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妖しい馨  作者: 月猫百歩
紅の屋敷
13/60

十二ノ怪

 布団を端に寄せて鬼さんと籠の中で向かい合う。ふぅーっと息を吹く音がして目を上げれば、鬼さんがのんびりとした様子で煙草をふかしていた。

 どうしても眠る気になれなくて布団から出たのは良いんだけれど、なぜだか鬼さんは籠から出て行こうとしてくれない。煙草までふかし始めちゃうし。


「鬼さんは、寝ないんですか?」


「俺は必要無ければ寝ないカナ。嗜好でとることもあるがナ」


 睡眠って思いっきり必要じゃない。鬼さんだって毎日しっかり寝ているんだし。……それにしても嗜好で睡眠をとるってどういう意味なんだろう。勿論、常闇はいつだって夜っていうか真っ暗だから、何時でも眠るには困らないんでしょうけれど。うーん、だとしても嗜好って。お菓子じゃないんだから。


「わたしちょっと起きてから寝るので、お部屋に戻ってください。もう大丈夫ですから」


「俺にはそうは見えんがナ」


 ニヤッとした嫌らしい笑みを向けてくる。こういう時の鬼さんの笑い方は嫌いだ。わたしをなぶり倒したくって仕方ないって顔をしている。

 ただでさえ悪夢で消耗しているっていうのに。ふぅと息を小さく吐けば、無意識に強張っていたのか、少しだけわたしの肩が下がった。けれども気分は晴れなくて、それどころか余計に重く感じてしまう。

 ふいに鬼さんのほうを見れば、またふぅーっと紫煙を吐いていた。勢いよく鬼の口から出た煙は、鬼さんの周りを漂って次第に霧散していき、籠の中が薄い煙で覆われていく。それをしばらく眺めた後、わたしは視線を下げた。


「鬼さん……家族に、会いに行っては、駄目ですか?」


 気づけば口が動いて重苦しい声が出ていた。自分の耳にそれが届いた直後、一体何を言っているんだと一人呆れてしまう。鬼さんが応えなくたって、返ってくる言葉は分かりきっているのに。


「ソレはあちらに『帰りたい』と取って良いんダナ?」


「だ、駄目ですっ!」


 弾かれたように顔を上げて慌てて言う。

 そんなわたしを見て、鬼さんは黒地に紅の入った煙管キセルをくるりと回すと、またニヤリと笑った。


「そうカ。だったら出来んナ~」 


 意地の悪い笑みを見て、「……あ」と声を零し、また俯く。鬼さんの返事は予想通りのもので、期待はしていなかったけれどやっぱり落ち込んでしまう。別にこれが初めてのホームシックではないのだけれども、あの悪夢のせいか、なんだか今回は無性に会いたくて仕方がなかった。


「鈴音は親が恋しいのカ?」


 不意に問われて顔を上げる。

 鬼さんは相変わらずニヤニヤ意地悪な笑みを浮かべながらわたしを見ていた。片膝を立てて、そこに肘をついている様はどこか妖艶で、唇に煙管キセルの先を少しだけ当てているのがさらに妖しさを強めていた。


「お母さんもそうですけれど、家族みんなに会いたいです」


 出来れば家族だけじゃなくて、地元の友達や高校の時の友達にも会いたいし、商店街のおばちゃん達にも会いたかった。きちんとしたお別れもせずに常闇にきてしまったんだからなお更だ。


 思い巡らし次々と懐かしい顔が頭に過ると、楽しかった思い出が蘇ってくる。

 昼も夜も楽しいことばかりで、もちろん辛いことだってあったけれど、みんなと喧嘩したり話し合ったり。そんなふうにお互い思いっきりぶつかり合ったりして、様々な困難を乗り越えてきた。

 ――それに将来のことだって。


 春香達と別々の大学に行っても、お互い連絡とって、夏休みには一緒に出掛けたいねって約束していた。お姉ちゃん達も一段落したら家族旅行に行こうって。商店街のおばちゃん達もまた買い物に来るねって。


 鼻の奥がツンとしてきて、誤魔化すように鼻から息を吸った。

 温かな思い出はわたしに人間性しょうきを保させてくれるけれども、同時に現実を容赦なく突き付けてくる。どんなに思い出に浸っても、わたしの目の前に家族やみんなはいない。


「鬼さんには家族がいないんですか?」


 あまりにも悲しかったせいなのか、特に考えたりせずふと浮かんだ疑問を口にする。

 

「俺にはそんなもん無いナ」


「親とか兄弟がいないんですか」


「ん~、そうだナ。強いて言うなら人間どもの欲ダナ。ソレが俺の生みの親カナ」


 鬼さんは人の思念が生んだ妖怪なのかしら。だとしたら家族の温かさとか恋しさが理解できないのも仕方ないわね。無いものなんて理解できないんだろうし。あ、そしたら子鬼とか他の鬼たちも、鬼さん同様家族なんていないのかしら。友達とか仲間とか、そういったものでしか親しい存在ひとはいないってことかしら。


「ナァ、鈴音はどうしたら親ドモに会いたいと思わなくなる?」


「え?」


 声を上げて鬼を見る。とんとん、と煙管キセルを手のひらで数回叩きながら、鬼さんは暗闇の中から妖しい紅でこちらを見据えていた。


「お前は俺との約束を違えた。俺を忘れようとしタ」


 突然の責められているような口振りに体が強張る。

 あの時、わたしを心配してくれたお姉ちゃんを安心させる為に口にした言葉。

 『言っただけだ』と反論したかったけれど、言葉にした途端に忘れようとしたのも事実だ。自然と視線が下がれば、顎をすくわれる。 


「俺を忘れようとしたぐらいダ。だったら家族とやらも自然と忘れられるカナ」


「家族と鬼さんじゃ全然ちが――」


 言い掛けて、すぐに止めた。表情かおは笑っているのに、鬼さんの目がまったく笑っていない。真っ直ぐわたしを見て、射殺さんばかりに瞳を妖しく煌めかせている。


「俺は忘れても良かった、と」


「あ、その……」


 気まずくなって目が泳ぐ。 

 正直なところ、忘れても良いというよりは、忘れたかったが本音だ。

 あちらに戻ってからも、日々なんでもない暗闇にいちいち怯えて、夜自分の部屋で眠るときだって、一人ベッドの中で震えて眠る日もあった。それもこれも全部鬼さんの影が頭の片隅でちらついていたせいだ。

 恋愛だって、せっかく『付き合って』と言ってくれた男の子がいても、もしかしたら巻き込んでしまうんじゃないかと思うと良い返事なんて出来なかった。

 嬉しかったのに。良い人だなって思える人もいたのに。

 ギュッと拳と口を結ぶ。


「鬼さんはどうして」


「ン?」


「どうしてわたしを常闇ここに置きたがるんですか? 鬼さんほど強くてなんでも出来るなら、わたしがあちらのどこでいようと、どうにでも出来るじゃないですか。わざわざ常闇でお酌させる為だけに、傍に置く必要はないかと思うんですけれど」


 付け加えるなら、鬼さんはわたしがこちらに戻らなくたって、本当はどうでも良かったんだと思う。

 わたしが鬼さんを忘れようとしたのが気に入らなかったんだとしても、実際に三年以上音沙汰がなかったんだから、鬼さんだってそこまでわたしに固執していたわけじゃなかったんだろうし、鬼さんこそわたしのことを忘れていたんじゃないかとさえ思えてくる。


 おそらく常闇に連れ戻したのだって、それこそ忘れた頃にわたしが約束を破ったものだから、これ幸いと連れ去りに行ったように考えられるし。

 それに鬼さんがわたしのすること成すこと癪に障るのなら、わたしをさっさと家に返して嫌味花魁とか濡れ女さんとかとイチャついていれば良いのに。

 鬼さんだってそのほうが楽しいだろうし、彼女たちだって鬼さんに会えて嬉しいだろうし、わたしも家に帰れて万々歳。みんなが幸せになれるのに。



 色々考えを巡らしていると、『うーん』という鬼さんの唸り声で我に返る。前に目をやれば、鬼さんは斜め上を何度か睨んだ後、なにか合点がいったのか、大きく頷いた。


「うむ。分からン」


「は?」


「俺にもソレは分からんナァ。なんでだろうナ」


「なんでだろうって……」


 呆気にとられて固まっていれば、鬼さんは腕を組んで首を傾げる。


「お前が他の奴と話すと無性に腹が立つし、懐いたりするのを見るとなお気に入らン。俺の知らんところで笑っているのも、なんか知らんが嫌ぁ~な気分になる」


 な、なにそれ。自分でも分からないけれど、なんとなく自分の知らぬ存ぜぬところでわたしが喜んでいるのが嫌だから、わたしをこの妖怪の世界に閉じ込めて傍に置いているってわけ?

 露骨にジャイアニズムな事を言い出した鬼さんにひくっと顔が引き攣ってしまう。


「マァ~確かに。お前がアチラのどこにいようと俺から逃げることは不可能カナ」


「だ、だったらっ」


「ダガ鈴音ぇ。言ったダロウ?」


 思わず身を乗り出したわたしに、鬼さんはぐっと顔を近づけると


「お前は屋敷から一歩もださン、と」


 妖しい紅に睨まれて固まれば、ふぅーっと顔に煙を吐かれ、一瞬にして灰色の靄の中に放り込まれる。わたしはいきなりの煙たさに咳き込んで、慌てて両手で眼の前の煙を払った。


「げほごほっ。なに、するんでっ、げほっ」


「イヤしかし。いつぞやみたいに腑抜けられても困るカナ。活きが良いお前でなければ飼っている意味なんてないからナァ。……そう思わないカ? ムラサキ


「けほっ。……え? 紫?」


 むせながら辺りを見回して誰かいるのか探す。けれども、籠の外にも中にも鬼さんとわたし以外誰もいない。振り返って背後にも目を走らせてみたけれど、やはり誰もいない。


「……? 誰に声をかけたんですか?」


「ここですよお姫さん」


 くすくす笑う男性の声に慌てて正面を見る。

 今、確かに前から声が聞こえてきた。でも、目の前にいるのはまだニヤニヤ笑っている紅い鬼がいるだけ。ま、まさか……


「鬼さんいつの間に腹話術なんて宴会芸を……」 


「オイオイ」


 若干引き気味のわたしにガクッと肩を外して苦笑いする鬼さん。あ、宴会芸は腹話術じゃなくて腹芸か。

 頬を掻いて鬼さんを見ると、くるりと煙管キセルを回してちょいちょい自分の左肩を指した。


「ここダ、ここ」


「えーっと。鬼さんの肩がどうしたんですか?」


「イヤイヤ。その上ダ」


「上?」


 肩の上に何か乗っているのかしら。凝視してみるけれど、漂っている紫煙とその向こうにある白い格子以外なにも見えない。


「何かいるんですか?」


「こちらですよ」


 また聞こえた声に顔が固まる。今聞こえたのは、鬼さんの肩辺りだ。もう一度じっと鬼さんの左肩を見詰める。相変わらず煙が漂っているだけ……ん? あれ?

 鬼さんの周りを漂っていた煙が変な動き方をしたかと思ったら、次第に集まり、蛇のような細長い形に変わっていく。わたしが何度か瞬きしている間に、煙は形を崩さずにもくもくと煙を渦巻き、ぼうっと先端に二つの鈍い光を放った。


「どうもお姫さん。煙々羅の紫と申します。以後お見知りおきを」


 け、煙が喋った!

 驚くわたしに、またクスクスと蛇の形をした煙が笑った。


「煙の妖怪は初めてで? 噂通りお可愛らしい」


 宙に頭を浮かせてわたしのほうへ突き出すと、ふわりと蛇の体を膨らませて球体になり、徐々にしぼんでいったと思ったら、今度は鳥のような姿へと変えていった。


「も少ししたら会わそうと思っていたンだがナ。良い機会だから呼んだカナ」


「いつの間に呼んだんですか」


 煙で出来た灰色の鳥は、鬼さんの左肩にとまってボンヤリとした体を揺らめかせている。わたしが見詰めていると、笑ったのか、光る眼を細めてふるふると体を震わせる。するとまた姿が崩れて、今度は子猿に姿を変えた。

 わぁ~。煙だからどんな形にも自由自在に変えられるのね。なんだか不思議。


「……あ! もしかしてわたしの話し相手って」 


「あぁ、こいつカナ」


 あ、そう、なんだ。心のどこかではもしかしたらみっちゃんに会えるんじゃないかって思っていたんだけれど。そんなはず、ないか。 

 

 思わず下がりそうになった視線をなんとか止める。ここで鬼さんの機嫌を悪くさせてしまったら、せっかくの話し相手がいなくなってしまうもの。


「よろしくお願いしますね、お姫さん。明日楽しい話をたんと聞かせてあげます。楽しみにしてて下さい」


「あ、こちらこそお願いします。紫さん」


 素直に頷けば鬼さんが立ち上がった。


「では紫。明日ゆっくり相手してやってくれ。鈴音、お前ももう寝ろ」


「はい」


 わたしも立ち上がって布団を敷きにかかる。鬼さんはまた煙の姿に戻った紫さんを体に纏いながら、籠から外へ出て鍵を掛けた。


 ……わたしと会わせたってことは、紫さんは鬼さんから信用されているのかしら。わたしとしては、昔話した子鬼さん達の方が良いんだけれどな。


 出ていく鬼たちの後姿を見送る。鈍い光がこちらを振り返り、にっこりまた細まった。思いもしなかったから一瞬呆けてしまったけれど、わたしも頭を下げて返した。


 そうね。不平不満を言える立場でもないのだし、もしかしたら紫さんと仲良くなれるかも。


 襖の閉る音と同時に、鬼さんが強めた灯篭の明かりが小さくなる。


 また悪い夢を見ませんように。

 明日、楽しみだな。


 布団の中に戻って枕を抱き寄せると、わたしは体を丸めて目を閉じた。







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