CASE 03 伊折飛々樹 SECT.4 貿易
城に到着するや否や、無表情でボクを待っていたガシンに連行され、そのままコージの部屋へと向かった。
完全に部屋を閉め切って、ボクとコージとガシンの3人だけが取り残される。
どうやら本気で重要な話らしい。
床に座り、まるで内緒話でもするように額を突き合わせるようにして寄った。
コージは楽しそうに、悪戯を企む子供のように笑う。
「さて、さっきから俺と雅心で話していたんだが……そろそろ他の刻鍵が有する土地と交流を持とうと思う」
一瞬、コージの言葉が理解できなかった。
刻鍵の主には、一定量の領地が与えられている。主は、与えられた土地を仙によって改変し、豊かにしていくのだ。その中で武器を作ったり、装飾に力を入れたり、仙を使った研究を主としている領地もあると聞く。
それぞれが特色を持ち、それぞれの文化を発達させている。
だが、戦以外で相手の領地から何かを奪う事は許されていないはずだ。
「他の領地と交流? そんな事したら世界の理に触れて死ぬんじゃねえの?」
「大丈夫だ。世界が赦していないのは戦以外でのモノの『強奪』。物々交換の概念までは禁止していないはずだ」
「本当か、ガシン?」
「……本当だ。先日、私自身が数万多の刻鍵を持つ隣国へと出向いて確かめてきた」
確かめてきた。
最初に『そろそろ』と言ったコージは本気だ。ボクの知らないうちに、コージとガシンはそれなりの計画を立て、秘密裏に行動してきたのだろう。
ボクの、知らないうちに。
「コージがいいならボクはいいけどさぁ」
「なら、話を進めよう」
コージは、指を鳴らした。
すると、目の前に茶褐色の球体が現れた。
仙で創った幻想なのだろう、薄く透けて向こう側のコージの顔が見えた。
「これが、緋檻だ」
「緋檻? これが?」
どう見ても球状の物体のどこに、ボクたちがいるというのだろう?
「もっと平らだろ? それから、世界の端が……」
「違うんだよ、飛々樹」
穏やかなコージの目がボクを見ていた。
「ここは緋檻だ。珀葵のように、神がすべてを与えてくれた世界じゃない。世界は平らじゃない。海の水が落ちていく場所もない。この大地の終わりも――ない」
「……え?」
首を傾げたボクに、コージは淡々と説明する。
「この地面は、丸いんだ。俺達は中心に向かって引っ張られる事で、この大地に立っている」
「は? 意味分かんないよ。引っ張られる? ボクのことを? どうやって? 糸でもついてんのか?」
「……飛々樹、お前はつくづく高校の授業を聞いていなかったんだな」
「うるさいなっ」
こういう時、コージと同じ高校へ行ったのを少しだけ後悔する。
「物理の授業で習っただろう? この世には『引力』というモノが存在する。それは、人間も、そこの樹も、柱も、地面さえ、互いに引き合う力を持っているという考え方だ。そこに働く力が『引力』」
「……」
渋い顔をしたボクを見て、コージは詳しい説明をあきらめたようだ。
「まあ、とにかく、平らだった珀葵と違って、緋檻は丸いんだ。ここに浮かべたのは、簡単な緋檻の勢力図だ」
目の前に浮かんだ球は、さまざまな色が混じり合って、マーブル模様になっていた。
「ここが鋼皇の領地だ」
ぶぅん、と音がして、球体の一角がぱっと赤く光った。
「こんなにも小さいのか?!」
「世界全体の広さからすればそんなものだ。そして、数の多い刻鍵『数万多』以外の領地を示したものだ」
さらに青い光が、階序十三柱の数万多と階序一柱の鋼皇以外の領地を指し示す。
「結構バラけてるな。数万多の領地が間を埋めてる感じなんだな」
「そうだ。どうやら、階序十二柱までの領地の場所は移動しない。数万多は数が多く、分裂を繰り返すから、うまく間を埋めるように領地をもつらしい」
「へえー……」
これまで自分がいる世界の事など考えた事もなかった。
足元の大地が丸いなど考えた事もなかったが、コージが言うからきっと本当なんだろう。
「んで? この勢力図を見ていったいどうしようっての?」
「だから、さっき言っただろう? 領地間で交流を持つんだ」
「……?」
どういう事だろう?
とりあえず、世界の形が分かって、どこにどんな領地があるか知った。ガシンが直接出向いて、敵意さえなければ境を越えられることも知った。
そこで、交流を持つ、とは?
「簡単に言うと、『貿易』だ」
「貿易? 貿易って、国と国が物々交換するアレ?」
「そうだ」
コージは真剣な眼差しで頷いた。
「緋檻では、仙の奪い合いも物資の交換も戦場でしか行われない。現実に、お前の持っているその棍も戦で手に入れたものだろう?」
コージは、ボクがいつも持ち歩いている朱色の棍を指して言った。
「ああ、そうだけど」
「だが、それはもったいないと思わないか? 階序四柱『碑我穿』には武器を作る技術がある。第二柱『奏獄』には医療技術がある。そして月髪の大地では鋼皇の大地でとれない宝石が採れる。それらは、すべて領地特有のものだ」
コージの青い瞳は不敵に輝いていた。
「お前も、『碑我穿』の武器が欲しいと思わないか? 武器を手に入れるためだけに『碑我穿』と戦をするより、直接出向いて譲ってくれと頼む方がいいと思わないか?」
「そりゃ、戦すると絶対に駒が死ぬし、碑我穿なんて強いところと戦わなくて済むならその方がいいけど」
「貿易ってのはそう言う事さ。戦以外で物流を作れば、どの土地も利益になるからね」
「それを、刻鍵の主のところへ頼みに行くのか?」
「ああ、そうだ。その仕事をお前に頼みたい。もし承諾してもらえば、詳しい交渉は雅心がやる」
戦以外でのモノのやり取りなんて考えた事もなかった。
欲しいものがあれば戦で勝って奪い取る。それが緋檻での常識だったから、それ以外の方法でモノを手に入れる事ができるなんて思ってもみなかった。
「やっぱりコージはすげぇな」
ボクじゃそんな発想は出てこない。
それに、敵意を持たないとはいえ、他の領地に侵入するなんて、怖くて出来やしないだろう。
でも、コージが言うのなら絶対に大丈夫だ。
「ボクは絶対思いつかないよ、そんなこと」
大きく目を開けてコージを見ると、コージはぐりぐりとボクの頭を撫でまわした。
「で? 行ってくれるか、飛々樹」
「ああ、行くよ。どこから行ったらいい?」
「そうだな……まずは刻鍵の階序順に行こうか。まずは……」
言いかけたコージは、そこで言葉を止めた。
部屋の片隅に立てかけてあった鋼皇が、ぶぅん、と鈍いうなりを上げた。
「この話はまた後にしよう」
コージは立ち上がって、腹の底に響くような低い唸りを上げ続けている鋼皇を手にした。
「階序五柱『月髪』から、戦の申し込みだ」
「階序五柱の月髪……? 久々の大物だな」
「戦の準備をする。雅心、すぐに通達を」
「御意」
「飛々樹、詳しい話は後でする。今は、月髪との戦闘準備に入れ。月髪は手ごわいぞ」
「わかった」
月髪と戦うのは初めてだった。
月髪が支配を基本とし、その軍勢は傀儡のように恐れを知らず死ぬまで戦い続けるという噂だけを聞いていた。
「どんな相手でもボクが蹴散らしてやるよ」
「気をつけろよ、月髪軍は死霊軍団とも呼ばれている。どれだけ体を傷つけられても、心臓が止まるまで戦い続けるらしい。お前はすぐに気を抜くからな、油断してやられないようにしろよ」
「分かってるよ」
ややこしく貿易の話を聞くより、ずっと分かりやすい。
ボクは戦闘なら誰よりコージの役に立てるから。
「さあ、行くぞ」
赤マントに王冠、鋼皇を手にしたコージは本物の王様のように堂々と告げた。
「戦だ」
――鬨の声が、あがる。