一ノ怪
窓の外は暗く、時計は普段なら眠っている時刻を指している。
でも今日は特別だ。明日は休みなんだし。
ごろんと寝返りを返せば、今日私の家に泊まりに来た丸くて小さな頭と瞳が見える。
「ねぇねぇ。将来は何になりたい?」
自分の部屋のベッドの上で、彼女に今日学校の課題で出された話を振ってみる。
「私は喫茶店やってみたいな。自分でケーキと紅茶とコーヒーを作って、お客さんに喜んでもらうんだ!」
想像するだけで楽しくなってしまう。
思わず零れるニヤニヤ顔を隣に向ければ、可愛らしい笑顔が返ってきた。
彼女は目を泳がせてからようやく何かを思いついたのか、またこちらに戻して照れた笑みを浮かべると
「私はね……お花屋さん!」
「あ! 良いね! みっちゃんにピッタリだよ!」
いつもは内気な彼女が率先して手を上げた植物係。毎朝クラスの花壇や植木に水や肥料をやって、嬉しそうに笑うみっちゃんの姿が思い出される。
「それじゃあさ、私がお店を開いたらみっちゃんのお花を買ってお店に飾るよ! だからみっちゃんも私のお店に食べてきてね!」
「ふふ。まだ大人にもなっていないのに。気が早いよ」
「あ、そうだった」
ついつい自分の中ではお店の配色やメニューが頭の中を占領してお店を明日にでも開く気になっていた。
苦笑いしている親友の顔につられて自分も苦笑いしてしまう。
みっちゃんの小さな瞳が何度か瞬きすると、すっと横へ流れる。
「……でも、ね」
「うん?」
「私二人が将来何になっても、ずっと一緒にいたいな。……いられるかな?」
「当たり前じゃない!」
急に寂しそうに言った彼女に、わたしは明るく応える。
「いつだって一緒だよ。私達親友だもん」
「そうだよね……」
口ではそう言っているのにまだ寂しそう。それから二人とも無言になってちょっとした気まずい静寂が流れる。えーっと。
「あ、そうだ。お店の名前なにが良いかな。みっちゃんは何にする?」
どうしてもこのまま眠るのはなんだか後味が悪い。また気が早いと言われる気がしたけれど、構わず彼女に話題を振る。
「えっと私は今思いつかないんだけれど……みっちゃんは何かある?」
わたしの問いに小さな口が困ったように窄められると、少し間があってから私の耳に口を寄せてくる。
耳元で囁かれる内緒の話。
「え……わー良いな! やっぱり優しいねみっちゃんは!」
「誰にも内緒だよ」
恥ずかしそうだけれども、嬉しそうに顔を綻ばせて布団に顔を埋める。
わたしも可愛らしいその表情につられて笑った。
それからまた話が盛り上がって、お店のコスチュームや内装に盛り上がった。
しかし、いきなり部屋が勢い良く開かれ、二人で悲鳴を上げて飛び上がる。
「こらっ! 遅くまで起きてないで寝なさい!」
「び、びっくりさせないでよお姉ちゃん! それにそんな大きな声出すとお母さん達起きてきちゃうよ!」
部屋の入り口で仁王立ちして現れたお姉ちゃんに抗議の声を上げれば、「お黙りっ」とピシャリ叱り付けられてしまう。
「お泊り会が嬉しいのは分かるけど、夜更かしは女の大敵。話の続きは明日にしなさい。良いわね?」
「はーい」
口を尖らせて渋々布団の中へ退散する。
お姉ちゃんが睨みを利かせながらドアを閉めた後、二人で目を合わせて、またこっそり笑った。
早く大人になって二人のお店が出来ればいいのに、って。
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まぶたの裏がほんのりと明るくなるのを覚えて自然と持ち上げる。
眼の先には科学的な光なんて一つも無く、かといって強い自然の光も無い。あるのは柔らかな光を放つ、今は見慣れた灯篭の光。
一度目を閉じて寝返りを打つ。まだ眠い……。でも起きないと。
頭に苦い記憶を蘇らせて、渋々上体を起こして伸びをする。また寝過ごして肌着姿のままで一日過ごすはめになるのはもう御免だ。
鬼が来る前にと布団の誘惑を振り払いながら抜け出して布団を畳む。それから籠の隅に置かれた桶を机の上に取り出して、脇に避けておいた小瓶の中身を一滴垂らす。桶に落ちた水はみるみる広がり、桶の中身は冷たい水でいっぱいになる。
鬼さんがくれた不思議な日用品の一つだ。
両手で水をすくって顔を洗う。すごく冷たいけれど、目覚めるにはちょうど良い。わたしはもう一度水を手ですくい、顔中に水の冷たさを染み込ませた。
洗顔が終われば蝶の標本みたいになっている着物を手に取り着替える。軽めの生地で肌触りの良いそれを、慣れた手つきで身に纏わせる。
赤とピンクの中間色に黄色い小さな花が裾に向かって積もる柄は可愛らしい。それを鮮やかな緑の帯で締めれば終わり。
あとは鏡台の前に座って櫛で髪を梳かすだけだ。
朝の仕度が整い籠の中で鬼を待つ為正座をすれば、ふぅと溜息が出る。それから大きく息を吸って背筋を伸ばす。これはもう毎日の恒例行事だ。
そうすれば、狙ったかのように部屋の襖が開かれた。籠の中から視線を投げれば見えた紅い影。
「おはようございます」
屈強な体を包む着物は黒地に金の雲間が広がり、赤銅色の横顔には朱色の木陰模様が茂っている。そしていつも妖しく煌く紅がわたしを見下ろしている。
それらを観察しつつ、わたしはにっこり愛想の良い笑顔を貼り付けて頭を下げた。
愛想と礼儀は重要だ。対人関係云々ではなく鬼との生活なら尚更。命に関わるといっても大袈裟ではない。
「ナンダ今日も起きていたカ。いつぞやみたいに眠っているかと期待したんだがナ」
鬼から顔が見えないのを良いことに思いっきりこの上なく嫌ぁ~な顔をする。別に蒸し返さなくたって良いのに。
数日前、わたしは寝過ごしてしまい、起きたらなんと大広間で肌着姿のまま転がされていたのだ。まぁ、そこまでされて起きないわたしにも問題はあるんだけれど、一番の問題はそこからだ。
いつもなら食事が済めばすぐさま籠へ返されるのに、その日は一日中なにかしらの理由をつけて鬼さんはわたしをずっと肌着姿のままで過ごさせたのだ。
鬼さん以外誰かに会うことは無いし、現代服の下着ではないからそんなに肌は露出しなくても肌着は肌着。とんだ羞恥プレイをさせられた気分だった。
「さぁ~て朝飯カナ」
鬼さんの声に、顔を愛想の良いものに戻して頭を上げると、鬼さんは籠の鍵を解いて入り口を開けて手招きをしている。
『朝に食べるご飯』だなんて太陽の昇らない世界では嫌味でしかない。わたしは立ち上がって鬼の待つ入り口へ足を進めた。
大広間の上座で鬼さんと二人きりで食事をする。
今日の献立は筍の煮物とほうれん草の胡麻和え、焼き鮭。そして大根の味噌汁に白いご飯。至って普通の食事だ。
鬼さんはというと……。
ちらっと盗み見れば、まぁ、なんと言うか。派手な料理がたくさん並んでいて、どちらかというとご飯よりお酒の肴が大半以上を占めている。現にお酒を飲みながら生肉もどきを素手で食べているし。
「どうだ鈴音。ウマいカ?」
「はい」
「そうだろう。常闇じゃあ俺らの飯しか手に入らンがお前が食べる人間の飯も俺ナラ手に入る」
「あー……その、ありがたいです」
「しかもタダの飯じゃあナイからナ。どれも特上カナ」
「そう、ですね。とても美味しいです」
「当たり前だろう。俺がいつも特別の物を用意させて――」
ふぅと溜息をついて広間を眺める。
いつみても殺風景でこんなだだっ広い空間に鬼と二人きりで食事をするのはなんとも味気ない。家族や友達とおしゃべりしながら食べていた食事が懐かしい。今はというと――
「だからいつも新鮮で特上な材料を手に入れるコトが出来る。それも全て俺が――」
いつものように自慢話が止まらない鬼が隣に一人。
会話が弾むなんてことは一度だって無く、わたしの頭の中にはいかにして鬼さんの機嫌が良くなる様な相槌が打てるか、そればかり考えている。
……鬼さんのお屋敷生活を再スタートさせてから楽しいお喋りなんてずっとしていない。いや、常闇に強制送還されてから一度もか。
ここに残ると覚悟してから前みたいに情緒不安定にはならなくなった。もちろん他の妖怪に会うことがないから好奇や侮蔑の眼が向けられることもないせいもある。そういう意味では穏やかな日々を送っていると言える。
ただ、やっぱり。
会いたい。話したい。
お姉ちゃ――
「……どうしタ?」
「えっ」
はっとして弾けるように顔を上げる。
訝しい顔がこちらを覗きこんで赤銅色の眉間に山脈が現れている。あ、そうだ。話の途中だった。
ここで前までのわたしだったら慌てふためいた挙句、鬼さんの不機嫌な様子にしどろもどろになるだろうが今は違う。ここは背筋を伸ばして苦笑い。
「そんなに手を尽くして頂いているだなんて、なんだか申し訳なくて。すいません、ついつい俯いてしまいました。でもすごいですね。そんなに大変な物を揃えるだなんて」
我ながら完璧。パーフェクトな模範解答。
誰も褒めてくれないので頭の中で自画自賛する。
鬼さんのお屋敷から出られなくなった日から、わたしは鬼さん以外の人物に会うことも話すことも出来なくなった。
だから鬼さんの怒りと不興をかわない為、わたしはお屋敷に戻ってから徹底的に紅い鬼攻略法を模索する事にした。
今回はとりあえず話は全て聞いてはいないけれど、鬼さんが自分がいかにして常闇ではレアな人間の食べ物を手に入れたと自慢していたのだからとことんそこを褒めれば良い。そしたらいつものような反応が返ってくるハズだ。
「……そうだナ。鈴音は良い子ダナ」
ん?
「よく分かってイるじゃないカ」
「あ、はい。ありがとうございます」
おかしい。いつもならすぐ牙が見えるくらい笑ってご機嫌になるのに、どうしたんだろう。
毎回内容が違うとはいえ、何度も回数を重ねているのだから今更棒読みとか声を詰まらせるなんてミスはしていないと思ったんだけれど。
この手のパターンは飽きちゃったのかな。
不安を覚えたものの、すぐに鬼さんはいつものように笑ってわたしにご飯を食べるように促すのを見て、わたしはすぐまた愛想よく笑って手前の食事に目を向けた。




