幕間.この扉の向こうに……
夜明け前。クロノ様に与えられた六畳間。
私は静かに起床した。
左右を見渡し、気配を感じ、夢でない事に安堵する。
そう……私は、エルフィン・グランティーナは願いを叶えたのだ。
「おじいさん、感謝いたします」
私は老夫婦の家の方角に頭を下げる。
配達の品を壊した弱みにつけ込み、私をクロノ様に押しつけてくれた。
あの腹黒さ、学ばねばなりません。
そしてさすがはクロノ様。
元々は私がぶるるん……いえトラックをぶん投げたから荷物が壊れたのにその事を責めずに私を部屋に迎え入れて下さった。
その器の大きさに、私はいつも救われています。
私は静かに立ち上がり、部屋を出る。
身体からほのかに溢れる輝きが、私の周囲を淡く照らす。
だから灯りは必要無い。
私は音を立てずに台所を挟んだ反対側にある部屋の前に立つ。
この世界では井出大吉と名乗っている、クロノ様の部屋だ。
「クロノ様、お側に部屋を頂き感謝いたします」
私は閉じられた扉の前で、深く頭を下げた。
かつての主人、世話になった老夫妻の農地は魔力障壁でぐるりと囲んである。
老夫妻とクロノ様と私、そしてこの四人が認めた者や物しか入れない。ぶん投げたトラックが突撃しても大丈夫だ。
この十年、夢と現実で磨きに磨いた私の力をもってすればこの位は楽勝。
全て、クロノ様のおかげだ。
「……出来ましたら私の心からの願いも、受け入れて頂きたく思います」
手で扉に触れ、そっと撫でる。
私がクロノ様と出会ったのは今から十年前、八歳の頃。
その頃の私は、夢の中に現れた何万もの幼馴染みに混乱していた。
現れては消え、消えては現れるたくさんの幼馴染み達。
その誰もがゲームだからと私を軽く扱い、よく出来たとか失敗したとか言いながら笑っていた。
そんな彼らの振る舞いに、心が病んだ事もある。
父も、母も、そして周囲の者も、同じように悩んでいた。
医者を頼るとこの町一帯に広がる流行り病と言われ、どうしようもないと匙を投げられた。
そんな中で私達を救ってくれたのは、クロノ様だ。
クロノ様は一日も欠かすこと無く、そして一日に何度も私達の夢に現れ、私を導き世界を駆ける。
遊びなのはクロノ様も変わらない。
それでも私を導く姿は本気。夢で繰り返される失敗は次の夢で修正され、やがては完璧な結果となって私達に反映されていく。
クロノ様の夢は可能性の追求だ。
時と共に他の者の夢が激減していく中、クロノ様の姿は常に私の夢にあった。
夢の中にいつでも現れて、私を導いてくれる幼馴染み。
現実の同い年よりも身近で親身で厳しくて強い、黒をこよなく愛する人。
だから、私はクロノ様に惹かれた。
そして別れのあの日、私は頭を下げてクロノ様に結婚を申し込み、クロノ様は頷いてくれた……
誓いが果たされる事は無かったが。
「あと少しだったのに……」
クロノ様との夢が終わった九歳の頃の私の願いは『クロノ様のお嫁さん』。
両親からも周囲からも夢だから諦めなさいと言われた。
十二歳にもなるとさすがに夢の存在だからと諦め、『ステキなお嫁さん』に大幅下方修正した。
その時は月が真っ二つに見えるほど泣いて泣いて泣きまくったものだ。
まあ、それでも両親には出来るかなぁと首を傾げられたが。
十四歳の頃、力比べを求めて来た敵対勢力の怪物、金剛竜ブリリアント率いる竜軍二万を一人でこてんぱんに叩きのめし、山のような大きさの要塞世界樹バウルをひと睨みで転がして諸国の王から光の黒騎士の称号を賜った。
本当は光の騎士だったが、私が黒を無理矢理ねじ込んだ。
夢を終えてからもクロノ様の教えに従い、自らを磨いた結果だ。
だから黒は外せない。
その力比べの結果、戦えばお互い滅びると知り、不可侵条約が締結された。
クロノ様は私を導く事で、世界を救ったのだ。
人族の守り手。光の黒騎士エルフィン・グランティーナ。
輝かしい成果と名声。
しかし、それは私の夢の大きな障害となった。
私の世界の貴族は十五歳になる頃には大体嫁ぎ先が決まっている。
周囲の令嬢達がどんどん嫁ぎ先を決めていくのに、私は人族防衛の要。
浮いた話が無いどころか男がまったく寄りつかない。
さすがに焦りを感じはじめた十六歳の頃、私も見合いする運びとなった。
相手は王国の第一王子。ゆくゆくは国王になるお方だ。
あからさまな国の都合。
それでも子爵令嬢である私にとっては過ぎた栄誉。私はクロノ様への想いに区切りをつけ、その日を待った。
しかし……見合い当日に王子は逃げ、国王に土下座謝罪された。
曰く、王子は貴方を娶る器ではない。
ひと睨みで山を吹き飛ばす貴方を妻にするのは神をも恐れぬ所業だと。
つまり、強すぎて怖いと言われたのだ。
もはや猛獣扱い……いや、災害扱いだ。
国を背負う王子すら逃げる有様に両親も危機感を感じたらしい。そこら中の貴族に縁談を申し込んだが、全てから許して下さいと断られた。
十七歳の頃は招かれた舞踏会に足を運んだが私の周囲に誰も近付かず、主催者に別室に案内されてお帰り下さいと土下座懇願された。
それではなぜ招いたのかと聞けば、招待しなければ後が怖いと言われた。
童話で読んだいじわる魔女のような扱い。
私は壁の花にすらなれないのだ。
十八歳となった今では両親も『クロノ様が本当にいてくれれば……』とため息交じりに呟く始末。
私は『ステキなお嫁さん』にすらなれないのか!
大幅下方修正したというのに!
そんな時だ。
再びクロノ様が夢に現れたのは。
「クロノ様……私を、迎えに来て下さったのですよね?」
私はドアノブにそっと触れる。
この扉の向こうに……クロノ様がいる。
今のクロノ様なら、手込めにするのは簡単だ。
しかしそれは危険な賭け。
国を背負うよう育てられた王子にすらトンズラされる私だ。今のクロノ様では拒まれるに違い無い。
ここが頑張りどころ。そして我慢どころ。
私はドアノブから手を離し、クロノ様の教えを呟いた。
「男心を掴むならまず胃袋から」
私はクロノ様の部屋から離れ、台所に立つ。
電子レンジ、炊飯器、給湯器、ガスコンロ。
便利な機器がずらりと並ぶ。
知らずに使うと危ないからと、使い方はクロノ様が一通り教えてくれた。
それと電気、ガス、水道。
火や灯りや水やお湯を外に出ず得られるように作られた部屋。
このような部屋がこの建物だけでも何十もあるという。
子爵家であった私の家でもここまで便利ではなかった。
それが今のクロノ様のような……とても失礼だが普通の者でも使えるように整備されたこの町はとても便利で公平だ。
「エルフィンは教えに従い、腹黒い女を目指します。クロノ様……いえ、大吉様」
身も心も貴方にみっちり仕込まれた私のたゆまぬ努力の成果、お見せいたします。
台所でエルフィンはふふっと笑い、ぺっかと輝く。
そして壁の向こう、はるかな先に出現した『それ』を睨んだ。
「そしてこの命ある限り、貴方を御守りいたします……」
私がこの世界に現れたのだ。
『敵』が現れても不思議ではない。
敵の目的は彼らの王か、それとも……
私は剣を抜き、自らの心に誓う。
「世界が二人を分かつまで」
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