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弁と剣 ~ネゴシエーターと剣聖ちゃんは霧に包まれた秋葉原で”龍”を狩る~

 剣術の若き天才、鹿江響希かのえひびきを、人間国宝にすべく交渉せよ。

 俺にそんな指令が下ったのは、確か、一ヶ月ほど前の事だったか。


「……なぁ響希ちゃん。人間国宝、ならない?」

「ヤダ。っていうかオジサン、今、そんな場合?」

「そうだよなぁ……」


 数メートル先も見えない深い霧の中。俺は背中合わせに立つ響希とそんな会話を交わし、周囲の警戒に意識を戻した。

 周囲の景色はほとんど見えないが、ここは秋葉原の電気街。しかし不気味なくらい何の音もしないし、人の気配だって全く無い。

 ……明らかに、何か異変が起きていた。


 俺、伊島文人いしまふみとは、文科省に所属する交渉人だ。自分で言うのも何だが、これまでにも多数の国家事業に携わった、かなりの敏腕。交渉の成功率も百パーセントで、多くの人を幸せにしてきた。だから当然、今回の依頼だって簡単にこなせると思っていた……のだが。


(なんでこうなったんだか……)


 これまでの事を思い返す。

 『剣術の天才』なんて言われてるくらいだから、さぞ剛健な見た目をしているだろうと思っていたのに……実際会ってみたら、身長150センチも無い可愛らしい女の子。しかも相当なワガママ娘で、こちらの提案を即答で一蹴と来た。


 ただ、こちらもビジネスで訪問したわけで。俺はそんな響希を説得すべく、その日以降ストーカーばりに根気強く付きまとった。交渉に大事なのはしつこさ7割に機転2割、その他1割。俺は三十路のおっさんが15歳の少女に付きまとっているという事実をなるべく考えないようにして、とにかく響希と行動を共にした。今こうして秋葉原にいるのも、響希のアニメ趣味に付き合った結果だ。


(なのに、この霧。こりゃあ一体、どうなってるんだ……?)


 警戒を続けつつ周囲の様子を観察する。すぐそこのアニメショップに入ったのがおよそ30分前。そしてついさっき店から出てきたら、もう外は濃い霧に包まれていた。

 たった30分だ。それだけの短時間でこうも天候が変わり、人がいなくなるなど、普通に考えてあり得ない。天気予報でも、霧が出るなんて言葉は一言もなかったはずだ。本当にこの霧は一体何なのだろう?


(それに……)


 さっきまでいたはずのアニメショップの方を見る。入り口が、無い。というか、店自体が無くなっている。俺たちは夢でも見ていたのだろうか? まるで狐につままれた気分だ。

 しかしそんな時、背後の響希が小さく声を発した。


「オジサン、何か来るよ」

「何か?」

「うん。油断しないで」


 硬い声色で俺に警告する響希。背後を見ると、響希は持ってきていた木刀で居合の構えを取っていた。肌で感じられるほどの凄まじい殺気。その姿には、僅かばかりの隙もない。


(…………)


 正面に顔を戻し、自分も集中する。剣術の天才とはいえ、響希は幼い少女。年長者である俺がしっかり守ってやるべきだろう。まぁ残念ながら武術の心得は無いし、その自信は全く無いのだが……。


「……?」


 しかしそんな時、俺はふと妙な物音がする事に気がついた。裸足の足音のようなヒタヒタという音。しかも少しずつ、こちらに近づいてきているようだ。これが響希が言っていた『何か』だろうか?

 だが警戒を強めた次の瞬間――


「ふっ!」

「……!?」


 背後の響希が木刀を振るう。剣圧で風が吹き、周囲の霧が竜巻のように乱れた。驚いて振り返ると、そこには……な、なんだ、こいつ?


「アァ……アァァ……!」


 道路の上でジタバタと悶える、灰色の謎の生物。形状は人間そっくりで、身長は響希と同じくらいあるだろうか。しかし服は着ておらず、全身が毛に覆われていていた。なんというか……猿と人間の中間のような、変な生物だ。脇腹を押さえて呻いているが、おそらくそこを響希に攻撃されたのだろう。


「オジサン、どうする?」


 響希が木刀を構えたまま、小声で尋ねてくる。声色だけでなんとなく分かるが、トドメを刺すべきか、という意味らしい。小さな女の子がそんな物騒な質問をしてくると、なんだか背筋がゾクッとしてしまう。響希の事を「怖い」と思ったのは、これが初めてだ。

 しかし俺はすぐに「待て」と指示を返した。


「一応、コミュニケーションを取ってみよう」

「……は? いやいやオジサン、こいつ、霧の中から飛びかかってきたんだよ? しかもこの見た目。明らかに『モンスター』でしょ」


 俺の言葉に対し、思わずこちらに顔を向けて反論する響希。モンスター、か。若者らしい、いかにもな表現だ。

 だが俺はそんな響希の腕にそっと手をやり、木刀を降ろさせた。この灰色の獣の声にどこか知性を感じたからだろうか。交渉人としての勘は、相手が話の通じる生物であると、俺に不思議な確信を抱かせていた。


「…………。オジサンってさ、そういうとこ、あるよね」

「そういうとこ?」

「なんか、気持ち悪いとこ」

「失礼な。こんなナイスミドルに向かって」


 突然の罵倒に思わず顔をしかめる。しかし響希の表情は、なんとなくこちらに好意的な感じだ。よく分からないが、それほど悪い意味の罵倒ではなかったらしい。


(とはいえ、まずはこの生き物に、どうアタックしていくべきか……)


 未だ地面で悶ている灰色の獣を眺めながら、コミュニケーションの手段を考える。姿が人間に近いという事は、人間と同様の交渉方法が有効かもしれない。しかし響希の一撃のせいでこちらへの印象は最悪だろう。まともに相手をしてくれる保証はない。

 俺は頭をフル回転させ……そして五秒もかけず、結論を出した。


「響希ちゃん、道路を木刀で軽く叩いてくれる? 相手を威嚇する感じで」

「良いけど……コミュニケーションを取るんじゃなかったの? 怖がられちゃうよ?」

「大丈夫さ。ほら、やって」

「……分かった」


 俺の言葉に頷き、響希が道路をコンコンと木刀で叩く。すると灰色の獣は身体をビクッとさせ、動きを止めた。受けた攻撃の痛みを思い出し、恐怖したようだ。

 俺はそんな相手に、刺激しないようゆっくりと近寄っていく。そして――


「よしよし、大丈夫。怖くないよ」

「ウ…………ウァ……?」


 相手を慰めるように優しくその背中を撫でる。灰色の獣は当然驚き、こちらの顔を見てきた。

 ……うん、よく見ると、なかなか愛嬌のある顔をしてるじゃないか。猿と違って顔面にも毛が生えているけれど、目もつぶらだし、あまり怖い感じではない。口から覗く牙はちょっと野性味を感じるけれど。


 しかし響希はこちらを見て困惑したような顔をしていた。怖がらせたと思いきや、優しくする。俺の行動の意味が分からず、戸惑っているのだろう。

 俺はそんな響希に再び指示を出す。


「響希ちゃん、もう一回」

「う、うん……」


 俺の指示に頷き、再び響希が木刀で道路を叩いて威嚇する。再び身体をビクンとさせる灰色の獣。俺はそんな相手の背中を、またも優しく撫でた。


「大丈夫、大丈夫。響希ちゃんは怖いけど、俺は君の味方だよ。大丈夫」

「ウァ……。ウゥ、ウゥ……」

「えっ……?」


 灰色の獣が取った行動に、響希が呆けたような声を漏らす。

 まぁ驚くのも無理はない。灰色の獣はなんと、縋り付くように俺に抱きついてきたのだ。その姿はまるで母親に抱きつく赤子のよう。俺の事をだいぶ信頼してくれたらしい。


「ど、どういう事……?」

「ふふ、これが交渉術というものさ。通称、『グッドコップ・バッドコップ』。警察官がよく使う、相手の心を開かせる技術だよ」


 呆然とする響希にドヤ顔で説明する。

 グッドコップ・バッドコップ。日本語にすると、良い警官・悪い警官。片方が心理的に圧力をかけ、もう片方が優しく同情を見せる。すると相手は驚くほど簡単に、同情してくれた方を信頼してしまうのだ。

 しかしまぁ、上手くいって本当に良かった。失敗すれば攻撃されていた可能性だってある。内心、メチャクチャ怖かった。


「……オジサンさ、ほんとそういうとこ、気持ち悪いよね」

「だから、失礼な事言うのはやめなさい」


 また罵倒してきた響希を、灰色の獣を撫でてやりながらたしなめる。多分これも悪い意味で言っているのではないのだろうが、若い女の子に「気持ち悪い」と言われるのは、なかなかキツい。ぜひとも普通に褒めてほしいものだ。

 しかしそんな時、灰色の獣が突然、四足で立ち上がった。そして――


「ウヴゥ! ウゥ!」

「ん……なんだ?」


 霧の中に向かって唸る灰色の獣。俺はそれに首をかしげ、自分も立ち上がった。だが周囲は相変わらず無音で、他に何かがいるような気配はない。なんで吠えてるんだ、こいつ?


「……!」


 しかしその数秒後、響希が素早く俺たちの前に立って木刀を構えた。そして次の瞬間――


「GAAAA!」

「はっ!」


 霧の中から勢いよく現れた巨大な黒い『拳』のようなものを、響希が木刀を振るって受け流す。するとそれはスッと霧の中に引っ込み……周囲には、再び静寂が訪れた。

 い、今のは、一体……。


「……オジサン、今のとも、交渉する?」

「…………。いや、やめておこう。逃げるぞ」

「賢明だね」

「ウゥ!」


 俺の言葉に響希が同意し、灰色の獣も背後に向かって袖を引っ張ってくる。

 全くわけが分からない。しかし霧の中には危険な何かが潜んでいて、この灰色の獣はその存在を察知できるようだ。


 俺は灰色の獣が引っ張る方向へ、響希と一緒に後退する。

 霧は濃く、これからどうすれば良いのかも不明。

 ただ、響希が武力、俺が交渉力を発揮しなければ、この世界で生き残る事はできない。それだけは、なんとなく分かった。

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