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妖しい馨  作者: 月猫百歩
紅の屋敷
30/60

二十九ノ怪

 あぁ眠い。とても頭が重い……


 ふらふらする頭を抱えながら、わたしは纏わりつく湿気の中でひたすら足を動かしていた。足元にはジャッジャという小石がぶつかり合う音。どうやら自分が歩くたびに聞こえてくるようだ。

 なかなか開かない目蓋をなんとかこじ開ければ、視界はグラグラと歪んで見えないも同然。何度も擦って辺りを伺う。


 ここはどこなんだろう。いやに暗くて湿っぽいし、なんだか肌寒くてとても静か。

 時雨ちゃんはどこに行ったのかしら。わたしはどうなったんだっけ?


 しばらく歩き続けると、やっと頭が落ち着きを取り戻したようだ。不安定な意識が晴れていき、擦っていた目で改めて辺りを見回せば、暗い森に囲まれた砂利道にわたしは立っていた。


 あれ? ここって……前に見たことある。確かあの現実味が妙に強い、暗い森の夢……よね? と、いうことは、ここは夢の中っていうこと?

 


 背後を振り向けば鬱蒼とした森が広がって、その暗闇へと砂利道が続いている。気のせいか闇の暗がりに何かが蠢いているように見えて、とてもじゃないけれどそっちに行く気はしない。だとしたら……。


 顔を正面に戻してその先を見る。そちらも暗いことには変わらないけれど、背後の不気味な暗闇よりはいくらかマシなように見える。砂利道も両側に木々が広がるだけで上を向けばどんよりとした空が見えた。


 恐らくこの先に行けば以前と同じ、学校の教室にいけるはずだとは思うけれど……。他に行く所はないし、取り敢えずこっちに行ってみよう。


 不安はあるものの、暗い森の入口を背後に歩き出す。

 一体どうして今こんな夢を見ているんだろう。現実のわたしは、どうなってしまったんだろう。


 記憶を辿り思い出してみる。

確かいきなり真っ白に視界が塞がったと思ったら知らないうちに体があちこち痛くなって、気絶しちゃったんだっけ。

 その後目を覚ましたら時雨ちゃんが心配そうにわたしを見ていて、まだ鬼のお屋敷から時雨ちゃんの所に行く途中だって言われて、それでまた眠ってしまったんだっけ。


 うーん、だとしたら、あの騒動はやっぱり時雨ちゃんが起こしたものだったのかな。なんだか龍みたいな妖怪も見えたけれど、時雨ちゃんが連れてきたのかな。


 色々考えを巡らしながら歩き続ける。薄い霧が張っているせいで先もよく見えない。

前は霧なんて出てたかしら。霧じゃなくて月なら出ていた気がしたんだけれど。それに、この夢はいつも……


 そう思いかけて、瞬時に体が強ばった。

 ……そうだ。この夢はいつも、いつだってあの紅い鬼が――




「鈴音!」



 鋭い声が自分を射抜く。その瞬間喉からお腹にかけて硬い杭を打ち込まれた錯覚が起き、ありもしない痛みで息を忘れる。急にドクドクと心臓も跳ねて、それが余計に苦しさを増した。


「俺カラ逃げる気かッ」


 動けずに固まっていると、怒りを含んだ声が背後から響く。

 ガタガタと手足が、体のいたるところが鳴ってその場から動けない。僅かに顔を後ろへ向け、怖々背後に目をやれば、遠く小さくなった深い森の入口から瘴気のような黒い霧が溢れていた。


「……戻ってコイ。今すぐ戻って来るんダ!」


 怒気を押さえた低い声。奥歯を噛み締めるように唸ったものが背後から聞こえる。

 息が苦しい。痛みが走り始めた肺を抑えるように、胸に両手を当てて背中を丸めた。

 

 戻れない……戻れるわけがない。

やっとあの屋敷から逃げられたのに。時雨ちゃんがわたしを助けてくれたのに。やっとあの陰鬱な日々から逃れられたのに。

 なによりもう、わたしは、わたしは紅い鬼とは――


「何をしている……来いっ!」


 突然首元の首輪が締まり、後ろへと引っ張られ背中から倒れる。そしてそのままズルズルと見えない鎖に繋がれ、引っ張られるように首輪がわたしを引きずり出す。

 

「や、やめてっ……痛い、苦しいっ。息がっ」


「戻ってこい! 俺の所へ戻るんダ!」


「嫌、だっ」


「放しはしないゾ鈴音ぇ! 俺から逃れられると思うナ! お前がドコに居ようと必ず捕らえて籠に押し込めてヤル!」


 罵声が森の奥で蠢く闇から轟く。ビリビリと体を突き抜ける罵声に怯えながら、なんとか体を捻り返し、ひたすら砂利道に突っ伏して両手に力を込めた。


 けど、必死に突っ張るんだけれども。膝も手のひらも砂利で擦られて痛い。ヒリヒリとした焼けるような痛みに負けて、思わず込めている力が抜けそうになる。

 でも、ダメだ。いくら夢とは言え、あの暗闇に呑まれたらそれこそ終わりだ。現実で逃げきれても意味がなくなってしまう。本能的にそう直感すれば、さらに挫けそうになる心を叱咤する。


「もう、卑怯な鬼のところなんて戻らない! もうわたしはあの白い籠に戻らない! ……戻りたくない!」


 キッと顔を上げて正面に捉えた暗闇を睨みつける。

 

「鬼なんて大っ嫌いだ! もう顔も見たくない! 声だって聞きたくない! 二度と会いたくなんてない! 鬼にあんな酷い事されるくらいなら死んだほうが良い!」


 怖さなんてなかった。悲しみもなかった。とにかく拒絶したかった。とにかく鬼という存在が嫌だった。


 そんな思いを口にすれば、言葉となって鬼に向かう。ここまで他人に対して罵声をあげたのも初めてのことだったかもしれないし、ここまで腹立たしさとは違う、もっと深くて暗い思いを抱いたのも、生まれて初めてだったのかもしれない。


 わたしが叫んだあと、少し間があってから息の抜けるような音が暗闇から聞こえた。


「……そこまで俺を拒むカ」


 呟くような、小さいけれどハッキリとした低い声。

 耳にした途端にわたしを引きずっていた力が前触れもなく止んで、突っ張ていたわたしは力を取り止める間もなく、砂利道にひっくり返った。


「いったぁ……」


 顔をしかめて上体を起こす。そして無意識に向けた先に、暗闇に浮かぶ二つの紅を見つけ、息を飲んで慌てて立ち上がる。


「やはり勿体ぶらずにサッサと喰っちまったほうが良かったカナ」


 森の暗闇に浮かぶ二つの妖しい紅が細まり、砂利を踏む音が響き始めた。次第に大きくなるその足音に思わず後退して、その紅を凝視する。


「俺から逃げられるワケがないだろう……馬鹿な雀ガっ」


 どんどん早くなる足音。わたしの心臓の音も加速する。そして黒い霧も同じようにその量を増して、辺りを暗闇に呑み込み始めた。

 そしてその闇が溢れる入口から紅い影が見えたと同時に、わたしはやっと踵を返すことを思い出し駆け出した。



「嫌だ……! 嫌だ……!」


 無意識に拒絶の言葉を繰り返しながら砂利道を走り抜ける。きっと教室のドアに辿り着いてその向こうに入り込めば、明るい日差しがあるはず。常闇の住人であるこの紅い鬼だって、そこなら容易に入っては来れないだろう。たとえ入ってこれたとしても、なんらかの形で弱まるはずだ。


 そうは思ってみたものの、正直半信半疑だった。そんなことが本当に出来るのか分からないし、もし辿り着いたとしてもいつかみたいに教室のドアが開いている保証はない。



「ナゼ俺から逃げる? あれだけ可愛がってやったのに」


 短く乱れた自分の吐息が耳に繰り返される。そしてすぐ後ろにいるわけでもないのに聞こえてくる鬼の声。


「俺と共にいるのガ死んでも嫌だと? 随分と言ってくれるじゃナイカ鈴音」


 軽い口調で言っているのに、言葉の端々に棘が含まれ恨めしいものが滲んでいる。

 走って体が熱いはずなのに、鬼の声が耳に届けば届くほど背筋が冷え冷えとしてくる。汗も暑さからくるものではなく、冷や汗ばかり流れる。


「俺が今まで情けで手を掛けずにいたのに、それをアダで返すとは。マッタクなんて愚かな雀よ」


 目の前を必死で見つめる。暗さと霧のせいか、なかなか先が見えてこない。走り続ける足が不安にもつれそうになる。


「今度ばかりは容赦しないゾ。裸に剥いていくつもの縄で籠にお前を繋いでやり、飯も犬の様に這いつくばらせて口で直に食わしてやる。それで毎夜毎夜啼かせて喰い尽くして、二度と無駄なことなど考えられんようにしてやるカナ」


 恐ろしい言葉の羅列に生理的な拒絶からか、グッと吐き気がこみ上げてくる。全身が鳥肌が立って足が異様なほど震えて走るのが困難になり、何度も転びそうになった。

 両手で口を押さえ、そうすると息が余計に苦しくなって、ついに足を止めてしまった。


 ひっひっ、という引きつった呼吸をするたびに背中が跳ね、上手く肺に酸素が入ってこない。苦しさに目尻が濡れて、わたしはその場にうずくまった。

 

 少しの間が空いて、鬼の足音が止んだ。生ぬるい風が舞い上がり森の木々もざわめいて、落ち葉が数枚わたしの足元を通りすぎた。 


「……しかしだ、鈴音。俺はお前がマダ可愛いと思っている。今すぐ俺の下へ戻るなら、酷いようにはしないカナ。……さぁ戻れ。おいで鈴音」


 先ほどとは打って変わって優しい声が背中を撫でる。呻く様な低さではなく、穏やかで落ち着いた声が、小刻みに震える両手で口元を抑えるわたしに囁いてくる。


「鈴音」


 再度呼ばれる名前。でも、それでもわたしは首を振った。あの時と同じように、何度も何度も。口を押さえていた両手で耳を押さえて、口を真一文字に結んで「嫌だ」と拒絶した。


「このっ――飽クマデ俺ヲ拒ム気カッ!」


 地響きのような鬼の咆哮に体が強張り、一瞬目眩がした。落雷の様な鬼の怒りを背中で受け止め、それが脳天から突き抜ける。


「お前は違えてばかりダナ。躾のなっていない雀は仕置きしないとナ……そうダロウ? ――ナァ鈴音ぇ!」


 背後から追いかけてきていた声が、瞬時に真後ろから掛けられる。顔を向ける間もなく肩を強く掴まれて、強制的に後ろへと体を向かされれば、そのまま押し倒された。


 そこにあったのは睨んだだけで切り殺してしまえるんじゃないかと思うぐらい、妖しい紅を鋭くした鬼がいた。口元からは全てを噛みちぎる猛獣のような八重歯が覗き、これ以上ないくらい深く笑んでわたしを見下ろしている。

 

「俺カラ逃げようするとは。本当にナメられたもんダ。しかもご丁寧にあそこまでヤルとはナ」

 

 まだ肩を掴んでいた手に力が込められて、爪が肌に食い込む。痛みに顔を歪めて呻くと鬼が顔を寄せてくる。


「一体誰にそそのかされタ? 言ってみろ鈴音。言わないなら――」


「鬼様。私です」


 凛とした声が聞こえ、わたしと鬼の間に黄色い蝶が割って入った。それがキンとした高い音を鳴らすと、鬼が弾けるようにわたしから退いた。


「お久しぶりです。貪欲の鬼様」


 蝶が輝いて光の集合体になると、その姿を次第にしなやかな女性に変えていく。


「……やはりお前か」


 鬼さんが忌々しく睨んだ先。淡い黄色の裾を地面に広げ、細い角を飾る紫陽花のかんざしを挿した美しい鬼女の姿。まるで聖母のような、慈愛に満ちた顔をした時雨ちゃんがいたのだった。








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