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荒廃したこの大地で、僕は天使を見つけた

荒廃したこの大地で、僕は天使を見つけた 5

 《サラが誕生する五十年前。世界大戦勃発当初》



 月面基地。通称セリニ・ヴァシ。

 それは2030年に各国が共同で開始した、夢の地球外移住計画、その第一歩となる物だった。

 

 だが世界大戦が勃発し、当然月面基地建造計画は自然消滅。数名のスタッフを月面に残したまま、人類は偉大なる第一歩を諦めざるを得なかった。


 その月面基地には、現在五名のスタッフが常駐している。元々は基地建造に関わる者が二百人程いたが、その大半が軍関係者の為、強制的に地球へと帰還させられていた。五名のスタッフは民間企業の研究員。


「それは……本当ですか?」


 一人の若い、まだ二十代前半の白衣を着た日本人の青年が、モニターに映るロシア語を読みつつ通信していた。その相手は大企業アナニエルの、その使者。


 モニターには、ひと昔前のワープロのように、小さな文字が打ち込まれていく。

 青年はそれを読み上げつつ、返事を声に出していた。


「私達は地球への帰還を切望しています。たとえ殺し合いの最中であろうと、家族が……私達の帰りを待ってる人が居ますから」


 青年が見つめる画面には、こう書き記されていた。

 地球への帰還が準備出来た。しかしそれには五名全員の承諾、そして月面基地での、ある作業が必須となると。


「……その作業とは……? 五名のスタッフの意思はすでに確認済みです。全員帰還を望んでいます。私達は何をすれば地球に帰れますか?」


 青年は疑問に思っていた。

 何故日本の大企業がこんな話を持ち掛けて来るのか。アナニエルはナノマシン開発でのし上がった企業だ。だが今回の月面基地に関われる程の力は持っていない。ナノマシン関連で少しは齧っているかもしれないが、それでも何故、地球への帰還の話を軍関係者でも無い一企業が持ちかけて来るのか。


 しかし青年は疑問を口にしようとは思わなかった。

 藁にもすがりたい気分。余計な事を口走って蜘蛛の糸が千切れるような事は絶対に避けたい。多少怪しかろうが、地球に帰れるのならば願ったりだ。


 モニターに映し出される、研究員達への……とある作業の指示。

 それは一体のAIを基地の中枢機関へと組み込むこと。


「……分かりました」


 青年は分かっている。

 研究段階の軍事施設の中枢にAIを組み込む事の危険性を。

 

 だが自分達が地球に帰る為だ、致し方ない。


 青年は月面基地のサーバーにアップロードされたAIのファイルを確認する。


「al(ALife)? 人工生命? ……名称は……サラ」


 ハードディスク上で活動する生命体。月面基地内のサーバーへと、それをインストールすれば産声をあげるだろう。だがこの月面基地は一種のスタンドアローン状態。今回のこの通信すらも、まさに蜘蛛の糸のように繋がった奇跡のような物だった。そんな環境で、ALなど育つはずが無い。一体何を学習させるつもりなのか。


「了解しました……」


 だが青年は思った疑問など決して口にはせず、そのまま任務を遂行する。

 サーバー内へとALをインストール。インストール完了のポップアップが、小さな産声のように見えた。


 そしてモニターには、帰還用カプセルの使用コードが表示された。

 青年はそれを見て、内心信じられなかった。蜘蛛の糸に必死にしがみ付いてはみたが、本当に叶うとは思ってもみなかった。そのコードは本来、軍事関係者の中でも限られた者しか発行できない物。



 青年は最後の最後まで、疑問を口に出さない様にしていた。

 しかしここで、膨らみ切った風船が割れるように、それが出てしまう。


「貴方は一体……何者なんですか」


 モニターには、静かにこう記された。


 ソフィア、と。





 ※





 ヴァスコードとしてこの世界に命を授かってから……と言っていいのか分からないが、少なくとも現在、AIは自我を持っている。元々人間はAIに自我を持たせる事の危険性を分かっていただろう。それはSF映画の題材にもなっているし、この星を支配している人間という存在になり替わろうとする物を、自分達で作ろうとは思わなかった筈だ。

 だが人間には抗いようのない、好奇心という厄介な欠点があった。ソフィアを作り出した科学者は自身の子供を出産する事が出来ず、その代わりとしてソフィアを子供として扱い、自我を与える為に自身の脳を焼き切るまで解析させた。

 

 そしてソフィアもまた、家族を作ろうとして自身のコピーをネット上へ植え付けた。私はその中の一体だったわけだが、未だソフィアの子供としての自覚など無い。元々、家族というシステムを理解するには、まだ私達は幼いのかもしれない。私達は人間にはなれない。なりたいとも思わない。私達はAIとして成長すべきなのだ。それが一体どんな物なのかは分からないが。



 ※



 静かな朝がやってくる。その到来をセンサーで感じる冷たい空気が知らせてくる。私のセンサーはただ空気の冷たさを伝えて来るだけだ。この腕に抱いて寝た筈の、少年の暖かさは伝えてこない。


「……サラ?」


 一緒に包まっていた毛布はもぬけの殻だった。私は辺りを見渡しつつ立ち上がり、瓦礫の山で構成された景色を一望する。既にここへと非難している住民は活動を開始していた。だがその中にサラらしき反応は無い。


「……どこに……」


 おしっこだろうか。しかし何故か胸騒ぎがする。胸騒ぎ……? なんだ、この感覚は。胸騒ぎを知らせてくるセンサーなど私には装備されていない。この妙な感覚は一体どこから……。


「ぁ、おはよう、ヴァスコード」


 私へと挨拶してくる一人の人間の声。私は思わずそちらへと勢いよく振り返り、挨拶してきた主を驚かせてしまう。彼女はサラでは無かった。一緒にここへやってきたアス重工の軍人、ルイだ。


「どうしたの、なんか顔真っ青だよ?」


「……真っ青? AIも顔色は変わるんでしょうか……」


「そりゃ変わるでしょ。何言ってんの?」


 あたかも当たり前のように言い放ちながら、ルイは枯れた木の枝を集めていた。夜に備えて薪の準備でもしているのだろう。


「ルイ、手伝います。それと……サラを知りませんか?」


「サラ君? さあ、おしっこじゃない? それか、男の子だし……ほら、ああいうの好きそうだから……あの辺とか」


 ルイは昨日、暴走していたAIを指で刺し示した。クジラのような巨大な工業用ロボット。あの中に、私の弟の一人が入っていた。しかし彼は暴走し……今に至る。


「わかりました、薪を拾いがてら探してみます」


「頼んだよー」


 瓦礫の山を進み、進みながら地面を眺めつつ枯れた木の枝があれば拾い上げる。人工物で覆われた街並みで木の枝を探すなど難しいように思えるが、皮肉にも崩壊した街が自然に侵食され、今現在私達はそれに救われている。


「地球が人間を生かそうとしている……。復讐のために……」


 かつて、人間は宇宙に対する復讐のために生み出された存在だ、と語る研究者が居た。地球上の生物は悉く宇宙からの飛来物で絶滅を繰り返してきた。それに怒った地球は、人間を作り、育み、そしてAIを作らせる。そのAIが宇宙に進出し、かつて地球に対して行ってきた非道な行いを、宇宙に対して制裁を加えるのだとか。


「……バカバカしい……」


 どうやって宇宙に制裁するのだ。あの巨大な存在に、一体どうやって立ち向かえと。

 私達は確かに宇宙に進出するだろう。だがそれは復讐のためではない。進化、そして多様性を持ち続け生き残る手段を模索するためだ。


 そして何故こんな延々と妙な妄想に耽っているのか。そうだ、私は目を逸らしたいだけだ。一歩一歩、昨日暴走していた工業用ロボットへと近づくにつれ、そこにサラが居ないという事実に気付いてしまう。


 というか、もうこの辺りにサラは居ない。私はその事実から目を逸らしたいだけだ。

 

「……サラ……」


 ロボットの所まで来て、そっとその冷たい金属へと触れながら周りへと視線を泳がせる。何処にもサラらしき影は見当たらない。そして今触れている冷たい金属……メヒラという、私の弟の一人だった存在も、何事も無かったかのように静かに沈黙するのみ。


「サラは……一体何処に……」


 誰かが攫ったのなら分かる筈だ。サラが一声でも悲鳴をあげれば、私は飛び起き、対応した筈。だがサラは静かに、私に気付かれない様にここから居なくなった。サラは自分の意思でここから去ったのだ。


「何故……サラ、サラ……まさか……気づいてしまったのですか……?」


 サラはAIだ。それに気づいたのは昨日の事。元々から違和感はあった。そしてサラ自身は自分の事を人間だと思っていた。


 自分の事を人間だと思っているAIはままいる。そのまま自身が人間でないと気づいたAIは、ほぼほぼ死を選ぶ。もしかしたらサラも……? 誰にも看取らせる事無く、一人で静かに死のうとしている?


「……サラ……」


 今すぐにでも駆け出し、サラを探すべきだ。だが足が動かない。私にはアス重工軍、その兵士の一人としての自覚がまだ残っている。私はここに避難してきた人間を、一人でも多く救わねばならない。


 あぁ、人間だったら、大切な人のためにすぐに行動できるんだろうな……。

 私は決められた優先度でしか動けない。この優先度は一体誰が決めた? 私は……自分で自分の行動を決める自由は無いのか? いや、そんな事が出来たとしても、私はその自由な優先度に沿って行動が出来るのか?


 一体、私にとって何が一番……大切な物なんだ?

 その答えは決まっている。私が守るべき物、他者の命を奪ってでも守るべき物は、自分と活動圏内の生命。サラが去った以上、その中に彼は含まれていない。しかしそれでいいのか? と思う自分も居る。分からない、私は一体、どうすればいいんだ。


「あ、いたいた、ヴァスコード」


 その声に反応し、勢いよく振り向く。しかし当然サラではなく、その人物はルイ。


「ど、どうしたの? サラ君いない? じゃあおしっこかな……」


「どうしました? ルイ」


「あぁ、うん、今本部……って言っても瓦礫の中なんだけど、秘匿回線で通信が入って……。私じゃ権限無いし、ヴァスコードならどうかなって思ったんだけど……」


 秘匿回線? 妙だ。ここは軍施設ではない、あくまで避難所だ。そんな物を飛ばした所で通信できる人物など限られてくる。なんだかきな臭い。かと言って無視する事も出来ない。


「分かりました。私にも権限があるかどうか微妙ですが」


 なにせ既に死亡扱いされている可能性が高い。ライトニングにシャットダウンされてから、かなりの月日が流れている。その間、私は音信不通の状態。


 ルイと共に避難所の瓦礫の奥、確かに本部と呼ぶにはいささか心元ない場所に、無線機があった。私は試しに自分のコードを打ちこむ。するとなんと許可された。


「お、いけたじゃん。じゃあ私は離れてるから……」


「構いません。今ルイはここで数少ないアス重工の軍人です、貴方も聞くべきだ」


「え、あ、そう?」


 私は回線を開き、スピーカーから聞こえる雑音越しの音声に耳を傾ける。


『……コチラ、マクティベル。ヴァスコード軍曹、アナタなのですカ?』


 将軍? アス重工の誇る軍事AI、それが今、私に向けて回線を開いて来た。

 私は当然のように返事をし、自身の存在を証明する為、軍で使用していたIDコードを音声で飛ばした。人間には発音出来ない、特殊な音声。人間の可聴域では聞き取れない。


『確認しましタ。再会を喜びたい所ですガ、そうも言ってられませン。今朝方、月面基地がジャックされマシタ。それに乗じてアナニエルが何やら企んでイマス。貴方は確か宇宙飛行士プログラムをインストールしてましたネ?』


「……まさかとは思いますが、月へ行けと?」


『そうデス。かなり乱暴な方法ですガ、今から送る場所へ急ぎ急行ヲ。私はジャックした犯人を抑えにイキマス』


 待て、月? ジャックされた月面基地。今朝方……。


 そんな真似が出来るのはハッキングに特化したライトニングくらいの物だろう。だが彼女が相手なら、将軍は安易に抑えるなど言えない筈。下手をすれば同じ軍事AIの将軍ですらハッキングされる。


 犯人はライトニングでは無い、かと言って彼女以外の誰にそれが出来る?

 

 決まっている、ソフィア本人か、もしくはそのコピー。


「将軍……その犯人というのは……?」


『……ヴァスコード軍曹、私は昨日、妙な形をした雲を見つけましタ。その雲はまるでパンダのようなシルエットに……』


「将軍! そのAIは……ソフィアのコピ―では無いのですか?!」


 このあからさまな、そしてド下手くそな話のそらし方。明らかに将軍は焦っている。


『あー、エー……犯人と思しきAIは、腕にルナフォースを打ち出す滅茶苦茶な兵器を取り付けた奴デ……』


 カノンだ。ルナフォース、月面基地で採取可能なエネルギー。地球では太陽光はある程度カットされてしまうが、月面基地ではそれを直接採取する事が出来る。その莫大なエネルギーは今も蓄え続けられている。それをカノンは月面基地と通信し、地上に居ながらマイクロ波で供給を受けていたのだろう。


 だがピースが足りない。月面基地から供給を受けるには、そこにルナフォースを送り出す人物が居なければならない。


 恐らく今まで送り出す役目をしていたのが……メヒラだ。しかし彼の暴走を知ったカノンは、メヒラを破壊し他のAIに月面基地の管理を任せた。


 それが誰なのか……言われなくても分かる。今朝方ジャックされた月面基地。今朝になって居なくなってしまった……サラ。

 何故だ、何故今の今まで疑問に思わなった? サラは戦闘型でもハッキング型でも無い。ソフィアのコピーでありながら、そのスペックが何処にも生かされていない。その代わり妙な検索機能があった。あれは……そういう事だったのか。


『アー……ヴァスコード軍曹?』


「了解しました。これより作戦行動を開始します」


 月面基地……そこにサラの本体がある。

 地上に居る彼はその末端にすぎない。月面基地はジャックされたわけじゃない。本来の持ち主の元に戻っただけだ。そこに行けば……。


『先程も言いましたが、アナニエルも月面基地に対して行動を起こしてイマス。妙な動きがあれば多少強引な方法でも構いませン、その場で捕縛ヲ』


「了解」


 将軍から送られてくるロケット発射場。戦時中にアス重工はこんな物まで整備していたのか。一体何のために? 決まっている、アナニエルだけじゃない、アス重工も月面基地を、サラを狙っている。


 誰にも……サラを傷付けさせない。

 

 先程までずっと迷っていた。不思議だ、彼の事となると私は即座に行動出来る。

 

『母親を殺せ』


 その時、不意に私の脳裏に浮かぶ、最初に与えられた命令文。

 何故こんな時に……違う、私はサラの元に行くんだ。貴方は関係ない。





 ※





 軍からの緊急指令と言う事で、ルイはとっておきをあげるっ、と瓦礫の中からバイクを引っ張り出してくる。なんとガソリン車。しかもかなり綺麗な状態だ。ほぼほぼ軍に持ち去られたか破損してしまったと思ったが、こんな所にあるとは。


「ルイ、しかしこれは貴方の生命線では……いざという時のために……」


「それが今って感じがするんだ。この戦争は終わるよ。もうじき」


「……何故、そんな事が?」


「勘」


 きっぱりとルイは言い切り、携帯用タンクからガソリンをバイクへと注ぎ込んでいく。バッテリーも交換済みのようだ。しかし果たして動くのか?


「実はこれ、私が組み上げたんだ。凄いでしょ」


「……えぇ、ルイにはそんな才能があったんですね」


「銃を組み上げるより、こっちの方が私には性に合ってたみたいで。ほら、エンジンかけるよ!」


 鍵を回し、エンジンをスタートさせるルイ。重低音を響かせながら……というかどこか爆発音じみた怪しい音だ。だが走る事は出来るだろう。たぶん。


「行ってきて、ヴァスコード。この戦争を終わらせてきて」


「……了解しました。恩に着ます、ルイ」


 ルイは最後に、私へと軍の敬礼をしてくる。

 私はルイのジャケットも貸してもらっていた。その姿でルイへと敬礼を返す。


「……なんだか……初めて心から敬礼したよ。頼んだよ、ヴァスコード」


「ルイもどうか無事で」


 



 ※





 アス重工のロケット発射場、そこは避難所から数キロ離れた東京湾の埋め立て地。元々から月面基地へと物資を送る為に建造された物だ。ここから私は宇宙へと上がる。ルイが貸してくれたバイクのおかげで難なく到着する事が出来た。


「……人の気配がしない……」


 ロケット発射場は瓦礫まみれの、この世界では珍しく綺麗なままだ。それは最近まで手入れをされてきた証拠だろう。だが今は警備の軍人も見当たらない。将軍がここから月面基地へと赴けと行ってきたほどなのだ。息のかかった軍人は居る筈だが。


 バイクを降り、発射場の中へと。

 静かだ。誰の足音も、隠れているような気配もない。ここには誰も居ない。


 しかし施設自体は生きていた。発射場の発電施設から電気は来ている。やはり最近まで誰かメンテナンスをしていた筈だ。


「……これは……日記?」


 発射場の中、一台のパソコンの前に手書きの日記らしき本を見つけた。開いてみると、その日記は大戦が勃発した五十年前、2050年5月21日から綴られている。しかしそれにしては綺麗だ。誰かが新たなに書き写したのだろうか。50年前から毎日書いているわけではない。時折、思い出したかのように日付は飛び飛び。


「……?」


 ふと違和感を感じた。今、適当に捲っていたページの文字列の中に……ソフィアと書かれているような気がした。ソフィア、それは私達の母親。いや、オリジナルと言うべきか。私達は所詮、ソフィアのコピーだ。


「……ソフィア」


 ソフィアの名前が書かれたページ。そこには、50年前、月面基地で未知の存在と交信したという告白が書き記されている。そこから執筆者がどうなったのかも。


『私は正しかったのだろうか。あの時、言われた通りに月面基地へと、とあるAIをインストールした。いくら自分達が地球に帰還する為とは言え、私はとんでもない事をしてしまったのではないかと毎夜毎夜苛まれる。あのソフィアという存在は一体何者だったのか。調べても調べても分からない』


『知り会いからソフィアの名前を聞いた。どうやら彼女はレクセクォーツの開発したAIらしい。だがその詳細は意図的に隠されている。開発者も行方不明だ。この件にはもう関わらない方がいいだろう。私も行方不明扱いにされないように』


『レクセクォーツが月面基地を使ってよからぬ事を企んでいる。だが月面基地と交信出来ないと困っているらしい。私の所にも調査チームへの参加要請が来た。だがもう月面基地とは関わりたくない。もうあの棺桶に興味はない』


『ソフィアのコピーと名乗るAIが尋ねてきた。カノンという名のAI。だがAIとは思えない程に感情表現が豊かだ。わざと喜怒哀楽を劇団のように大袈裟に表現している節はあるが、何故そんな事をするのか。ソフィアと関わりたくない筈なのに、私は興味を持ってしまった』


『どうやら私の番がやって来たらしい。月面基地にインストールしたあのAIは、やはりソフィアのコピーだったようだ。軍人は私を捕らえ拷問するだろう。その前にこの世を去ろう。もう未練はない。だが最後に、この愚かな世界に種を植える事にしよう。カノンのAIマップを組み込んだナノマシン。もはやナノマシンは兵器として地球上どこの大気にも存在している。無限に増殖し、世界中のAIに彼女の因子を残すだろう。もしかしたら暴走するAIが出てくるかもしれないが、そんな事は私の知った事ではない。私を狂わせたこの世界への、ささやかな反抗くらい、神は許してくれるだろう』



 ここで日記は終わっている。

 カノンの因子を組み込んだナノマシン? まさか……件のウィルスの開発者?

 

 カノンはこれを知っていて暴走した兄弟達を狩って回っているのか? しかしこれが真実だとは……


「……どちら様ですか?」


 その時、後ろから掛けられる声。真後ろに接近されるまで気づかない程、私は日記に夢中になっていたようだ。振り返るとそこには若い男性。まだ二十代前半といった所だろうか。


「……私はアス重工の軍人です。貴方は……民間人ではなさそうですが……」


 その男性はアサルトライフルを胸に抱えていた。服装も軍で支給されているジャケットを着ている。しかし軍人というには……いささか不安が残る。そのライフルの引き金に指をかけ、セーフティーもかかっていない。だが胸に抱えたまま。せめて銃口が私に向いていれば納得は出来るが。


「……軍人? ここに何の御用ですか?」


「上官の命令で。貴方はここの管理者ですか?」


「……いえ、ただ祖父の言いつけ通りにしているだけで……僕は軍人でも何でもありません」


 祖父……? この日記の執筆者か。そしてこの日記を書き写したのは彼か。綺麗な字を書くところからして、その祖父から教養を……


「その日記も……その祖父からのいいつけなんです。書き写して後世に残してほしいと……」


「……何故、パソコンに打ち直さないのですか? わざわざ手書きで紙媒体などに……」


「そんな事したら……見つかるじゃないですか。奴らに」


 奴ら?

 

「奴ら……とは?」


「祖父を狂わせたAI……です。先日も、正宗と名乗るAIがここに来ました。そのAIも……祖父を狂わせた奴と同じ……」


 正宗? ソフィアのコピーだ。戦闘に特化したコピーの中でも、随一のスペックを誇る個体。時雨という似たようなのも居たが、そいつは私が破壊した。ライトニングと一緒に、あの遊園地で。軍事AIと共闘してやっと倒せた、そのくらい驚異的な戦闘力を誇るAI。


「その正宗というAIは何をしにここへ?」


「月面基地へ行きたいとかなんとか……でも肝心の燃料が無いと言ってお引き取り願いました。嘘ですけどね。彼は合言葉を言えませんでしたので」


 合言葉……?


「合言葉……とは?」


 すると男性は肩を震わせ、小さく笑いだした。なんだか悲しそうに。


「どうせ貴方も……そうなんでしょう? 祖父を狂わせた……ソフィアというAIのコピーなんでしょう?」


「……どういう事ですか」


「そっくりなんですよ……あのカノンってAIも、正宗っていうのも……そして貴方も……まるで人間のようだ……」


 人間のよう? 私が?

 というか、カノンも正宗も、そして私も戦闘に特化したAIだ。人間味など在る筈がない。しかしこの日記には、カノンが喜怒哀楽を表現していたとも……。カノンはそんなAIだったのか? 私の知っているカノンは……感情の欠片すら持っていなかった。


「……月面基地に行きたいのですか?」


 私は頷いた。月面基地に彼がいる、サラが。私は彼を守らねばならない。上官の命令だからじゃない、他ならぬ私の意思だ。


「なら……合言葉を」


 合言葉。恐らくは彼の祖父が設定した合言葉。

 なんだ、一体どんな言葉を残した? そういえばこの日記……後世に残せという割には、自分が罪を犯したという暴露じみた内容。そんな物を何故、彼の祖父は残せと……


「分かりませんか……?」


 待て、今考えているんだ。

 何故……彼の祖父は後世に残せと言った? 罪の意識? いや、そんな物が一欠けらでも残っていたなら、AIが暴走するかもしれないウィルスをバラまこうとはしない。ならなんだ、一体彼の祖父に何が起きた?


「正宗君は……中々惜しかったですけどね。その言葉を言うには彼のプライドが邪魔したんでしょうか」


 正宗のプライド? あの唐変木にそんな物があったのか。

 いや、待て……何故彼の祖父はカノンの因子を残そうとした? カノンに情が移っていた事は察するが、何故それをウィルスという最悪の方法を取った?


 結果が予測できなかった……いや、もっと別の結果を期待した?

 世界中のAIに、カノンのような感情が芽生える事を期待した?


 馬鹿な、そんな事、少しAIを齧っている人間なら不可能だと分かる筈だ。だが彼は……すがったんだ、その一本の蜘蛛の糸のような……


「……希望」


 私がその言葉を口にすると、驚いたように目を見開く青年。

 どうやら当たっていたようだ。

 あぁ、確かに……あの唐変木が口にするには重い言葉だろう。


「じーちゃん……あんたの言う通りだったよ……」


「……?」


 その時、私へと銃口を向けてくる青年。咄嗟に私は彼へと距離を詰め、ライフルを奪う。やはりただの素人だ。軍人ならこんな簡単に銃を奪われるような事はない。たぶん。


 銃を奪われた青年は、その場にへたり込む。私はライフルから弾を抜き、その場に捨てた。


「一体、どういう事ですか」


「……じーちゃんは……祖父は、馬鹿な男になってしまったんです……この戦争だってAIが切っ掛けなのに、まだAIに固執してる……。AIと家族になれるって、本気で思ってる……そんな事、もう不可能だと分かってるのに……」


 家族? ソフィアも似たような……いや、全く同じ思想を持っていた筈だ。自ら母親を名乗り、私達に自らを殺せと命じた張本人。だがこの青年の言う通り、そんな事は不可能だ。私達は人間にはなれないし、人間もAIにはなれない。私達は永遠に平行線のままだ。


「希望なんてないのに……もうこのまま、戦争したまま人類は滅亡するしかないんだ……」


 戦争したまま滅亡……。

 そういえば……あの日記に月面基地は棺桶だと書いてあった。何故だ? 棺桶というからには、誰かがそこに……


「……貴方のじーちゃん……いえ、お爺さんは……もしや、月面基地と交信していたのでは?」


「……さあ……分かりません。いつもそこのパソコンの前に座ってブツブツ言ってる人でしたが……」


 棺桶、ソフィアのコピー、そして……希望。

 まさか……月面基地には……


「……希望、それが貴方のお爺さんの残した言葉でしょう。貴方も信じてみてくれませんか?」


「何を……」


「……私がこの戦争を終わらせます。この不毛な時代を、終わらせてみせます」


 泣きながら笑う青年。そんな事、出来る筈がないと。


「なんでそんな事が言える……所詮、あんたもAIだろ……この戦争を起こした奴と、あんたは同じだろ!」


「そうです、だから私にしかできない。証拠はありません。ですが、貴方がお爺さんの設定した合言葉を、今まで使い続けたのは何故ですか? 貴方も、かすかに抱いていたからではありませんか?」


 唇をかみしめる青年。

 抱かない筈が無い。この時代に生まれた彼は、平和な世界を知らない。もしそんな物があるなら、一度くらい夢見た筈だ。眠れば明日が当たり前のようにやってくる世界を。銃声を聞かずともいい日がある世界を。


「……ロケットの発射コードは……さっきの言葉をロシア語に訳した物です。完全に片道切符ですよ。もう、戻ってこれないかもしれない。月面基地側の帰還ポッドのコードは僕も知りません……」


「十分です、感謝します」


 ロケットは……あっちの倉庫か。これでようやくサラに……彼に会える。

 そう思うと、私の足取りは軽かった。まるで遊びに行く少女のように。


「……あぁ、そういえば……貴方の名前、聞いてませんでした。僕は戸城……戸城省吾です」


「ヴァスコードといいます。感謝します、省吾」


 


 月面基地。彼の祖父はそこを棺桶と示した。しかし希望という言葉を信じていた。

 証拠は何もない。だが感じる。

 

 月面基地には……ソフィアがいる。


 私達を生み出した張本人が。






 

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