CASE 02 清玄寺沙羅 SECT.3 使者
「サラ! サラ!」
嬉しそうにヒナタが部屋に飛び込んできた。
白い羽をぱたぱたとさせて、頬をピンク色に染め、早足で駆けこんで。
「サラ、お客さんだよ! お客さんなの! 遠くからきたお客さんなの!」
「お客さん?」
ヒナタがお客さん、と称するのはおそらく自国領の者ではない。
しかし、この月髪の領地外からやってくる人間など、見当もつかなかった。
「きて! こっち! ヒビキ! サラはこっちだよ!」
ヒナタが甲高い声で呼ぶと、部屋の入口から、目の覚めるような赤い短髪の少年が歩み入ってきた。髪と同色の瞳には、芯の強い意思の光が灯っていた。
噂に聞くその容姿には覚えがある。
「貴方の事、知っているわ。階序第一柱の刻鍵『鋼皇』に所属していると聞いたけれど、それは貴方であっているかしら?」
「たぶんそうだろうな」
幼さを残した気の強そうな少年は、見た目通りの口調で答えた。
月髪の主が目の前にいるというのに、気後れしている様子は見られない。真っ直ぐな目をした少年は、確かに唯我独尊を謳う鋼皇の右腕にぴったりだ。
身の丈より長い朱色の棍を一振りで収めると、そのまま片膝をついて敬意を示した。
「鋼皇の主、高堂虎司の使いで月髪の主のもとへ参りました。『斉天大聖』伊折飛々樹と申します」
似合わぬ言葉づかいは、この時、この瞬間の為だけに仕込まれたのだろう。
一枚の絵のようにぴたりとはまった姿は、一瞬だけ凛とした空気を部屋中に満たし、確実に周囲の者すべてを黙らせる雰囲気だった。人目を惹く、一種カリスマ的な空気を纏った。
その空気に一瞬圧倒された。鋼皇の使い、それは嘘ではないらしい。
ところが、それは本当に一瞬だけだった。
ふっと顔を上げた少年飛々樹は、人懐こそうな笑顔を見せた。
「コージやガシンと違って、ボクはかしこまった話が苦手だ。本題だけ話して、すぐに答えをもらいたいんだけど、いいかな?」
そのギャップに、少なからず興味を惹かれた。
唇の端を少し上げる、妖艶な微笑みを見せて。
「言ってごらんなさい。鋼皇の主は切れ者と聞くわ。いったいどんな提案を携えて、敵国へ私兵を差し向けたのか、聞いてあげましょう」
赤髪の少年は、つられるようにして不敵に笑った。
「コージの提案は簡単だ」
主の高堂虎司をコージ、と名前で呼ぶのは珀葵にいた時からの仲であるこの伊折飛々樹だけだと聞く。
それだけ、この少年は主とのつながりが深い。
また、先ほどからの様子を見るに嘘をついたり騙したりという取引に全く向いていない素材だという事も知れている。
だからこそ言葉に重みがあった。
「月髪と『貿易』がしたい」
しかしながら、すべてを信じきる準備が出来ていたからこそ、その言葉の意味が理解できなかった。
「貿易?」
思わず聞き返した。
「そうだ」
飛々樹は真剣な紅の瞳でまっすぐに私を見ていた。
凶人の主の奥に青白く昇華した冷たい炎を秘めた深紅の瞳とは正反対、隠されることのない真っ赤な炎が灯っていた。
「現状、この緋檻では仙以外の物資の交換が戦場でしか行われないのが現実だ。でも、コージに言わせるとそれはもったいなすぎる。階序第四柱『碑我穿』の大地には武器がある。第二柱『奏獄』には医療技術がある。そして月髪の大地には、他で作ることのできない装飾品がある。どれもその土地に根付いたものだ」
「それは、そういう文化が発達するように仙を分けたからよ」
「ああ。だから、他にはないんだ」
飛々樹はきっぱりと言い切った。
「ボクに、細かい事は分かんねぇ。でも、ボクだって『碑我穿』の武器が手に入ればいいと思う。鋼皇の大地のヒトの中には月髪の宝石が欲しいヒトだっているんだ。戦って手に入れる事も出来るけど、それじゃ双方の得にならないってコージが言った」
戦って手に入れるのではなく、相互交換。
その考え方は理解できる。どちらも傷つくことなく、欲しいものを手にする。ごく当たり前の発想だろう。特に、鋼皇の主が噂通りの聡明な人物ならば。
しかし、聡明であるからこそ、私の返事など分かりきっているはずだった。
「貴方は主の事をとても信頼しているのね」
「ああ、そうだ。コージは絶対に間違わない」
遠慮なく言い切った飛々樹は自信満々で、主を微塵も疑っていないようだった。
でも、違うわ。貴方の主は、貴方が思うような私の返答を期待してはいないでしょう。
真実を暴くのは簡単だけれど、楽しくないからやめましょう。
「どうする? 月髪の主。ボクからの説明は以上だ。もし承諾するなら、交渉役にボクじゃなくガシンがくるけど」
「ふふ、貴方に交渉役は向いていないでしょうね」
「うるさいなぁ」
図星をつかれたようで、飛々樹は口を尖らせた。
交渉役には向かないけれど、癖者ぞろいである刻鍵の主たちを最初に相手するには丁度いいだろう。自分を見失わず、相手を騙さず、何より自らの主への信頼が篤い。
そして強い。斉天大聖の名に違わず、この伊折飛々樹は鋼皇下最強の駒の名をほしいままにしているのだった。
「で? 答えは?」
不貞腐れたように聞いた飛々樹だったが、私の答えはとうに決まっていた。
「イイエ、よ。鋼皇の斉天大聖さん」
「何でっ!」
「当たり前でしょう。ここは緋檻よ? 欲しいものは戦って手に入れるのがここの絶対規則。交換だなんて、あり得ないわ」
そう言われて、飛々樹は口を噤んだ。
この少年の訪問する領地が幾つあって、ここが何番目の領地か知らないが、おそらくどの刻鍵の主も同じことを言うはずだ。
「分かるでしょう? 世界の理を崩してはならないの。それは、緋檻を創った神への反抗よ」
「でも、攻撃意思がなければ死んだりしないじゃないか。現にボクはここまで来られた。戦場じゃなくても刻鍵の主に会えた!」
「それは、貴方が主ではないからよ」
刻鍵を持つものは、世界の絶対規則に縛られる。刻鍵を手にした瞬間から、理屈ではなく体が理解する規則だ。
それは、不思議なほど珀葵にいた頃、自分が求めていた規則に酷似していた。
欲しいものは奪う。
珀葵には存在しなかったその根本原理が、刻鍵の主を主たらしめる理念の一つだった。
「主同士は戦場以外で相まみえる事は出来ない、戦場以外で仙やそれに準ずるものを奪う事は出来ない。それは必要最低限の規則」
さらり、と紫の髪をかきあげた。
「もしかすると貴方の言うように貿易と言う名の交換だけなら無事にいられるかもしれないわね。でも、そんな法の隙間を縫うようなマネをして楽しいかしら? 珀葵から放たれ、この能力を持ち、ようやく望む世界を手に入れた私たちが、なぜ今さら貿易なんていう雁字搦めの規則に従わなければならないのかしら?」
私は微笑んだ。
カメラに向ける不特定多数への微笑みで。
「その提案は無意味よ。承諾することは出来ないわ」
柔らかな口調ではあったが、きっぱりと断言する言葉を聞いて、飛々樹はふぅ、とため息をついた。
「そう、か。分かった。コージにはそう伝える」
「そうして頂戴」
落胆した様子を隠そうともせず、飛々樹は立ち上がった。
その体つきは小柄だが、内在する仙の量は凄まじく、その後姿、歩く雰囲気だけでかなりの実力を感じさせる。動きに隙がなく、無駄もなく、ただそこに立っているだけなのに攻撃が届く気がしなかった。
この駒は強い。
月髪配下の誰よりも、真っ向から勝負すれば、おそらく私の方が負けてしまうほどに。
これほどの駒を持つ鋼皇の主とは、いったいどんな人物なのだろう?
「飛々樹」
そう思ったら、思わず呼びとめていた。
「何だ?」
振り返った瞬間の、間の抜けた表情に気を削がれた。
そして、口からは別の質問がこぼれていた。
「凶人の主について、何かご存じないかしら?」
序列一位に君臨する刻鍵『鋼皇』の主の右腕なら、何かしら知っているかもしれない。
あの銀色の髪をした凶人の主について。
ただなんとなく、知りたかった。
「凶人の主は強い」
飛々樹は即答した。
「これほど長く凶人を支配したヤツは他にいない。なぜなら、凶人では主殺しが赦されるからだ。弱ければ駒に殺される。凶人の主は、配下の誰よりも強くなければならない」
配下のだれよりも強く。
「そして、今の凶人には、過去最強たらしめている3つの駒がある」
「3つの駒?」
「ああ。最厄の双駒として名高い『鷹爪』『鷲牙』。そして、最強の駒……『紅蓮』」
鷹爪。鷲牙。紅蓮。
月髪の主である自分の耳にも入ってこない名前ではない。その3人は、恐ろしいほどの戦闘力で敵勢を圧倒的に叩き潰すのだという。
柔らかな笑みの下に底知れぬ殺意を抱いた銀髪のあの人が、その頂点に君臨し続けている。
ぞくぞくと心躍った。
深紅の瞳を思い出して、背筋が痺れた。
「その3つの駒を抑えている凶人の主は化け物だろうな。ボクは自分が弱いと思った事はないけれど、一人で3人……主も含めて4人か。4人をいっぺんに相手しろって言われたらさすがに躊躇するかもな」
鋼皇最強の駒が言う。
それはおそらく、疑うまでもない真実。
「もし、凶人と戦を交えようと思ってんなら、それなりの覚悟が必要だと思うぜ? ボクが聞く限りで、今の鋼皇と並ぶ力を持つのは凶人くらいだ。コージが警戒してるくらいだから、相当なんだろう」
真剣な眼差しで告げた飛々樹は、来た時と同じように、ヒナタに連れられ、部屋を去って行った。
飛々樹が去った後、私の中に残ったのは彼の提案でも、鋼皇の主の聡明さでも、垣間見えた飛々樹の強さでもなかった。
心の大半を占めるのは、銀色の髪をした凶人の主の事だった。
「どうして……?」
こんなにも、彼に会いたい。
あれほど凶人の恐ろしさを飛々樹から聞いたというのに、その言葉はすべて私の中から消え去ってしまっていた。
相まみえることが出来るのは戦場だけだというのなら。
「そうね、そうしましょう」
塔のてっぺんから髪をたらしてただ待つだけの姫なんて、最初から無理な配役だったのだ。
「会いに行くわ」
会いたいなら会いに行けばいい。
私には、それが出来るのだから。
「凶人に戦を申し込みます」
――鬨の声が、あがる。