CASE 01 九条恭而 SECT.7 蓮華
凶人を構えた主がオレに向かって微笑う。柔らかそうな銀色の髪を揺らしながら、細身の体を傾げながら。
「君はこの緋檻に在りながら、恐ろしく真っ直ぐな心を残しているのですね、紅蓮」
オレは焔を纏った蓮華の切っ先を突き付け、微笑う。
もしかするとこの瞬間、オレと主は、鷹爪と鷲牙のように全く同じ表情で微笑っているのかもしれなかった。
「これだけ汚れたオレを真っ直ぐだというのなら、向かう先がオマエだけだからだろう……我が主」
まだ打ち合ってもいないのに、凄まじい力のぶつかり合いで部屋の床が、壁が軋む。
凶人が啼く。血を欲して、殺戮を求めて。
蓮華がそれに呼応するように震えた。珍しい片刃の剣は、刀に似ているが刀身が真直ぐで長い。刀より力強く、剣より漸断に優れた長刀は、武器の技巧に優れた軍と一戦交えた時に手に入れたものだ。
戦場で殺戮の限りを尽くすオレの叫びに応えるように、持ち主だった敵の手を離れ、目の前に突き刺さったのだ。それ以来、数多くの戦場をくぐりぬけてきた。鷹爪と鷲牙を除けば、最も長い付き合いになる。
「それほどの想いを寄せていただくとは、光栄の限りです」
凶人の能力は即死――ほんの少しでもあの鋭利な刃に傷をつけられるようなことになれば、その時点で終焉。
一太刀もくらうわけにはいかない。
ぴぃんと張りつめた空気。
凶人の悲鳴の中で一歩踏み出すと、ジャリと足の下で硝子が躙られた。
「ああ、まるでオマエに恋でもしてるみたいだよ。四六時中、オマエの事ばかり考えていた」
腸が煮えくりかえるほどに。
オレの言葉で、主はくゆりと笑った。
「本当に君はいつも僕の喜ぶ事ばかりおっしゃいますね。初めて会った時から、ずっとそうです」
凶人の悲鳴が止んだ。
蓮華と交わるように差し出された凶人の刃。
「君は強い、君一人で敵軍を殲滅させられるほどに。戦場にもはや敵はいないでしょう。だから僕が終わりにします」
主は真っ赤な舌で凶人の柄をなぞった。
酷く妖艶な物腰で、澄みきった甘いテノールで、まるで女性を口説き落とす時のように淑やかなトーンで、裂けるように笑いながら。
憎き主は、囁いた。
「大好きですよ、紅蓮。一目見た時からずっと……今この瞬間を夢見ていました」
「オレは一目見た時からオマエが大嫌いだ」
そう返すと、主はくすくす笑った。
「僕は、どうも好きなモノを上手く扱えないようです」
主が何気なく一歩を踏み出した。黒い革靴の下で、ざり、と硝子が鳴る。
オレの間合いまであと半歩。
長い半歩。
主が戦うところをそれほど数多く見たわけではないが、その姿はくっきりと目に焼き付いている。
身の丈ほどもある凶人をひらひらと閃かせ、まるで舞踏会へ誘う紳士のようにふわりふわりと優雅に舞う。戦場である事を忘れさせるほどに無駄なく雅美な戦闘はいつも一方的な殺戮だった。
しかし、速さと技術を武器に戦うオレにとって、大きな獲物を持つ敵は格好の的でもある。
一触即発の空気が満ちる。
いつでも攻撃を仕掛けられるように、いつ攻撃が来ても受けられるように、全身の筋肉をスタンバイ状態に保つ。
額に汗が浮かび、雫となって下へ。
落ちる。
雫が弾けて音を立てて飛び散った。
全身で光を、音を感じている。
すべてが鋭敏になり、部屋の隅々までを感知している。
主の指がほんの少しでも動けば分かる。
主の仙がほんの少しでも動けば分かる。
このまま主の攻撃を待って、カウンターを……
待つ? 待つだって?
だめだ。
待ちきれない。
死ほどに待ちわびたこの状況、相手が仕掛けてくるのを待つことなどできない。
思うより先に、身体が動いていた。
蓮華の切っ先が凶人の柄を捕えた。
凄まじい衝撃が刀を握った両手を襲う。
優男の風体をしながら、その力は見た目どおりではない。
耳が痺れるほどの斬撃音。
ぶつかり合いの力を利用して身体を反転させ、懐に刀の柄を飛びこませた。
が、主もその動きを読んでいたらしく、柄の殴打が凶人を持つ手に届く直前、逆に突っ込んできてオレに体当たりを喰らわせる。
オレは衝撃で後ろに吹き飛び、部屋の壁に激突した。
もちろん、直撃の瞬間に仙を開放してダメージを最小限に抑えたが、壁の方はそうもいかない。派手な音をたてながら大量の破片が床に零れ落ちた。
「君は心だけでなく、その攻撃も真っ直ぐなんですね」
崩れ落ちた壁の中から間髪いれず飛び込んできたオレに、主はそう囁いた。
その言葉に、行動の端に、いちいち余裕が見え隠れしてさらにオレを苛立たせる。
実際、主はこの程度で揺らいだりはしないだろう。
まだだ。
にぃ、と笑いが漏れる。
主がオレを苛立たせれば苛立たせるほど、胸の内の澱みが膨れ上がっていく。
「楽しそうですね、紅蓮。君が楽しそうだと僕も嬉しいですよ」
主が普通の人間ならば視認できないであろう速度で大鎌を振りまわす。
その勢いで部屋の空気が渦を巻いた。
凄まじい豪風が割れた硝子を巻き上げて、さざめく竜巻を作り上げた。
鋭い破片が襲ってくる。
四方から襲ってくる破片が全身を切り裂いた。
刺すような痛みが全身を貫く。
ずたずたに引き裂かれた上着が、じわりと朱色に染まった。その中に着ていたシャツはすでに真紅に染まっていた。染み出てくる血がさらに広がっていく。
痛みなど、どうでもいい。
そんなモノに興味はない。
ゆらりと立ち上がり、蓮華を主に突きつける。蓮華の切っ先だけは、主から外してはいけない。
ぽたりと地面に血が滴り落ちる。
血だ。
自分の血など、久しぶりに見た。
やはり戦闘と言うのはこうでなくては――自らの命をかけなくては、殺戮に意味がない。
殺したい。どうしても殺したい。
あの喉を蓮華で引き裂いて、臓物を引きずり出して、手足を千切り取って、あの瞳を抉り取って、頭蓋を叩き割って。
めちゃくちゃにしたい。
まるで恋をしているかのようだ。
相手のすべてを手に入れて、すべてを破壊したい。
「ふふ……殺してやるよ、主サマ」
愛刀の切っ先に指を当てると、ぷつりと皮が裂けた。
つぅ、と刃に血が伝う。
蓮華に秘められていた仙を開放。
凄まじい焔の応酬に、主の銀髪が赤く染まった。
蓮華の凄まじい力に反応して凶人が啼いた。
もはや部屋は原型をとどめていない。壁はほぼ剥がれ落ち、天井は傾き、張ってあった窓硝子は――
その瞬間、凄まじい音と共に、僅かに残っていた硝子が粉々に砕け散った。
オレが派手に割って落ちてきた硝子をさらにはちゃめちゃに破壊しながら、金眼と銀眼の猛禽が降り立った。
「鷹爪、鷲牙……戦に呼ばなかった事を怒っているのですか? それとも、大好きな紅蓮と共に僕を殺しに来ましたか?」
猛禽の翼が膨れ上がる。部屋中に羽根が舞い散り、大気が震えあがった。
「違う。己の意志だ」
「違うのである。己の意志である」
戦場で見せる狂戦士の姿へと変化した二人は、膨れ上がった翼を一振りした。
再び部屋の中を豪風が吹き荒れた。
みしみしと建物が歪む。
「戦場が狭い」
「狭いのである」
「壊してしまえばいい」
「広くするのである」
大気が圧力を増し、壁や天井を押し続ける。あまりの強さに足元がみしりみしりと崩れていく。
「破壊する」
「破壊するのである」
にぃ、と一対の猛禽が笑う。
刹那、城の最上階が凄まじい音とともに完膚なきまでに崩れ去った。
崩れ去っていく瓦礫の中で、主の姿を捉えた。
オレはまだ、主から視線を外していなかった。
来る。
主の殺気を正面から受け止め、両の眼でしっかりと見据えた。
空中での一瞬、攻撃を仕掛けるには十分だ。
大鎌の刃を潜り抜け、懐を狙う。
崩れた城の欠片が全身を打つ。舞い上がる砂埃が視界を奪う。
殺気。
目ではなく殺気を肌で感じとり、オレは体を捻って刃をかわした。
空中では身動きがとりづらい。
翼を持つ鷹爪と鷲牙ならともかく、主も同じように自由には動けないはずだ。
刃を避け、凶人の柄を手に掴む。
その先には主がいるはずだ。
渾身の力で凶人を引き、それと交互にして蓮華の刃を突き出した。
確かに手ごたえがあった。
鈍い音、柔らかくはないが堅くもないモノを貫いた感触。
よく慣れた、イキモノを破壊した時の感触だ。
「……紅蓮」
蓮華の先が主の背から見えている。
オレは主の体を蹴るようにして蓮華を引き抜いた。
風の中に深紅の液体が飛び散る。
赤茶けた地面が迫っていた。
なんとか体勢を整えて地面に着地した。
少し遅れて、瓦礫が頭上から落ちてくる。
蓮華の切っ先を主から外してわざわざすべてを斬るのも面倒、仙を焔に変えてすべてを焼き尽くした。
蒸発しきらなかった石の溶融物がぼたりぼたりと地面に堕ちた。
真っ赤に焼けたソレは、赤茶けた地面に熱を吸い取られ、冷えて黒い塊となる。
重い音を立てて落ちてきた主は、胸元から血を吐きだしていた。
「主サマが傷をつけられた」
「紅蓮が主サマをに傷をつけたのである」
「今、殺すぞ」
「殺すのである」
最後に落ちてきた猛禽の爪が主に向かって振り下ろされる。
が、主は軽々とその一撃を凶人で弾き飛ばした。
空中で体勢を整え、さらに上空から狙う猛禽たち。
主は肩から血を流しながらもゆらりと立ち、その姿を視界に入れもせず、呟いた。
「鷹爪も鷲牙も、紅蓮の傍に在るのは疎ましい事ですね」
主は凶人を地面に突き刺し、血に染まった両手をそれぞれ、銀目と金眼の猛禽に向けた。
「消えなさい」
その言葉が終わるか終らないか。
見たこともないほどの仙が掌から迸り、二人を吹っ飛ばした。
鷹爪、鷲牙。
彼らは決して弱くはない。それどころか、凶人最厄の駒として緋檻中に名を馳せている対の有翼人だ。
それが、一瞬でふき飛ばされた。
「紅蓮」
次はオレの番だ。
向けられた掌と仙の動きから、感覚で攻撃を避ける。
一瞬前までオレが立っていた地面がぐわりと抉り取られた。
主が持つ仙が莫大な量であるからこそ出来る、反則的な技。これほどの仙を解放すれば、普通ならとうに力尽きているはずだ。
もともと仙は土地改編のために神から与えられた力だ。凶人の領土内においてその力は真価を発揮する。
蓮華をいったん納刀し、衝撃の合間を縫って、オレは間合いを詰めた。
抜刀。
爆発するようなエネルギーが主に向かって迸る。
主はそれを凶人で真っ向から受け止めた。
銀髪が近い。
裂けるように微笑った唇から、囁く声が漏れた。
「君が興味を持つモノはすべて排除したいくらいです」
主の台詞に総毛立った。
胸の奥に溜まった何かがぞろりと動く。
「もちろん、この刀も例外ではありません」
主は、躊躇なく蓮華の刀身を素手で掴んだ。
仙で強化しているとはいえ、逃さぬようしっかりと握ったその手からは、大量の血が流れ出した。
それでも主は蓮華を離さず、それどころか強くひいて自分のほうに近づけた。
「蓮華、でしたか? この刀――」
凶人を振り上げた主は、そのままふわりと動かした。
空間ごと断裂したかのような切れ味で、大鎌は鋭利にくるりと回転した。
重い衝撃の後、ふっと軽くなる感覚。
「……え?」
思わず間抜けな声が出た。
手にしていた蓮華が、目の前で真っ二つに折れた。




