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いつか鍵開く私たちへ

 

 定期試験も終わった頃、私の学園では一つの噂が飛び交っていた。


 ――深夜に不審な人影が現れる。


 ある生徒が深夜、廃工場の近くを通りがかったとき、屋上の塔のような場所に不審な人影を見たのだと言う。

 その影は空に腕を伸ばし、何かを求めるように手を蠢かしていた。

 あれは空爆で皮膚が焼けた人間の幽霊に違いない。

 いや、宇宙人を呼んでいる変人だろう。ベントラーベントラーと唱える声を近くで聞いた。

 などと噂は学園中に広まっていた。

 ただの作り話だろうと笑った人もいたが、かなりの数の目撃証言が産まれてしまった結果、今では学園を騒がせる話題となってしまっている。


 この噂は当然のように私の耳に入ることになった。お化けそういうの得意そうだし、楼胡が真相を確かめてきたらどう? とついでのように提案もされてしまった。


 いや、それはどう考えてもおかしい。私のような儚い女の子に夜道を歩いてこいというのは中々酷な話ではないかと突っ込んだが、結局、その場のノリで了承している私がいた。


 確かに、今回の奇妙な噂について自分で調べてみたいとテンションが上がっていることは否定しない。噂を初めて聞いた時には、深夜になったら工場に行って、謎の人物に会ってみようかなと考えてしまったことは事実だ。


 だけど、とりあえず私をぶつけておけばなんとかなるみたいな精神はなるべく控えて欲しい。本当にそれだけは勘弁してほしい。切実に。

 この事を部活の友人達に伝えると、心配性の後輩からは危険な事に巻き込まれたらどうするんだ。無鉄砲だと怒られてしまったのには少し安心した。


 ただ、鍵が関わっているようにも感じてしまい、更に興味を持ってしまったのだ。


 この世に生きる全ての人間は鍵を持って誕生する。私が産まれた時も、鍵を離さないように猿みたいなしわくちゃの手でしっかりと握っていた。


 このようにして人と共に生まれた鍵は、家や車の鍵といった道具とは違い、鍵が使えると本人が感じたものに差し込むと、どんな形状のものでも開くことが出来る不思議な特性を持っていた。


 この事から、鍵は私達の心を導き、運命を示す道標になってくれるものだと言われている。

 だからこそ、私達は自身と共に産まれた鍵を使い、何かを開く事はとても大切なことだと教えられている。

 私は、この行為に意味があるのかは分からないのだけどね。


 だって、自分の鍵が使える事に気付いても、よくわからない真理の扉を開くわけではないし、虚空に鍵を挿して、新たな世界に行くことが出来るというわけでもないのだ。家の鍵を置き忘れてしまって閉め出されたとか、マイナスドライバーが手元になかったとか、そんな時に使えたらちょっと便利だったというだけなのである。


 鍵が使える。と感じる瞬間は人によって違うが、鍵を使う日がいつか来ることを知っている。

 そして、その時が来たら、殆どの人は直ぐに鍵を使ってしまいたいと思ってしまうのだ。鍵を使う時の彼らの表情は、子供が雪の降る朝に、サンタさんから貰ったプレゼント箱を開けるかのようなワクワクに包まれていた。


 だからこそ、彼に会ったら面白い事が起きるのではないかと私は期待していた。経験上、そのような突飛な行動を起こす人が開く扉は、特異なものである事が多いと知っていたからだ。


◇◆◇


――幼い頃、私は鍵を無くしてしまいたかった。綺麗に表現すればアンティークのような、ストレートに言えばボロボロの、群青色の私の鍵。


錆びた鍵を見る度に、私の人生がそうであるかのように思えた。特別なはずの鍵が生まれ持ったコンプレックスだった。勇気はなかったけれど、捨ててしまいたいとまで願うようになっていたのだ。


 夕日が沈みだす時間だった。友達と外で遊んだ帰りのこと。すぐに家に帰らずに一人で街を気まぐれに彷徨っていた。鍵を使えたら変わるだろうか、使う場所が見つかりはしないだろうかと淡い期待を持っていた。


 そんな時に、あの人と出会ったのを覚えている。


 不思議な人だった。何故か親しみやすい雰囲気を出していたし、いつだって自然体で落ち着いていた。それに、あの人が持つ唐紅の鍵は私の鍵と違って、とても神秘的で綺麗だった。私はそれだけで心惹かれてしまった。

 茜色に包まれて、電信柱の影がゆっくりと伸びていく時。静寂を気にかけない横着なカラスの鳴き声が聞こえる中。世界の輪郭がぼやけていくような夕暮れ時に、あの人は言っていた。


 『——鍵は大切にしなくてもいい。大切にするのは鍵を使う時なのさ』


 そう言って、あの人は自分の鍵を折り曲げたのだ。


 私は美しい鍵を持つことに憧れていたからこそ、あの人が自身の鍵を壊す光景は、私にとって刺激的で、印象に残るものであった。しかし、茜色に隠された世界の中で、あの人がどのような表情を浮かべていたのかを覗き見る事は出来なかった。


 私は、あれから自分の鍵をすぐに使ってしまいたいと願う事はなくなった。あの人の言葉を聞いて、些細なことで使ってしまえば一生後悔すると思いこんでいるのかもしれない。

 鍵が使える場面は一度だけではない。何度だってあるはずなのに、私は小さい頃に川辺で拾った綺麗な石のように大事にしていたのだ。


 鍵を使う時は、何か大きい事を成し遂げる時に使いたい。今の私はそれだけ鍵に期待をしていて、楽しみにしているのだった。


 だからこそ、私は自身の参考として人が鍵を開ける瞬間を間近で見てみたいのだ。彼らは何を思い、何を感じ、どうやって鍵を手にして開くのか。


 寮の自室で、私の鍵を横目でちらっと見る。部屋に取り付けている窓枠から糸で吊り下げられている私の鍵。この学園に入学してから、鍵が淡く光っているように感じていた。


 もしかしたら、もうこの鍵を使う事が出来るのかもしれない。だけど、今は使わなくていい。私が本当に使いたいと願った時。鍵を使わなければ道が開かないと感じた時に使おうと決めていた。


 時計を確認する。時刻は大体23時。ゆるいシャツの上から黒色のカーディガンを羽織り、携帯電話をポケットの中にしまう。


 窓にかけられている私の鍵も適当に掴み、そのままポケットの中に入れておく。玄関で黒色のスニーカーを履いて、つま先でコツコツコツと三回地面を叩いた。


 ——それでは、行くことにしようか。


 ゆっくり扉を開けると、生温い風が私を包み込んだ。


◇◆◇


 噂を利用して聞きだした廃工場の場所を確認し、街灯の光を頼りにしながら先に進む。衣擦れの音や足音。普段は意識もしていなかった音が耳に残った。


 廃工場に辿りつき、少し錆びている黒色の柵をよじ登って侵入する。私は運動はあまり得意ではない。手がひりひりするのを我慢しつつ、視線を上にあげた。


 梯子を使わないと登れないような高い場所にいたと聞いている。この工場はそこまで広くはない。直ぐに見つける事が出来るだろう。しかし、タイミングが悪かったら会う事は出来ないだろうが――


 ――いや、見つけた。あれは……受水槽、貯水タンクだろうか? その近くにある塔のような場所で、確かに人影が見える。暗いので正確には分からないが、確かに腕を空高く伸ばしているように見える。


 転ばないように足場を携帯のライトで照らし、音を少し出しながら塔へと近づいていった。あちこちによくわからない管とバルブが設置されている。使われていないとは理解してはいるが、バルブを緩めた瞬間に白い煙が出てくるのではないかと空想する。下手に自分から動かして痛い目をみるのは嫌なので、緩める事はしないけど。


 何を作っていた工場だったのだろうかと考えつつ、梯子を見つけたので、手にかけ、ゆっくりと登っていく。

 かなりの高さがある。落ちたらひとたまりもなさそうだ。


 カンカンカンと音を立てながら、梯子を登る。別に相手に気付かれるのは構わない。寧ろ、パニックを起こされてトラブルになってしまう方が困ってしまう。


 じんわりと額から汗が流れていることを気にしながら登り、一番上へと到着する。そこに居た謎の人影の正体は男。私よりも身長が高く、ボサボサの髪をしている。私が来たことに驚いたのか、口を軽く引き締めながら私の姿をしっかりと見つめていた。


 「それで? 君は一体何故こんな所にいるんだい?」


 このような状況では、先に話しかけた方が場の支配権を奪うことが出来る。私は相手の様子を伺う前に、しっかりと地面に足をつけて声をかけた。


 男は自身に確認するように、ゆっくりと口を開く。


「鍵を……鍵を開けるため。夜に高い所に行けば鍵を使う事が出来るように感じるんだ」


 男の手を見つめると、そこには灰色の鍵が握りしめられていた。ああ、彼は鍵を使いたいがために空へと手を伸ばしてたのだろう。なら、かける言葉は一つだけ。


「なるほど、その様子だと使えていないようだね。――私は郡上楼胡。よければ、君のお手伝いをしてもいいかな?」


 あの人が私に伝えたように、私も彼に手を伸ばしていく。これが私の日常で、私だけの日常であった。

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