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 「それって選ばれたってことかな」と菜月ちゃんが言った。

ふん?と私は菜月ちゃんを見るが、石崎さんはまじめな表情で言った。

「選ばれたのかもしれない」

「じゃあ、これが物語のはじまり?」

身を乗り出して石崎さんに聞く菜月ちゃんの目はキラキラと輝いているように見えた。

 石崎さんも少し前かがみになってひそひそ話をするように菜月ちゃんに聞く。

「これがって菜月はどのこと言ってんの?」

「春香ちゃんが大家さんに、」と言ってから菜月ちゃんは急に声を低く嗄れ声みたいにして言った。「『異世界への入り口はここじゃよ~~~』って言ったとこ」

「そんなこと言ってないじゃん」と石崎さん。「大家さん、そんな喋り方でもしゃがれた声でもないし。何て言ったんだっけ大家さん、ねえ木本さん?」

石崎さんは私にそう聞いたが、二人が楽しんでいるようにしか見えない。

「『気を付けないと、いたるところに異世界への入り口はあるからね』って。あの、今言ってた『物語のはじまり』って…なんですか?あと選ばれたって?」

「あーーー…」と言って、石崎さんは「一旦紅茶入れるわ」と立ち上がりポットでお湯を沸かしてくれた。


 石崎さんがお湯の沸く間にマグカップを用意して、菜月ちゃんも蜂蜜を出してくれている。そんな二人を有難いとは思いながらも私は早く、物語の始まりと選ばれたの意味を知りたかった。

 石崎さんが紅茶の葉が入った大きめのティーポットにゆっくりとお湯を注ぐ。菜月ちゃんは冷蔵庫を開け、パウンドケーキの乗った皿とマーマレードを出してくれた。石崎さんの手作りらしい。

 石崎さんが少し微笑みながら言った。「なんかさ、これから大事な話をしますよってときに、ゆっくり紅茶を入れられるって余裕あるなって感じするよね?」

菜月ちゃんは行儀良く腰掛けて待っているが、私は素直にうなずけなくて、つい正直に怪訝な顔で首をかしげてしまい、私のその様子に石崎さんは笑った。

「私さ、木本さんのそのうまい相槌打てないとこすごい好きだわ」

「…すみません」

「なんでも相槌打つ女子っているじゃん。すぐ共感してくる女子とかほんと信じらんないもんね。ねえ菜月?」

「そうだけど、それはクラスとかではうまくやんなきゃだよ。うまくやらないともっとめんどくさいことになるんだから」

「「えらいねえ」」とつい石崎さんと口を合わせて菜月ちゃんを褒めた。

恐ろしい。とても小四とは思えない。見習いたいが見習えない。私は小四の時、誰ともうまくやれてなかった。

「私ほんとそういうの苦手で」

私が言うと、石崎さんと菜月ちゃんはうんうんと頷いてくれた。

「私もまあまあ苦手」と石崎さんは笑った。「ママ友なんて一人もいないもん。この世で一番いらないよね、ママ友って」

「あの…すみません。催促するようで。紅茶まで煎れてもらってるのに。『物語のはじまり』ってなんですか?」

 

 それは、と石崎さんは、あるきっかけで何かが始まることだと話し始めた。

「物語でも現実でもあるでしょう?今何かが起こっている、それはそもそもあれが原因、というか、あそこから始まったんだなっていう」

今日帰って来たところに、大家さんから『いたるところに異世界の入り口はある』と言われたことがこのコーポを奇妙だと思う始まりだと思えるが、もしかしたら始まりは、私たちがあの商店街の不動産屋でここを紹介されたときだったかもしれないということなのだ。そして選ばれたというのは、大家さんが知り合いの不動産屋に頼んで、何らかの条件に見合った人を入居させているのではないかということだ。

 今のところ石崎さんの想像なのだが鳥肌がたった。私の頭の中には歓迎会の日に観た高森弟の手品のめくるめく技が次から次へとグルグル浮かんだ。

「そんな私…」と首を振りながら言ってしまう。「選ばれるような何かとか思い当たらないし、まずそんなのないと思います。何らかの条件てなんなんですか?」

「いやわからないけど。私も思い当たらないよ」石崎さんが言うので少し拍子抜けする。「私だって選ばれるような何かなんてないよ。結構一般的なシングルマザーだと自分では思ってる」


 最初に高森弟の手品を観た後に、手品で出て来たたくさんの動物はどこで準備していて、どこで飼っているのかと聞いたら、水本にも、高森姉にも、手品のタネは知らないから本人に聞けと言われて、本人にも聞いたら、あれは手品だと断言され、しかも手品は独学でやっているから不手際も多い、みたいな話をされ、私はそれ以上深くは聞けなかったのだ。

「違う世界に行く入り口があるんなら」菜月ちゃんが言った。「私は手品の高森さんの部屋だと思う!そいでね、入り口あっても手品で消してんの!」

本当にそうかもしれない、と思う。

「私は空き部屋の六号室が怪しいと思う」と石崎さんが言った。

そうかもしれない、とまた思う。

「じゃあ、」と菜月ちゃんが嬉しそうに言った。「あそこにドラゴンがいることにしようよ」

「「…」」

 顔を見合わせる私と石崎さんだ。

「ドラゴンはちょっとやり過ぎかな」と石崎さんが言った。

「「じゃあドラゴンの卵は?」と菜月ちゃんは言って両手で大きな丸を作った。「すごい硬くて、薄いピンク色で水色の水玉模様の」

「「…」」

また顔を見合わせる私と石崎さんだ。

「やっぱりさ」と石崎さんが私に言った。「大人だといきなりこんなコーポにドラゴンは出せないよね。子どもってすごいわ。菜月、いつもいろんな本読んでるだけあるわ。さすがだね」

うんうんとうなずく私に菜月ちゃんはムッとしている。

「なんかちょっと子どもをバカにしてるみたい」

「そんなことないよ!」私は慌てて言う。「ほんとそこまで考え付かなかったから。すごいなと思っただけ」

「じゃあわかった」石崎さんが言った。「ドラゴンの卵があることにしてもいいけど、それはこの三人の中だけの話にしよう。菜月、大家さんのおばちゃんにも秘密だからね」

「わかった!」菜月ちゃんが嬉しそうに言う。「三人の秘密!」

 ごっこ遊びなのだ。

 私は何もない、薄暗い六号室の窓の手前にそっと置かれた薄ピンク色のドラゴンの卵を想像する。月の光に照らされて、水色の水玉模様が蛍光色に浮かび上がるのだ。


 石崎さん親子と話していたら、大家さんが言っていた異世界どうのという変な話も、水本の私への変な接し方も、別にそこまでおかしなことでもないように思えて来た。

「このココアを入れたパウンドケーキ、結構うまくできてるよね?」石崎さんが言った。「オレンジマーマレード付けたら良い感じなんだけど」

「はい、すごく美味しいです。カレーもごちそうさまでした。すみません、夕飯時に来てちゃっかりご飯まで」

 お礼を言って石崎さん親子を見る。私の前にある、嬉しくて優しい日常。

 ここへ引っ越して来れて良かったなと改めて思えた。思えたが石崎さんが言った。

「まあでも水本は、私、ほんとに木本さんと付き合ったらいいのになって思う」

「え?」

「私から見たらそれがまとも。でも木本さんがどう思うかも大事だからね。。良く見て、その人のうすぼんやりした外見の良さだけじゃなく、目の動きとか、しゃべる時の間合いだとか、笑い方の端っことか」

「笑い方の端っこ…ですか?」

「なんかさあ、これが面白いと思ってても、その人が本当に笑ってるのか、笑ってるのに他に何か考えてる時とか、面白いと思ってないのにとりあえず笑ってるのがうまいとか下手とかいろいろあるじゃない?そういうちょっとした隙間をちゃんと見た方がいいよ。バツイチの私からの助言ね」


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