第三の都市アゴラシア
神聖ディカリオン帝国、第三の都市アゴラシア――。東方諸国と皇都ハギオポリスに続く中央街道とを繋ぐ、交易の街。
その巨大な交易都市の喧騒と眩さに、思わず目を奪われ、見回しながら歩いていると、リシアにからかわれる。
「ヨナ、田舎から出てきたおのぼりさんみたいだよ」
「おのぼりさんって……」
ちょっと年齢差が口から出てますよ、といじり返したいのを抑えつつ、視線を市場へ戻す。
生まれ育った東方の町アルヒも、辺境とはいえ、それなりに国際色あふれる町ではあった。だが、この規模は別格だ。瑞々しい果物、鼻をつく香辛料、鮮やかな絨毯。世界のあらゆる品がここに集まっている。
「まず、宿場を見つけて、その後で仕事をどうするか考えないと」
リシアが溜息混じりに言う。
「別に無理についてこなくても良かったんだよ」
疲れているからか、少しとげのある言葉を返すと、彼女は冷たく言った。
「生活費と学費はどうするつもりだったのよ」
「入試で優を取れば学費は免除だし……それに」
リシアの追求を避けようとすると、リシアはピシャリと遮る。
「まだわからないでしょ。いいのよ。私は好きでついてきたんだし。生活費くらい稼げるわよ」
これ以上、リシアのお節介とやり合うと碌なことがない。僕は口をつぐんで、宿場がありそうな方向へと足を向けた。
大路から一本外れると、酒場からも離れ、喧騒は和らぎ、子どもたちが遊ぶ穏やかな宿場に出る。その一軒に目をつけ、中へ入った。
受付には少し眠そうな目をこすっている女将がいた。
「一泊1デナリスだよ」
「1デナリスですか……」
思わず口が開く。
アルヒなら同じ宿で銅貨五枚ほど。それがここでは倍の、1デナリス銀貨だ。
「そうだよ。この辺は高いよ。とはいえ、女性と一緒じゃあねぇ。通りを挟んで、向こうの奥の方はダメだよ。賭場があるんだ。ろくな奴がいないよ」
久々の来客に嬉しくなったのか、女将の口が弾む。
リシアを見ると、任せるという顔をしていたので、忠告に従ってひとまず、この宿にすることにした。
階段を三つ上がり、一室の扉を開けると、小さなダブルベッドが置かれた、こぢんまりとしたが清潔な部屋だった。窓から差し込む陽の光が柔らかく、心地よい。
何も考えずにベッドへ身を沈めると、すぐにリシアの声が飛んでくる。
「ちょっと、ベッドが汚れるでしょ。私も寝るんだから」
いつもより少し尖った声音に、僕もつい意地を張った。
「疲れてるからって八つ当たりはやめてよ」
案の定、リシアは不貞腐れてそっぽを向いたまま言い返す。
「稼ぐのは私なんだから」
「いやいや、僕だって働くさ。奨学金もあるんだし」
「宿代も思った以上にかかるでしょ」
その言葉で、ようやくこの問題の原因に気づいた。
僕一人なら、貯金や奨学金に勤労生としての仕事を加えれば、生活も学費も問題ない。だが、リシアがいれば生活費は二倍に増える。寮にも入れず、高額な宿に泊まり続けざるを得ない。――彼女もそれを理解しているのだろう。
僕は小さく笑い、背を向けたままのリシアに声をかける。
「大丈夫だって。奨学金は必ず取るし、生活費だって、ほら、冒険者になったっていいんだしさ」
「でも――」
反論しようとするリシアの声を遮る。
「大変でも、リシアがいたほうが嬉しいんだから、これでいいの」
そっと近づくと、リシアは体を預けてきた。少し甘えた表情を見せ、なぜか嬉しそうに告げた。
「じゃあ、節約のために二人で一部屋にするんだから、ヨナはそこのソファーで寝てね」
こうして、ベッドの占有権をめぐる戦いが幕を開けた。
夕方、僕たちはため息をつきながら掲示板を眺めていた。
依頼の紙が雑然と貼られ、隙間を埋めるようにパーティー求人の張り紙が並んでいる。
戦いに敗れた僕と勝利の笑みをうかべたリシアは、冒険者の登録をするために組合へと向かい、晴れて、銅翼冒険者からのスタートとなったのである。
僕とリシアはいずれも魔法職。
正確に言えば、支援魔法や生活魔法を得意とし、攻撃魔法は不得手だ。辺境の教会で担ってきた役目に、攻撃の出番など一度もなかった。さらに僕に至っては、回復魔法まで不得手だった。
だが冒険者パーティーが求めるのは、圧倒的に回復魔法使い《ヒーラー》もしくは、攻撃魔法を巧みに操れる魔法使いだ。支援魔法はどうしても後回しになる。
依頼を受けるには、パーティの最低人数は3人――。
支援魔法使いを二人も抱えたい物好きなパーティなど、まずいない。
とはいえ、荒っぽい連中の多い界隈でリシアと別れるのは不安だった。リシアの表情にも、その不安がはっきり浮かんでいる。
こうして僕たちは最初の一歩からつまずき、掲示板の前で頭を抱えるしかなかった。
「あの……」
険しい顔の僕たちに、フードを深く被った小柄な女性が話しかけてきた。
「はい……どうしましたか?」
リシアが、いつもより柔らかな声音で応じる。
「もしかしてお二人ともまだパーティーメンバーが決まっていないのでしょうか」
「そうですが……」
僕も割って入りながら、相手をさっと見回した。
小柄で華奢な体つき、フードを被っているのは、修道の身だからだろうか――。
「実は、私もで……。よければ、一緒にお仕事しませんか――。あっ。私はルフィーナと言います」
可愛らしいルフィーナの声からは、柔らかさと誠実さが伝わってきた。少し芽生えた心の揺れを抑えつつ、僕は言葉を返す。
「――いいですよ。僕はヨナ、こちらはリシア。ここでは落ち着かないですし、何か食べながら話しましょう」
そう告げると、ルフィーナの表情がぱっと明るくなった。
けれどその笑みの奥に、ほんのわずかに影が差しているように見えるのが、気になった。