ルフィーナとの出会い
僕たちは近くの大衆食堂へ移り、席に着いた。喧騒のただ中にありながら、ヨナたちの周囲だけが嵐の中心のように静かに感じられる。
雑多な料理、木札に書かれた古びた料理名、跳ねる油の音、酒に酔った男たちの笑い声――。
少し視線を逸らしながら、僕は尋ねた。
「それで、ルフィーナさんはどれくらい冒険者を――。恥ずかしながら、僕たちは始めたばかりで」
「ルフィーナでいいですよ。私は少し経験が……。ただ――」
言葉を切り、フードの下からこちらを探るような視線が覗く。
「わたし……。回復魔法が得意というか、専門なんですけど、少し作業が遅くて――。それで……。あと、女性がいたほうが安心するので、パーティを探していたんです」
言葉の端々に、これまでの苦労が透けて見えた。おそらく、以前のパーティで居場所をなくしたのだろう。
そんなルフィーナを励ますように、リシアが言葉をかける。
「大丈夫、大丈夫!回復魔法は慣れれば早いから。ただ、早ければいいってもんでもないけどね」
そう言って、リシアがちらりと僕を見やる。
回復魔法は下手な人がやると、痛みが走る。僕は展開が早いが、その分痛みも激しい。正直、怪我をした時よりも痛い――。
一度、僕に回復魔法をかけられたことをリシアはまだ根に持っているらしい。
「どんな感じか見せてもらってもいい?」
リシアは、持っていたナイフをナプキンで拭い、近くの蝋燭で炙り始めた。
「――えっ。どうするの」
僕の問いかけに、彼女は平然と答える。
「何って、手を切って、回復魔法をかけてもらうの。普通はそうやって覚えるのよ。理論だけじゃなくて」
最後の言葉に毒気を感じ、僕は口をつぐんだ。確かに魔法の習得は理論と実践の両方が必要だ。だが、痛みに弱い僕は、実践を避けて回復魔法を習得してしまったのだ。
炙ったナイフを握り直すと、リシアは自分の腕に刃を当て、一気に引いた。
「では、やりますね――」
ルフィーナはやや緊張した表情で傷口に手を当て、魔法式を組む。数秒もしないうちに顔を上げ、落ち着いた声で言った。
「終わりました。これから少し時間はかかりますが、徐々に回復します」
「えっ、もう? 速いじゃない」
リシアが驚くのも当然だった。通常よりも魔法式の展開は圧倒的に速い。ただ――回復そのものは遅いかもしれない。
「私の学んだ回復魔法は、自然治癒力に作用させていくものなので、通常のものよりも魔法を行使するのは早いですが、回復が遅いのです」
ルフィーナは申し訳なさそうに言う。リシアは気にしないでと笑顔を返し、さらに尋ねた。
「なるほどね。と言うことは、副効果で体のほうにも影響があるんじゃない?」
「そうです。あと、私はアレンジを加えて、少し痺れ魔法を入れています。なので、回復中は感覚が一時的になくなりますし、リシアさんの言うとおり、疲労回復にも効果があります」
リシアが顔を輝かせながら、僕の方を見る。
「噂には聞いていたけど、主流の回復魔法とは一線を画するものね」
ヨナも頷いて同意する。
「すごい魔法だ。ただ、確かに回復が遅いのは前線では致命的かもしれないな。たとえば、主流の回復魔法をベースに、それを底上げする形で、この魔法を使えば――」
僕が言いかけると、ルフィーナが待ちきれないように口を挟んだ。
「そうなんです! でも私、主流の回復魔法の知識が足りなくて……。それに魔法式が複雑になると詠唱に時間がかかるので、短縮が課題なんです」
彼女は一息つき、真剣な眼差しで続ける。
「だから、中等魔法修道院に行ってこの研究しようと思っていて――」
魔法の修練は修道者にのみ許されたもの。多くは故郷の司祭から学ぶが、さらに高みを望む者は修道院を目指す。
皇都ハギオポリスの高等修道院は女人禁制だが、比較的リベラルな立場である、ここアゴラシアの中等修道院は女性も受け入れ、しかも高等水準の学びが得られると噂されていた。
「なるほど。そう言うことでしたか。僕もそこを受験する予定なんです」
「そうなんですか!仲間ですね。嬉しいです」
ルフィーナはぱっと笑みを浮かべ、心底嬉しそうに頷いた。
「では、リシアさんも?」
「ううん。私は勉強嫌いだし、無理無理」
リシアは笑いながら手を振った。
こうして僕たちはすっかり打ち解け、3人でパーティを組むことになったのだった。
「そういえば、ルフィーナはどこに泊まっているんだ」
僕がなんとなく尋ねると、ルフィーナは少し不思議そうに指をさした。
「向こうのほう……ですけど」
「あっちって、宿屋の人が治安悪いって言ってたほうじゃない?」
リシアが口を挟む。
「大丈夫?うちに泊まったら?」
「えっ……」
ルフィーナと僕の声が重なる。
何を言い始めるのだ、男女が同じ屋根の下で寝るとは。そこまで思考が進んで、リシアも女性であることを思い出して、口をつぐむ。
そんな僕の困惑はよそに、リシアは続けた。
「たとえば、うちの宿にルフィーナが来て、ヨナがルフィーナの宿に行けばいいんじゃない?」
「えっ……」
今度は僕の声だけが響く。
「だって、こんな可愛い子を賭場の近くの宿に泊めるなんて」
リシアにそう言われれば、反論の言葉も喉の奥に沈んでしまう。
「まあ……気にせず、今夜はうちに泊まりなよ。僕がそっちに行くからさ」
少し戸惑うルフィーナに鍵を渡すと、彼女は了承して、自分の宿へ案内してくれた。
荷物をまとめたルフィーナがリシアと立ち去り、僕は一人で薄汚れた宿に残った。ベッドに倒れ込み、黄ばんだ天井のシミを見上げる。
僕を支えるとかなんとか言っていたのはなんだったのだ――。そう思いつつも、こんな宿屋にルフィーナを泊められないという思いがせめぎ合う。
そんな苛立ちを抱えながら、横になるといつのまにか眠っていたらしい。
階段を上がる足音で目が覚めた。
覚醒してしまい、すぐに寝付けなさそうなのに、少し苛つきながら、足音に耳を傾けると、僕の部屋の前で止まる。
「ここか」
「はい。可愛い娘でしたぜ」
「案内、ご苦労様」
「旦那、お代は少し負けますから、わっしにも味見を」
くぐもった男たちの声。補助魔法で耳を強化していたのが幸いだった。
鼓動が速まる。知っている数少ない攻撃魔法を必死に組み立てる。毛布を手に床へ降りた時、錆びた鍵が軋むような音を立て、扉の錠が外れる。
次の瞬間、蝶番がわずかに鳴り、闇の中から複数の影が滑り込んできた。
湿った靴底が床板を軋ませ、男たちが手にした短剣がランプの光を受けて鈍く光り、埃っぽい空気に金属の匂いが混じった。
「焔射。浮翔」
迷わず二つの魔法を重ね、持っていた毛布に火を放って投げつけた。
さながら、中級魔法の紅蓮弾に見えるだろう。
敵が怯んだ隙に窓を叩き割り、夜の街へ飛び出す。冷たい風が頬を切り、怒号と靴音が背後から聞こえた。