序章
序章
「次!」
宦官の甲高い声が回廊に響いた。 朝貢に来た者たちが行列をなしていた。
洛陽の南宮である。
進み出たのは、黒い顔に青黒い刺青を刻んだ男であった。
胸板が黒光りしていた。
男の背後では160人ほどの生口(奴隷)が下を向き、土下座していた。
「どこから来た?」
宦官は壁に掛けられた地図を指さした。
自分の国を示せ、ということだった。
粗雑な線で海と陸と川が描かれただけの世界図を見て、黒い男は怪訝な顔をした。
「どこから来た? ここに指で示せ」
宦官は面倒くさそうにもう一度繰り返す。
男は背後を振り返り、通訳を手招きした。
通訳は黄色人種で、ひょろりとした体格で、なめらかな漢語をつかった。
「持参した地図でよろしいか?」
宦官は鼻で笑い、顎をしゃくった。
通訳が献上品の荷から鯨皮に描かれた地図を取り出した。
広げられた瞬間、その場にいた役人たちが息を呑んだ。
そこには山河、入り江、岬まで細密に刻まれた列島の姿と長江下流域から広州あたりにかけての図があった。
黒い男は北部九州を指さした。
「ウォー(倭)だな……?」
宦官は口の端を吊り上げ、小さく呟いた。
すると、黒い男は砂盆に歩み寄り、太い指で砂のうえに象形文字を描いた。
仮面をつけて舞うシャーマンの姿を象った文字であった。
宦官は顔をしかめた。
「……これは、なんだ?」
数名の役人たちは興味をそそられた。
野蛮人が文字を書いたというだけでも驚きだった。
書記のひとりが言った。
「これは古い文字の夏ですな」
夏という文字は暑い季節を意味しているが、もともとはそうではない。古代の王朝を意味していた。上半分が「面」であった。
その説明を聞いた宦官は声をあらげた。
「何のことだ!」
通訳は動揺した。
「我が王、ウガヤさまは夏王朝の王家の末裔にございます」
「姓が夏ということか? 倭人に姓があるとは聞いたことがないが・・・・・・」
「倭人に姓はございませぬ。ウガヤさまは夏の王家の直系の子孫でございます」
「おまえたちは歴史を知らん」
「多少はわかります」
宦官は嘲笑を込めて言った。
「夏とはこの世の最古の王朝である。始祖は禹王。夏は中夏(=中華)の夏で、中原そのものを意味する。倭の地ではない。その黒い顔が中夏の始祖の末裔だと? 笑わせるな」
「しかし、ウガヤさまはその禹王の子孫にございます」
通訳は必死に頭を下げた。
宦官は面倒になり言った。
「もういい。名は、なんと申す?」
「ウガヤさまでございます。王家の総帥にございます。本日は皇帝に生口160名を献上いたします」
宦官は黒い男を一瞥して乱暴に木簡へ筆を走らせた。
そのとき、禹王の末裔は升に水を汲んで飲んでいた。
「倭面土国王、朝貢す。名は帥升。生口一六〇人を献上」
というのが、公式の記録となった。
「夏王」とは書かれず、「倭面土国王」となったのは、「夏」が面と土の二文字になったからで、これは、「夏」という象形文字をそのままザツに書き写したことによる。
名は「ウガヤ」ではなく、「帥升」となった。
帥は多数の人間を率いていたことを表しており、それが姓として記された。
で、名前は、升となったわけだ。升には「昇」という意味もあるが、宦官にはそのつもりはなかった。
通訳はなおも言葉を続けた。
「皇帝陛下にお目通り願いたいのですが……」
しかし、宦官は回廊内で順番を待っている者たちへ向かって怒鳴った。
「次!」
その記事が後に『後漢書・東夷列伝』に採用されることになるとは、その場の誰一人として知る由もない。
以下はその文面の和訳である。
「安帝の永初元年(107年)冬10月、倭国が使いを遣わして貢献した。安帝の永初元年、倭国王帥升等が生口160人を献じ、謁見を請うた」
倭の面土国はここではたんに倭国となっている。
が、唐の時代に書かれた「翰苑」という類書には「倭面上国」となっている。「土」の文字を「上」と読んだらしい。




