ヨナの秘密
「ねえ、ヨナ、これどうにかならないの」
リシアが頬杖を突きながら、不服そうに空に視線を投げる。
「そう言われてもねぇ」
声の端に苛立ちが混じったのを自分でも感じる。
僕の力は、どうやら魔法とは別の体系に属しているらしい。
魔法は論理だ。前世で例えるなら外国語の習得に近い。術式を紡ぎ、構築し、整理して初めて成立する精緻な体系。
だが力は違う。理屈ではなく、もっと根源的で、魂に刻まれた本能のように働く。
もうすでに16年も付き合っているけれども、どのようにこの力が行使されているかなんて考えたこともなかった。新しい力を得たところで、どう扱えばいいのかすら分からない。
「いっそずぶ濡れを覚悟で進むしかないかなぁ」
僕は、落胆混じりに呟いた。
ここはアルヒから数百キロ離れた街。
僕とリシアは、またもや大雨に見舞われて立ち往生していた。
机の上にあるコップの中の水を睨みながら、僕はため息をついた。
――あの災害以来、何回か試しても、僕の力はわずかに波紋を広げさせるに留まった。魔法とは違う原理で動いているからなのか、どうにもうまくいかない。
それにまだ解決していない問題もある。
あの天使は「ひとつだけ」と言った。それなのに、ふたつめの力があるというのは、どういうことだろう。
転生をする前の、あの空間の狭間で「ひとつだけ」と言われた願いが、もし複数叶えられてるとすれば――。
そこまで思考が追いついた時、ぱっとひとつの光が目の前を横切った。
目を挙げると、あの天使が穏やかな笑みを浮かべて立っている。この時を待っていたかのように――。
「教えられることだけでいい。教えてほしい――」
複数のスキルがあるという事実。可能性は3つ。天使が嘘をついたか、特別に複数与えられたか、もしくは何度も転生しているのか。
天使が嘘をつくとは思えない。ならば――。
天使の澄んだ瞳を見ながら、僕は言葉を重ねる。
「僕は何回か転生しているんだろう」
天使は微笑みながら、愛おしそうに僕を見ながら答えてくれた。
「はい。これで7回目になります」
「7回……目」
思わず口にした言葉は、雨音に溶けて消えた。
「今回の願いで発現した<忘却拒絶>の影響で、忘却されていた力の一部が表に現れたのです」
天使の声は静かで、どこか鐘の音のように胸を震わせる。
「なぜ、あの時に伝えてくれなかったんだ」
噛みつく僕に、天使は変わらぬ穏やかさで応じる。
「6回目の転生時の願いから、発現した力の影響で、それまでの記憶と力を忘却されていました。ただ、6回目の人生の時に、転生という概念に触れていたために、死の直前に最初の力が覚醒したのです」
「それは……」
続けようとした言葉を、天使が遮る。
「それらの力がなんであるかは、まだお伝えできません。そのほかの力もいずれ時がくれば思い出せますよ。主は契約を忘れてはおりません」
そう言ってどこかに行こうとする、天使を見て、慌てて僕は袖を掴む。
「待って!まだ聞きたいことが――」
天使が振り返る。その眼差しに射抜かれ、思考が渦巻く。ようやく言葉を絞り出す。
「あの……僕は、本当は何年生きている」
「一千年になります」
するりと衣が抜け落ち、天使は光に溶けて消えた。
気づけば、リシアが目の前にいた。心配そうに覗き込む。
「大丈夫?ヨナ……」
そう言って、そっと僕の額に手を当てる。温かみのある柔らかい手。
身を預けたい気持ちになって、目を閉じると――。突然、ペチンと音がした。
目を開けると、イタズラっぽい顔をしているリシアがいる。僕の頬を軽く叩いたのだ。
「熱はなさそうね」
はにかんだ笑みを浮かべた小憎たらしいリシアを前に、少し僕はいじけて見せる。
「……なんだよ」
少し拗ねてみせるが、僕は彼女にだけは隠さない。転生のこと、前世のこと、天使のこと、すべてを話してきた。
「今、天使にあったんだ」
リシアの瞳が大きく見開かれる。
「それで?」
「もしかしたら、力の行使の仕方がわかったかもしれない」
リシアが息を飲む。
天使が言った。
――死の直前、転生の概念に触れていたことで力が発現したと。
つまりは、前の世界で触れていたアニメやら小説やらの世界観が好むと好まざると自身に影響を与えていたということだ。
死ぬ前に、それを願ったか、想像して、きっと力が発現したのだろう。
とすれば、強い願いや想像、いや、それを超えて信じる力――その事象に対する信仰が力の源なのかもしれない。
「ちょっと試してみる――」
そういうが早いか、僕は宿場を飛び出した、
冷たい雨が全身を包み込む。肌を打つ衝撃、濡れた髪の重み、土の匂い。五感すべてが雨に支配される。
――雨よ!止まれ。
心でそんなふうに念じたけど、変化はない。
一息長く吐くと、覚悟を決める。
昔からいうではないか、雨を祈るなら、鍬を持って土を耕せと。
なら――。
「雨よ!止まれ!」
思った以上の声が出て、自分でも驚く。
周りが音ひとつなくなったようで、しんとする。
「ヨナ……」
リシアの声が後ろから聞こえた。
暖かさに包まれ、光で目が眩む。一筋の光線が僕を包んで、さながら空が僕を受け入れてくれたようだ。
「リシア!」
嬉しくなって、後ろを向いた瞬間――。
さらなる豪雨が僕を襲ってきた。
結局、ずぶ濡れのまま次の宿場へ。
笑うしかなく、周囲に聞かれた恥ずかしさと困惑と苛立ちを引きずりながら、僕とリシアは歩いたのだった。