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豚になった朝  作者: Eisei3


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第七章(目覚め 四)


( キン コン カン コン、キン コン カン … )

 … チャイムの音が聞こえる。

 

 「⁉ …」

 私はソファーの上に横になっていた。

 そのチャイムは、午後の仕事の始まりを告げる音であった。

 

 「う!、 …」

 頭の中で見知らぬ誰かにガンガンと、何か叩かれている様な気分だった。

 「ソファー? ……」

 「そうか⁉。そうだ! 午前中の仕事を終えて、事務所の二階のこのソファーの上で休憩していたんだ。 …そのまま眠ってしまっていたのか …」

 私は職場ではいつも、昼休みの休憩時間にはこのソファーで横になる事にしていた。

 

 「すると、今のも夢か。…また豚だ」

 今し方見た夢の内容が、リアルに鮮明な記憶となり脳裏に残っている。

 頭の芯がズキズキと痛む。

 「なぜ、俺は豚の夢ばかり見るのだろう? それも、いつも決まった様に同じ夢を」

 私はそう呟きながらソファーから立ち上がる。そしてふらつく足取りで一階の事務所へと、一段一段足元を確かめながら慎重に階段を下りて行った。


 

 その日の午後は、まるで仕事に気が入らなかった。そのまま、ただぼうっとして時間だけが過ぎていく。

 勤務時間を終え定時になると、私は帰り支度も早々に職場を後にした。

 帰りの車の中でも気分は重いまま、ラジオから流れ出る軽快な音楽にも心は沈んだままだった。


 家に帰り着き、「ただいま」と口にしながら玄関を開けると、私はリビングに入る。

 「あら、お帰りなさい。今日は早かったのね」

 

 私の顔を見た妻が言い出す。

 「じゃあ、今夜は外にご飯を食べに行きましょうよ。外食は久しぶりだし」

 「ご飯の支度、まだ、今日はこれからなのよ」

 

 「そうだな ……」

 私は首を傾げ、ちょっと考える。

 「気晴らしに、外食するのもたまにはいいかもしれないな」

 少しして私がそう答えると、それを聞いた子供たちも「外食、外食」と、口々にはしゃぎだす。

 「どこにしようか?」私が問うと、妻は「いつものレストランにしましょうよ。メニューが豊富だし」と答える。

 私たちは支度を整えると、車に乗り込んだ。

 

 夏も過ぎようとする夜の道は、早くも夕闇に染まろうとしている。

 ライトを点灯した車が行き交い、もうこの時間には勤め帰りの車も減ったと見え、道路は割合空いていた。数刻後、私たち家族も予定通りにそのレストランに着いた。


 「何にする?」私がそう聞くと、奥の席で子供たちが「とんかつ!、とんかつ!」と互いに言ってくる。

 「じゃあ、あなた達はとんかつね。私は焼魚にするけど、貴方はどうする?」

 妻が、私に尋ねる。

 「とんかつか …。 そうだな。じゃあ、俺もとんかつにするか」

 私は少し考え、そう妻に答えた。

 「すいません …」

 カウンターに向かって妻が手を上げ、呼び掛ける。

 「はい、お待たせしました。ご注文は何になさいますか?」しばらくして、黒い前掛けを纏った若い娘が私たちのテーブルにやって来ると、オーダー入力器のボタンにテーブル№を入力しながらそう問い掛ける。

 「えーと。とんかつが三つに ………」

 

 注文を済ますと、私はポケットから煙草を取り出した。

 「とんかつか …。 もし、俺が豚だったら共食いだな」

 私は、内心苦笑しながらそう呟いていた。煙草を燻らせながら。

 

 夜のレストランは食事時を迎え、家族連れで混み合っていた。小さい子供たちの騒ぐ声が賑やかに聞こえてくる。

 食事をしながら、いつしか私の心の靄も晴れ気分も大分良くなっていた。ただ、頭の片隅には依然として、あのチクチクとする感じがまだ残ったままだったが。


 

 「悪いけど、あそこの店に寄ってくれない?」

 妻が、道路の向こう側の一角を指差して言った。

 「ああ、分かった」

 私はそう返事をすると、その店の方に車を向けた。

 

 食事の後、私たちはディスカウントストアに立ち寄った。三階建ての店舗の横に設置されている急こう配の坂道を上り、車を店の屋上にある駐車場に乗り入れた。

 この店は二十四時間営業を売りにしていたから、もう大分遅い時間だというのに、駐車場には沢山の車が停められていた。買い物を終え車に戻る人や、これから買い物をしようと車から降りる家族連れが目に付く。


 車を停めると、子供が我先にと店内の入り口へと駆けて行く。それを見てすかさず妻が、後から二人を追い掛ける。

 私はエンジンキーを抜くと、車から降りドアを閉めた。そしてキーを車に向けキーレスエントリーボタンを押す。 ガシャン! と小さい音を立てドアがロックされ、オレンジ色をしたウインカーランプが点滅する。

 

 私はおもむろに煙草を咥え、銀のジッポーで着火すると一息吸い込む。

 「ふーッ」

 私は紫煙を燻らせ、店内入り口にゆっくりと歩いて行く。入り口で立ち止まり、煙草を指に挟んだまま夜空を見上げる。

 夜空には雲も無く、沢山の星々が瞬き晩夏の星空を形作っている。

 首を回し東の空を見ると、街並みの灯火の照返しに空はほんのりと照らされ、星の姿もぼんやりと滲んで見える。その一方で西の空には黒く沈んだ山並みを背景に、沢山の星が浮き出る様に煌めいている。

 南の中天を少し回った所に上弦を過ぎた月が、黄色に鈍く光り懸かっている。


 「綺麗だ …」

 私はそう呟くと、夜空に目を向けたまま煙草の煙を吐き出した。

 吹く風は涼しく、既に秋の気配を纏っていた。

 さっきまでの重苦しさはすっかりとどこかに影を潜め、頭の芯の疼きも消えていた。あの夢の記憶も今はどこにも無く、私はすっきりとした気分に包まれていた。

 煙草を吸い終わると吸殻を携帯灰皿に揉み消しながら、店内への屋上入り口に入る。そこではエスカレーターの無限軌道が静かに、そしてゆっくりと階下に向けて動いていた。

 

 

 二階のフロアに下りると、妻はキッチン用品売り場で品定めの最中だった。

 「子供たちは?」

 「多分、ゲームコーナーにいるんでしょう」

 妻は陳列棚に目を向けたまま、そう答える。

 「ゲームコーナーか …」それは一階フロアの一角にあった。

 私はエスカレーターに目をやると、そちらに向かって歩いて行った。


 「とおと。二百円ちょうだい」

 「僕にも」

 ゲームコーナーから私の姿を認めた子供たちが、そう口にしながら走って来た。

 「お小遣いの財布を持って来なかったの? かあかに見つかると、後でうるさいからなぁ …。じゃあ、一人二百円ずつだけだよ。この事は黙っていな」

 私はそう二人に念押ししてから、小銭入れから百円玉を四つ取り出し、差し出された二人の手の平の上に二百円ずつ乗せてあげた。

 「ありがとう」

 二人はそう言うと、既にお目当てのゲームに向かって走り出していた。

 私も遅れて二人が向かったゲーム機の所に行くと、二人の後ろからその様子を眺める。

 二人は夢中になってクレーンゲームを相手に格闘していた。狙いの景品は『 こげパンダ 』という、茶色いキャラクターの大きなぬいぐるみだった。

 「がんばれよ」。私はそう心の中で二人に囁くと、ゲームコーナーを後にした。

 

 再びエスカレーターで二階に上ると、そのフロアの一番外れにある売り場を目指す。

 途中でキッチン用品売り場の様子を窺うが、妻の姿はもうそこには無かった。たぶん、食料品売り場にでも行ったのだろう。

 私の狙いは、その店の百円均一コーナーだった。

 

 ここの百均コーナーは消費税を内税方式にしているため、この売り場のどの商品も百円玉一つで買う事ができた。

 家の近くにも百円ショップがあったが、そこでは百円の他に消費税分の十円を取られ、百十円支払わねばならなかった。十円と言えども大金である。本当の百円均一ショップとはこういう事だと、妙に自分で納得していた。

 百均コーナーの陳列棚を順番に見ながら歩いて行く。中には、「百円玉一つでこんな物まで買えるんだ!」と思わせる、高級感を漂わせた商品もあった。

 「まだまだ、百円玉の価値も捨てたものではないよな」

 そう感心しながら棚の間をぶらつく。

 

 「あった。これこれ …」

 そう呟き、棚からA四判のクリアファイルを手に取ると、レジに歩いて行く。

 「一点で百円です」そう言いながら袋に入れようとする店員に、「いいよ、そのままで」と言いながら百円玉を一つ手渡す。店員は「それでは」と言いながら、シールを貼ってこちらによこした。

 私はそれを受け取ると、またゲームコーナーに向かった。


 子供たちは、もうゲームコーナーにはいなかった。恐らく、百円玉を四つ負けてしまって、妻の所に行ったのだろう。妻は子供たちに無駄遣いをさせなかったから、彼らはもうゲームを諦め、妻にくっ付いてただ歩いているに違いなかった。

 私は食料品売り場だろうと見当を付け、エスカレーターを階下に向けて下りて行った。

 思った通り、妻は食料品売り場でカートを押しながら商品を選んでいた。既にカートは食料品が山盛りになっている。その傍で、子供たちが走り回っていた。



 家に帰ると、私は子供たちと一緒に風呂に入った。妻が、「今夜は涼しいから、お風呂をたてるわね」と言いながら、風呂に湯を張ったのだった。

 久しぶりに浸かる風呂の湯は、体の芯から体を温めてくれる。ここの所ずっと、暑い日が続いていたからシャワーで済ましていたのだった。

 子供たちが「きゃー」と声を上げ、ふざけ合いながらも自分で頭や体を洗っている。知らず知らずの内に二人とも、もうそんな歳になっていた。

 「早いものだ。時間の経つのは …」

 私は湯船に浸かりながらそう呟き、目を閉じた。

 子供たちは既に風呂場から出ていた。風呂場の中には湯気が立ち込め、換気扇の低く唸る音だけが静かに響いている。

 開け放した窓からは、外の冷気に押し戻された湯気が流れ込み、湯気と一緒に外で鳴くコオロギたちの鳴き声も入って来ていた。



 その夜、私はいつもより早く寝室に上った。ナイトスタンドの照明を点けると、部屋の一角だけが黄色く淡い光で包まれる。

 隣のベッドでは横顔をスタンドの淡い光で浮かび上がらせた長男が、もう「スー」と寝息を立て眠っている。彼の枕元にはお気に入りの玩具が転がっている。きっとそれを眺めながら寝入ってしまったのだろう。


 「うーん ……。」

 時々子供の寝言を言う声が聞こえるだけで、寝室の中は シン と静まり返っている。

 私はベッドに横になると、読み掛けの文庫本を開く。

 挟まれていたしおりがはらりと枕元に落ちた。私はため息を一つ吐くとそれを拾い上げ、しおりを表紙の裏のページに挟み直すと小説の世界に入っていく。

 

 やがて、区切りのいい所で本を閉じ、ベッド脇の目覚まし時計に目をやる。時計はもう十二時五十分を指している。

 「もう寝なくちゃ」

 私はそう小さく呟くと、右手を伸ばし目覚しをセットする。そしてナイトスタンドのスイッチを切る。

 途端に部屋の中は暗闇に包まれ、僅かにカーテンの隙間から細く漏れ入る街灯の明かりが、天井に細い光の筋を作っているだけである。

 私はゆっくりと深呼吸をすると、目を閉じた。直ぐに眠気がベッドの下から忍び寄り、私を漆黒の眠りの世界に連れていった。







 


 ( ジリジリジ …… )

 右腕を伸ばし目覚まし時計を叩く。叩かれた目覚ましはスヌーズが働き、しばし黙り込む。

 時計を見ると七時を指している。

 「仕事だ」

 私は無意識にそう呟くと、のろのろとベッドから這い出す。まだ頭の中には靄が掛かって、体がふらふらする。

 隣のベッドでは長男が、やはり眠そうに掛布の下で モゾモゾ と動いている。

 私はクローゼットで服を着替えると、階下のリビングに階段を下りて行った。


 「おはよう」

 妻とそう挨拶を交わすとダイニングのテーブルに着き、いつも通りに朝食を食べる。子供たちはまだ二階から下りて来ていない。

 私は洗面所で歯を磨きながら、洗面台の鏡を ジッ と見詰める。

 鏡の中でも私が、やはり ジッ とこちらを見詰め、左手で歯ブラシを動かしている。

 当たり前だが、幾ら見ていても、私は私でしかなかった。

 

 「何をしているの? 仕事遅れるわよ」

 後ろからの、その妻の一言で我に帰ると、私は鞄を抱え「行って来るよ」と言いながら玄関に急ぐ。

 愛車の白いサーフに飛び乗り、ラジオを流しながら職場へと向かう。朝の幹線道路は通勤ラッシュに差し掛かり、車で混雑していた。

 ラジオからは、女性アナウンサーが星座別の今日の運勢を伝える声が流れている。「獅子座は三位か …」私はそう呟くと、ラジオのスイッチを切った。



 「おはようございます」

 いつもの朝の挨拶を交わし、仕事が始まる。

 電話の応対が済むと、パソコンに向かいキーボードのキーを打つ。そして書類の上にペンを走らせながら電卓を叩く。

 あっと言う間に、午前中の仕事が終わる。

 昼食を食べると、いつもの様に二階のソファーで横になる。





 ( キンコン、カンコン )

 うとうとしながら、夢に落ちる寸前で午後の始業を告げるチャイムが鳴る。

 「あーあっ …、もう一時かよ!」

 そう、思い切り伸びをしながらソファーから立ち上がる。頭の芯がまたチリチリと疼く。

 「……?」私は無言で首を左右に振ると、事務室に階段を下りて行った。

 

 午後の仕事も、いつもと変わらず過ぎて行った。

 「お疲れさまでした。お先に」

 課長にそう挨拶すると、車に乗り込み職場を後にする。道路は帰宅する車で混み合っている。

 ラジオが、その年最初の台風の接近を告げるニュースを伝えている。


 

 家に帰るといつもの様に家族で夕食を食べ、子供と一緒に風呂に入った。十分に体が温まると脱衣所でパジャマを着てリビングに向かう。

 洗面所を通る時、自分の体が洗面台の鏡にチラッと映ったのが横目に見えた。

 「ん? …」

 何かが気になり、鏡の前に後ろ足に引き返すと鏡を覗き込む。

 鏡の中では、やはり気になったと見える私が、こちらを覗き返している。どう角度を変えて見ても、やっぱり向こうの私がこっちを見返しているだけだった。

 

 「考え過ぎだよな … きっと」

 そう胸で呟くと、リビングのテーブルの上に置いた煙草とライターを掴んで庭に出た。椅子に腰掛け煙草を吸う。熱った体に風が心地良く、周囲ではコオロギや、秋の鳴く虫たちも盛んに鳴き交わしている。

 「もう夜は、秋の世界が支配している」

 煙草を吸いながらそう呟く。どことなく、なぜか胸の奥が寂しかった。


 

 リビングでテレビを観ながら過ごしているうちに、時計はもう九時半を指していた。

 「もう寝る時間よ」

 「おやすみなさい」「おやすみ」

 妻のその声に、子供たちは洗面所で歯を磨くと二階へと上がって行った。

 

 「俺も、もう寝るよ。何だか疲れた」

 洗面所の鏡に向かい歯を磨く。鏡の中でも私がこちらを見ながら歯を磨いている。

 顔を近づけ良く見てみる。鏡の向こう側でも、私がこちらを覗き込んでいた。

 「そうさ」

 私はそう頷くと、階段を寝室に向かって上がって行った。


 

 寝室では長男が既に寝息を立てていた。

 「俺も寝るか」

 私はベッドに潜り込んだ。そして目覚まし時計のアラームを確かめセットすると、ナイトスタンドを消した。

 一瞬で寝室は暗闇に沈み、闇の静寂が辺りを包み込む。

 

 目を閉じる。目の奥には、更に漆黒の闇が広がっている。

 その闇の奥底に白く小さい光が灯り、揺れている気がした。私はその光に意識を集め、息を詰め見詰める。

 しかしその光は一瞬微かに光った後、薄らいでやがてどこかに消えてしまった。後にはまた、前にも増して黒い闇がただ広がっているだけだった。

 「ふー…。」

 私はベッドの上で寝返りを打つとため息を一つ吐き、大きく息を吸い込んだ。頭の隅でまた、あの疼きがチリチリとしている。

 

 「そんなはずは … 無いさ …」

 そう呟きながら、私は眠りの世界に落ちていった。

 

 間もなく意識も薄らいで、私は無の世界にいた。

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