13話
「お兄… ちゃん? なんでこんな所に…?」
夢か、幻覚か、ライラには判断が出来なかった。
「決まってんだろ、助けに来た! 」
傷だらけで、襤褸々で、すごく必死なお兄ちゃんが大きく叫ぶ。
凄く、凄く、暖かくて。
凄く、凄く、甘くて。
凄く、凄く、美味しい感情。
──あぁ、これ、現実だ…
「ボク、手紙書いたのに… あっちで待ってるって、そう書いたのに…」
「ふざけんな! 何があっちで結婚しようだ!! こっちでは結婚してもいいよだ!! 俺にそんな相手はいねぇし、俺はお前の花嫁姿を見るまで結婚する気もねぇ!!」
「…プロポーズ?」
「ばっ…!! 違ぇ、ライラが本当に好きな人を見つけるまで見守っててやるって話だ!!」
「… ボク、お兄ちゃんしか好きになれないよ?」
「…大人になっても俺の事が好きだってんなら、結婚してやる!! 何でもやってやる!! だからこっちに来い、この手を掴め!!」
──えへへ… 嬉しいなあ。
──でもね。駄目なんだよお兄ちゃん。
ライラはゆっくり首を横に振る。
「これで皆、"精神の病気"に掛からなくなるんだ」
辛いのも、苦しいのも、悲しいのも、寂しいのも、怖いのも…
「ボクはもう、お腹いっぱいで食べられないから」
──皆が平穏と幸せな方がいい。
──お腹いっぱいなボクじゃ、ダメだから。
これでいいのだ… と、ライラは精一杯に微笑んだ。
ククリはそんな彼女に向けてめいっぱい手を伸ばし、心の限りを叫ぶ。
「んなもんいっぱい食べた後でも、デザートは別腹なんだろ!!? 嬉しいのも、楽しいのも、面白いのも、たらふく食わせてやる!! 胃もたれしたって、幸せ噛み締めるまで食わせてやる!!
…だから!!」
「あはは、お兄ちゃんは優しいね…
そんなに甘い物食べたら、皆に怒られちゃうよ…
「好きな美味しいは毎日でもいいんだろ? 甘いの好きじゃねぇか、頼むから、頼むから…!! 」
「えへへ… よく覚えてるねえ」
──でも、ごめんね…
ライラは彼の"辛い"と"苦しい"を食べた。
「やめろ!! 俺はお前がいないと…!!」
ライラは彼の"寂しい"を食べた。
「あぁ、くそ、こんなの…っ」
ライラは彼の"悲しい"を食べた。
「ぁ… ああ… あああああ!! 」
ライラは彼の"怖い"を食べた。
「ボクはお兄ちゃんが甘いものを食べてくれた方がいいと思うんだ。
本当はね。ボクって食べるより、作る方が好きなんだよ? えへへ、知らなかったでしょ」
──知ってたさ。
──あんなに夢中になってたじゃないか。
──あぁ、駄目だ。
…もう、辛くない。
…もう、苦しくない。
…もう、悲しくない。
…もう、寂しくない。
…もう、怖くない。
空になったククリは手を引き、呆と穴を見詰める。
スッキリとした表情で、行く末を見詰める。
…
…
…
「まったく、世話が焼けるのう…
最初で最後、これっきりじゃからな!! 」
声が聞こえた気がした。
時が進んだ。闇が灯った。
辛い、苦しい、悲しい、寂しい、怖い…
でも、今は、それが愛おしかった。
「っ… 俺はお前を諦めねぇ!!!!!!」
ククリは穴に飛び込んだ。
闇の底へと深く、深くまで潜る。
手を伸ばすだけじゃ、あの馬鹿は救えない。
抱き締めて、離さないで、無理矢理にでも連れ帰る。
「ライラァァァアアアア!!!!!! 」
闇に溶け行く翠色を見つけた。
微睡んで鈍くなったそれを捕まえて。
「何で…? ボクが食べられたら皆が幸せになれるんだよ… お兄ちゃんも、平穏で幸せに… 駄目だよ… こんなとこ、お兄ちゃんが来ちゃ…」
「お前がいなくちゃ、平穏で幸せになんてなれる訳がねぇだろ!! 」
「だって… お兄ちゃんも… 美味しくないもので溢れてて…」
「お前の失敗作をどんだけ食ったと思ってんだ!! 不味い料理もお前となら全部、全部、愛おしい!!」
「… なにそれ」
そんな事、ライラは思ったことがなかった。
皆の為に、誰かの為に、お兄ちゃんの為だと思って、不味くたって我慢した。
愛おしいだなんて… そんなの… 一度も…
「幼いお前が総て悟った気になってんじゃねぇ! 人より感情を食ってるからって、知った気になってんじゃねぇ! 少なくとも俺はお前より、お前の事をよく知ってる!! もっと自分の事を見ろ、もっと自分の為を考えろ!! 子供は子供らしく誰かを頼れ!! 黙って大人しく、俺に救われていろ!! 」
ライラの内から止めどなく。
何かが溢れて止まらない。
「うぅ… ぐ…ぅ 」
眼の端から大粒の雫が零れる。
ボロボロと、ボロボロと。
「ボクも、幸せになって、良いのかなぁ…」
「良いに決まってる!!」
「お兄ちゃん…」
ライラの震える腕が、背に回されてぎゅっと強く。
「…ボクを助けて!!」
ククリは言葉を深く噛み締めて、ニヒルに笑う。
「当たり前だ!! 」
深い闇を掻き分けて、我武者羅に上へ。
先が見えなく、果てしなくても、今のククリに敵はいなかった。
軅…
「はぁ… はぁ… はぁ… 」
気付くとそこは見知らぬ丘の上だった。
祭壇なんて無い、何も無いのどかな場所。
ククリは地に背を向けて、仰向けに。
見上げる星の瞬きが綺麗だった。
腕の中には緑色の娘が小さく、大人しく。
「お兄ちゃん… これからどうするの…? 」
不安に塗れ、震えた声音。
ククリはその頭を優しく撫でながら。
「はは、決まってんだろ」
彼女を照らすよう、眩しい微笑みで。
「今度こそ、美味しい林檎タルトを二人で作ろう」
──────fin──────