受験生にドラゴンは必要ですか?
「最後の試練だ。勇者よ、我が問いに答えるがいい」
硬く紅く爛々と輝き脈動する鱗、荒々しくそして禍々しい牙と爪、長い首と尻尾。滲み出る風格が熱気がこの空間を染め上げ、肌をピリピリと焦がしてゆく。
今、俺の目の前にドラゴンがいる。
手を伸ばせば届く、そんな距離。
目を閉じ、息を深く吸って、己の雑念とともにゆっくり吐き出した。
そして、今まで一緒に戦ってきた相棒を握り直し、一層の力を込める。
高まる鼓動。新芽のような漲り。この身を溢れんばかりに満ちた血潮。
——俺ならできる
この戦いは誰かのためじゃない。俺のために俺の力を振るう。
幸せな俺の人生を掴むために、己の正しさを証明する!
「さぁ、答えよ」
俺を貫かんとする熱く鋭利な眼光。
だが、いかなる視線も俺の答えを変えられはしない。
「うおおぉぉぉおおお!」
俺の今までの経験と知識で導き出したもの……
「ぬっ!? これは……」
「これが俺の答えだっ!!
……3x+5」
居間に静寂が舞い降りる中、ドラゴンの鋭い眼光が用紙と[解答]と書かれた紙を交互に照らす。
水滴がグラスを滴り、コースターに触れてグラスの下に隠れる。
「……正解だ」
「どこの問題?」
「センターだ」
器用に出典を指す厚い爪の先には「センター試験・改」と記されている。
「どうした、正解だぞ? もっと喜べ」
諸手を挙げて喜ぶほど難しくないぞ、この問題。
そんなことより、今の俺には早急に解決しなければならないことがある。
もちろん、それは敷金を急騰させんばかりに鋭いこいつの爪ではない。
「なあ、一問答えを出すごとにラスボスと勇者の最終決戦風の答え合わせするのやめない? 役作りとかセリフ考えることとか面倒くさいし……飽きた」
「な!? 悠太よ、何を言う! それは、わしが昨日徹夜して考えた名案だぞ! 何しろ解く者は一問も間違えられない緊張の中で……」
「いや、緊張感は大切だけど一問の答え合せごとにこれやんのはバカでしょ。それにお隣さんに迷惑かかっているから!?」
あの問題だってこんなことしてなければ五分で終わったのに、時間の無駄もいいところ。
それにしても、と椅子に背を預ける。
徹夜までして出した案がこれか……
「我が問いに」と言っておきながらセンターの問題出すなよ、聞いてる俺が恥ずかしさで頭抱えたくなるだろうが。
ヤケ酒が如く手荒くグラスを煽り、ストレスを氷にぶつけ噛み砕く。
たしかに、モチベーションの消えやすい勉強に付き合ってくれてるのはありがたい。ああ、そうだよ、敬い尊び崇め奉ってやるよ、これに関してはな。
だが、いつもいっつも「ごっこ遊び」を始め、話が横に逸れるなんてたまったもんじゃない。まさに蛇足だ。もっとも、ドラゴンなんざ手足ついた蛇に同然なんだから蛇足もお似合いだろうけど。でもな、俺はお前の話延々と聞き続ける赤べこでも、整理する交通誘導員じゃないんだっつーの。
「悠太よ、せめて大問ごとに……」
「なんか喋った?」
「い、いや、なんでもない」
「……休憩してくる」
シャーペンを乱雑に置き、ベランダの戸を開ける。脳みその沸点に達しそうな頭を冷やすため、そしてストレッサーから離れるためにも、今の俺には休息が必要だ。
外では沈みかけの太陽と富士山を見ているだけでも、なんだか体がダル重くなる。
「あー全ての学業放り出して、サキュバスのお姉さんとかのヒモになりたい」
自然と欲望が出るのも今は誰も咎めまいや。
数十年前に、地球が向こうの世界と繋がったせいで地理の範囲は二倍に増えてしまった。繋がんなよ。世界は一個で充分だっての。
当然、町に出れば異界人はよく見かける。アルバイトや会社員に議員、エコバックを下げて交差点で信号待ちしている主婦なんかもザラにいるし、なんなら俺のお隣さんは異界二世だ。
こうも社会進出具合が大きく、地球の暮らしにすっかり馴染んでいるんだから学校教育で向こうの世界を取り扱うのは自然なことかもしれない。
今でこそ平和に共存できている二つの世界の住人たちだが何十年も前にはドンパチをかましていたらしい……教科書いわく。
地球側が終始優勢だったが、最終的には停戦となった。その最大の要因が、今俺の家で延べ床面積30%を占めるこいつの種族、ドラゴンだ。
銃弾を防ぐ鎧のような鱗に身を包み、空を駆け、火を吹き、当時最新鋭であった数々の兵器とタメを張り、地球側に猛威を振るったと言う。
そんな大型生物兵器がいると知りゃあ、あっという間に神様仏様と一緒に並んでドラゴン様に格付けられるのも自然なことだ。
——だからこそ不思議だ
名乗り出ればそこかしこに崇拝し、丁重に扱い、崇め奉ってくれる個人、団体なんて山ほど存在する。わざわざ高校生が住むようなこの手狭なマンションを寝床にする必要は無い。
まあ、部屋の中で寝そべるあいつもドラゴンだと思うと、ドラゴンもピンキリかもしれないが。
「なぁ、なんでウチに居るんだ? おまえはドラゴンなんだから住む場所なんて困らないだろ」
「待て悠太。今日中に良い案考えるから、勘当はよしてくれ!」
「何でそうなるんだよっ!」
まだその話続いていたのかよ……
こうもうるさいとなんだか勘当したくなってくる。実際には今の俺にそんな気はない、いや、到底できるはずがない。
「するわけないだろう? おまえが我が家の大事な家計を支えてるからな」
メンタルをフォローするために濁していったが、正確にはこいつの脱皮に支えられている。さすがドラゴンというべきか、オークションにかけると文字通りケタ違いの額を叩き出す。
当然だが、仕送りのない高校生がバイトもせず学校に行って生きていけるほど世の中甘くない。まさにドラゴン様様だ。
——それにこいつとも長いしな
グゥゥ……
そういや、晩めし作るの忘れてた。勇者とラスボスごっこはもうごめんだし、休憩ももう終わり。
「あとさ、ずーっと気になってたんだけど、なんで名前教えてくれないの? 名前自体はあるんでしょ?」
「なんで、と言われても特にはない。気分というやつだ」
「十年間いつも言いたくない気分だっていうのか?」
「そうだ」
んなわけあるかよ。毎日毎食ごとに大量の肉を料理してやってるんだから名前くらいは言えっての。夕飯にハバネロ入れてやろうか?
ここはひとつ揺さぶるか。
「ふーん……晩めしの肉に納豆乗っけるぞ」
「なっ!? それは待て、早まるな」
先ほどまでの頑なな態度と打って変わり焦り気味の顔であたふたし始める。部屋が狭いので挙動は小さいが。
ここでダメ押しの必殺技だ!
「えー、名前言わないと載せちゃうぞー」
ウィンクをしてチロリと舌先を出し、首を傾げ、ぶりっ子アピール。そこから片足を立ててあざとさに更なる磨きをかける。
完璧だ。なんて元気ハツラツで妖艶な男なんだろう。
「……納豆を使うなぞ、卑劣なことを。だが、たとえ納豆だろうとわしは口を割らんぞ」
「チッ」
思ったより強情じゃねえか。昨夜の扇風機もこれで勝ち取ったってのに。
「じゃあ、ゴーヤも追加で」
「ぬっ!? ゴ、ゴーヤが乗ろうともわしには何にも、全く、微塵も、カケラも関係ないぞっ」
「本当に?」
「ほ、本当だとも」
うーん、このままピーマンとかワサビとか乗せてもダメそうだな。どうせ口を割らないなら、いっそのこと嫌いなもの全載せしてもいいが、今日の所は勘弁してやろう。
とはいえ、ドラゴンにとっての名前はそんなに重要なものなのか?
自己紹介とかどうやってんだろ。
「いつか教えてくれよ?」
「その時が来たら、わし自ら言ってやるわ」
「それじゃあ、晩めし作るから、なんかしてて」
——ピーンポーン
腹も減ったし、時間も遅いし簡単なものでいいか、と考えながらキッチンに向かっていると、呼び鈴が鳴る。
クルッと進路を玄関に変更し、鍵を開け、ドアを開ける。
「こんちワー」
「谷口さん!? どうしたんですか?」
現れたのは、アメリカの球団のキャップに薄汚れたTシャツの男。そのくせ時計は金ピカのものをつけるナンセンスの体現者。
いつ見てもセンスないな。
「ゴハンは作ったカ」
「いえ、まだです」
屈託のない笑顔と語尾がおかしい日本語で、まるで母というよりオカンのように接してくる。
それより、なんであなたがここにいんの?
「谷口さん、お店の方はいいんですか? まだ営業時間じゃないかと思うんですけど」
「悠太がいっぱい買いに来るからモーマンタイ」
「たしかにいつも数十キロ単位で肉を融通してもらってますけど……」
それでも、店長という立場の人間が言っていいセリフじゃないでしょ!
「で、悠太。いいトリ肉入ったから買エ」
「どこの肉ですか?」
「コカトリス」
「ええっ!?」
九州とかの地鶏じゃなくてコカトリス……超高級食材じゃないか!
「一体どうやって仕入れてきたんですか? すごく高い肉ですよね?」
「取ってキタ」
「はい?」
「向こうで殺して持ってキタ」
「……」
たぶん、俺は世界一斬新なセールスに遭ってしまったようだ。表情が消えてくのが、自分でもよくわかる。
「買エ、悠太」
ああ、神様仏様ドラゴン様。
純粋だけど武闘派で、さらにいつもお世話になってる店の店長が自ら取ってきた高級食材をセールスしてきたときの対処法を教えてください。





