一心多体性症候群
「おはよう、鈴夢」
目が覚めるともう終業時間でした。
隣の席から優しく声をかけてくれるのは幼馴染みの鳴瀬優君。基本的に出来ないことはなく、容姿も良いので学校でもとても人気の高い人です。
私の名前は本当はレイムですが、優君は愛称としてレムと呼びます。
「……おはよぉございますぅ」
あくびを噛み殺しながら返事をすると優君は笑って、随分気持ち良さそうに寝てたな。と言いました。
それは私自身からはどうにも分からないことなので曖昧な返事を返しましたが、それにしても今日はやけにはっきりとした夢を覚えているような気がしました。
「何か不思議な夢を見てました……」
「ふーん。どんな?」
「知らない場所で知らない人達と話したり生活したり……まるでもう一人自分がいるような、そんな感じです」
「へぇ~。なるほどね」
何か腑に落ちないような顔で優君は曖昧に返事を濁しました。結局優君は少し考えた後に、帰ろうか。と荷物をまとめ始めました。私もそそくさと荷物をまとめて帰路についたのですが、学校の最寄り駅から家の最寄り駅まで移動してから少し歩いたところで不意に優君が言いました。
「あぁ、思い出した。さっきの話なんだけどさ。まるでもう一人自分がいるような感じってやつ」
私としては特に意識もしてない話題だったので首をかしげていましたが言われると私が寝起きの頭で言っていたことだと気付きました。
今日の帰り道ではやけに無言だと思っていたのですが、どうやら優君は証拠もなければ根拠もない私の話について真面目に考えていてくれたらしいです。
「確か何ヵ月か前に学者だったか研究者だったかが論文か何かを発表してたと思うんだけど、そういう夢現な状態においてまるでもう一人自分がいるような感覚を持つ人間はとある症状を持っている可能性が高いとかなんとか……」
ぼんやりとしか覚えてなくて言葉をつまらせた優君は携帯を取り出しササッと検索をかけました。
「あ、あった。えぇっと……」
『一心多体性症候群』
それが私の生まれ持った身体的な病気らしい。
簡潔に言えば文字通り一つの意識に対して体を複数個持っている。それだけのこと。確かに本来知り得ないはずの情報を何故か知っていたり、勝手に感情が起伏したりするなど変な体質ではあるが、体を複数個持っていると言われても実感はまるでない。時々まるで違う生活をしている自分を夢見るくらいだ。
「……集中しなきゃ」
私は頭を左右にブンブンと振り、雑念を追い出す。先日、とある男から告げられたそんな症状の話など今は頭の中に必要ない。
目の前に広がるきらびやかな街並みを見下ろすようにビルの屋上に身を潜め、時計を確認しながら時を待つ。
『そろそろ時間だな。目標はどうだ、No.06?』
「まだ到着していないようです」
『了解。合図は出さない。捕捉次第殺して構わん』
「了解しました」
私に名前はない。親の顔も知らなければ出身地も歳さえも知らない。与えられたのはNo.06という名前と仕事だけ。
仕事は暗殺者。依頼主の言う通りに目標を殺すだけの仕事。
夜の風を感じながらただ一点を見つめていると黒塗りの高級車が大きなビルの手前に止まる。そこから姿を現した高そうなスーツを着た頭頂部の禿げた男。名前はなんと言ったか……。覚えてないが目標には間違いない。
スコープから覗く限り障害物になるものも人もいない。上から狙う上に下調べもいているのだから当然ではあるのだが。
シミュレーションから僅かな狂いもない。躊躇いも必要ない。私はいつものように引き金を引いた。
衝撃と共に銃弾が放たれ、再びスコープを覗けば既に男は頭を撃ち抜かれて死んでいた。依頼達成だ。帰ろう。
「目標を仕留めました。帰還します」
「今日もお手柄だなNo.06」
薄暗く煙草の臭いがキツい部屋で目の前で高そうなソファにどっしりと構える少し太った男が煙草を吸いながら私の仕事に賛辞を送った。名前は知らない。ただ、私の育ての親だ。彼はかつて天才的な暗殺者だったらしい。
「ありがとうございます」
特に感情は湧いてこない。いつも通り無機質に返事をする。
別に親子ではないのだから当然だ……というより、感情は時に枷になるという教えを真に受けすぎた影響だろうか。
「これが報酬だそうだ」
「ありがとうございます」
私が目の前に出されたお金を受け取ると普段は何も言わずに男は離席するのだが、今日は男は再び口を開いた。
「次の仕事だが……日本での暗殺の依頼が来ている。あそこは暗殺者としては極力近付きたくもないような場所だが……どうする?」
「仕事なら行きます。私にできるのはそれだけですから」
「そうか……気を付けてな」
それだけ言葉を交わし、書類を受け渡すと互いに部屋を後にした。
しかし、あの男から心配されるとは……意外なこともあるものだ。そんな考えが一瞬頭をよぎったが、きっと私がしくじった場合の稼ぎに影響が出るのを心配したのだろう。と頭を切り替え、次の仕事の書類に目を通し始めた。
「まさか……そんなことあり得るんですか?」
「さぁ……? 少なくとも俺はデジャブの起こる理由が別の世界線の自分が経験したことだから理論の方がまだしっくりくると思ってるけど」
そう言って優君は笑いました。
「でも、鈴夢を見てたり、話を聞いたりしてると意外とあり得るんじゃないかなって思うときはあるよ。鈴夢は普段はボーッとしてるけど時々別人の顔になるときがあるから」
「そう……なんですかね? 自覚はないですけど」
「きっとその時は別の体が動いてるんじゃないかな。よくよく考えてみたら一つの意識で二つの体を動かすなんて至難の技だし。なんて、あくまで一説だよ。物理法則に人が従ってるなら未来は物理計算で割り出せるとかその程度の証明方法のない話」
「面白そうな話ですけど、自分の身に起こっているって言われたら笑えないので信じないことにします」
そう言って私も笑いました。
難しい話をしていたからか普段より早く家に着いた気がしました。優君は隣の家に住んでいるので送り迎えといっても数メートルの距離。
少しだけ言葉を交わして私が家に入ったのを確認すると優君は自宅へと戻っていくのです。今日も、また明日。と言い合って、家に入ると両親に、ただいま帰りました。と言うのです。
何の変哲もない日常ほど落ち着くものもないですね。
「日本で暗殺……? これまた難しい仕事を引き受けたな……」
そう言ったのはNo.02。私と主を同じくする唯一の同業者である。彼もまた名前のない孤児であったそうだ。
彼はスナイパーのような殺人方法は苦手らしく、代わりに卓越した観察眼や演算能力を生かし間接的に目標を殺すことを得意としている。
現場は見たことがないが、そのほとんどが事故として扱われている暗殺者としても恐ろしい部類である。
むしろ日本のような平和な国で暗殺を行うのなら彼が行くべきなのだが、私に依頼が来ているのなら彼に任せる訳にもいかず、代わりにアドバイスを受けに来たのだ。
「俺の暗殺方法はやろうと思ってすぐに出来るものではないし、下準備や道具を揃えるのに時間も費用もかかる。それに成功率も気まぐれに変わる。あまりおすすめはしないけどな……」
そう言って彼は言葉を渋る。
「それに概要を見るに場所的な問題もある。俺の暗殺方法じゃ難易度が高すぎる」
「少しだけアドバイスが欲しいだけです。参考程度。何かヒントを得られれば……」
「あぁ……そういうことなら『お前らしく殺れ』だな。例え血飛沫が上がったとしてもお前自身を視認されなきゃ問題ない。いつも通りだろ?」
そう言われると不意に自信が湧いてきた気がした。根拠はないが今まで自分のしてきたやり方が正解だと認めてもらえたようだったからだろう。
「お前が成功して来てくれると俺にも多少なり報酬が入るんでな。頼むよ『無音のレム』」
そう言いながら彼は書類を返すために私に差し出す。
「その通り名はあまり使わないでください……」
どうしてか少しムッとして拗ねたような言葉遣いになりながらもそれを受け取り、その場を後にした。
もう一度書類に目を通す。
目標は将来的に危険視されている高校生らしい。
名前は鳴瀬優。