卍 終わらなくていい話が終わるということ 卍
【シンエヴァ】のネタバレが含まれてますので、避けたい方はバックしてください。
完結作品にしか興味がないわたしですが、世の中には終わらないことによって輝き続ける物語がある、というのは認める。
連載30年というマンガとかがザラにある日本だとその傾向が特に顕著ですが、ま、たしかにね、長期連載作品が完結した時ってたいがい
「あれ?これでおしまいなんだ。そっすか……」
という虚無感に満たされることしばしば……
それで、終わるって聞いたので【シンエヴァンゲリオン】を観た。
結論を言うと綺麗に終わった。あっけないくらい、綺麗さっぱり終わりすぎた。だけどどのレベルで「終わった」のか?
たしかに、すべての疑念に答えて幕引きした。
でもそこに至るお話の組み立てには何のこだわりもなく「ほれ、もうお終いだよ」というそっけなさ。
コレではたぶん熱心なファンは納得できまい。だってエヴァファンは理不尽な展開に心を踏みにじられて苦悶したいんだから。テレビの最終回二話、旧劇と過去二度にわたってじっさいそうされたけど彼らは「ちゃんと終わったじゃん」と言ってたくらいだし。
そんな【シンエヴァ】で庵野監督が展開したのは「村の生活」。
妊婦、赤ちゃん、親子の生活、近所のおばちゃんとの交流、田植えとか、現実的な生活物資調達手段の描写――
これらすべてがゼロ年代以降のアニメアイコン……意味もなく包帯巻いて眼帯した少女や親不在の萌キャラだらけで生活感を排した日常、あるいは精神年齢40才くらいに達観した美少年、落とし所も設定もなんにも考えてない使途っぽい敵などに対するアンチテーゼなんよね。つまり最近のオタクが嫌ってるものが詰まってる。
結末近くの巨大リアル綾波や妙に生々しいアスカなんかも萌キャラ好きをビンタする感じだし。
つまり、ここ20年のアニメ作品に対する「あんな空虚なの続けたらヤベ-よ?」というメッセージがあったように思う。そのメッセージはたぶん30~50才のエヴァ第1世代向けじゃないだろう。
旧劇で「オタクはクソ」と荒れてた庵野監督が歳を取って、たぶん【シンゴジラ】で自己実現に至って、こんどは優しく「俺は大人になった。きみたちもなれ」と語りかけている。
まさしく呪いを解いたのだ。
それでコアファンはこんな結末認めねえ!とのたうちまわってる。それはカップリングに対する苦言などに端的に顕れてますねえ。
萌えアニメ好きな連中は「第三村のシーン長過ぎじゃね?」と言ってます。
内容について触れると、初見にはワケ分かんない映画だった割には楽しい映画でした……そこはさすが、プリプロダクションを導入した監督らしい安定感。特にクライマックスのあのBGMとアノ歌……あそこでアレかけるかよって笑っちゃったけど、監督の余裕を感じますね。
超駄作の【破】と【Q】を見返してみようかな?と思うくらいには伏線回収してるのがすごいところです。ライアン・ジョンソンのSWⅧとは真逆ですね(笑)