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妖しい馨  作者: 月猫百歩
紅の屋敷
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十三ノ怪

「ねぇ、お母さん。私のこと……好き?」


 夕闇が訪れる時間帯。薄闇が部屋に忍び込んで、日の光が届かないこの場所は母の背中さえ暗くさせている。

 カリカリとノートに鉛筆を走らせる音が延々と続いている。

 お腹がすいた。何か食べたい。


「ねぇお母さ」


「うるさい!」


 振り向いた顔は鬼だった。

 あぁ、そっか。今はお母さんじゃなくって鬼なんだ。


「ごめんなさい」


 私は謝って膝を抱えた。

 早くお母さんが戻ってきてくれたら嬉しいのにな。


 お母さんはとっても優しいの。だって頭を優しく何度も撫でてくれたり、お裁縫も上手だから私のハンカチや洋服も作ってくれるの。お料理も上手で大根のお味噌汁とか、もやしの炒め物とかとっても美味しく作れちゃうの。


 でも、最近はお母さんと一緒に鬼も住むようになってしまったんだ。

 私だけが知っている鬼。鬼も私しか知らないみたいで、他の人の前では現れない。


 パッと鬼の前に明かりがついた。鬼が電気スタンドを点けたみたい。

 部屋は鬼の影と私の影がクッキリ浮かび上がる。それ以外は闇に呑まれてしまって真っ黒だ。


 早くお母さん帰ってこないかな。

 早く天井の明かりが点けばいいのに。

 そしたらお母さんが帰ってくるのに。


 お母さん早く迎えに来て。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 あぁ可笑しい。愉快愉快。

 真っ暗闇の中、ただよう匂いは何かしら? 懐かしい匂いのような気もするけれど。


 ねぇ、見えているんでしょう? 聞こえているんでしょう? 会えなくなって残念だわ。けれどもガッカリしないでね。また考えたんだから。

 今度はもっともっと楽しいの。じゃないと面白くないでしょう?


 ふっと息を吹けば黄色い煙がくるくる回る。可愛い可愛い獲物が見えてくる。

 もう大丈夫。後もう少しで揃うから。


 今度こそ夢を叶えられるから。二人だけの幸せな場所に連れて行ってあげる。

 それまで待っていてね。鬼に食べられたりしちゃ駄目よ。一生懸命ご機嫌とってね。迎えに行くから。


 だから元気で良い子にしていてね。 




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 行ってしまう。消えてしまう。必死に追いかけるのに追いつけない。

 赤く光る信号。目の前を横切る車。その向こうに走り去る小さな影。


 そっちに行っちゃダメ! 戻ってきて! お願いだから止まって!

 ねぇ、待って。待ってよ!


「待って!」


 声とともに突き出した腕。けれども手を伸ばした先には人影はなく、白い格子と天井が見えるだけだった。しんとした部屋。なんの音もなく、あるとするなら時折遠いところから、いつもの妖しい笑い声が響いていたくらいだった。


 な、なんだ。夢だったんだ。


 ため息混じりに目を閉じてくしゃりと前髪を掴む。ふと、横目で灯籠を見ると明るくなりつつある。もう起きる時間だ。

 なんだか最近夢見が悪いな〜。どうしてだろう。まぁ、妖怪の世界にいたらどうしたって嫌なことはつき物なんだけれど。例えば嫌な妖怪とか、鬼さんとか鬼さんとか鬼さんとか。


 はぁ~、それにしたって連続悪夢はさすがに辛い。真夜中に起きたばっかりだって言うのに。寝不足になっちゃう。

 そんなことをブツブツ言いながらのろのろ布団から這い出る。まずは着替えよっと。


 寝ぼけながら朝の仕度を整えてうんと伸びをする。なんだかあんまり寝た気がしない。鏡の中の自分はまだ寝ぼけ眼で、目がちょっと赤い。

 それにしてもちょっと気になる夢だったな。もうずいぶん前の事なのに。もうあの頃には戻れないっていうのに。

 ふぅと溜息をして目を閉じる。


 ……あ、そうだ。その前にも、変な夢を見たんだ。 


 真っ暗で、なんだか変な匂いがして。なんていうか、こう、鉄の錆びた匂いっていうか。それに女の人の声がして、黄色い煙がどうのって聞いたけれど。あれって、もしかしてみっちゃん、なのかな。なんだか最近妙に彼女の夢を見るけれど、ただの夢で片づけてもいいのかしら。

 それに、その夢の前にも別の夢を見た気がするけれど。あれはいったい、誰の夢だったんだろう……。


「鈴音起きてるかー!」


「わあっ」


 スパーンという襖の開く音と共に鬼さんのいやにハイテンションな声が部屋に響いて、思わず飛び上がる。び、びっくりした。ドキドキ鳴る胸に手を当てて部屋の入り口を見れば赤茶の着物を着崩して立っている鬼さんがいた。


「お、鬼さん随分と、機嫌が良いですね」


 ニコニコ顔の鬼さんの顔を見て顔が引きつる。お酒を飲んでいるならまだ分かるけれど、そうでもなさそうだし。なにより一日の始まりから機嫌が良いだなんて初めてかも知れない。


「嬉しいことでもあったんですか?」


「まー、ナ」


 ん? なんかひっかかる言い方。

 相変わらず笑みを作っているけれど、作り笑いっぽいし。……なにか隠しているわね。


「なにかあったんですか?」


「いンや。なんも無いカナ」


 ひらひら手を動かして首を左右に動かす。

 嘘。絶対なにか隠している。わたしだって伊達に鬼さんとの付き合い長くないんだから!


「本当ですか? 嘘っぽいんですけれど」


「ん? ナンダいやに突っかかってくるじゃあナイカ。話相手がいなくなって良いのカナ?」


「うっ」


 それを言われてしまったら何も言えないじゃない。

 片眉を上げてにやり笑む顔。それを見てしぶしぶ引き下がると、参ったかと言わんばかりに鼻で笑われた。もうっいちいち癪に障る! というか、悔しい!


「さ、鈴音。飯にしようカ」


 むくれているわたしを他所に、紅い手がのんびりとした仕草で籠の鍵に手をかけた。




 黙々とご飯を口に運ぶ。今日は鬼さんも刺々しい雰囲気を作らないでいるから、わたしの気持ちもずいぶんと軽い。

 なにがそんなに気分が良いのか分からないけれど、なにがあったんだろう。鬼さんって、当たり前だけど鬼だから、なにかいけないことしているんじゃないか心配になってくる。

 ……まぁ、それはそうとして。


「今日って、紫さんとお話できるんですよね?」


「あぁ」


「どんな話をするとか決まっているんですか?」


 出来たらこの常闇の世界のことをもっと知りたいな。妖怪の世界ってかなり貴重な体験なんだし、万が一何かあったりした時にも役に立ちそう。と、いうのも、上京して大学に通うアパートを決めようとした時にお兄ちゃんに『これから住む地域のことを知っておくのは重要で、事前に下調べは絶対だ』って教わったのもある。


 さすがに妖怪世界に引越すはめになるだなんて思わなかったから下調べもへったくれも無いけれど。とにかく、生きている世界の事について何も知らないっていうのは、きっとかなり悪い状態には違いないわ。チャンスがあるならガンガン情報収集しないと!


 それに籠の鳥生活って結構、想像していた以上にきついのよね。衣食住に不満はないし過酷な労働も無いから、これで文句を言うのは贅沢だって分かっている。けれども長時間一人きりでいるのは辛い。鬼さんといても、気心知れているわけではないし、気を使うばっかりで楽しいわけではない。


「紫さんから色々お話が聞けると思うと、楽しみです」


「ソウカ。そりゃ良かった」


 わたしの声にそう呟いて、ぐびりとお酒を鬼さんはあおった。




 朝食が終わって籠の中へ戻される。

 どんな話が聞けるのかな。楽しくお話出来るかしら。そわそわしながらしばらく待っていると、鬼さんが手に何かを持って部屋に入ってきた。


「あれ? 紫さんは?」


 籠の出入り口をくぐった鬼さんを見れば、煙々羅の姿はどこにもない。鬼さん一人だ。


「紫はこっちダ」


 紅い手が掲げたのは小さな水色の香炉だった。

 鬼さんが目の前に座って紫の敷物を広げると、その上に香炉を置く。香炉をよく見れば、魚や波が品良く描かれている。


「オイ、紫」


 鬼さんが声をかけると香炉から細い煙が真っすぐ上がった。それがくるくる回ると、ぼんやりとした人の姿に変わっていく。


「一刻ぐらい話してやってくれ。前に話したこと以外は好きに話せ」


「心得まして鬼様」


 小さな神主さんみたいな格好になった煙が、ゆるやかに頭を下げる動作をする。


 それにしても色々な姿に変われるって良いな。もし洋服だけ変えられるなら流行りの服にすぐ着替えられるし、お金いらないよね。あ、髪だけっていうのもありかな。それならちょっと凝ったものとかも自由自在に変えられたりしたら時間かからないし、朝バタバタしないで済むわ。

  

「時間になったら迎えに来るカナ」      


 あれこれ都合の良い妄想をやめると、鬼さんが籠から出て行くところだった。部屋の襖に手をかけ出て行った鬼さんを見送ると、目の前の煙に視線を戻した。


「えっと紫さん。今日はよろしくお願い――」


「私のことは煙、とお呼び下さい」


「え?」


「私の名は鬼様が下さったものです。紫と呼んでいいのは鬼様だけです」


 挨拶の言葉を遮られ、更にツンとした声で突き放されて思わず固まってしまう。紫色の煙はふわりふわり柔らかい様なのに、わたしに寄越す視線は鋭かった。


 わたしこの人に何かしたっけ? 知らないうちに何か失礼なことをしてしまったのかな。


 変わらず固まったまま目を丸くしていると、ふふっと笑い声がした。


「冗談でございますよ。本当にお可愛らしい」


 先ほどとは打って変わってにこりと柔らかい微笑みを向けられる。あまりの早変わりに一瞬呆けてしまったけれども、はっと我に返った。な、なんだ。からかわれただけなんだ。

 ほっとするわたしを見て、また紫さんがくすくすと笑った。

 もうっ。鬼さんといい紫さんといい。妖怪ってほんと悪戯好きっていうか、意地悪っていうか。人をからかうのが本当に好きなんだから。


「さて、どんなお話が宜しいでしょうか。お年頃の娘さんなら恋話のほうが良いでしょうかね。それとも笑えるようなお話などどうでしょう」


「あの、それよりも常闇のことを教えて欲しいんですけれど」


「常闇ですか」


「はい。どんな妖怪がいるとか、どんな町があるとか。あと勢力っていうのかな。鬼さんが他の妖怪とどういう力関係があるとか教えて欲しいです」


 さっきのお兄ちゃんの助言じゃないけど、わたしは常闇に来てから結構日にちが経ってはいるものの、まったくこの世界のことを知らない。そういうのもあって、なんというか、こう……上手く表現できないけれど、自分だけ外界からくり貫かれているというか、とにかく閉塞感を感じてしまうのだ。

 それに前々から思っていたんだけど、鬼さんたちの力関係も気になる。なんだか縄張りみたいなものがあるみたいだし、蒼い鬼や白い夜叉も恐らく鬼さんと対等な鬼達なんだと思う。きっと知っていて損はないはずだわ。


「これはこれは。鬼様がお嘆きになるのも仕方ないですね」


「え?」


「御姫さん。そんなはしたないことを言ってはいけません」


「はしたない?」


「そうですよ。あなた様は貪欲の鬼様に囲われているのです。そのようなまつりごと余所よその事など。ましてやお立場上知りたいなど口にしてはいけません」


 ずいぶん時代錯誤な言葉が出てきた……。

 また冗談かと思ったけれど紫さんはいたって真剣なようで、穏やかな口調ではあるけれどもハッキリ「またそんな事を言っては駄目ですよ」とわたしに釘を刺した。


「あの~、でも今日はわたしに色々お話をしてくれるんじゃ」


「勿論です。ただその様なことをお望みとは思わなかったもので。さてどうしましょうね」


 そう言えば鬼さんが出て行く前に、紫さんに『言われたこと以外は話して良い』みたいなことを紫さんに言っていたわね。

紫さん個人が話したくないんじゃなくて、もしかして鬼さんに口止めされているのかしら。もしそうだとしたら、あまり強くお願いしても紫さんを困らせるだけね。


「あ、じゃあ、妖怪(あなた達)のことを教えてください」


「私達のことですか?」


「はい。わたしは妖怪とか幽霊とか、名前とかならともかく全然知らないですし、今まで会ったことも無かったから不思議な事だらけで」


 これなら全然問題ないでしょう。実際わたしのいた世界にだって真偽はともかく、妖怪大図鑑なるものがあるんだから。


「なるほど」


 ふむと頷いた後、紫さんは一度ゆらりと揺らめいた。それからまた何度か頷くと、わたしへ顔を上げた。


「それなら良いでしょう。そうですね。では誰について知りたいですか?」


「誰っていうか、えっと、ここにいる妖怪たちってみんな常闇で生まれたんですか?」


「常闇で生まれた者もいますし、現世から来た者もいます。大抵あちらから来た者は古株が多いですね」


「そうなんだ」


 そう言えば、若い河童や遊女の若い子も人間は見たことないみたいだったけれども、そうじゃない妖怪たちはみんな人間を知っている風だったものね。人間が自然を壊して、その土地の主達がいなくなった関係で住処を追われてしまい、常闇に来たって言っていたっけ。

 ……あ、そうだ。


「むかし橙通りの近くで骸骨に遭ったんですけれども、あれも妖怪なんですか?」


 常闇で迷子になった時にわたしを追いかけまわしてきた白い骸骨。しがみ付いて何かを悲痛に訴える姿は、今では恐怖よりも悲しみを思い起こさせる。

 わたしには分からないと寂しげに、恨めしげに呟いて消えて行った影。あれは何だったのかずっと気になっていた。鬼さんに聞こうとも思っていたんだけれども、なんだかんだで聞きそびれていたんだ。あれも元の世界から来た妖怪なのかしら。


「あれらは皆一様に私達に喰われた人間のなれ果てですね」


 さらりと告げられた言葉に喉が詰まる。あまりにも軽く言われたのが余計に奇妙な気持ちにさせられ、何も言えずに固まっていれば、目の前の煙がまたゆらりと動いた。


「おやどうしました? 別に驚くことではないでしょう。人を喰らう事なんて。まぁしかし、骨だけになっても這いずり回るとは。余程未練があると見えますねぇ」 


 喉で笑う声が聞こえて、少し忘れかけた恐怖感がじわりと滲んでくる。多少はこの世界に慣れたといっても、自分がいつ餌になってもおかしくないという事実はやっぱり消えないんだ。


「御顔色が優れないようで。大丈夫ですか?」


 どこかからかうような口調に、気味の悪さと共にいたぶるような残虐性が見え隠れする。まるで鬼さんが悪鬼の本性を見せた時みたいに、わたしの体が次第に強張っていく。


「……鬼様があなたを気に入るのが分かりますねぇ」


「え?」


「いえすいませんね。私らあやかしは、人間を化かし脅かすのが堪らなく好きなんですよ。特にあなたの様な怖がりな人間なら、脅かし甲斐があるものですから、ついつい」


「ま、またからかったんですか!?」


「いえいえ。そんなつもりは」


「じゃあ今のも嘘だったんですね」


「あれが人間のなれ果てなのは本当です」


「……そう、なの?」


「とは言え、あれらは皆悪さをした人間が大半ですね。怨まれ恨まれ。悪人は私らを呼びやすいですし、私らもああ言った人間を制裁と言う大義のもと、なぶって喰らうことが出来ますし、善人を喰らうのは今や色々お上が煩いですから」


 そうなんだ。じゃあ、あの骸骨は何か悪いことをして常闇に来てしまったのかしら。もちろん悪い人だからって連れ去って殺してしまうのは良いことではないけれど。


「今では人間以外に腹を満たすものはありますからね。わざわざ遠く離れてしまった現世に、極上とはいえ人間を狩りに行く必要もなくなりました。まれに常闇に近づいた人間を捕らえて宴の席で出すこともありますがね」


 なんというか。

 紫さんって結構表現がストレートというか素直というか。人間わたしを前にしてニコニコ顔で『狩る』とか『腹を満たす』とか言ってしまうなんて。

 先程みたいにからかっている様子はなく、至って普通に世間話をしている感じがよけいに居心地を悪くさせる。


 久しぶりに鬼さん以外の妖に会ったせいか、それとも紫さんの独特の雰囲気のせいか。少し妖気にあてられたような気分の中、わたしは冷え冷えとする背中を少しだけ震わせた。






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