美少女受肉してしまった仮想配信者のお話
『モニターの前のみなさん。はじめまして、こんばんわ。仮想配信者見習いの『木乃・若芽』です。……あっ、仮名ですよ?』
さらさらと流れ、きらきらと煌めく若葉色の髪を揺らしながら……やや下方向へと伸びる長い耳を持った神秘的な少女が、はにかみながら可愛らしく自己紹介を行っている。
背丈はさほど高くない。肉付きもそこまで良いわけではない。身に纏うのは丈の長い、しかし身体のラインにフィットするローブ。胸の膨らみも腰のくびれも控え目なのが着衣の上からでも見て取れ、『華奢で儚げで神秘的なエルフの少女』というキャラクターを解りやすく表現している。……と思う。
『来週金曜日よるの九時……二十一時、ですね。魔法情報局『のわめでぃあ』、満を持して放送開始です!』
彼女が身振り手振りを交え、踊るように体を動かすにつれて、要点を纏めた字幕や情報バルーンがぽこぽこと飛び出る。
意のままに『魔法』を操る、幼げな容姿に反して超熟練の魔法使い。見た目と内面のギャップがまた『木乃・若芽』というキャラクターを魅力的に彩っている、……と思う。
『このわたし、若芽ちゃんが直々に集めたさまざまな情報を、みなさんに特別にお教えしていきます! たのしみにしていてくださいね!』
やや高い位置に設定されたカメラへと、若干の上目遣いであざとくも可愛らしくアピールする『若芽』ちゃん。
その名前はこの世界にありふれた海藻の名前であるとか、国民的アニメには同じ名前の女の子が存在するだとか、今後視聴者からそういった情報を与えられて赤面するという……大変あざとい設定・予定が仕込まれた、この段階ではまだ随所に『粗さ』が見られる未完成のキャラクター。
数週間前に作った告知動画は、入念な広報活動と『神』の人脈のおかげで順調に拡散されており、幼げでありながら超熟練、あざとくも可愛らしい『木乃・若芽』ちゃんの知名度・期待値も、どんどんと上がっていった。
そして……今日がその、告知動画内で告げられた『来週の金曜日』に当たる。
本放送の開始を間近に控え、魔法情報局『のわめでぃあ』の看板娘は。
……錯乱していた。
(む……無理っ! 絶対! 絶対無理!!)
緊張に震える視界が時計の針を捉え、現在時刻が二十時四十五分を回ったことと……刑の執行まで残り十五分を切ったことを、無慈悲に告げる。
ディスプレイのうち一枚が映し出すのは『神』の厚意で用意されたポップでキャッチーな広告イラスト。名前を捩った架空の放送局名が記された看板をこれまた可愛らしく抱いている。
彼女の頭上にふわふわと浮かぶ噴出には『本日二十一時ついに開局!』との文字。
(なにが『ついに開局!』だ! ふざけやがって!)
忌々しげに唇を噛み、大喜びでテキストを挿入した先週の自分に吐き捨てる。カメラもマイクも音源素材も画像素材も、何から何まで準備万端。台本だって手前味噌だが完璧に仕上がっている。
今日に至るまで、動画配信なんて数え切れぬ程にこなしてきたのだ。再生数やチャンネル登録者数はお世辞にも多いとは言い難いが、場数はそれなりに踏んでいる。リアルタイムでの生放送は初めてとはいえ、やること自体は身体に染み付いているのだ。問題無い。
問題無い……筈だった。
(でもっ! でも!! これは無理……! 絶対無理!!)
ディスプレイの中……配信準備の整ったPC画面には、この部屋の内装を背景に可愛らしい女の子の姿が――頭を抱えてうずくまって悲壮な表情を浮かべている様子が――リアルタイムで映し出されている。
画面へと視線を向けると、モニター上部に設置したカメラを介して女の子と目が合う。両手で頭を抱え首を振ると、ディスプレイに映るその子もまた……同様にいやいやと頭を振る。
情報変換を噛ませていない分、ほぼリアルタイムで自分と全く同じ挙動を取る『看板娘ちゃん』。この子はここ数日徹夜に徹夜を重ねて今日の昼過ぎにやっとのことで完成した渾身の3Dモデル……ではなく。
「なんでっ、……なんでおれが……っ!」
カメラ越しでは無くとも、視界の端にさらさらと映り込む若葉色の髪は。無残な程に変わり果て、憎たらしい程に可愛らしく変貌してしまった声は。
この数週間で全面リファインが行われた、自身の技術の粋を注ぎ込んだ渾身のアバター……なんかでは無く。
紛れも無い、おれの身体だった。
今から遡ること……ほんの十時間ほど前。
ここ数週間の集大成とも言える、渾身の3Dアバターが……消えた。
「……は? …………え…………はぁぁ!??」
落雷によるものと思われる停電から復旧し、ここ数週間絶えず顔を突き合わせていたモデルデータが奇麗さっぱり消え失せているのを認識するなり、素っ頓狂な声が上がった。
今日の夜九時からの配信に向け、最終確認とばかりに細部の造り込みを進めていた3Dアバターモデル……チャンネル開設の要とも言えるそのキャラクターが、跡形もなく消えていたのだ。
「嘘だろ……? え……ど……どう、すん……だよ…………どうすんだよぉ!!?」
動画配信者として一通りのころはこなせるが、しかしぶっちゃけ大した実績も残せていなかった俺は……心機一転、昨今の仮想配信者ブームに乗っかろうと画策した。
主役となる看板娘の設定を練りに練ってラフを書き上げ、数少ない得意分野であったモデリング技術を用いて3Dアバターを造り始め、『神』と謳われるイラストレーター氏になけなしの貯金を叩いてキャラデザインを発注し、ネット上で出資者を募ったり無人融資契約機に頼ったりして少なくない資金を集め、高精度な変声ソフトを調達して完璧に調律を済ませ、超一級品とまではいかずとも不自由することは無いであろう配信器材を揃え……
とうとう配信当日を迎え、要であるアバターもつい先程やっと完成したかと思ったら……その要が消えていたのだ。
既に告知イラストは拡散してしまっている。
やはり『神』の影響力は凄まじく、決して少なくない注目と関心を集めてしまっている。
出資者達にも今晩が第一回の配信だと伝えてしまっている。
今更配信予定を変更することなど……出来ない訳ではないだろうが、肝心の初動で躓いたらその後の伸びは怪しいだろう。
いやむしろ、各方面に借りを作りまくっている自分の場合……その遅れは絶望的だ。
今晩の配信予定を変更することは、実質不可能。しかしながらアバターが存在しなければ、俺が顔出し配信したところで意味も無い。
愛らしい美少女目当てに配信を見に行ってみれば演者は御歳三十余りのおっさん(無職)だった……なんてことにでもなれば、もはや詐欺である。どう考えても炎上は免れられず、仮想配信者計画は一瞬で消し飛ぶだろう。
ここへ至るまでに費やした努力が水泡と化し、おまけに各方面から受けた恩と抱え込んだ借金も返せず……日に日に膨れていく利子に脅え、緩やかに滅ぶのを待つしか無い。
窓の外は相変わらずの雷雨だったが……その音さえろくに耳に届かない。
薄暗い窓の外、窓ガラスに映る自分の顔。表情が抜け落ちたその顔は、まるで死人のように虚ろだった。
(……死ぬか)
今更死ぬこと自体は怖くない。自殺を試みたことだって何度もある。実際に身を投げたことも……ある。
だが……悔しい。
(ちくしょう)
自分でも間違い無く会心の出来だった。誰からも愛されると思える程に可愛らしい子だった。もし実在するのであれば、それこそ目に入れても痛くない程に……愛しい存在だった。
そんな可愛い我が子が……日の目を見ることなく、闇に葬られる。
そのことだけが、ただただ悔しかった。
(畜生!!)
本気で打ち込んだ創作物さえ、満足に作り上げることが出来なかった。
ほんのデータに過ぎない我が子に、命を吹き込むことが出来なかった。
声を、動きを、表情を、歴史を与えてやることが出来なかった。
皆に愛されるキャラクターとして、生を与えてやることが出来なかった。
『魂』を吹き込んでやることが出来なかった。
そのことだけが……ただひたすらに悔しかった。
何度目かも解らぬ轟音。腹の底に響くような雷鳴が、脳を揺さぶる。ぼんやりと霞む視界に雷光が幾度となく飛び込んでくるが、微塵も恐怖は浮かばない。どうせもうすぐ消える命。今更怖いものなんてあるものか。そうとも、何一つとして眩い成果を生み出せなかった俺なんか……生きていたって仕方が無いじゃないか。
只一つ心残りなことは……『あの子』が生まれることさえ出来ずに消えていくこと。それだけだ。
ああ、全く。なんで俺はこんなにも無駄に生きているのだろう。
(俺の代わりに……あの子が生きていれば良かったのに)
強まっていく雨と風、この世の終わりのように荒ぶる雷。
そこかしこに立て続けに雷が落ち、轟音に頭を揺さぶられる中。
空が、光った気がした。





