第10話 封印されしもの
その空間に辿り着いて真っ先に目に付いたのは部屋の中央に設置された巨大な祭壇だった。
(これ、間違いなく強大な力を持ったやつか珍しい種類の魔獣が封じられてるパターンだ)
その祭壇は周囲に4メートルを超える巨大な石柱が円形に等間隔で5本設置されており、そのちょうど真ん中に高さは1メートル程度ある円形の台座が大小2段分(大きい方は直径10メートル、小さい方でもその半分の5メートルはあると思う)設置され、さらにその上に豪華な装飾が施された台座が設置されていた。
そして、そこそこ離れた位置にいるうえに魔力での強化が切れている私では辛うじて認識できる程度ではあるが、一番上の台座には魔力光に包まれて浮かぶ呪符のような物が存在していることが確認できた。
(あの程度の封印であたりに一切魔力が漏れ出していないことから考えると封じられてる魔獣はそこまで力を持ったやつじゃなさそう? でも、祭壇や石柱の装飾から考えると討伐できずに封印された魔王とかじゃなくて何らかの儀式で生贄にされたやつか、神獣として崇められてた存在って可能性が高そうだけど……その場合ってある程度魔力を持った存在が封じらてるはずだからここまで魔力の残滓が感じられないってのは違和感があるんだよね)
不可解な状況に首を傾げつつも、私はもっとよく調べるために迷うことなく祭壇の頂上に浮かぶ呪符に近づくべく足を進める。
ちなみに、なぜ私がこの状況を見ただけで封じられているのが魔獣だと判断したのかの理由については、呪符によって封じられる存在などその程度しか該当しないからである。
そもそも魔剣などの強力な武具や本体を呪符に封じるのが不可能な精霊(この場合は悪霊と呼んだ方が正しいのだが)であれば呪符に封じられたりせずにそのままの形で結界などに封じられているはずなのでの真っ先に候補から除外される。
そして、幻霊はそもそも過去に存在した英雄の魂を術者の魔力と紐づけた呪符を媒体に映した影である以上、術者が命を落とせば幻霊の触媒になっていた呪符はただの紙切れになってしまうのでこうやって残しておく意味がないので論外だし、昔の魔術を呪符に封じて残しておく技術は今よりももっと制限がきつくて使い物にならなかった上にある程度の期間で使い物にならなくなる消耗品であったのでこうやって残っているわけがないのだ。
そのため、こうやって呪符という形でわざわざ封じられているのは魔獣以外に選択肢がないのである。
そして、そういった存在は魔装にその呪符を読み込ませることで現在の【使役符】に封印を移し替えることができ、その後は使役魔獣として儀式で扱うことが可能となるのだ。
だが、魔獣と一口に言っても実はその種類はかなり多岐にわたるのでどういった存在が封じられているのかによっては迂闊な行動で未曾有の災厄を招いてしまう危険性があることも理解している必要がある。
そもそも魔獣の定義とはどういったものであるかを説明すると、ざっくりと言って人間以外の魔力と意思を持った存在(動物に限らず植物や意思を持った魔道具なども含まれる)は基本的に全て魔獣と定義されている。
そのため、厳密に言えば亜人と呼ばれる人間以上の身体能力を有した存在も魔獣に属することになるのだが、基本的には一定の知能を有して対話が可能な存在であれば【使役符】での捕獲が不可能となることから、捕獲の可否によって亜人なのか魔獣なのかがざっくりと区別されているといったかなり曖昧な部分もあったりする。
しかし、遥か昔の時代にはそもそも【使役符】が存在しないのでそういった線引きが存在せず、現在の基準では亜人に分類される【使役符】での捕獲が不可能な存在が今は失われた強力な封印術によって封じられている場合があるため、そういった存在が封じられた呪符を碌に確認せずにコンバート作業を行えば当然ながら【使役符】に封じることができずに封印を傷つけ、最悪過去の人々が討伐不可能と判断して封じることしかできなかった脅威を現代に目覚めさせる結果に終わってしまうのだ。
(でも、強大な魔力を持った魔王と呼ばれる存在が封じられている場合は、封印が解けないように魔王の魔力をダンジョン内に循環させて魔獣を生み出すことで力を削ぐ構造になっているはずだから、ここみたいに全然魔獣が出てこないダンジョンにそう言った危険な存在が封じられている可能性はほぼ無しと思っていいんだよね。その代わり、そういったダンジョンには今はもう絶滅しちゃった珍しい種類の魔獣とかが封じられているケースが多い、って聞いたことがあるし、これはもしかするとしばらくは活動資金に頭を悩ませる日々とはさよならできるかも!)
期待に胸を膨らませながら祭壇に設置された階段を登っていき、やがて浮いている呪符に手が届く位置まで辿り着いた私はその歩みを止める。
そしていったん深呼吸をして心を落ち着けた後、一応周囲に視線を巡らせて侵入者から呪符を守るための罠が仕掛けられていないかなどを確認し、問題なさそうだと判断を下したところで右手を伸ばして浮いていた呪符をそっと掴み取る。
(ええと……まずはコンバート機能を発動する前に、スキャン機能で【使役符】に移し替えが可能な存在が封じられているかを確認する、だったよね)
操作マニュアルで存在は知っていたものの今まで使うことのなかった機能について思い出しながら、私は「スキャン、開始!」と声にすることで魔装に装備されたスキャン機能で右手に掴んだ呪符を確認する。
(……使役可能な存在である確率は72%かぁ。なんか、ちょっと微妙な数字かも。 ……でも、推定コスト値が0ってことは魔力は全然持ってないヤツみたいだし魔力がほぼ尽きてる今の私でも使い捨ての呪符で何とか対応できる、かな?)
一瞬、儀式の発動に必要な魔力が回復するまでコンバート作業を待った方が良いかと考えたが、そうなるとここで最低4時間程度足止めを食らってしまうことを考えて私はゴクリと唾を飲み込んで覚悟を決める。
(大丈夫! なんでかは分かんないけど、なんとなく行ける気がする! こういう時の私の勘って外れたこと無いし、きっと今回もなんやかんやで上手くいく、はず!)
根拠ない自信で自分を鼓舞した後、私は思い切って魔装に設置されたコアに呪符とデッキケースから取り出した白紙の【使役符】を吸い込ませると短く「コンバート、開始!」と告げ、祈るようにじっと魔装に視線を向ける。
直後、魔装から今まで見たことない虹色の光がバチバチと飛び散り始め、私は何か手順を間違ったのではないか、もしくは私の見立てが甘かっただけでとんでもない存在が封じられていたのではないか、と不安で鼓動が早くなるのを感じる。
そして、かなりの時間(に感じるだけで本当は数十秒だったと思う)が過ぎたころ、ようやく光が収まると同時にコンバートの完了を告げるアナウンスが魔装から響き渡ったことで私はようやくホッと安堵の息を漏らした。
しかし、次の瞬間安堵の表情を浮かべていた私の表情は緊張で強張ることになる。
理由は、なぜか勝手に起動した魔装によって今さっきコンバートが成功したばかりの【使役符】から私の意思とは関係なく封じられていた魔獣が召喚され始めたからだ。
(まさか、私では制御不能なレベルの魔獣だった!? だったら、魔装を起動できない私じゃ対処は—―)
基本的に捕獲した魔獣は使役する術者の命令を聞くよう術により制御されているのだが、当然ながら術者の実力を超えた力を持つ魔獣を無理やり従えようとしても一定以上力の差があれば魔獣は術者の拘束を振り払って暴れ出したり術者を襲ってくる。
そのため、魔獣を従える【使役士】にはそれ相応の実力が求められるし、実力に見合わない強力な魔獣を従えているケースでも大抵の場合がある程度の知能を持った魔獣が術者を主と認めているからこそ共闘関係が成立している、といった事情があるので【使役士】は他のタイプに比べて上級者向けのタイプになっているのだ。
身構える私の目の前で魔装から放たれた光は一か所に収束し、やがてその光の中から1体の魔獣が姿を現す。
その魔獣の背丈は約30センチといったところだろうか。
大きな頭に丸っこい体、短い手足とその可愛らしい外見からは想像もつかいほどの怪力を有するその魔獣は、ペットとして飼っていた貴族がじゃれ付かれた拍子に怪我をする事件が年間数件は報告されることで有名な魔獣、リトルベアそのものであった。
だが、通常のリトルベアとは明らかに違う点が存在した。
それは体毛の色だ。
普通、リトルベアの体毛は明るい茶色か黒に近い茶色、それか濃い緑色といった模様が一般的なのだが目の前に出現したリトルベアの体毛はそれらのどの色とも違い、白と黒もツートンカラーをしていた。
「————キャーーーー! な、なにこのリトルベア! 可愛いーーー!」
思わずテンションが上がった私はそう声を上げながら戸惑う様に辺りをキョロキョロと見回すリトルベアを抱き上げるとそのふかふかボディに頬ずりをする。
(なにこれなにこれ!? こんな模様のリトルベアなんて見たことも聞いたこともない! はぁーーーカワイイ! 決めた! この子は絶対私が飼おう!)
そんなことを考えながらしばらくそのふかふかボディを堪能していると、不意に近くから「あの……お嬢さん? そろそろ放してくれると嬉しいんだが」と、聞いたことない男性の声が聞こえたことで慌てて顔を上げ、リトルベアを庇う様に強く抱きしめながら周囲に鋭い視線を巡らせる。
だが、どれだけ視線を巡らせたところでその空間に私以外の姿を確認することはできず、幻聴だったのだろうかと警戒を緩めようとしたところで再び同じ声が私のすぐ近く、具体的にはリトルベアを抱えている腕の辺りから響いてきた。
「その…キミみたいな美少女に抱きしめられるのは悪い気はしないのだけど、少し苦しいから力を緩めてくれると嬉しいかな」
そう言いながらこちらの顔を覗き込むように視線を上げるリトルベアと目が合い、ようやく私はその謎の声の正体がこのリトルベアから発せられたのだという現実に思い至る。
そして—―
「しゃ、喋ったぁ!??」
その有り得ない状況に私の思考はさらに混乱の渦に飲み込まれてしまったのだった。