突然の
私は記憶を手繰り寄せる。一番最後の記憶…最後…
…そうだ。そう、あれは、やかましいほどに晴れていた日曜日。
「ほらほら、お父さん、お母さん! 早く、早く!」
「おいおい、待ちなさい奈々」
「奈々、そんなにはしゃいだら、転んじゃうよ!」
夫婦共働きで、ほぼ休みがない、お父さんとお母さん。お陰様で、十六になっても反抗期らしいものが一向に訪れなかったけど。
まあ、それはいいとして。
そんな多忙な二人が、久しぶりに休日が重なった為、私たち一家は隣町のショッピングモールに来ていた。
家族で出掛けるなんて一年ぶりくらいだから、私はそれはもうはしゃいでいた。
「ね、ね、私、クレープ食べたい!」
「クレープか、いいな」
「もう…二人とも甘党なんだから」
「えへへへへ…」
楽しい、楽しい!
ああ、幸せ。これがずっと続けばいいのに。
そう、思っていた。
「ふぅ…っと、もうこんな時間か」
「えっ!もう六時!?」
「楽しい時間はあっという間ね」
気付けば辺りが暗くなってきていた。
本当に、本当に名残惜しいが、私たちはショッピングモールを後にした。
車内にて。
「いやぁ、今日は楽しかったな」
「そうね!また、みんなで出掛けましょ!」
「…うん」
本当に、楽しい時間はあっという間だ。できることなら、今日の朝に戻りたい。
「どうした、奈々」
「疲れちゃった?」
「…あ、ううん。何でもないの」
「そうか?」
「うん、何でもない」
「…」
「…」
「…そ、そういえば、私、ちょっと、えっと…ぎ、銀行にでも寄りたいなぁって」
沈黙に耐えきれなくなったのか、お母さんが取ってつけたようにそう言った。というか、銀行って…。絶対、さっき通り過ぎた、大手銀行会社の看板見て思いついたでしょ…
「銀行?」
「え、あ、まあね!ちょうど今日色々買ったりしたでしょ?それに、銀行の隣の喫茶店のコーヒーがすっごく美味しいの!また飲みたいなぁみたいな?」
「…?まあいいか。じゃ、銀行と喫茶店に寄ろう」
「!」
それはつまり…もうちょっと三人でいられるんだ!
絶対に銀行に用なんてなさそうなお母さん、絶対におかしいお母さんの嘘に気付かないお父さん、ありがとう!
数分後。銀行に着いた車。
「じゃ、じゃあ、銀行、行ってくるね!」
「ああ、俺も行く。振り込みをすっかり忘れていたのを思い出した」
「え、じゃあ私も!」
「え、えええ…」
こうして私たちは銀行に向かった。
「うん、よし。こっちは終わったぞ」
「じゃ、じゃあ、喫茶店へレッツゴー!」
「おー!」
私はスキップ混じりの足取りで、銀行を出るお母さんとお父さんの後に続く。
その時、不意に背中に嫌な汗が流れた。
なんだろう。そう思って立ち止まり、後ろを振り向いた瞬間。
バンッバンッ
「キャーーーーーーッ」
「!?」
窓口の人がバタッと倒れ、女性が金切り声を上げた。
「動くなッ」
手に黒い物体を持っている男の人が言った。
「少しでも動いたら、殺す」
恐ろしいほどの凍てついた声。
私は恐怖でその場に立ち竦んでいた。
だが、さっき金切り声を上げた女性はもうパニック状態だった。
男の人の視線から外れた途端、悲鳴を上げながら入り口に走り出した。
「い、いやーーーーッ!だ、誰か助け…」
バンッ
バタッ
女性が倒れる。
私は無音の悲鳴を上げた。
「客と従業員は全員ここに集まれ。一人でも集まらなかったら、全員殺す」
どこまでも恐ろしい声。私は小刻みに震えることしか出来なかった。
「おい、お前」
「…!は、はいぃっ!」
男の人が窓口で震えている女性に言う。
「金を全部ここに持って来い」
「ぜ、全部…」
「全部だ。それと、もし逃げたり、金を隠したり、外と連絡したりなんかしたら、」
男の人持つ黒い物体が、この場にいる全員に順番に向いた。
「…分かってるな」
どうだろう…
この女性と、ここにいる人は赤の他人。他人が殺されようが、自分だけ逃げれればいいと思われないだろうか。
女性はただ高速で首を縦に振り、奥に消えていった。
十数分後。
女性は戻って来ない。
銀行内にある金が多すぎるのか、彼女が私たちを殺したのか。
その答えは、まだわからなかった。
数十分後。
女性は戻って来ない。
そして…
「…チッ」
外から、五月蝿いサイレンと、眩しい赤い光が差した。
…もう、全員わかった。
彼女は、私たちを見捨てたのだと。
「あーあー、銀行強盗犯、銀行強盗犯、聞こえているか。既にこの銀行は包囲されている」
警官と思われるおじさんの声が聞こえる。
「大人しく出てきなさい。人質すらいない君に、私たちと交渉することは不可能だ」
…え?
人質が…いない…?
そんなことない。いる、いるよ!ここにいる!沢山いるよ!
どうして、どうして…
私は知らなかった。
先程の女性が、警官たちに、世間に嘘を言ったことを。
「人質となった方は沢山いらっしゃいました!ですが…もう………………私だけ、皆さんに助けていただいて、命からがら逃げられたんです!」
涙ながらに、いかにも私こそが悲劇のヒロインだと言うように、女性は語っていたのだ。
自分が、人質たちを見捨てて自分だけ助かろうとした極悪で非道な人間だと言われるのを恐れて。女性が嘘をついたことを、私は知らなかった。
なんで、なんでなんでなんで!
私たち、ちゃんといる!ここにいるのに!
涙が溢れてくる。
「糞ったれがッ」
男の人が、近くにいた人を蹴った。
「これが成功すれば…俺は、一生遊べたのに…っクソックソッ」
男の人は、もう混乱状態のようだった。警官に人質を見せつけ、交渉に持ち込むなどという考えすらも浮かばないほどに。
男の人は手を持っていたものを見つめて、ニタリと笑った。
バンッ
蹴られた人の身体から、赤い液体が流れ出る。
「…もういい。おしまいだ…何もかも、おしまいだ!」
バンッバンッバンッバンッバンッバンッ
「アハハハハハハハッ!みんな、みんな死んじまえ!アハハハハハハハッ!」
私は、とても愉快そうに人を殺める男の人を、さっきまで動いていた人たちが次々と倒れていくのを、非現実的なシーンを、ただ呆然と眺めていた。
「……お前で最後か」
だから、男の人の狂気的な視線がこちらに向いた時も、怖がらなかった。
もう、手遅れだから。
「おやすみぃ。ばぁん」
ああ、お母さん、お父さん…ねえ…
バンッ
激痛。それは一瞬だった。
薄れていく意識の中、この前見たテレビが思い出された。
今尚紛争が続く地域の特集。悲しそうな人々がクローズアップされていた。あの人たちも、今頃死んでいるかもしれないのか…。
ああ……銃も暴力もない、平和な世界が…あ…れば…いいの…に…
私が最期の最後に思い浮かべたのは、お父さんとお母さん、おじいちゃんとおばあちゃんたちの、優しい笑顔だった。