第11話 混乱
突然の事態にどう反応して良いか分からずに彼(落ち着いた雰囲気の声色から人間だったら間違いなく男性、それもそこそこ若い方だと判断できる)を持ち上げたまま固まっていると、やがて痺れを切らしたのか再度「ええと……すまないが一度下ろしてもらえると嬉しい、かな」と困ったような声色で語り掛けて来た。
そのため、混乱で正常な判断能力を失っていた私は「え? ああ、はい」と短く返事を返しながらとりあえず今まで彼が封じられていた呪符が鎮座していた祭壇へと彼を下ろした。
(えっ? ちょっと待って。……え? ええっ!? 確かに、長い年月を経て強力な力を身に付けた魔獣が人語を扱えるケースもある、って話は聞いたことあるけど……喋るリトルベアなんて聞いたことないよ?? もしかしてこれって、伝承で語られる神獣、って呼ばれる種族だったり!?)
基本的に人語を扱える魔獣というのは人間に近い見た目をしたものや長い年月を経て力を得ているために巨大な肉体を持っているかのどちらかであるため、今目の前にいるリトルベアのようなそのどちらにも属さない小型の魔獣で人語を扱える魔獣は存在しないとされている。
だが、この世界を創造した神と呼ばれる存在がこの世界にはいたのだと信じる人々が少なからず存在し、そういった人たちの間で語られる存在に天使や神獣と呼ばれるものが存在し、それらはその範疇に収まらない存在だとされているのだ。
この天使や神獣といった存在はどちらも上位世界に存在する神がこの世界に干渉するために創り出された存在だと言われており、度々人類の前に姿を現しては神から授かった知識を人類にもたらしたという伝説が各地に残っている。
しかし、そういった伝承こそ各地に残っているもののその存在を証明する物的証拠で有力な物は一切残っておらず、天使、もしくは神獣の遺品だと伝わっている遺骨やミイラは最新の技術によってほとんど突然変異や年月を経たことで強い力と高い知能を手に入れた魔獣や亜人である可能性が高いとの研究結果が報告されているのだ。
そのため、そういった存在は架空のもので実在しないのではないかといった認識の方が一般的なのだが、歴史の中には度々そういった常識では有り得ないような存在を肯定しなければ説明がつかないようなことも多く、そのため常識では有り得ない新種が発見された場合は真っ先に伝承で語られる神獣の正体なのではないかと疑われるのだ。
(でも、このリトルベアが神獣だとした場合いろいろと説明が付くんじゃないかな? 例えば、神獣として崇められた末にこの国を守る守護神としてここに封じられてた、とか、この珍しい体毛の色も神と呼ばれる上位存在によって一目で特別と分かるよう与えられたものだ、とか!)
いろいろな可能性が頭の中を駆け巡り、もしこの子が本当に神獣と呼ばれる存在の正体だとすれば私個人で飼うのは国が許してくれないかも、などと変な方向に思考がぶれながらも、私は彼の正体を手っ取り早く把握する方法、つまり彼へ直接質問をぶつけてみることにした。
「あ、あの! 聞いても良いですか?」
私の反応を探るようにじっとつぶらな瞳を向けたまま動きを止めていた彼にそう声を掛けると、「なんだい?」と優しい口調で返事を返してくれた。
「もしかしてあなたは、神獣なのですか?」
「神獣?」
「ええと……この世界を創り出したと言われる神の使い、といったお立場なのでしょうか?」
そう問いかける私に、彼は首を捻りながら少し困ったような声色で返事を返す。
「神? ……ううん、どうだろう。少なくとも僕はそんなすごい存在だったとは思えないんだけど……申し訳ない。どうやら僕は、君に会うまでの記憶どころか自分の名前さえ思い出せないようだ」
特に深刻な様子もなくサラッと伝えられた事実に思考が追い付かず、しばらくの沈黙を挟んだ後、思わず私は「え!? 記憶喪失!!?」と驚きの声を上げる。
「そうみたいだね。逆に聞いて申し訳ないんだけど、ここはどこで、なんで僕がこんな場所にいるのか心当たりがあったりはしないかい?」
想定外の問い掛けにどう答えて良いものか迷いつつも、ひとまず軽く自分が何者であるかを語った後にここがダンジョンの中であること、ダンジョンの入り口が最近見つかった人気のない洞窟に設置されていたこと、どうして私がこのダンジョンに入れたのかはよくわからないことなどを順を追って説明していった。
「ふむ……。ダンジョン…ギルド……」
「何か思い出せそうですか?」
「……すまないが、全く何も思い出せそうにないね」
困ったようにそう告げる彼に、私も思わず苦笑いを漏らしながら「そうですか」と返事を返す。
しかし、直後に彼が「そう言えば」と口を開いたことで思わず私は「何か思い出したんですか!?」と好奇心全開で身を乗り出していた。
「ダンジョンやギルド、それに魔力なんかの単語からマンガやゲーム、といった単語が自然と頭に浮かんで来たんだが、それらの単語がヒントになったりしないだろうか?」
「え? マンガ…ゲーム?」
予想外の単語に思わず私はさらに訳が分からなくなってしまう。
そもそも、マンガが一般的に広まり始めたのは約100年前、ゲームに関しては私が生まれる前だとは言っても30年ほどの歴史しかない。
だが、彼が封印されていたこのダンジョンは装飾などの特徴から間違いなく数千年前の太古に造られた場所であるのに加え、彼が封じられた呪符をスキャンした時に呪符が作成された年代が測定できなかったことから少なくとも『魔術師の絵札』が生み出された千年よりも昔に彼が呪符に封じられていたことは間違いないはずなのだ。
(つまり、このリトルベアは遥か昔に封じられた存在だけどなぜか近代の知識も持ってる、ってこと? そんなこと――)
混乱でぐちゃぐちゃになった思考を整理しようと一つずつ疑問点を上げ始めた直後、不意に私はある可能性に辿り着いて口を開いた。
「もしかして、あなたは異世界から来た転移者、もしくは転生者だったりするんじゃないですか?」
私達の世界に、過去に幾度か異世界から訪れた勇者や魔王の伝承が残っている。
というか、文明が今ほど発展した切っ掛けは異世界から伝えられた知識だとさえ言われているほどで、歴史学者の中には異世界からもたらされた技術が無ければ今ほどの魔動技術の発展もなく、今でも魔力が低い平民は原始的な生活を余儀なくされていたと断言する者がいるほどだ。
「異世界……。地球…日本……そんな言葉が浮かんできたが、何か心当たりは?」
「ええと……確か、百年ほど前に異世界からやって来て様々な技術発展に尽力したとされるマサヨシさん、って方がニッポンという世界からやって来たと伝わっていたはずです」
「なるほど。つまり僕はこことは異なる世界からやって来て、何らかの理由でここに封印されてた、ってことなんだね」
「そうだと思います。そもそも、私の知る限りであなたと似た姿をしているリトルベアであなたのような体毛を持つ種類はいませんし、当然ながらあなたのように喋れもしないのであなたが異世界から来たとすれば辻褄が合う気がします!」
ようやく見えて来た答えにそう声を弾ませると、彼も自分の正体に納得できたのか「それで僕は同じ人間なのに彼女の見た目とこんなにも違う姿をしているのか」と呟く。
正直、マサヨシ氏は死後に彼が転移していた国が彼からもたらされた多くの技術と共にその情報を公表しただけで詳しい容姿などは伝わっていないが、それだけの技術をもたらしただけでなくその国で起こっていた深刻な問題を解決した(どういった問題だったのかは公表されていないが)英雄であるということを考えれば、彼と同じ世界から来た人間で実はこんな可愛らしい姿だったのならばそれらの情報を隠した理由もなんとなく分かる気がする。
だがそこで、ふと一つの疑問が頭を過る。
そもそも、彼は私の姿を見て【人間】だと認識しているということは、彼にとっての人間の姿は私と同じものなのではないだろうか。
そして、彼の口ぶりから彼自身も自分を【人間】だと認識していることは間違いないわけで、そうなると今の彼の姿はやっぱりおかしいのではないだろうか。
しかし、度重なる疑問と次々に襲って来た想定外の事態に混乱を極めていた私の頭脳はこれ以上難しいことを考えるのを拒み、これ以上問題を長引かせる可能性がある不要な疑問を思考の片隅へと追いやってしまうのだった。