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妖しい馨  作者: 月猫百歩
紅の屋敷
28/60

二十七ノ怪


 お昼も夜も、食事はとらなかった。

 格子の方へ向ってしゃがみ込み、ひたすら窓の紅い月を睨みつけていた。


 子鬼が置いたのか鬼さんが置いたのは定かではないけれど、食器類が鳴る音が聞こえたのだから、きっと机には食事が置かれていたんだろう。 

 けれども食べなかった。お腹の虫もわたしの不機嫌さに委縮しているのか、今は全く鳴らなかったし、わたし自身空腹を感じていなかった。

 数時間経つとまた物音が聞こえ、少しの間があってからお盆を持ち出す気配がした。何も言わずに食器を下げたところ、わたしのハンストには文句がないらしい。



 自分の中でふつふつとした怒りが煮えくり返ってずっと噴火状態だった。未だにカッカカッカと体が熱くなっている。

 もし鬼さんがわたしの目の前に現れたのなら、刺し違えてでも一矢報いてやりたい。お姉ちゃんにまで酷いことをしていただなんて。しかもそれを馬鹿にして。お姉ちゃんの心配を利用して!


 少しでも鬼さんに対する罪悪感なんてものを持ったわたしが馬鹿だった。鬼さんはやっぱり鬼なんだ。血も涙も無い悪鬼なんだ! 今まで助けてくれたのだって、自分の利益があってこそなんだ!


 自然と手に力が入って腕に自分の指が喰い込む。心臓はずっとドクドクと鳴っている。

 もう鬼さんの傍にはいられない。このまま鬼さんの思い通りになるだなんて癪だ。絶対に食べられてたまるものですか。


 発火音が鳴ると同時に籠の中で鍵が開く音がする。肩越しに振り替えれば鬼火が煌々と宙に浮いてわたしと籠を照らす。


 そうか。いつものお風呂の時間になったのか。

 ……ふん。冗談じゃないわ。お風呂になんか誰が入るもんですか。

 音無しの時間にさえなれば時雨ちゃんが迎えに来てくれる。それまでここでじっと待つんだ。


 座り込みを決め込み再度顔を正面に戻す。格子の向こうには先程と同じ鋭利な月。それが紅いというだけで実に腹立たしい。


「…………っ! わっ!?」


 いきなり目の前が燃え上がり思わず後ろにひっくり返る。慌てて上体を起こすと、籠の外に浮いていたはずの鬼火が威嚇するように、ずんずんと勢いをつけて鼻先にまで迫ってくる。


「な、なに!? ちょちょっと!」


 抗議の声を上げつつも、メラメラと燃える鬼火がその炎をボッと脅かすように吠え、なおもこちらに迫って来るのだからわたしは後退するしかない。

 しかも腰を抜かしたままの格好で後退あとずさるんだからかなり格好悪い。


「なによ! やめて!」


 なんとか立ち上がれば、すでに籠の出入り口まで到達していたらしく、両サイドに白い格子が並んでいた。どうやらこの鬼火は、どうしてもわたしをお風呂に強制入浴させたいらしい。


「わたしは今日はお風呂に入らないの! だから出て行って!」


 不潔だろうが衛生的に宜しくなかろうがこの際どうでもいい。だいいち鬼さんが喰ってやる宣言したのにわざわざ素っ裸になるなんて、鈍いわたしでも危険だって分かるわ。


 眉を釣りげて毅然と鬼火を睨みつける。すると鬼火は怯んだのか、炎を小さくさせて後ろへ下がっていく。

 その様子を見て、籠の中へ戻ろうと足を一歩前へ出したその時。いきなり鬼火がわたしの顔面めがけて飛び込んできた。


 あっ、と思ったと同時に両手で顔をかばう。目蓋の裏まで紅く染まって、炎が激しく燃え上がる轟音が耳に響き、包まれる。

 突然のことに混乱しながらも、きつく口を閉じてやり過ごした。そしてそれが収まって音が小さくなると、恐る恐る両手を下げた。


 目の前にはひのきで出来た飾り棚につたの模様が描かれたゴザ。丁寧な作りの編みかご。……いつもの脱衣所だ。


 鬼火にこんな力があっただなんて。

 やや緊張しながら辺りを見回してみたけれど鬼火の影も形もない。ここにはわたし一人のようだ。体もなんともないみたいで火傷も傷もない。

 はぁっと息を吐いて強張っていた体から力が抜けた。


 だけど……


 チラリと編みかごの中身を確認すれば、中には丁寧に畳まれた三枚の手拭いと白い薄手の浴衣に小豆色の帯。なんとも心許無い。

 きっと今日もお風呂から上がれば、今着ている袴も下げられてしまうんだろう。だとしたらやっぱりお風呂なんて入ってられない。

 すぐに出たらまた鬼火が襲ってくるかもしれないし、少し時間が経ってから出ることにしようかしら。


「……って、えぇ!?」


 わたしの悪巧みに気づいたのか、鬼火がまた派手な発火音と同時にわたしの目の前に現れた。今度は最初っからゴウゴウと燃え盛った状態で、明らかに怒っている。


「だ、だからわたしは今日は」


 必死に抗議しようと、わたしも握りこぶしを作って声をあげるが、背後の扉がガタンと独りでに開き思わず振り返る。そこで待ってましたとばかりに、鬼火がわたしの背中に体当たりをして、わたしはモヤが漂うお風呂場に突き飛ばされた。

 まぁ幸いというか、なんとか両手をついて床と顔面が衝突することは免れたけれど……


「ちょっと危な」


 顔を上げて鬼火に怒ろうとしたが、すぐに中断される。

 鬼火は第二弾の体当たりを繰り出し、それはわたしの横っ腹に見事にクリティカルヒットした。派手に弾け飛び、何回転かした身体は、なみなみとしたお湯の中へ文字通り転がり落ちた。  

 

「ぶはっ……げほ、げほっ! お、溺れる!」


 水分をたっぷり吸収した袴が重く、咳き込みながら浴槽の縁にしがみついて顔を出す。

 髪や顔にまとわりつくお湯を、手で拭いながらお風呂場を見渡した。そこには既に誰もいなく、ただ湯気が立ち上っているだけ。


「……そ、そこまでする……? ごほっ」


 ズキズキと痛む横っ腹を手で押さえながら頬を引くつかせる。なんという執念。いや、仕事熱心なのか。

 這うように湯船から出れば、ザバァという豪快な音がお風呂場に響いてこだまする。袴が重くてまるで幽霊にとり憑かれているみたい。

 

 あぁもう。こうなったら仕方ないわね。

 

 情けない溜息を吐きながら渋々袴に手をかける。さすがにこんなの着ているわけにはいかない。

 今は仕方ないとして、籠に戻れば羽織るものなりあるんだから、ここで変な意地を張って袴を着続けるのは得策じゃない。

 あ、でも鬼さんがお風呂場に来たら嫌だから、一応袴は傍に置いておこう。


 若干自分に言い聞かせるようにして頷くと、わたしは袴を脱ぎ始めた。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 鬼さんの影に怯えながら入浴を済まし、用意された浴衣に着替えると見計らったように鬼火が現れた。今度はいつものように小さく炎を揺らめかせて、廊下へわたしを誘う。


 さっきまでの事を忘れているかのような鬼火の態度に呆れつつも、わたしは大人しく鬼火に従って廊下に歩き出した。どうせ嫌だといってもまた強制的に戻されるのなら素直に付いていったほうが良いんだろうし、あんまり騒いで鬼さんが出てくるのも嫌だというのもあった。

 袴に関しては諦めるしかない。あんなにずぶ濡れな状態では着るに着れないし、なにより重いもの。


 


 籠に戻ると鬼火はボッと燃え上がり消えた。鍵が閉まると同時に、隅にある灯篭の明かりも小さくなった。


 薄暗くなった部屋に視線を走らせる。

 布団を見れば、畳んだはずの掛け布団も敷布団も、丁寧にシーツが付けられて敷かれていた。いつもなら自分で敷くはずの布団が、今日は既に綺麗に敷かれているのを目にして、すごい嫌悪感を覚えた。

 毎日そこで寝ていたはずなのに、今はすごく汚らしく見える。


 どうしても座る気にも、横になる気にもなれなくて、籠の中央で立ち尽くす。しんとした部屋にいると嫌でも緊張してきて、知らずにカタカタ体が震え始め、顎も鳴りそうだ。


 寒くもないのに両腕で自分を抱きしめる。取り敢えず何か羽織ろう。少しはマシになるかも。

 立ち上がって箪笥の前に行き、震える指先に落ち着いてと言いながら取っ手を引く。


「……ない」


 今度は思いっきり限界まで引き出しを引く。けれども中身は空っぽだった。大柄な羽織はともかく、比較的薄手の短い羽織は閉まってあったはずなのに。帯もかんざしも何もない。

  

「……どうして?」


「お前は危ないからナ」


 背後から聞こえた声に飛び上がる。勢いよく箪笥に背中を打ちつけながらも、ぴったりと張り付く。

 いつの間にか灯篭の灯は完全に消えていて、窓から差し込む紅い月明かりだけが部屋を照らしていた。 


 息を詰めて前を見れば足元は暗く、その向こうには月明かりが作った縦縞たてじまの影が何本か落ちていて、そのさらに奥に広がる闇には、二つの妖しい紅が暗がりに浮いていた。


「まぁ~た辛気臭いマネされたら堪らんからナァ……今もそのつもりだったのカァ?」


 心臓が跳ねすぎて視界が鼓動と同じリズムで上下に揺れる。喉に潤いはとうに果てて、何日も水を口にしていないぐらいカラカラになっていた。


 ……不意に紅が細められる。


「鈴音、来い」


「……い、嫌」


「来い」


「……嫌」


「来るんだ」


「嫌っ」


 最後はほとんど泣き叫んでいるのと一緒だった。

 何度も首を左右に振りながら、何度も何度も「嫌」と繰り返した。

 嫌。嫌だ。鬼さんに喰われるだなんて。……ううん。鬼さんの思い通りになるだなんて、嫌だ。絶対に。

 ……そうよ。鬼さんの好きにはさせない。させるものですか!


「お、鬼さんは、お姉ちゃんにまで、お姉ちゃんまで苦しめていた。……酷い。最低だわ」


「だったらナンだ。その大事な姉は今やお前の事なんて記憶にナイ。苦しんでいたことさえ忘れているカナ」


「そういう問題じゃないです! お姉ちゃんを苦しめて、こんな騙し討ちみたいな真似して。鬼さんは卑怯よ! 自分が最低なことしてるって分からないの!?」


「最低ぇ? 俺はな~んも約束違反なんざしていないカナ。俺とお前の約束事はあくまでお前が俺を「忘れない」こと、そして「帰りたい」と言わないこと。ドウダ? 違えたのはオマエのほうだ鈴音」


「だからってお姉ちゃん達を利用するだなんて」


「オイオイ。俺が、いつ、姉を、利用しませんと言っタ? それに姉はそのせいで病にでもかかったカ? 怪我を負ったカ? 気が触れたカ? ……なんともナイだろうガ」


 畳み掛けてくる鬼の言葉と気迫に尻込みする。身じろぐと手足はじっとりと汗をかいていたようで、胸の前で握っている拳の中は湿り、足の裏には畳の網目が張り付いている。

 

 ……音無しの時間はいつ来るんだろう。あとどれくらいしたら音無しの時間になるんだろう。なんとか時雨ちゃんが来るまでに時間を稼がないと。


 そう決意した時、不意に二つの紅が闇から消えた。ぎょっとして闇を見つめるも何かが動く気配はない。

 

 ……鬼さんが、消えた? いや、そんなはずはない。


 用心しながら辺りを見回し神経を尖らす。しばらく箪笥に背を預けて身構えていたけれど、まったくの無音だった。耳を澄ましても何の音もしない。空気が動く感じも無い。


「え……? 鬼さん……?」


 本当にいなくなったの? 

 

 月が雲に隠されたのか、唯一の部屋を照らす明りが消える。部屋の中は真っ暗闇だ。それこそ自分の足どころか手も見えない。


 そろりと足を一歩踏み出す。そして背中が箪笥から離れたその瞬間。胸倉を掴み上げられ足が畳から離れた。

 

 息苦しさを覚える間もなく宙に放り出された後、布団と思われる所に仰向けに抑え込まれて背中が埋もれる。顔を上げて前を見れば、真正面に消えたはずの紅が二つ、不気味に煌めいていた。





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