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第7章 古事記と日本書紀(前編)



    一


 わたくしは太安萬侶おおのやすまろさんの門人どす。 出自は秦氏でおす。

 名は避麻呂さけまろと申します。まれに酒麻呂とも書きよります。

 父は太秦うずまさの宮で祭主をしとります。名は、大闢(だいびゃく=ダビデ)いいます。


 わたくしの仕事はおもに文字を書くことどした。

 晩年は古事記の編纂にたずさわらせていただきまして、それが済みましたら日本書紀の方へまわされまして、ついこの間、そっちも済ましました。


 安萬侶さんとのご縁は、大海人おおあま皇子さんと大友おおとも皇子さんの合戦(壬申の乱)の折からでございます。


 瀬田の唐橋での戦さでは、安萬侶さんとご一緒に大海人皇子さんのお側で槍を持ちました。へやけども、橋を渡ることはしませんでした。

 ただ、大友皇子さんの重臣でございました中臣金ら8人が死罪を言い渡されはった折にはその場におりました。


 日本書紀の編纂が命じられたんは、大海人皇子さんが即位されはって、

 天皇、

 いうこれまでにない称号をとなえはって10年後のことどした。


 へども、日本書紀のお役目は川島皇子さんがお受けにならはって、安萬侶さんはそのお仲間にも入っておられませんでした。

 古事記の編纂がはじまったんは、日本書紀がはじまって間もなくのことどしたが、これは稗田阿礼ひえだのあれはんが旧辞だの帝紀だのを暗誦することからはじまりまして、紙になるのかどうかもわからんようなもんどした。


 安萬侶さんは大海人皇子はんのお側にありましたけれど、若いうちは、まず、うじかばねの仕組みを改める政務につかはってました。これは、氏族の秩序を新しゅうし、姓の種を8つに分けて定めはったもんで、天皇いう新しい称号の下の統治の仕組みをしっかりと固めるためのもんどした。

 それがかたづきますと、安萬侶さんは飛鳥浄御原令あすかきよみはらりょうの編纂にはいられました。これは、律令法典をととのえるもので、そのあとの大宝律令の元になったもんどす。その大宝律令も安萬侶さんがまとめはりましたもんどして、そのあとは、あちらこちらの国をまわりなはって、国、郡、里の制度の事をみなに指図しはりました。


 古事記の書きつけをされはったのはそれらのあとでございます。

 阿閇皇女(あへのひめみこ=元明天皇)に呼びだされまして、

 「そちに申しつける」

 いわれましたんどす。

 安萬侶さんはもうかなりの歳にならはってましたけれど、

 「かしこまりました」

 て、頭をさげはりました。


 こんとき、古事記については稗田阿礼ひえだのあれはんがいろんなもんを読んでは暗誦して30年近くたっとりましたけれど、まったく形にはなっておりまへんどした。

 日本書紀は編纂がはじまってちょうど30年たっとりましたが、こちらもいつできあがるんかわからへんようなところどした。

 大海人皇子はん(天武天皇)はとっくにお隠れになられとりました。



     二


 古事記の書きつけは、わたくしの走り書きではじまりました。稗田阿礼はんが諳んじたことを次々と語りはって、わたくしがそれを紙に走り書きしました。それを20名の筆生が楷書で書きなおしていくいう手筈どした。

 へやけども、これでは話がつながらず、また、大海人皇子はんがお決めにならはった大筋の流れとまったく合うてまへんでした。

 それで、安萬侶さんはまずご自身で稗田阿礼はんの語りを全部お聴きになられ、ご自身で走り書きをつくらはりました。語りを聴くのにはひと月かかりましたが、走り書きは十日ほどで出来上がりました。紙の量は5貫300匁(約20kg)ほどにもなりました。

 へども、それらはすぐに半分以下に減らされました。


 安萬侶さんはそうしてそれをわたくしに預けられ、

 「あとのことは任せる」

 いわはりました。


 ちなみに、安萬侶さんの走り書きにはいくつも穴があいとりました。その穴には、

 ……前後の辻褄が合うような話を入れときなはれ、

 とか、

 ……ふさわしい名を考えなはれ、

 とか、

 ……盛大な話を足しときなはれ、

 ていうような書きぞえがようけ入っとりました。


 驚いたのは、稗田阿礼はんが長いこと語っておられたアラハバキの神のことや不二山(富士山)のことやヒダカミの国(日高見国)のことがすっぽり抜けとることどした。また、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、月読命などはお名前だけで、お話は全て切り捨てどした。その代わりに高天原いう国が何度も出てきとりまして、天照大神や須佐之男命がそこに一緒に住んでおったようなことになっとりました。

 要するに、ヤマトに従わず、最後まで抵抗しよった土蜘蛛の者たち(泥葺きの住居に住む者=縄文人のこと)の神話や伝説はすべて切り落としになり、ヤマトに恭順した国の話を集めてくっつけるいうことになっておるんですな。そうして、そこに穴ができるわけどす。


 わたくしは、それらの穴を埋めるためにいろいろと話をつくりました。


 天照大神さんのお話は、須佐之男命のお話とは、まったく別もんやったんですけど、それを結びつけなあかんかったさかい、おふた方が姉弟いうことにしましてな、互いに対立しはって、宇気比(互いの正否を決める占い)をしはるお話にしました。

 ほんで、勝負に勝ったスサノオはんが暴れはって、負けた天照大神さんが石屋戸いわどに隠れはるお話をつくりました。

 この石屋戸のお話は、もともとはわたくしの祖先が拝んでおりました神さんのお話で、いっぺん死なはった神さんの屍を岩の中の部屋に置いといたら甦ったいうお話どした。


 へやけども、なんもせんと甦ったんではおもしろないさかい、隠れはった天照大神さんをおびき出すお話をつけ足しました。


 安萬侶さんのご先祖さんは、おどけた踊りをして人を笑わせる宇受賣ウズメいうお方やったんやそうですけど、その宇受賣はんが八百万の神さんを笑かしはって、天照大神さんがそれを覗かはったとこで、手力男たぢからおがその手をつかんで引っぱり出すいうことにしました。


 尚、もともとの石屋戸のお話の神さんは男性やったんですけど、天照大神は女性いうことになりました。これは阿閇皇女(元明天皇)のお指図どした。


 神さんのお話はその土地その土地でいろいろありまして、それらをひとつにまとめるのはえろうしんどいことどした。


 スサノオはんがヤマタノオロチを退治するお話どすけどな、これはもともと出雲のお話ではありません。稗田阿礼はんがマツラの古文書を読んで暗誦しはったお話どす。

 その文書は、ナの津(博多湾)に面した糟屋かすやいうところの屯倉とんみやの中にありました。

 大きな箱がぎょうさんあったんやそうですけど、その中に厳重に保管されてあったそうどす。新しいもんもあったみたいどすけど、古いもんはえろう古うて、何度か書き直して伝えられてきたみたいどす。

 それらは、もともとは、マツラの王のホホデミいう者が保管してはったもんどした。それを物部氏の兵が運んできよったそうどす。

 その古文書は、鯨皮に文字を焼き付けたようなもんでしたけども、その文字が古うてなかなか読めませんのどす。稗田阿礼はんは古い文字も覚えはりましたさかい、読むだけなら読めたんやそうです。せやけどお話の内容はところどころ難しゅうてようわからへんかったみたいどす。わたくしも、安萬侶さんもその古文書のところの語りは何回も聞き直しました。


 ヤマタノオロチのヤマタいうのは頭が八つあったとしましたが、これはもともとは、

 ハットウシリ、

 いう名前のうちの「ハットウ」いう音に「八頭」いう漢字をあてたもんどす。

 これは、太古の昔におった大蛇みたいどすけども、よくわかりません。人の名前やもしれまへん。

 どこぞの遠くの山の中に大きな国があったんやそうですけど、ハットウシリはそこに住んではったみたいどす。そこには大きな赤い川(クズルウルマク川)が流れとるそうどすさかい、これは出雲の肥河(ヒノカワ=たたら製鉄が行われていた当時は水が赤く濁っていた)のことにしました。

 その大蛇にはイルヤンカいう名前もあったらしいどすけど、ようわかりませんさかい頭が八つの大蛇いうことにしまして、ハットウシリの「シリ」は遠いところのシリいうことどすさかい、


 八俣遠呂智、


 いう文字をあてました。


 稗田阿礼はんの語りによりますと、そこには、嵐の神いうのがおりまして、これがその大蛇を退治せなあかんことになり、イナ(イナラ)いう女に助けを求めまして、そのイナが大蛇に大酒を飲ますんどす。そうして、大蛇が酔いつぶれたところを嵐の神が殺します。


 その嵐の神はテシュブいう名前どしたけども、これをスサノオいうことにしました。肥河のお話にしましたんで、出雲の人が拝んでおはった神さんのスサノオを嵐の神さんとすると、収まりがよろしいのどす。


 尚、嵐の神を助けましたイナいう女は、スサノオに助けてもらうことにしまして、お酒は地元の老夫婦がつくったことにしました。イナは櫛に変身してスサノオの髪に差し込まれるいうことにしましたんで、クシイナダ姫としましたけども、古事記を書く際にはイが抜けてしもて、クシナダ姫になってしまいました。あとで気づきましてな、日本書紀には櫛イナダ姫としました。

 

 出雲の神さんにはスサノオの他にオオナムジいう神さんもあります。

 神さんのお話は、いろいろあってややこしおすけど、このオオナムジいう神さんのお話がえろうややこしゅうなりました。


 オオナムジは、もともとはえろう強い神さんで、魔力をもった蛇みたいなもんとして語られとったんやそうです。へやけども、出雲はヤマトに征圧されはりましたんで、オオナムジがヤマトの神さんに国を譲るお話をつくりました。そうしますとすっかり弱い神さんになってしまいました。

 それで、弱いけどなんべん死んでも甦るいうことにしました。

 そして、ここにマツラの古文書のお話をつかいました。

 そのマツラのお話は、


 オオシラス(オシリス)、


 いう神さんのお話どす。

 これをオオナムジのお話にしました。

 オオシラスは、セトいう神さんに2回殺されはって2回とも生き返りはるんどすが、これは石屋戸のお話とは別のもんどす。イシスいう女神さんがなんぞしはって生き返らはるいうお話どす。


 稗田阿礼はんの語りでは、いっぺん死なはったもんをどないして生き返らせはったんか、いう説明がえろう長いんやけども、そこがようわからへんのどすわ。なにやら殻を裂いて取り出したもんを女の腹に入れて赤子にして産むいうようなことをいうてました。ちっともわからへんさかい、サキガイヒメとウムギヒメがうまいことしはったいうお話にしておきました。

 それで、セトいう神さんはひとりではなかったみたいなので、八十神いうふうに書きました。オオシラスを甦らせはったイシスいう名の女神の名は石長比売(イワナガ姫)いうことにしまして、別のところに書きました。

 尚、オオシラスはオオナムジにしましたけど、オオクニヌシいう名前にもなってはります。

 オオクニヌシは稲羽いなば素兎しろうさぎを助けはりますけど、これはもともと出雲にあったお話どして、マツラの古文書にはないお話どす。


  

      三


 わたくしがもっとも苦心したのは伊波礼毘古命イワレビコノミコトのお話でございました。

 天皇の直接の祖先としてわかっとる最古の人がイワレいう人やそうですけど、これは粟国(徳島)から浪速なにわに入りはって多々良を踏む家(たたら製鉄の家)のイソゾいう名の姫を嫁に迎えられたいうだけで、それ以上何をしたのかがまるでわかりません。へやけども、それだけでは初代の天皇のお話としての体裁がととのいませんので何かつけ足さねばなりまへん。


 それで、まず、粟国を出発したいうところから変えました。

 粟国はあまり華やかな場所ではないので、天皇家の出発地としてはふさわしくありまへん。アホ踊りいうのがあったりしますしな。

 それで、古い書きつけなんぞを探しましたらイワレはんの祖先の地が日向(宮崎県)であったいう竹簡がみつかりました。日向は隼人(熊襲の末裔)の国ですさかい、イワレはんが隼人を手なづけてはったことにするのがよろしかろういうこととなり、それで、イワレはんの出発地は日向となりました。


 そうして、イワレはんは日向から豊前国に行ったこととしました。豊前国は、ヤマトに征圧された筑紫君のゆかりの地どしたし、任那に出るにも要になるところですさかい、ヤマトの正史としてはおさえとかなあかんところどすな。

 それから、イワレはんは、もうひとつの海の要であった安芸国を経由して鉄をつくる吉備国にも立ち寄り、それから浪速に入ったことにしました。


 ただし、これだけでは物語になりまへん。それで、その東行の前の話として、ここにもマツラ国に伝わっておった伝承を入れました。

 ただし、これが、えろう古い文書で、さすがの阿礼はんも全部は読めはらへんかったらしいどす。その語りをお聴きしましても、半分ほどしかわかりませんでした。ただ、名前はわかりましたさかい使いました。もっとも、人名やら地名やらがあやふやでした。


 まずは、高天原からニニギいう神さんが降りていくようにしまして、その途中にサルタビコの神が待ち受け、そのサルタビコの案内で葦原中国あしはらのなかつくににたどり着き、そこで子孫が生まれ、ウガヤいう者が出て、その息子がイワレビコいうことにしました。そして、イワレビコには、イツセ(五瀬)、イナヒ(稻氷)、ミケヌ(御毛沼)の三人の兄がいたことにしまして、最後のマツラの王の名前であるホホデミ(火火出見)をイワレビコの別名としました。


 ニニギいうのは葦の生い茂る国の神さまの名前やそうですけど、その国がどこなんか、ようわからへんのです。ただ、二つの大きな川(チグリス川とユーフラテス川)の中州みたいなところにあったみたいどす。ナカツクニ(中国)いうんは、そういう意味らしいどすな。ニニギいうのも、ほんまはニンギルス(ラガシュ国の守護神)いうのかもしれません。

 そのあとのサルダ(サルゴン)いうのは葦の生い茂る国の王さん(アッカド王)やったみたいどすけど、ほんまはシャルムケン(セム語読み)いうのかもしれません。

 イツセやイナヒやミケヌなどは、どれも人の名前か土地の名前かがはっきりせんところもあったんどすけど、ぜんぶ人の名前にしました。


 それから、イワレビコはんどすけど、浪速ですんなり国をつくりはったんではおもしろないさかい、さらに別のマツラの古い鯨皮から読み取れた話を足しました。


 その話いうのんは、イスケンデル(アレクサンドロス大王)いう太古の王さんのお話なんどす。

 イスケンデルはミケネいう土地なんか人なんかわからんところを出発して海を渡り、イツソスいう者と一緒に敵と戦い、そこからまた東に進んでガウガメラいう者と合戦し、これに勝利してさらに東に進み、大きな川(インダス川)の淵で土蜘蛛みたいな者(抵抗する地方部族)と戦って胸に矢を受けます。それで、その大きな川を南下しましてから陸路で西に向かい、スサいうところを通ってバビロンに入ります。

 この伝承をもとにしまして、イワレビコにはミケヌ(御毛沼)いう兄がおったことにしました。そして、東に進み、速吸門で亀の背に乗った者に会うことにしました。ガウガメラいうのは、「ガメ(ラクダ)の家」、いう意味らしいのどすが、そのガメがなんやらわからしまへんどした。ただ、ガメは人が乗る動物らしいのどす。それで、亀の背に乗った者いうことにしました。せやけども、家で戦うのはへんやさかい、亀の背に乗った者と合うたゆうことにしました。

 その亀に乗ったもんは道案内をしてイワレビコを浪速にお連れしたことにしました。そうして、ここでイワレビコの兄のイツセ(五瀬)が手に矢を受けたことにしました。

 イスケンデルは胸に矢を受けますが古事記では手にしました。イワレビコはんには、ほんまは兄弟はおらへんかったようなんどすが、弓矢を受ける者がイワレビコはん自身やと最初の天皇に傷がついたことになりますさかい、縁起が悪うございます。それで、兄のイツセの手に矢が当たったことにしました。

 尚、ほんまはイツセ(イッソス)いうのも、もしかすると土地の名前かもしれまへん。へども、兄いうことにして矢が当たったことにしたほうがよろしい思いました。


 そうして、イツセには死に際に遺言をさせました。

 「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東を向いて)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西を向いて)戦おう」

 これにしたがってイバレビコは南にまわりこんで(紀伊半島をまわりこんで)ヤマトに入ることにしました。イスケンデルは川をくだりはりましたが、イワレビコはんは川ではなくて海を南にまわったことにしたんどす。


 イワレはんはカハチで多々良の家(鍛冶屋)のイソゾいう名の娘を嫁に迎えはるんどすが、その嫁の名前はイスケンデルに寄り添う姫いうことでタタラのイスケヨリ姫としまして、比売多多良伊須気余理比売ひめたたらいすけよりひめとしました。が、イソゾが抜けとりました。それで、日本書紀には媛蹈韛五十鈴媛命ひめたたらいすずひめのみこというふうにしました。へども、今度は「イスケヨリ」が抜けました。


 お話がまとまりましたら、楷書に書き直すんはあっと言う間どした。文字を小さしましたら紙の量も減りました。


 できあがったものはまず稗田阿礼はんにお見せしました。阿礼はんは、おもしろなかったようどす。

 阿礼はんにすれば30年近くもかかって暗誦したことがぎょうさんあったわけで、そのわりには紙の量が少のうございまして、そこがおもしろうなかったと思います。


 せやけども、その阿礼はんは、もうえろう歳になってはりました。書き直す時間はもうありませんでした。せやさかい、結局は、

 「そんでええ」

 いわはりました。


 まだまだいろいろありましたが、古事記の編纂は、こんなもんどした。

 4ヶ月で済ませました。

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