが横へ退いた。


「わぁ……」


 目の前に幻想的な小さな和庭園が現れ、知らずに感嘆の声が漏れた。

 高い天井から薄紫の藤が滝のように垂れて、その真下にはとても小さな小川と池が苔の絨毯に包まれた石に囲まれている。そして更にそこを囲むように咲いているのはツツジと大輪の牡丹。

 みんな石灯籠や吊るされた小ぶりの提灯に照らされて、その華やかな姿を競い合っていた。


「広くはナイが、ナカナカだろう?」


 横から腕を組んで自慢げに言う鬼さんの声が聞こえてくる。

 よく見ようと足を一歩進めば、たちまち花の香りに包まれて頭が少しくらりとする。

 

 すごい。以前見た和庭園よりもかなり小さいけれど、とても幻想的。小さな箱に溢れんばかりの花々が詰められている様な、そんなイメージだ。

 

「気に入ったカナ?」


「……あっ。はい!」


 おっといけない。

 我に返って落ちそうになっていた愛想笑いを被り直して、鬼さんへ笑いかける。


「とても素敵です! ありがとうございます」


 頭を下げた後、また庭を見回す。

 こんなに綺麗なお庭を貰えるとは思わなかった。小さいといっても学校の教室二つ分くらいの広さはありそうだ。これならちょっとした気分転換や軽い散歩が出来る。

 やっぱり籠と大広間の行き来じゃ詰まらないし、なにより一人で過ごす場所が増えるのは単純に嬉しい。鬼さんはしばらく居ないみたいだし、良いこと尽くめだ。


 あまり喜びすぎると「俺が居ないのがそんなに嬉しいか」だなんて言われかねない。わたしは改めて上品な笑顔を作り直してもう一度礼をしようと鬼さんを見上げた。 


「……鬼さん?」


 不意に感じた危険な気配にわたしから笑顔のお面が落ちる。

 何が気に障ったのか、目の前の鬼さんは露骨に嫌な顔をしてわたしを見下ろしていた。なんで? どうして? 鬼さんの表情を見てそんな単語が頭に浮かぶ。


「本当にそう思っているのカ?」


「え?」


 意味が分からなくて眉を寄せれば、鬼さんが腕組を解いてわたしに近づく。

 いきなりの不機嫌さとあまりの気迫に思わず後ずさる。


「お前は嘘ばかりだナァ」


「嘘?」


「俺がそんなお愛想笑いにいつまでも喜ぶと思ったのカ?」


 鋭く冷たい紅に息が詰まる。

 意図せず喉を鳴らすと、鬼さんはさらに眼差しを鋭くして詰め寄ってくる。


「マッタク。お前は分かってないナァ~。俺がこんなに良くしてやってイルのに」


「ま、待ってください。突然どうしたんですか? ……笑ったのが、いけなかったんですか?」


 鬼さんにとってわたしの愛想笑いは癪に障ったのだろうか。恐る恐る鬼さんの顔を見ながら訊ねると、鬼さんの眉間の山が更に険しくなり、端正な口がまた不機嫌そうに曲げられる。


「お前は嘘の表情かおばかり浮かべるナ。マッタクそれが気に入らン。お前はいつまで経っても俺を受け入れようとはしないナ」


 低い声音にひやりとする。でも言っている意味が分からない。

 暗い顔をしていたら「やめろ」と怒るからずっと無理してまで笑っていたのに。だったらどうしろと言うの? どうしたら良いの?

 せっかく鬼さんとうまく付き合えていると思っていたのに。


 それこそどうして良いか分からず黙っていると、ゆったりとした動作で顎を掴まれる。わたしはあまりの怖さに逃げることも動くことも出来ず、鬼にされるがまま固まっていた。


「良いカ? お前はずっと俺の傍にいるんダ。いつまでもその詰まらン笑みをぶら下げるのはよせ」


「な、ならどうしたら。だって笑わなければ、鬼さんが怒るから」


「嘘の笑みをヤメロと俺は言っているだけカナ」


 嘘を吐いてはいけない。

 けれども笑っていなければならない。

 

 鬼さんの言いたいことはそういうことなんだろうか。でも心から喜べないことばかりでほとんど愛想笑いで生活してきたんだ。

 それを禁止されては……わたしは……


「今度俺の前で愛想笑いをしてみろ。どうなるカ……分かるナ?」


 顎を優しく離した動作がむしろ恐怖心を煽られる。

 鬼さんはわたしに背を向けてまた暗い廊下へ足を進めた。


 突然の平穏が崩れ、わたしは不安と言い様のない焦りが足元から這い上げって行く感覚を覚える。

 後に残されたわたしはどうする事も出来ずに、ただ花香るその場に立ち続けることしか出来なかった。





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