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豚になった朝  作者: Eisei3


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第二章(悪夢の続き)

 

 次の日の朝、目を覚ますと、私はやはり豚の姿のまま豚房の中で寝ていた。

 昨日と同じ、黒い体に白い足と鼻先、それに尻尾の先の白い黒六白の黒豚である。

 

 「どうして? … どうして、こんな事になってしまったのだろう? 」

 頭の中での思考は人の言葉なのに、言葉にして口から出した途端、全ての言葉が『 ブウ 』に変換されてしまう。

 例え、それが単に呟きの言葉であったとしても。これでは端から見れば、私は本当に、ただの豚だった。

 だがここまで来ると、これが夢だからとばかり言ってもいられなかった。


 「ブーッ … ( ふーっ … )」 思わず、そう、ため息を吐く。

  もはや私は、これは現実に起こっている事だと認めざるを得なかった。


 

 豚舎の中の様子を窺う。

 天井のいたる所にクモの巣が張られ、その上に薄っすらと積もった埃の重みで巣の糸が垂れ下がって見えている。

 そして、天井の薄暗い隅の部分では大量のクモの巣の残骸が、外からの風にゆらゆらとダンスをするように揺らめいている。

 

 豚房の前はコンクリートの通路になっていて、通路の向こうの壁の上には透明なガラス窓が並んでいる。

 豚房の後ろ側の壁にはやはり小さい窓があって、そこから外の景色を下に見下ろす事ができた。豚舎の外には欅と銀杏の木だろうか、梢がさわさわと風にそよいでいる様子が見える。

 

 豚舎の壁の内側には鉄柵が張り巡らされ、豚房が形作られている。

 隣り合う各豚房の左右も鉄柵で仕切られているだけで、隣やそのまた先の豚房を見渡す事ができる。

 そこから窺い見ると、豚舎のずっと向こうまで豚房が続いていて、少なくとも私が今いる場所を含めて十五あまりの豚房が、この豚舎の中には並んでいた。

 

 豚房の通路側の左右にあるドアの間には、給餌器が設置されていて、自動給餌器が運ぶ餌が落ちるパイプが繋がっている。その上部には、餌を運ぶ自動給餌器のラインが隣の豚房を越え、豚舎のずっと向こうまで延びている。

 そして、ドアとは反対側の小さい窓がある壁際の鉄柵には、水を飲むための飲水器が二個取り付けられていた。

 

 豚舎の中は、向こうの豚房までずっと豚たちが収容されている。奥に続く豚房の方からも、豚たちの鳴く「ブウブウ」という声が聞こえてくる。

 鉄柵越しに見える範囲では、私のいる豚房の黒豚と同じ種類の豚だけでなく、体の色が白や茶色をした豚たちも見える。多分品種は大ヨークシャー種やデュロック種、そしてぶちの被毛をした豚も見えたから、これらが交配された交雑種たちも収容されているのかもしれない。

 

 ここは恐らく、どこかの養豚場の、豚肉を生産するための肉豚を収容しておく肥育豚舎の一つなのだろう。


 

 でも、なぜ私はこんな場所にいるのだろうか? しかも豚の姿で。

 皆目、その訳が分からなかった。ある日の朝、いつもの様に、ただいつも通りに眠りから目覚めただけだったというのに。

 私が、一体何をしたというのだ。これは何かの罰だというのだろうか? もっとも、それには心当たりが無いと言えば、正直嘘になるのだが。

 

 「畜生!」無意識に、私の口からはそう言葉が漏れ出ていた。

 だが、やはりそれは、『 ブ、ブウゥー! 』としか自分の耳には聞こえない。なぜか、無性に寂しい気持ちになる。何で、私がこんな目に遭わねばならないのだと。

 同じ豚房に収容されている豚たちが、寄って来ては私の体を鼻で突いて頻りにちょっかいを出してくる。「ブーブー」鳴きながら。

 「うるさい。あっちへ行け!」

 そう私は怒鳴る。だがその怒鳴る私の言葉も、私には『 ブー、ブー! 』としか聞こえてこなかった。

 「ブウ― …」

 私は、小さくため息を吐く。もちろん、豚の鳴き声で。今の私は、どこから見ても豚そのものである。しかも黒豚という。

 

 人間だった時、私は、豚の中でも黒豚は黒白模様で可愛い愛嬌のある豚だと思っていた。だが、実際にその黒豚になってしまった今は、『 ブー 』としか鳴けないただの豚だった。自分の姿が可愛くも何ともない。

 しかも『 ブー 』と、豚の言葉で鳴くことができるだけで、他の豚が鳴く鳴き声は何と言っているのかは、まるで皆目理解できない。豚たちには、意味のある言葉というものが無いのだろうか。だがそれは、豚になってしまった今も分からない事だった。

 人間として豚を見下ろす立場であった自分が、今は豚として、ただ見下ろされる立場になってしまっている。

 「ブ、ウー …」

 情け無くも悲しく、全く、ため息しか出ない。



 ( ガラガラ、ガラ … )

 豚舎の入り口の扉を開ける音がして、人間が入って来た。

 それは、頭に白い手拭いで鉢巻きをした親爺だった。きっと、この農場の持ち主なのだろう。

 親爺は、一輪車にスコップを載せて押しながら歩いて来ると、私のいる豚房の前に立ち止まった。そして一輪車をそこに下ろして手を離すと、誰に言うともなく呟いた。

 「黒豚の肉は旨いが、成長が遅いから太らせるのに時間がかるな。出荷までには、まだまだだなぁ …」

 そしてスコップを手に、ドアを開けて中に入って来た。足にはカバーの付いた白い長靴を履いている。

 

 「どけどけ。邪魔だ!」

 そう言いながら、豚たちの尻をスコップで叩きつつ、床に溜まった糞をすくい取っては一輪車に載せていく。

 ボケっと突っ立っていた私も、スコップで尻を思い切り叩かれた。

 ( ビシャン! )

 「 () 痛い。何をするんだ!」そう親爺を怒鳴りつけた。だが私は、『 ブビー! 』と鳴いたに過ぎなかった。親爺は私の事など気にも留めず、豚房の除糞作業を終えるとスコップを肩に、隣の豚房へと移って行った。

 後には、ガシャンとドアを閉める音だけが、空しく私の耳に響く。

 ( ピシャン! )「ブビー ‼」

 隣の豚房からも、スコップで尻を叩かれた豚が鳴き喚く声が聞こえてくる。

 「どけって言っているものを。邪魔だ!」親爺の怒鳴る声も聞こえる。

 

 私は急に喉が渇いてきて、飲水器に白い鼻を突っ込むと、チューチューと水をすすった。だが、水を飲みに来た他の豚に押しやられて、簡単に私は飲水器を奪い取られてしまった。

 私は悔しくて『 この野郎! 』と言いながら、その豚の尻に体当たりを喰らわせた。

 「ブー!」

 「()ヒ、()ヒー …」

 しかし、またあっけなく跳ね返されると、私は豚房の床に尻餅を付いていた。やはり私は、豚の社会の中でも、非力な部類に入ってしまう様である。

 

 私は尻餅を付いたまま、きょろきょろと周りを見回す。

 強い豚が給餌器を独占して餌を貪り、弱い豚はその横で強い豚に体を押し付け、ジッと給餌器が空くのを待っている。

 《 豚にも、強さの順位づけがあるんだ 》

 《 そういう所は人間の社会も同じか… 》

 私はそう感心していた。自分も今は、豚の姿になっているというのに。



 豚房の鉄柵の隅にうずくまると、豚房の中を見渡した。

 餌を腹一杯食べて満腹した豚たちは、オガクズが厚く敷かれた場所に足を投げ出し、重なり合いながら横になっている。中には早くも眠りに落ちて、鼾をかいている奴もいる。

 

 こうやって眺めて見ている分には、実に平和な世界に思える。だが、今は自分も、この豚たちの一員になっているに過ぎない。彼らを見下ろす立場ではなく、彼らと等しい目線で眺め合う状況に、身を置かれていた。

 ここに収容されている豚たちは、餌を飽食して、好きな時に食べ、食べては寝てまた食べるという、全く自由で気ままな生活を送っている。

 何も知らず、また何も考えず疑問にも思わないという、端から見ればここは天国の様に映るだろう。

 

 しかしその一方で、食肉に供される肉豚として、いずれ飽食の末、丸々と肥って百十キロを超える体重になれば食肉処理場に出荷されて、屠殺され食肉にされるという運命にある。

 肉豚の一般的な食肉処理場への出荷日齢は、雑種の豚で生まれてから約六ヶ月、私が今その姿に変えているバークシャー種で約十ヶ月である。気ままに、何一つ不自由無く本能のままの生活をさせて貰っている様であっても、現実は、高々半年から一年弱の命でしかなかった。

 同じ豚房の豚たちの大きさから考えると、私もあと一月後には食肉処理場に出荷され、殺されて肉になる定めの様である。恐ろしい事に。

 

 もっとも、豚たちは、自分に訪れるその未来を知る由もないのだが。

 もし自分の宿命が分かっていたのなら、毎日嬉々と腹一杯餌を食べ、こうして鼾をかいてのんびりと寝ている事はできないだろう。早く太れば太るほど、殺される時に近づいていくのだから。

 だから人間の様に自分の運命を悟り、知り得る事ができるなら、とっくの昔に我が身を儚んで世を恨み自死しているに相違ない。

 

 豚には喜怒哀楽の感情を感じ取る本能はあっても、自分の未来に思いをはせる能力(ちから)は無い(多分 …)。恐らくは、今現在という刹那の一瞬だけを生き得るための感情しか与えられてはいないのだろう。

 だからこそ、生物(いきもの)として与えられた寿命を全うできずに経済動物として殺される運命も、今という時間だけをただ淡々と、日々本能のままに生きる事が全てという意味では、豚たちは決して自分の事を不幸だとは思わないだろうし、自分の人生を悲観する事もない。

 その意味では幸せで、それが家畜として生まれた定めでもあると思う。

 そして、それが同時に、食肉として利用するため家畜を育て、殺す側に取っても、心の呵責(かしゃく)から逃れるための方便の一つとなっているのも事実であった。家畜なんだから …と。

 


 それに比べ、人間は不幸であるとしか言えない。

 人間は、未来を夢見る事ができる。しかも希望という儚い幻を胸に抱いて。

 人は希望と絶望の狭間に生きているという。

 例え、絶望の淵に立たされ窮地に追い込まれたとしても、希望という微かな望みがある限り何度でも立ち上がり、人生という不確かなレールの上を、つまずきよろけながらも()()()()()行く。

 だがその一方で、自分の将来が見えてしまった時、そこで諦め人生を投げてしまうか、あるいは全てを悟った上で、それを受入れ新しい路を歩き始めるか。何れかを選択する事になる。

 その時、自分の運命(さだめ)を、すんなりと受け入れる事ができる人は幸せかもしれない。

 殆どの人は、僅かばかりの過去の栄光(キャリア)を捨て去れず、それに引きずられながら生きていくしか術がないのだから。

 

 今の私は豚という姿になってしまってはいるが、心は元の弱い人間のままである。

 あと一月で殺されるという運命を、黙って受入れることができるだろうか。他人の命の火を繋ぐという、尊い犠牲になるという崇高な使命感を持って。

 答えは「ノー」である。なぜ私が、他人のために犠牲にならなければならないのか。朝目覚めたら、突然豚の姿になっていたというだけで。

 これが私の運命なのか? 受入れられるはずもない。あまりにも唐突過ぎるし理解をも超えている。

 

 私はほんの数日前までは人として、悩み苦しみながらも自ら選択し、自分の人生を生きる権利を得ていた。

 それが、今はただの豚として、決して逃れることのできない定めの中で苦しみあがいている。希望という救いも、何も無いまま。 

 今の私は、自分の未来を何も考える必要のない豚たちが、何と幸せで羨ましいと思うことか。



 私の周りでは豚たちが鼾をかいて横たわり、眠っている。

 彼らは何の夢を見ているのだろう。多分私と同じ、取り留めもない混沌とした物語なんだろうが。

 だが、彼らが未来を想う事は決してない。悲しいけれど、彼らにあるのは過去(きのう)と、そして現在(いま)だけだったから。

 

 目の前で寝ている豚が、「ブヒー」と小さく鳴いた。夢の中で、美味しい餌にあり付けたのだろうか。



 私は自分の今置かれている現実を、ただ悲観するだけで、とても未来の事など考えることができないでいた。その余裕すら与えられずに。

 しかし、そうして希望も夢も、何も無いこの夢の世界の中で、自分の与えられた定めを呪いつつも、何時しか知らず、深い眠りの底に落ちていた。



★注)現在は、畜産業においても、家畜の福祉アニマルウエルフェアの考えが浸透しており、大分変っているものと思います。


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