5話
肺炎と思われる女の治療はククリが思うよりも時間がかかっていたらしく、既に皆が働き始める位の時間になっていた。
帰路に着く彼がチラホラと見掛けたのは畑仕事に精を出す若い衆、道端で騒ぐ子供達、水汲みに外出する女性であり。
主要となる大人達の姿が何処にも無い、不思議な景色にククリは首を傾げる。
「集会ってそんな大勢でやる事なのか? トマト農家のおっちゃんすら呼ばれてるとか、相当だな…」
集会の詳細は分からない。
ただ、村長の娘さんが"魔女様"という単語を口にしていた事が気掛かりだった。
ククリが知っている魔女様──魔女ルクレツィアの関わる伝承はろくでもないものが多かった。
その代表的なものが生贄だ。
ククリのような"身体の病気"を治療する医者がいなかった時代、流行病に苦しめられたこの村の民は魔女ルクレツィアに生贄を捧げる事でそれらを解決したという。その祭壇は実際に残っており、大森林の奥深くにある少し開けた場所にて、祭りや成人の儀などの文化的な利用がされる事が今でもあった。
もう一つ欠かせないのが"精神の病気"の概念だ。
この村には元々、"精神の病気"に当る感情が存在せず、平穏で幸せな村だったという。
然し、とある一人の青年が魔女ルクレツィアへの信仰を放棄、生贄となる筈だった娘を攫って、村から逃げ出したことでそれが一変した。
青年の行為は魔女ルクレツィアの怒りに触れたのだ。
村民は辛い、苦しい、悲しい、寂しい、怖い… という感情の種を植え付けられた。
それらは魔女ルクレツィアへの激しい依存や畏怖の念を育て、二度と過ちが起きないようにと更なる信仰を強いられる流れとなる。
"精神の病気"とはそれ即ちが"魔女の怒り"であり。
抱くだけでも不敬を表す悪い感情…
正さねば、治さねばならない精神…
詰まる所は"病気"であるとして、この村では過剰な反応を見せる事が多かった。
「…ほんと、あんな魔女の何処がいいんだか」
ククリがこれらの伝承を聞いたのは多くの村人とは異なり、物心が付いて暫く経った後、八歳に上る頃の事である。
ククリは元々、この村の人間ではなかった。
ルクレツィア村から少し離れた所にある小さな街で細々とパン屋を営んでいた母の連れ子であり。
悲惨な事故から若くして未亡人となった母が、薬師として街に仕事へ来ていた父と結ばれた事で移住してきただけの部外者だった。
新しい環境への疎外感、突如として現れた父への反発心、捻くれた子供が後付けで教わった伝承なんて信じる筈がなかった。
今でもその不信感は続いており…
「なんか、嫌な予感がするんだよな」
魔女様が関わった集会が開かれているという、不穏な事実を反芻し、ククリは「ちょっと急ぐか」と呟いてはその歩を走にして。
それから早々と家路に着いたククリが見たのは、慌てた様子で焦げた黒い何かの隠蔽工作を図っているライラの姿だった。
「こ、これは違うの…!! えっと、あの、失敗したんじゃなくて… その、その…」
誤魔化そうと必死な彼女を見て、ククリはホッと微笑んでは肩の力を抜いた。
「まぁ… いつも通りでよかったよ」
事情を知らないライラは顔を赤くする。
「えぇ!? そんなに失敗してないもん! 林檎タルトが難しいだけだもん! 」
「確かに最近は減ってるけど、昔は失敗ばかりだっただろ? なんだか今回は苦戦してるみたいで、懐かしさすら感じるな…」
ククリは遠くを見詰めながら、焦げた黒い物質へ手を伸ばし、それをヒョイと口へ放った。
「はは、この味も懐かしいな… と言いたい所だが、昨日の晩に食ったな」
「うぅ… ボクはお兄ちゃんに美味しいものを食べて欲しいんだよお! 失敗作でほんわかしないでよお! 」
不満そうにライラはむくれていた。
「ライラが作ってくれたものならなんだって美味しいさ。まぁ、本番当日には成功したものが食べたくはあるけどな」
「ボク、頑張るから! 今日の夜もよろしくね、お兄ちゃん!! 」
「別に今からそんな意気込まなくても良いからな…?
去年は早い段階で成功して、誕生日含めて一週間も同じお菓子食べ続ける事になったんだし」
「好きな美味しいは毎日でも美味しいもん! 」
「いや、まぁ… いいんだけどさ」
「うん! 」
「… 分かってねーな此奴」
この日、ライラの元には患者が一人も訪ねて来なかった。奇跡のような時間を彼女はお菓子作りに費やして、沢山の失敗作を量産する。
それは夕方になり、予期せぬ訪問者が訪れるまで只管に続いた…