6話 アネモネ②
「早速だが、レーヴェ」
「仕事の手伝いでも何でもする」
アネさんの声を遮るように言う。
俺の言葉にアネさんの表情が先ほどよりも柔らかいものになった気がした。
「そうしてもらいたいが、その前にお前さんたちの傷を治さないと」
「傷?」
自分の体を改めて見る。少しくたびれた皮の防具はのおかげで大きな傷はないが、細かな傷があちこちにあった。
「これぐらい、放っておけば治るだろ」
致命傷になるような傷はない。別に対して気にするようなことでもないだろう。
「お前さんはそれでいいだろうが。リアはそうはいかない」
膝に抱えられたリアの肌には、アネさんの言う通り俺ほどではないにしろ小さな傷がところどころにある。
「男の傷は勲章なんてバカなこと言う奴がいるが、女にとっての傷は傷以外の何物でもない」
眠っているリアの頭を優しく撫でながらつぶやくように言う。
「それに治せるうちに治せるなら越したことはないだろ」
「確かにそうだが」
言っていることは一理ある。だが、治すといっても俺たちはなにも持っていない。しいて持っているのは背中に括られていた大きな剣ぐらいだ。
「そんな困った顔をするな。見ただろ? カウンターにあった瓶たちを」
この家に入ったときの光景を思い出す。
たしか棚にたくさんの瓶が並んでいたような。
「なんだい。本当にわかってなかったのかい」
アネさんは軽く鼻を鳴らした後、自慢げに。
「うちは薬屋だ」
そう言うのだった。
棚にあった瓶はどれも小瓶ばかりで、酒にしては異様な色をしていたものが多かった。そうか、あれには薬が入っていたのか。
それより気になったのは薬と聞いたとき俺の手の中で若干の汗が出てきたことだ。体が拒否反応を起こしているのか。
「薬を使って治すのか?」
気が付いたときには、そんな質問が口から飛び出していた。
「いいや。海水を浴びて、山の上で風と日光を浴びていれば治る」
えっ? 海水?
聞き間違いかと思い。アネさんの顔を見る。だが、アネさんの瞳は今まで以上に真剣な瞳をしていた。
「なんて私にホラを吹いた奴がいたが、そんなんじゃ治るわけないからね。本気にしなさな」
肩の力が抜ける。アネさんなりの冗談だったのだろう。
なんともわかりにくい冗談だ。
「手っ取り早いのは、これだよ」
アネさんの手には一つの小瓶が握られていた。
「それは?」
「ガマの花粉さ」
「ガマの花粉?」
聞きなれない言葉が出てきて、聞き返してしまう。
「これだと治った時の見栄えがいいんだよ。女の肌は一生もんさ。大事にしないと」
その言葉にアネさんの肌に目が行ってしまう。
「数日前の傷程度なら綺麗さっぱり治る。まあ、何年も経っちまった傷には効果なかったがね」
俺の視線を知ってか知らずか、そんな言葉が続いた。慌てて視線をアネさんの顔に戻す。
「だが生憎、治療するだけのガマの花粉がなくてね。ちょっと取ってきてほしいのさ」
「ああ、わかった」
「地図を渡そう」
アネさんは膝にのせていたリアの顔をゆっくりとどかし近くの棚から一枚の地図を取り出した。
「ガマの花粉は近くに住んでる水鳥の爺さんに譲ってもらってる。ガマの花粉なんて欲しがるのはあたしぐらいだから、あたしの手伝いといえば大丈夫だろう」
「普通はあまり使わないものなのか?」
「まあ、使う人は少ないかな。傷を治すだけならそこらへんで売っている治療薬で事足りる」
「そんなもんなのか」
「治療薬だったら、大体の怪我には対応できる。あんたそんなことも知らないのかい」
アネさんは少し眉を顰めていた。
「ああ。そこらへんの知識は全くないみたいだ。むしろ自分でも何が知らなくて、何を知っているのかもわからないぐらい」
アネさんは「ふーん、なるほど」と言い、俺の顔を見ながらなにか考え事をしているようだった。きっと俺が話したことを思い出しているのだろう。
「一つだけ助言。経験上、そういうことは信頼できる相手以外に言わない方がいい。そういう隙に付け込む奴らがこの世にはたくさんいるからね」
「なら、いまは問題ないんだな」
「ふっ。お前さんあたしのことを信頼しているとでもいいたげだね」
顰めていた眉はいつの間にか元に戻り、逆に目元笑っていた。
「……? そうだけど」
「はぁ。もう一つ助言だ。むやみに人を信じるな」
どこか呆れた声でアネさんは言い終わると、地図で目的の場所への行き方を説明してくれたのだった。
***
「えーと、こっちだよな」
アネさんの家から出て地図を見ながら歩き始めた。
村と言っても建物も多くなく複雑に入り組んでないのが地図からわかった。
地図を見たときはこれなら俺でも迷わずに行ける。そう思っていたが、実際に歩きはじめると自分がどこにいるのかよくわかってなかったのだった。
地図で自分の場所を確認するため端に寄ろうと動いた時だった。
「おっと」
低い男の声とともに体がぶつかる感触がした。
地図を注視していたため前からやってきた人に気が付かなかった。
「すいません」
咄嗟に謝罪の言葉を口にする。
だが、声を出したときには当たったであろう男は既に通り過ぎていた。
その瞬間、鼻孔に残る感覚に違和感を覚える。
ぶつかった瞬間、変な匂いがしたような。
嗅ぎ覚えのある、どこか鼻に残る匂い。
それがなんだったか思い出せずモヤモヤした気持ちを抱えながら、アネさんの言っていた場所を目指し歩き始めるのだった。