3話 冒険者の宿
魔王と呼ばれた少女は名前をリアと言うらしい。正確にはもう少し長い名前があるが、ボソボソっと口元で散ってしまった彼女の言葉からは「リア」という部分しか聞き取れなかった。
幸い彼女も「リアとお呼びください」と言っていたし、普段から呼ばれている呼称なのだろう。
それから何度か近くを捜索する兵たちから逃げるように移動し、どうにか夜までやり過ごすと流石の王国兵も撤退していったようだ。
「ふぅ……ようやく一息つけるな」
思わず息が漏れた。一人二人くらい組み伏せるのは別段なんてことはないだろうが、本物の刃のついた剣で人に向かっていけるのかは正直自信が無かった。
想像して震える手のひらを握っては開いてを繰り返していると、銀色の髪を揺らしてリアがこちらを覗き込んできた。
「どうかなさいましたか?勇者さま」
「いや、なんでもないよ。それより雨が降ってきてるから、奥の洞窟で休もう」
近くで陣でも張られたらすぐに追いつかれるかもしれないが、あのお高い王国兵たちはこの雨の中野営なんでしたがらないだろう。
「はい。勇者さま」
リアはじっと俺の目を見て答えた。彼女のその赤い瞳には強い決意が込められているように見えた。
それが前向きなものなのか、そうでないものなのかはわからないが、今はそれでいいだろう。
「勇者さま。もしよろしければ勇者さまのお名前をお教えください」
俺の横に並んで腰をかけるとリアは横から見上げるように俺を見て、そんなことを聞いてきた。
俺は一瞬戸惑ったが正直に全て話すことにした。召喚される前までの記憶がなくて自分の名前も思い出せないことや、おそらく王国に洗脳されていたこと、その間の記憶が曖昧なこと。
「なるほど!あっ……そう、だったんですね」
リアは合点がいったと納得した後、少し申し訳なさそうに俯いた。彼女の境遇を考えればそんなに気にする必要はないのにな。
「あっそうだ、もしよかったらリアが名前をつけてよ」
「え、私が……?そ、そんな恐れ多いです」
「そんなに重く考えなくていいからさ、リアが呼びやすいように呼んでよ」
そう告げるとリアは「そうですか……」と顎に手を当てて考えるそぶりをした。
しかし任せると言った手前どんな名前になっても仕方ないが、少しドキドキする。ゴミ虫とか呼ばれたらちょっと立ち直れないかもしれない。
どくどくと心臓の音が大きく聞こえる。一体どのくらい経ったか、リアは俺の顔、いやもうちょっと上、髪の毛のあたりをじっと見つめた。
「レーヴェ--」
ボソッと呟くようにそう言うと、視線を下ろして俺と目を合わせた。
「私の好きな花、勇者さまの髪明るくてふわふわしてて、すこしそれに似ていたので」
いかがでしょうか。と伺うようにリアは俺を見上げる。言われて髪を触ると、その動きに反応したのか一回、ピクリとリアの長い耳が揺れた。
「うん。気に入った。俺のことはレーヴェと呼んでくれ」
そう言うとリアは安堵したように息を漏らした。すぼめる肩の動きに合わせて耳がすこし垂れる。
そんな彼女を背に洞窟の奥、小さな光が4つ浮かんでいるのが見えた。生き物の瞳のような形だ。
「っ!そこにいるのは誰だ」
とっさにリアの前に立ち利き手を剣の柄に添えて反対の手はリアを庇うように構えた。
「おっと、そんな警戒しないでくれ。君らと一緒、ただの雨宿りさ」
「もう遅いから移動は朝起きてからになるがな。しかしえらいべっぴんさん連れてんなぁ兄ちゃん」
王国兵と違い長いこと使っていることがわかるいかにも冒険者といった防具に身をやつした細身の男とガタイの良い男が二人、洞窟の中にいた。どうやら雨宿りの先客がいたようだ。
「獣人……?」
リアは俺の腕の間から顔を覗かせると二人の頭を見て言った。男二人の頭には、狼のような大きな耳が生えていた。
「すまない。先客がいたのか」
俺がそう言って慌てて出て行くそぶりをすると、最初に声をかけてきた方、細めの男がそれを止めた。
「いやなにかまわないさ、こういう洞窟は冒険者の宿みたいなものだし。もちろん君達がそれでも構わないのであれば、だけどね」
ただでさえ鬱蒼とした夜の森に、加えて今は雨が降っている。正直怪我をしているリアを連れ回したくはない。しかし今会ったばかりの二人も俺たちにとって悪いやつでないという保証もない。
「レーヴェさま、大丈夫です。獣人に悪い方はいません」
「……わかった。そういうわけだ、俺たちも一晩一緒させてもらうぞ」
獣人の二人はリアの言葉が聞こえていなかったようだ。俺がそう告げると「何がそういうわけなのか?」と言いたげな顔をしたが気にせず快諾してくれた。
リアの言う通り、獣人に悪いやつはいないのかもしれないな。
「二人は、この近くに住んでいるのか?」
もし近くに村や町があるなら、立ち寄らせてもらおうと思い、何気ない会話の風で聞いてみた。あわよくば連れて行ってもらいたいという下心だ。
「ははっ、にーちゃんたち訳ありっぽいな。わかった、明日一緒に連れてってやるよ」
俺たちの服装やその汚れ、所々の擦り傷や切り傷を見て、大柄な男はこちらの心中を察したようだ。そんなにわかりやすかっただろうか、とも思うが今は有難い。
「ああ、すまないな。よろしく頼むよ」
そのまましばらく二人に質問したり、答えられる範囲でこちらも返答をし、そうしているうちにリアは小さく寝息を立てていた。