第2章 倭国の大乱
一
ワタシの父は夏国の将で5百の軍勢を自在に動かしていた。が、一昨年の奴国との合戦に敗れ、その責任をとって自害した。
以後、夏国はマツラ国と呼ばれるようになった。
これは、奴国の者がそう呼んでいたためである。
奴国の者がそのように呼ぶのは、漢の史書に我が国のことが「面土国」と記されてあったかららしい。面土はメタと読む。奴国人も最初はメタと呼んでいたようだが、いつの頃からか「ラ」がつけられ、メタラとなった。これが百姓たちの訛りでメズラとなり、ピエンハン(弁韓)から来た者たちの訛りが入ってマツラとなった。
ちなみに、夏国が奴国と戦いはじめたのは百年前のこと。伝説の王ウガヤが2百名の兵士とともに奴国へ攻め込み、奴国王を捕らえたのが最初である。
しかし、夏国が奴国に勝利したのはこのときかぎりであった。奴国はピエンハン(弁韓)の鉄をおさえており、その鉄を目玉とした交易で財をなして多数の兵士を食わせている。今では千人の兵を出しても歯が立たない。
ウガヤ王の頃には我が夏国もピエンハンの村を2つほど統治していて、そこから鉄を得ていた。奴国王を捕らえたときにはさらに3つの村を統治下に治めた。しかし、漢王朝の支援を受けた奴国はそれらの村をすべて焼き払ってしまった。以後、我々は奴国から鉄を買わねばならなくなった。
尚、漢王朝は10年ほど前に滅亡している。その領土は3つの国にわかれていて、洛陽は魏という国の首都になっている。
奴国は漢の後ろ盾を失い、金印の威光による統治に支障をきたしている。魏からも金印をもらおうとしたようだがうまくいかなかったらしい。しかし、ピエンハン(弁韓)の鉄をおさえているので兵力を維持している。
現在、夏国の王はイナヤという。
即位してまだ日が浅い。
これまでは奴国の侵略をはね返しているが、奴国に攻め込んだことはない。
「このままではいつかやられる」
と、老臣たちは心配していた。
昨日、ワタシはイナヤ王に呼びだされた。
奴国の南のクノ国に行けと言われた。
クノ国は鉄を持たぬ。だが、石を加工する技術においては比類なく、弓矢も槍も奴国の鉄器に劣らぬ切れ味を誇った。とりわけ黒曜石の鏃は軽く鋭く、遠くまで飛ぶらしい。
クノ国が南側から奴国に攻め込み、我々が西側から攻込めば奴国はおちる。奴国をおとしてピエンハンの鉄をおさえれば夏国は安泰となろう。そうすれば、マツラなどという呼び名は消え失せる。
ワタシは20名の兵を選んだ。百名は欲しかったが国境の防備が優先される。それに、百名で動けば奴国にばれる。
5艇の丸木舟にはクノ国王への献上品が積み込まれた。主要な品は鉄の農器具と絹と女であった。クノ国は大陸と交易していないためにそれらの品を欲しがった。とりわけ色の白い女(黄色人種)には目がなかった。
出航の日、港に立つと潮風は生臭く、波は低かった。
イナヤ王は見送りにでてこられ、ワタシに言った。
「夏国はただの国ではない。かつては全世界が夏国だった。それを取り戻そうとは思わぬが、このまま滅亡するわけにはいかぬ」
兵士たちには王の言葉の意味がわからぬようだった。
二
5艇のカヌーは静かに湾を離れ、西に向かった。
ワタシは先頭艇の先に立ち、振り返って兵士たちを見渡した。皆、不安げな顔つきだった。クノ国がはたして我らの呼びかけに応じるだろうかと心配していた。
その日の午後、船団は岬の先端をぐるりとまわった。
太古の昔、その岬はツマ島(対馬)までつながっていた。
夏国はその先端に都をかまえ、対岸の大陸と対峙していた。
当時は、
・・・・・・百姓は御法度、
となっていた。
地にタネを植えて実を収穫すると大量の食物が得られるが、そのぶん人は視力を失い、知能が衰え、心が乱れ、争いが起きる、と言われている。
だが、その禁令が解かれて久しい。
大陸にタネを植える者が増え、それらを殲滅するために派遣した軍団が夏国を裏切り、現地の者たちを従えて国をつくるようになった。
その頃、岬の手前が海に沈みはじめ、先端がツ島(対馬)となった。海が広がり、陸が沈み、都を何度か移すうちに夏国の力は衰えた。さらに、南方の山の大噴火があり、これが致命的な打撃となった。
大陸の国が大きくなりすぎて我々の戦力では滅ぼせなくなると禁令が解かれ、我々も地にタネを植えるようになった。
大陸に攻め込むためではない。
大陸から攻められたときのためである。
岬を越えて進路を南に向け、風をつかんでしばらく行くと、左手に大きな入江が見えて来た。
「女どもを見せるな、布で隠せ」
と、ワタシは命じた。
下戸の娘は夏国ではめずらしくない。だが、2百里も南に下ればほとんど目にすることがない。4百里も下れば、そこはもう異国である。白い女を目当てに何者が襲ってくるかわからない。
海岸線から見えないよう気をつかいながら進み、3日ほどしたところで大きな半島をぐるりとまわり、深い入江に入ると煙を吐く山が湾の右手に見えた。
湾の奥には多数の建築物があり、櫓があった。
そこがクノ国の本拠地だった。
……アタ
と呼ばれていた。
アタの者たちも、太古の昔は夏国の配下であった。大陸に攻め込む際には先陣をまかせた。だが、今のアタはもう異国となっており、言葉もほとんど通じない。
陸地に近づくと裸同然の者が集まってきた。皆、腰蓑をつけ、槍を持っていた。女子も同じであった。
下戸の姿はなかった。
彼らの眼差しは鋭く、我々を見定めるようにじっと動かなかった。
「殺されっぞ……」
兵の一人が小声で言った。
クノ国では、イモはつくるがほとんど米をつくらず、漁労や狩猟を主な生業としている。そこの者たちは、我々とは匂いがちがう。
我々の艇が砂浜に乗り上げると男たちが石槍を構えて取り囲んだ。わたしは通訳にクノ語で告げさせた。
「おいどま、夏国ん使いでごわんど。王に謁見ば願もした」
反応が鈍かった。
そこで、ワタシは女たちを見せた。
するとクノの男たちは大きな目玉を飛び出させた。
泥ぶき屋根の大きな館に通され、ムシロのうえにあぐらをかくと、酒が出た。
それを運んで来た女たちは耳たぶに滑車型の大きな飾りものをはめ込んでいた。夏国の女も身分のある者は同様の耳飾りをつけていたが、クノ国の女たちの耳飾りは二倍ほどの大きさだった。
・・・・・・耳たぶがちぎれそうだな。
と、ワタシは思った。
やがて勾玉の首飾りをかけた年長の男が現れた。
肩幅が広い。
ちぢれた髪を後ろで束ね、それが大きく膨らんでいた。
刺青は手のひらや耳たぶにまで入っていた。
「おいが、クノ国王、ヒミヤンコでごわす」
しわがれた声が低く響いた。
ワタシは膝を折り、配下の者に献上品を並べさせた。
鉄の鍬、鋤、鋭い刃を持つ矛、鮮やかな絹布、そして白い肌の娘たち。
王の目が娘たちに注がれた。長くてまっすぐのびた髪を何度もめでた。
娘たちは下を向いたまま動かなかった。
「マツラんもんが、よう来んした」
と、ヒミヤンコ王は言った。 マツラと呼ばれることには腹が立ったが、ここは黙って受け容れた。
「歓迎していただき嬉しいかぎりです」
と言うと、クノの王は笑った。
「まあ、飲め」
と言われ、ワタシは深く頭を垂れ、漆器の高坏を手にとり、王の目を見た。
王の目はもう笑っていなかった。
ワタシは高坏の中の液体を一気に飲み干した。米でつくった酒ではなかった。
ひどくまずかったが、
「うまい」
と言った。
すると、王も飲んだ。
歓迎の踊りや歌や楽器演奏が一段落すると、ワタシは言った。
「イナヤ王は奴国を討とうと思っている」
ヒミヤンコ王の瞳が光を宿した。
「鉄ば奪いさるか?」
王は唇を吊り上げ、部屋のすみに控えていた数名の武士を振り返った。
それらは弓を持っていた。
「あればねらんか」
と王が言うと、武士のひとりが奥の柱の上部にかけられてあった奇妙な表情の真っ赤な面に向かって弓をかまえ、撃った。
矢は面の眉間を割った。
我々は思わず息を呑んだ。矢の初速が速く、貫通力もすごかったのである。
「その矢ば持って来んか」
王が命じると柱の下で酒を飲んでいた武士がニヤニヤ笑いながら立ち上がった。
矢の先には黒曜石の鏃がついていた。
「鉄んのんなかども、いっさ(戦さ)はでくっ」
と、王は言った。
「じゃどん、田畑ん広げっには、鉄が要っでごわす」
と、さらに言った。
「我らは西から、クノ国は南から奴国を攻める、というのがイナヤ王の提案です」
「さでごわすか」
「応じますか・・・・・・?」
王は笑い、
「まあ、飲め」
と言った。
三
ワタシと兵20名は足腰が立たなくなるまで飲んだ。
だが、王はけろりとしていた。
日が昇り、鳥がさえずりはじめたころには、ワタシは意識を失っていた。
目がさめると目の前に中年の男があぐらをかいていた。
「よく飲んだな」
と男は笑った。
クノ国では酒を大量に飲むことが人間関係における勝負のひとつになっていた。
「負けました」
と、ワタシは言った。
「さでごわすか、もはや酒ん要っならんか」
「はい、しばらくは・・・・・・」
「ほいじゃ、相撲ばとっが」
と、男は言い、首にかけてあった首飾りをはずした。その首飾りの勾玉は王のものより小さかったが、同じ色の石でできていた。
男の名前は二度聞き返したが聞き取れなかった。
ただ、役職名は聞き取れた。
クコチ
というものだった。それで、ワタシはその男のことを、
「クコチどん」
と呼ぶことにした。
庭にでると多数の子どもが相撲をとっていた。
クコチどんは小柄であった。
が、結果は2勝2敗となった。
クコチどんは5戦目をやろうと言ったが、ワタシは応じず、
「負けました」
と、言った。言うやいなや朝まで飲んでいた酒がクチから飛びだしそうになり、必死でそれをおさえた。
クコチどんは条件を出した。
「マツラには、砂から鉄ば取っ技があると聞いもした。そん技ば持っ職人ば、こっちに貰もした」
ピエンハン(弁韓)の鉄は石からつくられている。その石をクノ国まで運ぶのにはピエンハンは遠すぎる。できあがったものを買うのなら奴国から買っても同じである。ピエンハンの村を支配下に入れて鉄をつくらせるとなると補給路を維持するために多数の兵を駐在させねばならず、それも理に合わない。
クノ国が自前で鉄を得るには砂から鉄を抜くしかない。そして、夏国にはそれをする職人がいた。二つの家族が代々その技を伝えていた。ただし、そこでつくられる鉄は量もわずかであり、農耕具などには使えない。そのことを言うと、
「大勢でつくっば、量も増えっじゃっど」
と、クコチどんはこともなげに言った。
クコチどんはもうひとつ条件をだした。
「イナヤ王ん身内んもん一人、こっちに住まわしてもろっか。飯も酒も女も、なんも不自由はさせんど」
ワタシは困った。
それで、
「相撲を断るのにそれほどの条件を呑まねばならんのですか・・・・・・」
と、言った。
すると、クコチどんは大笑いした。
四
イナヤ王はワタシが持ち帰った話をじっくり聴いた。
「職人と人質か・・・・・」
そうつぶやくと、
「人質はひとりでいいのだな」
と言った。
とりまきの老臣たちは、あわてた。
「待て待て、急ぐな」
と口々にわめいた。
「人質を差し出すなど、夏国の威を落とすことになります」
「鉄の技は、我らが最後の秘伝……軽々しく他国に渡すべきではない!」
居並ぶ老臣たちは、口々に反対意見を出した。
イナヤ王は黙って耳を傾けていた。
やがて意見が出尽くして殿中に静けさが漂った。
すると、王は言った。
「夏国はこのままでは奴国の支配下に置かれる。奴国の王家はすでに下戸の血統にとってかわられている。古来の仁義はもう望めない」
王が心配していたのは夏国の民のことばかりではない。社殿の奥にある太古の資料や、配下の一族が伝えてきた秘伝の技、そして、あまねく空間を一身に引き受ける精神などであった。利益優先の仁義なき王にそれらの価値がわかるはずがない。
「しかし……!」
老臣のひとりがなお食い下がった。
「人質を出すは愚策にございます! 奴国に知られれば夏国は笑いもの!」
イナヤ王は黙った。
老臣たちはイナヤ王の父の代の重鎮たちであり、イナヤ王はそれらを無下にあつかうわけにはいかない。
たまらず、ワタシはクチをはさんだ。
「恐れながら……ここに先代の王がいらしたら何と申されますでしょう?」
老臣たちはざわめいた。
……勝機があるうちに勝負すべし、
というのが先代の口癖であった。
イナヤ王はわたしの顔を見た。
いろいろな思いがめぐっているようだった。
だが、言葉は発しなかった。
そのとき、それまで黙していた最年長の老臣がクチをひらいた。
「長いこと我々は先代とともに戦ってきた。しかし、一度も奴国王を打ち負かしたことがない。その我々がさらにものを言っている。そろそろ黙るときではなかろうか……」
しかし、この言葉には老臣たちの自尊心が傷ついた。
会議は収拾がつかなくなった。
翌朝、ワタシはもっとも大きな声で反対していた老臣のひとりを訪ねた。
老臣は藁葺きの住居にひとりで暮らしていたが、配下の下戸が奥で炊事をしていた。
老臣は上水路で顔を洗っていた。
「昨晩の件は、まとまりませぬな・・・・・・」
と、老臣は顔の水を手のひらでぬぐいながら言った。
ワタシは地面に腰をおろし、
「では、このまま座して奴国の支配を受け容れるということでしょうか?」
と問うた。
「それはちがう。最後のひとりまで戦い抜くのだ」
と、老臣は子どものような顔をして言った。
「しかし、それでは夏国は滅亡します」
と言うと、老臣はむきになった。
そして、配下の下戸を呼び、鍋に水をはって湯を沸かすよう命じた。しばらくして湯が煮えたぎると玉石をひとつ鍋底に落とした。
「拾ってみよ」
と、老臣は言った。
「拾えばご意見をひるがえされますか?」
と訊ねると、
「おう」
と言った。
そこで、ワタシは、
「手本を見せてください」
と言った。
老臣は目を剥いたが、石を拾うつもりはなさそうだった。
そのとき、その場に声がかかった。
「まあ、待て」
と言ったのはイナヤ王だった。
ワタシがその老臣宅にいることを知って駆けつけたらしかった。
イナヤ王は鍋を見て笑い、
「おもしろい」
と言い、素速く石を拾った。そして、真っ赤に焼けた手で石を鍋に戻し、
「手本をみせた。次はオヌシだ」
と、ワタシに言った。
もう逃げられなかった。
ワタシが石を拾うと老臣も拾った。
イナヤ王は、
「引き分けだな」
と言って笑った。
だが、老臣は言った。
「いや、二対一だ。ワシの負けじゃ」
その日の午後、会議はすんなり終わった。
クノ国への人質にはイナヤ王の弟の息子が選ばれた。
名を、タギリ、といった。まだ12歳であった。
五
その後、ワタシは何度もクノ国との間を行き来し、クコチどんと作戦の打ち合わせを行った。クコチどんは綿密な段取りをする男で、武具の手配に気をつかい、軍団の編成にあたっては個々の武士たちの器量に応じた役割分担を考えた。そして、軍団の北上経路を決め、水や食糧をどうするかなどの計画も立て、我々の計画とのすりあわせにも積極的だった。
尚、タギリは客人として遇され、クノ王の兄の娘を妻に迎えることになった。その後、弓を覚えて10名の武士の頭となった。クノの男たちはタギリのことを「タグどん」と呼ぶようになった。
奴国への総攻撃はイナヤ8年の二回目の収穫が終わったあとの夜間に決行された。
クノ国もほぼ同時に攻撃を開始することになっていた。
ワタシはイナヤ王の副官を命ぜられた。
その日は朝から小雨が降っていたが、そのことを気にする者はいなかった。
東側の国境に近づくと、ワタシは夏国の兵士たちに松明を消させた。軍勢は弓隊と槍隊を合わせて1千9百。甲冑や武具は重いので事前に国境手前の洞窟の中に隠しておいた。
「それ!」
と、イナヤ王が号令を下すと我々は静かにナカ川(那珂川)を渡った。このナカ川が国境であった。
川からあがると寒さを感じたがすぐに忘れた。
やがて、月明かりで奴国側の柵が見えてきた。
「よし撃て!」
と、イナヤ王が叫ぶと柵の中に弓隊が火矢を放った。ほとんど同時に槍隊が柵にハシゴをかけ、中に突入した。
鬨の声があがり、闇を振るわせた。
大声を出したのは自分たちの攻撃をクノ国軍に知らせるためもあった。クノ国軍が攻める南側の国境まではかなりの距離があり、声が届くかどうかはわからなかったが、皆は届くと思っていた。
柵の突破にはそれほど時間がかからなかった。
敗走する奴国兵を追い散らし、ワタシたちは歩いた。走ろうとする兵がいるとたしなめた。奴国王の居城にたどりつくまでには時間がかかる。走っていては息がきれて体力を失う。
しばらく歩くと南側の空がうっすらと赤く染まった。
・・・・・・クコチどんが攻めている!
と思うと勇気が倍増した。
走り出す者が続出した。
ワタシにはもうそれを止められなかった。
イナヤ王は笑いだした。
やがて、奴国王の城郭が闇の中に浮かびあがった。
高く組まれた木柵と、幾重にも張られた土塁。松明の赤い灯が雨煙の中で揺れていた。
クノ国軍はまだ到着していなかった。が、もうすでに我が軍の兵は突入を開始していた。クノ国軍との連携が難しくなっていた。
「まて!」
と、言ったがどうにもならなかった。
ところが、このとき、奴国兵がどっと押し寄せてきて先走った我が軍の兵たちを押し返した。
クノ国軍を待つのには好都合だった。
伝令たちが泥をはねながら集まってきては散っていった。
そのとき、
「クノ国軍到着までにはあとふたとき!」
という者があった。
顔を見たが泥だらけでだれだかわからなかった。
「整列!」
というイナヤ王の声が遠くに聞こえた。
自分がどこにいるのかわからなくなった。
すると、奴国軍の第2波が来た。
「押し切れ!」
イナヤ王の檄が飛び、ワタシたちの足はもう止まらなかった。
城郭を取り囲む木柵をくぐり、土塁を登ると城が見えたが、そのまま空堀に落ちた。
そのとき、南の方角から鬨の声が轟いた。
「クコチどんが来た!」
ワタシは胸を高鳴らせて叫び、空堀を登り返して土塁の上に立った。
クノ国軍の軍勢は千と2百。だが、城郭にたどり着いたのはほんの少しであった。
我々は城郭の正面でクノ軍の先着部隊と合流した。
しばらくすると遅れて到着したクノ軍の一団が加わった。それでもクノ軍の数は7百ほどだった。
互いの兵が顔を見合わせ、ひときわざわめきが広がった。
「先に攻めるのは我らと聞いている!」
「ウソばひっ!」
そんな声が飛び交い、クノ国の武士たちは槍で地面を打った。
ワタシは焦った。敵はまだ城内で粘っているというのに、わが陣は足並みを乱していた。
「クコチどんはいるか!」
とクノ軍に向かって叫ぶと、
「け死んごわした!」
という返答があった。
胆をつぶした。
が、即座に、
「ならば指揮官はだれだ!」
と、ワタシは叫んだ。
これには返答がなかった。
「いいからかかれ!」
とイナヤ王の声が聞こえると皆が走りだした。
奴国軍は木柵のすき間から槍で突いてくることが多かった。この場合はひとりがその槍をつかみ、もうひとりが槍を突き返した。うまくいくときもあったが、うまくいかぬときもあった。
土塁のうえにあがると弓矢が飛んできた。
土塁の下に落ちると這い上がるのがひと苦労だった。
空堀の底に油が流し込まれ、火が放たれると大騒ぎになった。
我々は押しに押した。
3人ひと組となって城郭を登るクノの武士が多数あった。
ひとりが腰から縄を下げて登り、足場のある場所で下の2人にその縄をつかませていた。上のひとりは手ぶらであるが、縄をつかんで登る2人は武器を背負っていた。
奴国の兵は上から石を投げていたが、簡単には当たらなかった。
やがて、奴国の城郭は破られた。
正面の大扉がゆっくりとひらいた。
柵を倒し、クノ軍とともに我が軍も城内へ雪崩れ込んだ。
ワタシも手勢とともに土塁を駆け上がり、城内の扉を蹴破った。
「奴国王はいるか!」
と叫びながら走った。
だが、奥の広間にも奴国王の姿はなかった。
床には散乱する器、倒れた几帳、慌ただしく去った跡だけが残っていた。
「逃げたか!」
誰かが呻くように言った。
攻め手は標的を見失った。
クノの武士たちは酒倉から酒を持ち出したり、逃げ惑う女たちをおいかけまわしたりしはじめた。
「やめんか!」
と叫んだが聴く者は少なかった。
振り返ると、夏軍とクノ軍の将たちはすでに言い争いを始めていた。
「城を押さえたのは我らの軍だ!」
「いやいや、南からん突撃がなっけや、おいどんたちゃ、全滅しちょっど!」
勝利の叫びの裏で、夏国とクノ国の間に決定的なすれちがいが起きていた。
六
奴国王はこの後、西北へ拠点を移し、再起をはかろうとしたようだが多くの村が離反し、王の下へ集まる将兵も少なく、その領地は一気に四半分となった。
そして、離反した奴国軍の将官たちが次々と独立を宣言した。クノ国が突き破った南の国境周辺で王号を称した者はオオタといった。オオタの国はヤマダ国と呼ばれた。最初は3つの村を合併した程度であったが、翌年にはかなりの強国となった。
これに前後して北の沿岸部の港を囲む地域でイトガンという名の将が王を名乗った。その国はイト国と呼ばれた。
この他に、フミ国、トマ国、ハカタ国なども出現した。
・・・・・・なぜ奴国は、これほどあっけなく崩れたのか。
と、ワタシは不思議に思い、いろいろと考えてみた。
奴国ももとは夏国と同じく、大人が統治する国であった。黒き肌をもつ大人こそが神に近いとされ、その血統を守ることが王権の根幹であった。が、漢王朝から金印を授かり、それを王権の基礎としたころからおかしくなった。
王は漢王朝の庇護を強化するために漢人の女を妻に迎えるようになり、その子を後継とするようにした。そうして生まれた王たちは、もはや真っ黒な大人ではなく、黄色い肌を持つ者となった。これでは下戸と見分けがつかない。
それでも漢王朝が健在であるうちはその号令に反発する者はなかった。しかし、漢王朝が滅亡し、魏王朝から金印を授からなかったことで奴国の王権の基礎が揺るぎはじめたようだ。
将たちは王に仕えながらも自分たちは大人の血統を守りつづけており、黄色くなった王への忠誠心を持てなくなったのだろう。
・・・・・・と、ワタシは思った。
奴国はまだ消え去ったわけではないが、時間の問題であろうと皆が言っていた。
ちなみに、我らはイト国の独立を認めなかった。
イト国の港はピエンハンの鉄を持ち込むための出入り口であり、これを独立させてしまっては奴国を攻めたことが無意味になる。
イナヤ王は3千の兵を集めてイト国を囲み、イトガンの首を要求した。イトガンの首が届くまでにはかなりの日数を要したが、やがて届いた。 その後、イナヤ王は自分の息子をイト国の王とした。
奴国南部のヤマダ国についてはクノ国にまかせた。
クノ国王ヒミヤンコはヤマダ国を攻めさせるためにクコチどんの息子を新たにクコチに任命し、これに兵2千を与えて派遣した。が、2回の戦闘でもヤマダ国は滅びず、オオタの首をとることができなかった。
ヤマダ国は奴国の武具と米の集積地だったところであり、兵を集めるのに苦労がなかった。
対するクノ国の本拠地はアタと呼ばれるツクシの島(九州)の最南端の地であり、ヤマダ国までの距離が長い。山をいくつも越えねばならない。武具や食糧の供給がなかなか追いつかなかったらしい。
そして、ここに問題が生じた。
ヤマダ国を攻めあぐねたクコチはヤマダ国の南西側に陣を構え、そのまま動かなくなり、強固な防御柵をつくって長期戦の構えをとったのだ。そして、その場に百姓を集めて田を開墾しはじめた。これは、
クコチ領、
と呼ばれるようになった。
だが、そのクコチ領は夏国の南側の平野部であり、イナヤ王はそこに大規模な田を新たにつくろうと計画していた。
クノ国とのあいだに衝突が起きたのはイナヤ12年の夏であった。
夏国とクノ国は、両国の境の広野において矛を合わせた。
我が軍は鉄器をもって戦ったが、クノ国の黒曜石の矢は鋭かった。
一進一退がつづいていたとき、ここにヤマダ国の軍勢が押し寄せた。広野は3つの軍勢が入り乱れて秩序を失い、イナヤ王は退却命令を出した。
クコチ領はそのままとなり、その田は毎年大きくなっている。
ワタシはクノ国の人質となっていたタギリのことが心配だった。だが、あとで聞いた話によれば、クノ王の兄の娘を妻にしていたことでタギリは命を奪われることはなかったらしい。ただし、アタの東側に土地を与えられ、そこで田を開墾するよう命じられたらしい。
クノ国は砂から鉄を抜けるようになっていたが、鉄は依然として貴重品であった。そのためタギリは石器をつかうしかなかったようだ。石器による開墾作業は地獄であろう。
若き日のタギリの姿を思うとき、ワタシの胸は複雑な思いに揺れる。クノ国との協働作戦を老臣たちに決断させるため、ワタシは鍋の石を拾った。だが、そのことがタギリの人生を大きく狂わせたのである。




