第13話 脱出
「おーい…お~~~い! 聞こえていますか?」
余程想定外の事態が発生したのか、呆然とした表情を浮かべて固まってしまった少女(冒険者という職業なのだとは教えてもらったが、肝心の名前などは教えてもらっていない)はこちらの呼びかけに一切反応を示さなくなってしまった。
(さて。彼女が正気に戻るまで僕は僕なりに自身についてもう少し記憶を探ってみるとしますか)
既に彼女がショックのあまり固まって数分が過ぎていたので、いい加減手持ち無沙汰になって来た僕は改めて自身のことについて思考を向けてみることにした。
(……そもそも、僕のこの姿は本当に僕自身の肉体で間違いないのでしょうか?)
そんなことを頭に思い浮かべながら視線を下に向け、自身の短い手足や白黒の体毛に覆われた丸っこい肉体を眺める。
(僕の認識では当然僕も人間であるはずなのですが、どう見てもこれは何らかの動物、というかぬいぐるみとか着ぐるみといった感じの体だとしか認識できないんですよね。……そうなると、同じ人間だと認識できた彼女と僕の姿があまりにも違う理由は『僕が異世界から来た人間だから』、というより『僕の肉体が全く異なる物に変容している』、と考えた方が無難なのかも知れませんね)
そんなことを考えながら、僕は当たり前のように体に染みついた習慣で己の内側へと意識を向け、自身の体内を巡る気の流れを感じ取りながら今の自分の肉体でどれほどの戦闘行動が可能かを確認していく。
(……やはり、気の巡りが若干不安定な気がしますね。この姿でもそれなりの戦闘はできそうではありますが……如何せんあまりにも手足が短すぎるのでどうやっても不利な状況に陥ることには避けられないでしょうね。それに、気の流れとは別に彼女の方から僕の体に流れる不思議な力を感じますが……なんとなくこれが魔力で、この力で僕は彼女といわば一心同体のような状況になってしまっていることを感じ取れますね)
おそらくだが、この繋がりこそが彼女が現在進行形で放心状態に陥っている原因ではないかと察しながら、僕は力の流れに意識を集中しながら彼女との繋がりがどの程度のものであるかを推測してみる。
(…………この魔力の流れは、今の僕の肉体を保つために供給されている感じがするので彼女が命を落とせばそう長くは持たずに数日程度で僕も命を落とすことになる、といったところでしょうか? それに、僕と彼女を繋ぐ魔力の中継を担っている腕の装置から感じる力の淀みから察するに、僕が命を落とした場合に彼女の命まで失われるといったことはなさそうですが、あの淀みから排出される魔力が僕という排出先を失うことで彼女の肉体に逆流した場合、それなりに完治が難しいダメージを彼女に肉体に残す可能性は高そう、ですね)
あまり望ましくない判断結果に苦笑いを浮かべながらも、僕は何とかあの装置から感じる淀みをどうにかできないか、体内を巡る気の流れを操作しながら流れ込んでくる魔力の流れを利用して干渉を試みるものの、どうやら僕はこの魔力とは相性が悪いのか全く魔力の流れに干渉することができないことを悟って諦める。
(これは、現状ではどうしようありませんね。こうなるともう試せることは何もなさそうですが……)
そんなことを考えながら再度僕は自分の手足に視線を向け、ふと『クマのぬいぐるみ……テディベアのような体だな』なんて感想が浮かんだ直後、この『テディ』という響きにはなんとなく聞き覚えがある感じがしたかと思えば、やがて自分が以前『TD』というコードネームで呼ばれていたことを薄っすらと思い出す。
(TD……実際の名前が何なのかは未だはっきりとはしませんが、これが僕のことを現す識別コードの一つであったということは認識できます。…………ふむ。名前が無いのはいささか不便ではありますし、とりあえずはテディ、とでも名乗ることにしますか)
そして、いよいよ何もすることが無くなったかと思われた直後、不意に僕は周囲に嫌な力の流れが生まれていることに気付いて周囲に意識を向ける。
すると、どうやら彼女から僕に流れ込んできている力と同種、つまりは魔力の流れがいつの間にか周囲に生じており、その内のいくつかが不自然な淀みを造るのと同時に嫌な気が少しずつ高まりつつある状態であることを察知した。
「気を付けてください!」
咄嗟にそう声を発した直後、ようやく少女も周囲の状況を察したのかハッとした表情を浮かべた後に鋭い視線を周囲に巡らせる。
「ひとまず、この場から脱出しましょう。このままここにいては—―」
そう声を掛けながら彼女の方へ視線を向けた直後、不意に嫌な予感を感じた僕は反射的に体内の気を一気に放出し、地面を蹴ってこの小さな体からは想像もつかない速度で彼女との距離を詰める。
そして、咄嗟の事に反応できずに呆けた表情を浮かべる彼女の横を通り過ぎ、その背後に生じていた黒い靄から今まさに飛び出そうとしていた骸骨に右の拳を叩き込み、一気に練り上げた気を注入することでその姿を一瞬でチリに変えると危なげなく地面へと着地を決めた。
(ふむ。この感覚……どうやら僕は戦いの中に身を置いていた者である、という認識で良さそうですね)
そんな分析を行いながら、再度周囲に視線を巡らせ、現時点で近場に同じような怪異が出現する兆候は見られないことを確認しながら呆気にとられた表情を浮かべる少女に声を掛ける。
「さあ、ボーっとしている余裕なんてありませんよ! おそらく、気の流れから察するにあちらへ進めばそう遠くない位置に出口があるようです。なので、さっきのような怪異が再び生じる前にこんな場所からはさっさと脱出してしまいましょう!」
僕にそう声を掛けられた少女は、なぜか先程の絶望から打って変わって希望を見つけたように瞳を輝かせながら口を開きかけるが、ほんの一瞬考える仕草を見せて表情を引き締めると「では、私があなたを抱えて走った方が速そうですし、失礼します!」と声を上げると、こちらの返事を待つこともなく素早く僕を抱き上げるとそのまま今いる祭壇を飛び降り、迷いなく僕が指示した方角へと走り出した。
そして、何度か進路上に先程の怪異が出現する兆候を感じたことはあったものの、一切速度を落とすことなく迷いなく出口に向かって彼女が駆け抜けたことで再び戦闘になるようなこともなく、出口だと思われるエネルギーの渦が存在する空間まで辿り着き、彼女はそのまま一切迷いや躊躇いで足を止めることをせずにその渦に向かって飛び込んだのだった。