十七ノ怪
きつく目をつむって肩を強張らせた。反射的にしゃがみ込んだみたいで、背中を壁がなぞり、息を詰めれば頭の上を何かが掠める。
背中はぴったり壁についたまま下へ下へと落ちていくと、いきなりわたしは背後へひっくり返った。
「えっ!?」
視界がぐらりと大きく回ったと思った瞬間、背中に衝撃を覚えると共に足が上へと浮いた。何も分からないまま辺は急に暗闇に放り込まれた。
えっと……ここはどこ?
足をそっと下へ下ろそうとすると壁にぶつかる。両腕を動かせば、自分が仰向けの状態で倒れて足は壁に寄りかかっているんだと、少ししてから分かった。
隠し扉か何かに偶然はまってしまったのかしら。
ゆっくり体を横へ向けて足を下ろし、一度うつ伏せになってから上体を起こす。
辺りは真っ暗で何も見えない。後ろを伺って手を伸ばすと壁があるだけ。こぼれる光すら見当たらない。
ま、まさか出られないなんて言うんじゃないよね。
焦って両手で壁をまさぐると、恐らくさっきまで自分の足が寄りかかっていたと思われる場所がスッと奥へ動く気配がした。それと同時に足元の床が動く感覚も。もしかしてこれが出入り口なのかな。
外にまだ鬼さんがいるのかもしれない。静かに今いる位置から足を移動し、そっと動いた壁を押す。すると暗闇だけの視界に四角い光が漏れて、中からさっきまでいた廊下が現れる。そして押した壁のすぐ下の床を見れば、押した壁に合わせて浮き上がっていた。
これってからくり扉って言うのかしら。回転扉じゃないけれど、壁を押すと入口が現れて足元の床が上がって閉じる仕組みなのね。でもこれじゃあさっきのわたしじゃないけれど、ひっくり返ってしまうんじゃないのかしら。壁の前に立っていたら壁が動かないんだろうし。それにこんなに小さい扉、誰専用なのかしら。やっぱり子鬼なのかしら。
「おい今扉が開かなかったか?」
びくっとして慌てて壁を元に戻す。また暗闇が戻ってきた中で息を詰めて神経をとがらす。
だ、誰かいるの?
「鬼様が鬼事をしていてここを探したようだな」
「御目当ての雀はいなかったようね。残念ねぇ」
男女の声が暗闇の向こうから聞こえてくる。他にもザワザワとした小さな話し声が耳に入ってきた。
「前から思ってたんだけど鬼様が雀飼ってるって本当?」
「雀ったって人間の娘だよ」
「どういうこと?」
「鬼様がつけた名前が、まぁでかい声じゃ言えないが『鈴音』ってんだ。ここ以外で話すなよ。殺されるからな」
ぎくっと体と心臓が飛び上がる。これは絶対にわたしのことよね。一体なんの話をしているんだろう。ていうかわたしの名前って結構広まっているんじゃないの。本名じゃないから良いのかな。
「えー? なんで大きな声じゃ言えないの?」
「鬼様がつけた名前だからな、鬼様の許し無しに呼べんのよ。んで、響きが似てるんで鬼様の『雀』って呼んでんのよ。鬼様も俺らの前じゃ雀って言ってるしな」
「なるほど」
「ここだけの話だぞ。ここにいる連中も皆知っているが口には出さねえし、他の奴にも話さねぇ。一応お前新入りだから特別に話してるんだからな」
男の声と幼い声が聞こえたあと、ひそひそした複数の声が耳に入る。かなりの人数だけれど誰なんだろう。
用心深く立ち上がるとすぐにゴツンと頭をぶつける。痛い……。手を上にやって頭周辺をめぐらしてみると天井みたい。……え? 天井すっごく低くない? 中腰にならないと頭ぶつけちゃう。やっぱりここ子鬼の部屋か通路なのかしら。でも、さっき女性の声が聞こえたってことは違うのかな。
「まぁまぁ良いじゃん。さっきの続きしようぜ」
「えーっとどこまで話したっけ?」
「極楽苑に通されたとこ」
声が聞こえた方へゆっくり足を動かす。鬼さんがしていたようにわたしも前に手を突き出して暗闇の中手探りしながら進む。五、六歩進んだあたりで障子のようなものに指先が当たった。
よく目を凝らせば僅かに蝋燭の光のような、ゆらゆらと動く明かりがそこからこぼれていて、物陰が明かりとともに揺らめいていた。
「そうそう。極楽苑よ。そりゃー綺麗だったわ。常闇にいるなんて忘れてしまうくらい明るくて華やかで。まさに極楽よねぇ」
「あそこまでいけば黒鬼さまから独り立ちするのも分かるわ。すごいわよね。今じゃ呪術の技も姫様に敵う者はいないとか」
熟年の女性と思われる声二つが感嘆の息を吐きながら盛り上がっている。それを囲むように色々な同意する声が上がった。
こんな真っ暗なところで雑談なんてこの妖怪達は平気なのかしら。もしかしたら明るいところが大の苦手な妖怪たちなのかもしれないわね。それだったら納得だわ。
それにしても黒鬼って誰のことだろう。わたしが知っている三人の鬼の他にも誰かいるのかしら。
「それにしてもあの姫様どこから来たのかしら。常闇って広いから、ねぇ?」
「さぁ……黒鬼様が拾ったんじゃないの? あちこち遠出されるから見込みがあるとかで御屋敷に呼んだんじゃない?」
「黒鬼様って常闇だろうが現世だろうが、ほんとよくお出掛けになるよな。瞋恚の蒼鬼様は今じゃ人間の老後よろしく湯治ばかりしているし、ウチの紅鬼さまにいたっては酒呑んでばっかだし。昔と同じように動き回ってんのは今じゃ黒鬼様ぐらいだよな」
鬼さん、部下の妖怪たちにまで酒呑みって言われてる……。怖がられてばかりじゃなくて呆れられてもいるのね。殿様的ポジションの鬼として、そこのところ大丈夫なのかしら。
「でもオイラは現世から常闇に来て色々な妖怪の手に渡ってきたけれど、鬼の国は良い所だね。特に紅い鬼様は居心地良いな」
「あんたそりゃあ今は良いわよ。赤鬼様の時はいつ壊されるか冷や冷やしたもんさ」
「蒼鬼様んとこの野獣丸は赤鬼様が良いって言ってたけどな」
「アイツは串刺しにした人間切り刻んで鬼さま楽しませてたからな。八当たりも無いしそりゃ赤鬼様ん時の方が良かったろうよ」
うっわぁ。やっぱり赤鬼さまってとんでもない極悪な妖怪だったんだ。人間を切り刻んでいるのを見て喜ぶとか悪趣味にも程がある。なんて言うか、そこだけを考えるならわたしを捕まえたのが鬼さんで良かったのかも。
「オイラ来たばっかで紅い鬼様良く知らない」
「そういやお前変な形してるな。なんなんだお前」
「オイラ時計だよ。時計の知助」
「ハイカラだな」
時計? 時計ってあのカチカチ鳴る時計? それともトケイって名前の妖怪?
目を細めて障子と思わしきものに映る影を凝視する。幾分目が暗闇に慣れてきたのもあって、ここへ入ってきた時より影たちが鮮明に見える。
ぼんやり見える影たちはみんな人影なんかじゃなくて、丸いものや尖ったもの様々。時折僅かにそれが揺れたのを見てわたしは確信した。
「わたしは扇子よ。お金さんと呼んでね。こっちは湯呑の山吹に煙管の緑青。で、そこの乱暴な言葉遣いなのが鎌のきり平よ」
「鎌できり平ってまんまだね」
「黙れクソ坊主! 穴開けるぞ!」
やっぱり。ここにいるのはみんな付喪神だ。それだったらさっきの出入り口の仕掛けも納得がいくわ。今まで会った付喪神はみんな手がなかったから、ああいう仕掛け扉じゃないと中には入れないんだわ。
「まぁまぁ。新参者なんだから多めに見てやれよ」
「ごめんよ~きり平の兄貴」
「あ、兄貴? ……ったくしょうがねえな」
なんだかきり平さん、兄貴って言われたのが嬉しいのかあんまり声が怒っていない。この二人結構いいコンビかも。
「でもさ、紅い鬼様って大人しいよね」
「赤鬼様に比べればな」
「御三方のなかじゃ若い方なんだろ。……なんだ分からんか? ほら、愚痴の黒鬼様と瞋恚の蒼鬼様、貪欲の紅鬼様のことよ」
あ、そうなんだ。そう言えば紫さんから大まかな時代背景みたいなのを聞いたけれど、鬼さんって若い部類なんだ。蒼い鬼はともかく、白夜叉と鬼さんとじゃあまり違わないように見えたけれど。
……あれ? ちょっと待って。
今の話だと黒鬼って愚痴の、あの白い夜叉みたいな鬼のことになるわよね。それじゃあ最初話ししていたお姫様の話って、みっちゃんのこと? 黒鬼様から独立したってことは白夜叉の所にはもういないっていうことなの?
付喪神たちが言うように誰にも敵わない呪術が使えるようになったなら、やっぱりあの常闇の花を作ったのはみっちゃんだわ。そうなら、きっと鬼さんのせいで外に出られないわたしに会うために、あの花を作って会いに来てくれたんじゃないのかなと思ってしまう。鬼さんにお願いしたって、どうせ会わせてくれないだろうしね。
白夜叉の所から独立したなら今はどうしているんだろう。白夜叉と喧嘩別れしたわけじゃなければ良いんだけれど。みっちゃんは今幸せなのかな。
今思い起こしても、彼女と過ごしてきた日々はやっぱり嘘に塗り替えられた思い出しか蘇ってこない。楽しかったものや悲しかったもの、全部嘘だと分かるものばかりだ。
なのに、これが本当の記憶だって思えるものは何も思い出せない。昔の姿さえも今はまったくダメ。人間だった頃の彼女の姿が見えないし、聞こえない。
……みっちゃんはこんなことをしてどうしたいんだろう。いつか会って、話が聞ける日が来るのかな。
「そういやーまだ姐さん帰ってこないな」
「前に黒鬼様んとこへ一緒にお供した以来見かけないな」
付喪神たちのざわついた声に我に返る。
話題はまた何度か変わったようで、今もまた別の話をし始めたみたい。
「まさか紅い鬼様、黒鬼様にあげたとか?」
「そりゃあないだろう。紅い鬼様と古い付き合いなんだし」
「どこに行ってしまったのかしらね。鬼様も捜されているみたいだし」
「えー? 誰々?」
誰かが行方不明らしく様々な憶測が飛ぶなか、またあの幼い声が上がる。
「あぁそうね。あなたは知らなものね。淡藤局っていう急須の姐さまよ」
……淡藤局? あれ? その名前って昔聞いた気がする。確か……初めて常闇に来た時に……子鬼と一緒に話し相手になってくれた付喪神。
そう、だ。思い出した。
丸くて柔らかい物腰で話す、薄紫色をした急須の付喪神。中学生だったわたしは彼女をとても魅力的な女性だと憧れ、頼もしく思っていたんだった。ほんの少ししか話は出来なかったけれど、わたしにとってお母さんやお姉ちゃんのような存在だった。
その淡藤局さんが帰ってこない? 鬼さんも捜している?
なんだかあまり良い事が浮かばない。勝手な直感だけれど嫌な予感がする。
「姐さん平気かな」
「まぁ姐さんだって伊達に長く鬼の国にいるんじゃないんだから、大丈夫さ。それより一反木綿の奴が蒼魔山に行った話なんだが――」
軽く話を切り上げる声とは裏腹に、わたしは不安な気持ちを抱えて暗闇の中押し黙った。
わたしが現世に戻されている間、この鬼さんのお屋敷で過ごしている間、様々な人たちが様々な思いで動き動かされている。わたしはただ遅れて他人から聞くことしか出来ない。
『蚊帳の外』という言葉が浮かぶ。それから閉塞感と虚しさも。
わたしが知っている人たちが、わたしの知らないところでいて、わたしが知り得ない事情を抱えて過ごしている。その事実がなぜだかとても寂しく感じた。
それからどうしてか、自分は一人なんだと強く感じてしまうわたしがいるのだった。




