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戦神楽  作者: 早村友裕
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CASE 02 清玄寺沙羅 SECT.5 月髪



 部屋のソファに身を鎮めながら、ひどく不可思議な感情に包まれていた。

 嬉しい、悲しい、腹立たしい、楽しい……そのどれとも違う感情は、心の中で温かく、時に熱く沈み込んでは浮いて、とても落ち着かなかった。

 目の前を横切った翼を捕まえ、ヒナタをぎゅっと後ろから抱きかかえる。

「どうしたの? サラ」

「ヒナタは今、会いたい人がいるかしら?」

 金髪に頬をくすぐられながら問うと、ヒナタは蒼い瞳でまっすぐに見上げてきた。

「んー、ヒナタはカナイに会いたい。カナイはヒナタに優しかった。カナイの作ったケーキは美味しかった。だから、カナイに会いたい」

「……そう」

「サラはカナイに会いたくないのか?」

「分からないわ」

 カナイに会いたいか、と聞かれると、酷く難しい。

 会いたくないかと聞かれれば、そんな事はないと言えるのに。

「じゃあ、サラは他に会いたいヒトがいるんだな」

「……」

 答えられなかった。

 さっきの問いと違って、即答できるから。

 今すぐに彼に会いたいと、何を放り出しても声を聞きたいと分かっていたから。

「不思議なの、ヒナタ。誰かに会いたいなんて思ったこともなかったのに、会いたいの。他に何もいらないくらいに、会いたいの。声が聞きたくて仕方ないの」

 本当に不思議。

 こんなにも会いたい。

 声を聞きたい。

 今度こそはあの手をとりたい。

「ヒナタはカナイに教えてもらった。サラ、それはね、アイシテルって言うんだよ」

――アイシテル

 その言葉一つで、目の前がぱっと開けた気がした。

「カナイはサラをアイシテルって言った。だからずっと傍にいるんだって。月髪に絡められれば強くなれるって分かっても、弱いままでいいから自分のままで傍にいたいって」

――アイシテル

「サラは誰かをアイシテルんだな」

 ヒナタの言葉で、すべての感情が歓喜した。

 喜び、怒り、悲しみ。

 何もかもがいっぺんに押し寄せてきて、一瞬だけ、頭が真っ白になった。



 その時、突如、指に絡めていた月髪が、大きくうねった。

 どくん、と心臓がひとつ脈打った。

「月髪が……」

 何かが起きようとしている。今までになかった何かが起きようとしている。

 月髪のエネルギーで指先の皮が裂けた。

 ぱっと赤い粒が散り、銀の指輪を染めた。

「戒離」

 思わず口から零れた名に、心が躍る。

「あぁ……」

 思わず、心の底から感嘆の吐息が漏れた。

 月髪が何かを捕えた感覚がある。

 いつものように操るのではなく、少しずつ、生き物の動きを止めるように絡みついて締め付けていく感覚がある。

 月髪はいったい、何を絡め取ったの?

「戒離」

 会いたい。

 今すぐ会いたいわ、戒離。

 そう強く願ったからだろうか。

 いま、現実に見ている世界と重なって、戒離の姿が眼前にありありとうかんだ。

 ところが、彼の腕に、足に目に見えぬ糸が絡みついているのが分かる。

 月髪が捕えたのは、愛しい彼だった。

 少しずつ戒離の動きが精彩を欠いていく。

 月髪が啼いている。

 絡めった人間を少しずつ、苦しめながら締め付けていくように。

「なぜ? 戒離?」

 目の前にいたはずのヒナタの姿が遠ざかり、戒離の姿が鮮明になってきた。

 どうやら彼は戦闘中のようだった。しかし、周囲の景色は戦場には見えない。

 見覚えのないその赤茶けた大地は、噂に聞いた凶人の領地。

 それでは、彼が戦っている相手は――

「グレン」

 戒離の口から聞いた、お気に入りの駒の名前。きっと自分の命を狙ってくると、嬉々と語った彼の様子を思い出す。

 黒髪に、戒離と同じ血の色の瞳。鋭利な剣を携えて、隙あらば命をろうと狙っている。

 これは、現在の彼の映像なの?

「戒離」

 手を伸ばすけれど、届かない。

 戒離は、銀色の髪を振り乱し、凶人の柄でグレンの一撃を受け止めた。

 目の前の映像に、音はない。

 珀葵で見た画像の音声消去のように、ただ目の前を映像が流れていった。

「戒離……っ」

 細い糸が戒離の自由を奪っていく。

 やめて。

 声にならない叫びは届かない。

 そして、私にはもう分かっていた。


――月髪は、主の愛した相手の命を奪う。


 ああ、私はあの人を愛してしまったのね。

 その瞬間、すべての事が附に落ちた。

 あの人がグレンもヨウソウもシュウガも連れてはこなかったのは、私を殺したくなかったからだと自惚れてもいいだろうか。

 どうしよう、もう終わりなのにとても充たされているわ。

戒離カイリ

 だって、あの人の名を呼ぶだけでこんなに心が躍る。

 月髪ツキガミに絡められたあの人が、大好きな紅蓮グレンに葬られるのは時間の問題だろう。

「ごめんなさい、戒離カイリ

 月髪の主はヒトを愛してはいけない。

 もし誰かに心を奪われたなら、月髪は、主が愛した人の命を奪い、能力を永久的に失ってしまう。

 それは緋檻の理。刻鍵が定めた理。

 すぅ、と頬を涙が伝った。


 その瞬間、戒離はグレンの喉を掻き切った。




 悲しいわ。

 とても悲しい。

 あの人がいなくなってしまうのが。

「不思議ね」

 嬉しいわ。

 とても嬉しい。

 たった二度、戦場で見えただけのあの人が、殺戮を何より好むあの人が、私の事を少しでも気にとめていてくれた。

 それだけの事がこんなにも嬉しい。

 凶人マガツビトは、傷つけた相手の魂を喰らう。グレンはこれで戒離に殺されてしまった。残念ながら、あの人のお気に入りのグレンはあの人を越える事が出来なかったようだ。

 しかし、グレンを倒した時、彼は月髪によって命を奪われてしまうだろう――私が愛してしまったせいで。

 そして私は月髪の能力すべてを失うだろう。

「戒離」

 月髪が彼を締め上げる。

 悲しいのに、とても嬉しい。

 彼が根底で願っていた死を、私の手で与える事が出来るのだから。

「一緒に、逝きましょう」

 月髪の能力を失えば、私も永くはいられない。

 だから、彼と共にこの緋檻を去るつもりだった。

 それなのに。


 凶人マガツビトの刃を受け、地に倒れ伏したグレンの手が、再び剣を握った。

 もう魂の欠片ほどしか残っていないはずなのに。

 刃はまっすぐ戒離の胸へと向けられる。

 今や月髪に雁字搦ガンジガラめの彼は一歩も、指一本さえ動かすことはできないのに。

「戒離っ……!」

 やめて。

 お願い。

 彼は、

 私が――


 戒離の手から凶人マガツビトが滑り落ちる。

 地面に大量の血がばら撒かれた。

 あれは凶人で傷ついたグレンのモノ?

 それとも、グレンの刃で傷ついた戒離のモノ?

 双方から流れ出した血は中央でぶつかって堰を作った。

「戒離……っ!」

 いつの間にか、私の指先も真っ赤に染まっていた。

 月髪が、戒離を開放していく。

 一本ずつ、目に見えぬ糸が戒離の身体から外れていく。

 少しずつ、少しずつ。


 音のないはずの映像の向こう側から、戒離の声がした。

 まるでフィルターを一枚はさんでいるかのように遠い音だったが、本物の彼の声だった。

「僕は、本気じゃないと思っていたのですが」

 呟くような、独り言。

「そうですね、君たちを軍から外した時点で、僕があの人に本気だという事は確定していたというのに……」

 その言葉の意味がわかるのは、きっと世界中で私一人だ。

 ああ、涙が止まらない。

 彼は、最期にグレンを呼びとめ、そしてこう言った。

「さようなら、九条恭而くん。君の名は僕が持って行くよ」

 クジョウキョウジ。

 それはきっと、グレンが珀葵にいた頃の名なのだろう。

 誰も知ることのない、グレンの本当の名前。

 そして戒離はゆっくりと瞼を閉じた。

 彼の表情が満足げだった事に、私は少しだけ安心していた。


 珀葵で充たされなかった者たちが集う場所、緋檻。


 私の月髪に絡め取られ、大好きなグレンの刃によって。

 彼はようやく、充たされたのだから。





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