4.ありえないものを見た
夜。
道路を渡る歩道橋の上、彼女は馴染みの無い月を見上げていた。
月光に鎧が鈍く輝く。
念じ通じた際に彼女の耳に届いたのは断続的に響く音。
それだけが手がかりだ。
その音は眼下に走る多くのそれが出す音と同じ。
彼女は呟く。
「今、おそばに参ります……クロノ様」
その音の先に、求めてやまないあの方がいる。
彼女は輝き、夜の街へと駆け出した。
「いやー、解決して良かった良かった」
普段通りに戻ったスマホの画面を眺め、大吉はにんまりと笑った。
スマホは静かだ。当たり前だが。
しかし最近はオカルトスマホゲーのせいで画面も音もはっちゃけまくりで、わざわざ電源を切らないと夜も眠れないくらいだったのだ。
その原因のスマホゲーのトップページには、どでかく謝罪の文字がある。
コラボ開始から今日までの課金は全額返金。
そしてトラブルの穴埋めにとガチャ無料券を毎日乱発。
さすがエクソダスで儲ける天下のフラットウェスト社。大盤振る舞いだ。
暇つぶし無課金プレイの大吉も無料券でにっこり満足対応だ。
まあ、使えないのに何故か居つくコラボキャラがオカルトだがスマホ新調が避けられたので良しとしよう。これまで通り待ち時間は潰せるし。
そんな風に大吉はポジティブに考え、集荷に配達に忙しく働いていたのだ……
会社の先輩の話を聞くまでは。
「大吉……お前、後ろから飛脚が追いかけて来るって話、聞いた事あるか?」
「先輩から聞きましたよ。すごい昔の漫才のネタでしたっけ?」
昼休み、自販機コーナーの前。
同じく宅配をしている先輩の呻くような問いに、大吉は首を傾げた。
後ろから飛脚が追いかけるくるという話は、とある運送会社のトラックに描かれていた飛脚にひっかけた笑い話。
他にも黒猫が追いかけてくるとか、犬が追いかけてくるとかがある。
しかし何故そんな昔話を……大吉がコーヒー缶を手で弄びながら話の続きを待っていると、先輩が気落ちした声で静かに話しはじめた。
「昨夜、鎧を着た女が……」
「女鎧武者ですか?」
「いや、西洋の鎧だった。それが駆けてくる姿がしばらくミラーに映ってたんだ」
「いやいや無理でしょ。バイクとか自転車とかに乗ってたんじゃないですか?」
「走ってたよ。間違いなく走ってた」
なんだそりゃ?
大吉はさらに首を傾げた。
宅配トラックは自動車だ。
人が駆けて追いつくのは難しい。エンジン馬力と人力の差は圧倒的なのだ。
それも鎧を着た女武者、いやいや女騎士にそんな芸当が出来るわけがない。
「先輩、疲れてるんじゃないですか?」
「俺もそう思ってたんだがなぁ……顔見知りの同業者も見たらしい」
「マジですか?」
「マジだ」
いやいやまさか。
と、大吉は思っていたのだが、先ほど休憩に訪れたばかりの同僚が反応する。
「俺も見ました!」
「お前もか!」
「ええーっ……」
こんな調子で大吉の回りで目撃情報が積み重なること数日。
ついに朝礼で店長が注意を呼びかけるまでに至った。
「えー、市から鎧を着た女がトラックの後ろを付いて来ると言われたので注意するように。幸いな事に付いて来るだけなので慌てることなく安全運転を心がけ、後で時刻と場所を報告してくれ」
マジかよ。
「あと、なぜか輝くらしい。驚かないように」
マジかよ!
まだ遭遇していない大吉は唖然だ。
店長の話によると市内を走るトラックの背後をしばらく駆けるらしい。
またしてもオカルトだと、大吉はポケットの上からスマホを撫でる。
出会いませんように。
そんな事を願いながら集荷と配達をして数日。
ついに大吉の背後にも『それ』が現れた。
「きた……きやがった」
ついに俺にも来た……大吉は車載カメラが録画中な事を確認し、ハンドルをしっかりと握り直した。
駆けている。信じられないがホントに足で駆けている。
ミラーに映る姿は先輩や同僚が言うそのまんまだ。
陽光に輝くのは西洋風の、ファンタジー漫画に出て来る感じの漫画鎧。
さらに腰にはやたらと重そうなでかい剣。漫画剣だ。
そんな女騎士が髪をなびかせ軽快に駆けている。
背後に車はいない。
当たり前だ。こんな奴を眼前に走りたい訳がない。
トラックは時速四十キロ。短距離走世界記録保持者だって無理なスピードだ。
ありえん。超ありえん。聞きしに勝るオカルトだ。
アクセルベタ踏みしたい。時速百キロくらい出してぶっちぎりたい。
大吉はそんな欲求と戦いながら減速し、トラックを停めた。
赤信号だったからだ。
「落ち着け。落ち着け……」
サイドブレーキを引き、大吉は大きく深呼吸した。
落ち着け大吉。
相手はただ駆けているだけだ。
ジョギングだ。そう自動車並みの女騎士がジョギング鍛錬しているだけだ。
安全運転だ井出大吉。
なんでトラックの背後で足踏み待機なんだよ女騎士?
お前ストーカーか。トラックフェチか。
頼みますから信号待ちで足踏みしないで追い越してください。ここの信号は歩車分離式ですから歩行者ならば渡れます。左折巻き込み危険ですよーっ。
大吉は心で叫ぶ。
しかし口には出せない。
あんな重そうな鎧を着てトラックのケツに食いつく女騎士になぞ話しかけたくない。相手はエンジン馬力と張り合うストーカー女騎士なのだ。
無視だ、無視。
先輩や同僚も無視してやりすごした。俺も……
大吉がそんな風に考えた時、無視できない事が起きた。
ストーカー女騎士ではない。
右から走ってくる大型トラック。その挙動がおかしい。
信号が赤にも関わらずスピードを落とさず、そしてわずかに蛇行。
近付くにつれ見える運転ドライバーの前を見ていない姿勢。
あれは、居眠りか?
大吉がそう思ったとき、トラックが大きく蛇行し進路を変えた。
信号待ちで停車している大吉のトラックの方へと。
「……っ」
本当の脅威を前に、人は言葉を持たない。
これは、死ぬな……突っ込んでくる大型トラックを眺めながら、大吉は思った。
大型トラックの重量は満載なら二十トン。
そんなものがまともにぶつかったら大吉が今乗っている配達トラックではひとたまりもない。運転席など一瞬で潰される。
しかしもう、どうしようもない。
近付いてくるトラックを大吉が呆然と眺め、全てを諦めた瞬間。
大型トラックが、空を舞った。
急に跳ねた大型トラックが大吉のトラックを飛び越していく。
その底にいるのは、輝くストーカー女騎士だ。
ぺっかーと輝く彼女が大型トラックを手で持ち上げて空を駆けているのだ。
トラックのエンジン馬力どころではない異常で圧倒的な力。
オカルトここに極まれり。
しかし非現実よりも現実の方が身近なもの。空をグルグル回転しながら舞うトラックを見て大吉が考えるのはまったく別の、自分の仕事にも関係のある身近な事だった。
あぁ……あの大型、積載物アウトだな。
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