CASE 03 伊折飛々樹 SECT.7 信頼
最近、戦の頻度が増している。
鋼皇の主であるコージの名が、緋檻全体に浸透してきたせいだ。
階序一柱、全刻鍵の頂点に君臨する『鋼皇』の主である以上、仕方がない。名声の為に鋼皇を落とそうと企む者。噂に聞く主を一目見ようと挑む者。鋼皇の豊穣な大地を狙う者……それでもコージは、すべての敵を沈めていった。
『鋼皇の斉天大聖』――伊折飛々樹
『鋼皇の玄奘』――時城雅心
『鋼皇の瞿曇』――高堂虎司
ボクは、知らないうちに有名人になっていた。
そして同じころ、鋼皇の軍と双璧をなす、最強の軍があった。
刻鍵『凶人』。
凶人の主である『戒離』が有するのは、最強の駒『紅蓮』、そして最厄の双駒『鷹爪』『鷲牙』。
いつか二つが衝突するのは分かっていた。
しかし、こんな形でこようとは思っていなかった。
その情報は、ある刻鍵へと出向いたガシンからもたらされた。
「凶人が墜ちた」
「は?!」
ボクは驚いて叫んだが、コージはただほんの少し目を細めただけだった。
ガシンは、静かに続けた。
「戒離が、死んだ」
「……そうか」
コージは立ち上がった。
「飛々樹、雅心、戦の準備をしろ。近々『紅蓮』から、戦の申し込みがあるだろう」
「?!」
紅蓮からの戦の申し込み。
それは、駒であった紅蓮が凶人の主『戒離』を倒し、刻鍵を奪ったことに他ならない。
「おい、コージ?!」
「戒離が落ちるとしたら、理由は他に考えられない。そして、もし俺が紅蓮ならば、真っ先に鋼皇を狙うだろうな」
主に殺意を持つ事が契約条件である凶人は、刻鍵を奪う事で世代を交代する事が最も多いという、極めて特異な性質を持つ。
そして、その特異性こそが階序三柱の凶人軍を最強たらしめていた。
その主が落ちる。特に戒離は、長く凶人の持ち主として名をはせていたのだ。
とてつもない事態だった。
「おそらくこれまでで最もキツい戦になるだろう。飛々樹は駒の選定を頼む。雅心、これまでの凶人の情報をもとに作戦を立てるから、手伝ってくれ」
「御意」
コージの『予言』は外れない。
ガシンが理論的に戦を先読みするのとは少し違い、コージの場合は一種のカンのようなものだ。状況でなく、相手を読むのだ。何の気なしに、さらりとこちらの心の内を見透かした言葉を吐く。さも当たり前の事のように。
だから今度もきっと、本当だ。
でも凶人との戦だなんて予想もつかなかった。
ボクが駒の選定? もちろんこれまでそんな事、したことない。作戦を立てるのはいつもコージとガシンで、連れていくのは志願した駒や調子のいい駒から二人が選び出していたから。
いったい、誰を選んだらいいんだ……?
「落ち着けよ、飛々樹」
コージの蒼い瞳がボクを真直ぐに見据えていた。
何もかもを見透かすように。
「お前はこれまでずいぶん凶人の噂を聞いてきたはずだ。そして、戦いを見たわけでないとはいえ、一度凶人の大地を踏んでいるはずだ。お前なら、凶人の駒がいったいどんな戦いをするか想像出来るはず……いや、お前にしか無理だ」
「なんっ、だって、これまで作戦は全部コージとガシンが」
「考えろ」
有無を言わさぬ言葉だった。あの時、ボクに向かって『来い』、と言った口調と同じ、主の言葉。
「駒の選定は個々の戦闘能力を完全に把握し、それぞれの土地を歩いてきたお前にしかできない。俺や雅心には無理な事だ。お前の仕事だ、飛々樹」
ぞわりと背筋を何かが駆けあがった。
まさか、こうなる事まで予測して、コージはボクを刻鍵の主のもとへと遣わしたのか?
「分かるか? 今回の戦は作戦だけ立ててそのまま動けば勝てたこれまでの戦とは違う。全精力を賭けて挑むんだ」
コージは、不敵な笑みを湛えていた。
だから、コージは絶対に間違わないんだ。
「敵は刻鍵を手にしたばかりの主だ、負ける要素がどこにある? 俺は負ける気などさらさらない」
主の命令に駒は従うのみ、なんてそんな、緋檻の絶対規則じゃない。
ボクの中にずっと眠っていた何かが目を覚ます感覚だった。
「何のためにお前を珀葵から連れてきたと思っているんだ、飛々樹。俺がお前をかっているのは戦闘能力じゃない、対峙した相手の能力を瞬時に見抜いて、かつ一瞬で対策を立てる事の出来るその判断力を信頼しているんだ」
きっぱりと言い切ったコージは真剣だった。
心臓が頭の中で鳴り響いていた。
そんな言葉をコージの口から聞くのは初めてだったから。
――あれが主の本気だとでも思っているのか?
先日のガシンの言葉がよみがえった。
もし本当にこれまでの戦でコージが本気じゃなくて、ボクの力なんてなくたって勝てると思っていて、ずっとボクの好きにさせていたとしたら。
ああもう、ボクは馬鹿だから言われないとわかんねーんだよ。
ガシンじゃなくて、オマエの口から聞きたかったんだよ。
「ボクに出来るのかよ……」
どうにもしようがなくなって、笑った。
人間、困って困ってどうにもならなくなると、笑うようにできているらしい。
「飛々樹、俺がいったい何年お前と一緒にいると思っているんだ?」
「知らねえよ、覚えてねぇ」
「18年と3カ月だ。覚えておけ」
思わず声を出して笑った。
コージは、絶対に間違わないから。
もしコージがボクにしか出来ないって言うなら、きっとそれは本当なんだ。
「これまで好きにさせてやったんだ、そろそろ本気で働け『斉天大聖』」
蒼い瞳は今もボクを真直ぐに見ていた。
「『いいぜ』」
困惑と疑惑と不安と期待と……一握りの安心。
コージがボクを必要としないなんて、どうして思ったんだろう。コージは、ボクに刻印を施して珀葵から連れてきたというのに。
ガシンがボクに意地悪をするなんて、どうして思ったんだろう。ガシンは、ボクよりコージの事をよく知っていたのに。
ボクはどうして、ここから逃げようなんて思ったんだろう? 蒼い視線がボクを貫いたあの瞬間に、ボクは選んで、契約したというのに――
「『どこまでもついていってやる』」