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原状回復費用、お支払いいただきます。

 それでは、と請求書を差し出した。


「あなたが踏み倒した原状回復費用、それに回収費用と滞納した日にち一日分につき一割五分の利子になります。三日後までにお支払いください」


 記入された数字を食い入るように見つめる元店子の男。目を見開き脂汗が浮き出ている。


「お支払いがない場合はお手持ちの口座の預金や動産不動産、差し押さえの手続きに入らせていただきます。お支払いまでの間の確認としてお体に契約印を刻印します」


 す、と軽く手を空中をなでるとそこから染み出るように契約印が浮き出て薄汚れた服を着た男の体にまとわりついていく。これで目印がついた。たとえまた踏み倒したとしても、契約印が被契約者を縛り上げて逃亡を防ぐ。男に印がつけられたことで、こわばった祥子の体から力が抜けそうになるのを気力で堪えた。




 「これが原状回復費用とクリーニング代の見積もりになります」


 これから退去をしようとする店子に退去費用の提示をする。男が内容を確認する間に、すっかり汚れて穴すら空いた壁を目にして出そうになるため息を押し殺す。


「大家さん。これ、払わなくていいですよね?」


 書面から顔を上げた既に勝利を確信した男の表情は、大家である有宮祥子を絶句させることに成功した。


「こないだ里の法令で【退去トラブルに関するガイドライン】って出ましたよね。住んでもう六年経ちましたから、退去費用ナシでいいですよね」




 「ふっざけんじゃないわよ!!」


 誰もいなくなった室内で思わず声が出た。六年余り入居していた男は、原状回復費用どころかクリーニング代すら支払わずに出て行った。あとに残されたのは修繕費用のあてもなく使い古されて汚れて壊されたカ所が目立つ部屋。男に渡すべき請求書を握りしめ、ギリギリと歯を食いしばった。

 この修繕費用をどうやって賄おう?いや、むしろどうやって取り立てよう?借り入れはどうやって返済すべきかそして何より。


「税金、どうしよう……」


 この森の民の里に住んで二年。交易の要たる森の里は反映しているが治安維持や住民へのサービスの為の原資として税金がとにかく高い。その代わり女ひとりで暮らせるくらいの治安は享受できるわけだから満足せねばなるまい。その分、物価も高いが。目の前の督促状には、年間収益の六割を超える返済額が記されている。それが、ちょうど男が踏み倒した賃貸物件の原状回復費用だった。修理をしなければ新しい店子を募集に掛けることもできないから、新しい収入がなくなる。けれど、賃貸物件の修繕費用に資金を回せば税金が期日までに支払えない。脳裏には督促状に書かれた期日が焼き付いていた。


「あと、一か月……!!」


 この一か月でここの購入費用の返済金と税金を工面しなければならない。ガイドライン、と口にした男の口が微妙に口角が上がって歪んでいたのを思い出す。支払えなければ、せっかく手に入れた不動産どころかなけなしの貯金も全て差し押さえられてしまう。そうなれば、たちまち一文無し。路上でさ迷う人々と同じような生活をまた強いられることになる。寒さと飢えに苦しんだ生活を思い出し、キリキリと胃が痛みを訴える。何か、手を打たねば。



 「これ、訴えるとなると費用が掛かりすぎます。諦めて次に行った方がいい」


 弁護士を名乗る男は一通り話を聞いてそう言い放った。何とか相談料を支払って礼を言いつつ、弁護士事務所を出る。傾いた太陽の光がまぶしい。期待していただけに、絶望感が倦怠感と共に全身を支配する。羽織ったストールを日よけにしようとしたところで影が落ちてきた。


「なにやってんだこんなところで」

「なにって……弁護士に相談に来たの」

「まーた踏み倒されたのか。もうやめとけ、不動産管理なんて。お前向いてないよ」


 ポンポン、とストール越しに頭を軽く叩かれる感触に思わず振り払う。


「私の努力を否定しないで!!」

「おー、こえぇ」


 笑いを含んだ声の方向を睨みつける。


「とりあえず、その金取り立てに行こうか」

「相手の逃げた先もわかんないのに」

「いいからついて来いって」


 もはや顔なじみとなってしまった取り立て専門の傭兵はレイルと言う。見た目は筋肉だるまだが、稼業のせいか器用なところがある。


「結構な金額だな。今年何件目だ、お前んとこ」

「……四件目」

「総額で大体二百万か。きついな」


 請求書を見せるとうーん、と唸って無精ひげの生えた顎に手をやった。


「とりあえず会いに来るように来たくなる気持ちにさせてみようじゃぁないか」

「ナニソレ気持ち悪い」

「お前ねぇ。相手にツラ合わせなきゃオハナシもできないじゃないの」


 受け取った請求書を器用に折りたたんで鳥を形作ると、ふっと息を吹き込んだ。請求書は見る見るうちに本物の小鳥そっくりになり、羽ばたき始める。


「逃げた男を探して、顔に貼り付け」


 レイルの言葉を理解したのかそのまま夕暮れ時の空を燐光を放ちつつ紙製の小鳥は飛んでいく。飛び去る小鳥をなんとなく見送った祥子の耳に、つんざく悲鳴が飛び込んできた。


「ちょっとあんた!!どこでそれ踏み倒してきたのよ!今夜の花代も払わない気なの!?」

「案外近かったな」


 うきうきと足取り軽くスキップすら踏みそうな長身の筋肉だるまの後を追う。


「なんか、すっごい理不尽な気がする……!!」

「なんか言ったか?」

「いいえなーんも!」


 金切り声をあげる女がいる妓楼はすぐに見つかった。元居た賃貸物件からそう離れていない場末の花街の一角に顔に請求書を貼り付けた男は客としてあがっていた。


「みーっけ。おニイさん、踏み倒されたら困るのよねぇ」


 いかにもな内装に目をやりつつ、顔に貼りついた請求書をはがそうとしてかえって呼吸を怪しくしている元店子にレイルは軽い口調で呼び掛けた。女に賃料を払って部屋を貸し切ると、窓と扉をしめ切ってカギを掛ける。男も椅子に縛り付けて、ようやく呼吸だけはできるように鼻の周りに空間を作ってやった。


「お前さんさ。誰にこの方法習ったんだ?」


 ようやく新鮮な空気を吸い始めた男はびくり、と体を震わせた。


「誰かが主導しなきゃ、こんな連続で踏み倒しなんて普通は起きねぇんだよ。誰が裏で糸引いてやがる」

「えっ?店子さん同士は住んでた時期はかち合わないよ??」

「こういう情報ってのは裏で取引されるもんさ。誰かがそういう情報を売らなきゃ、こんな連続で起きやしねぇ。これは計画的な詐欺事件だよ」


 その言葉に、思わず唾を飲み込んだ。


「詐欺……」

「しょーこちゃん、見た目からしてウブっぽいから最初から踏み倒し目的で入居してんのさ。そんで最初に成功した奴が味占めて、誰かに情報を売ったか教えたか。二度あることは三度あるってね」


 そう言いつつ、無造作に縛り上げられた店子の指を逆側に折り曲げる。突然の苦痛に叫び声を上げようとするが、顔に貼りついた請求書はそこまでの自由は許してはくれない。


「で、誰が親玉なんだ?ああ、言葉に出さなくていい。口の動きだけでかまわない」


 男が荒い呼吸で口を動かそうとして、ぎゅっと妙な声を立てて首がおかしな角度に折れ曲がった。ぎょっとしてその様子をまじまじと見つめる祥子と違って、レイルは腰に下げた片手剣で何かを断ち切る。


「しくった。すまねぇ、しょーこちゃん。証人殺られちまったわ」


 血でも吐いたのか、口の辺りがじわじわと真っ赤に染まり始めた請求書を貼り付けたゴムのようにぐんにゃりとなった元店子の姿に震えが走る。


「うーん……ちょーっとこれ、相手がデカいかもよ?どうする?」


 親指と人差し指で輪っかを作ってレイルは祥子に示した。


「今んとこ報酬はいつもの半額でいいからさあ。相手、死んじまったし」

「えっ?お金、取るの?」

「とーぜんでしょー?世の中タダってのはないのんよ?」


 無駄にきらりと白い歯を光らせて両手を広げて肩をすくめる姿に、怒りが沸点を超える。


「ふっざけんじゃないわよ!!勝手に捕まえて勝手に尋問し始めて勝手に監禁して!!それにまだ頼んでない!!」

「えぇ~!!そんなぁ」

「えぇ~そんなぁ、じゃない!!金払ってほしけりゃそいつ殺した犯人探せー!!」

「あ、依頼してくれるの?毎度ありー♪」




 いそいそと契約専用の紙を取り出してどっかりとあぐらを掻き、契約内容を記入する姿に、祥子は心中複雑である。


「……ねぇ。アンタさあ、もしかして……」

「でーきたっと!ほい、ここに手形押してー!いっちょあーがり!」


 手を掴まれてぺたん、と思わず契約書に押した手形を見て抗議の声をあげた。


「ちょっ……!!まだ依頼してない!!」

「だーめ。しょーこちゃん、いつまでもそんなとこにいたら危ないよ」


 まるで荷物を担ぐかのように肩に載せられてぐぇ、と乙女らしからぬ声が出る。


「おろしてえぇぇ」

「だーめだって。もうやっこさん気づいちまったみたいだしさ」


 先ほどまで居た場所にはキラキラと光る糸がランプの小さな灯りを反射しているのが見える。


「糸?」

「そ。あそこに糸のヌシがお出ましあそばしてるんだなあ。全力で逃げないと二人とも頭っからバリバリ食われちまう」


 重力に負けまいと上げた視線の先には、上半身は例えようもない美貌を誇る女の姿だが、下半身は思いっきり蜘蛛の化け物が居た。


「ヤツら、麻痺毒持ってるから触っても掠ってももちろん刺されるのもダメ。中身溶かされて食われちまうよ」

「説明してないではよ逃げろおおお!!!」

「りょーかい♪」


 器用に片手で剣を抜いて扉に叩きつける。

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