1話 洗脳勇者と魔王と呼ばれる少女
その娘を見た時、ズシンと全身に雷が落ちたような衝撃が走って、それまでの靄のかかったようだった思考はクリアになり、見える景色がそれまでより鮮明に、広く感じた。
「勇者様。あれが我ら人族を苦しめる悪の元凶、魔王です」
斜め後ろから顔を覗き込ませ、共に魔王討伐として編成されたパーティの一人である王国の兵士の一人がそっと告げる。
こいつ、こんな顔だったか?とほんの先刻前までの記憶を辿ってみるも、記憶の中のその男の顔はうっすらと影がかかりはっきりと思い出せなかった。
「この娘が、魔王、なのか?」
信じられない話だ。肌の色や耳の形は違うがそれ以外は人族となんら変わらない、こんな可憐な少女が、本当に国王の言う悪の枢軸なのだろうか。
少女は部屋の隅で座り込み、大きな瞳からは今にも溢れそうなほど涙をためているのがわかる。そこには話に聞いた残虐性や凶暴性は一切感じられなかった。
「見た目に騙されてはいけませんぞ、勇者様」
俺が剣を抜くことを躊躇していると、もう一人の王国兵、少し老齢の男が言った。その口元はうっすらと笑っている。
いや、笑っているのはその男に限ったことではなかった。先ほど最初に声をかけてきた男も、その後ろで見ているほかの兵たちも口元をニヤつかせていた。
おかしいな。今日王城を出てからずっと一緒にいたはずの兵たちが全員、最初のやつと同じように初めて顔を見た気がする。
「さあ勇者様。目の前の悪者を殺してください」
「こんな少女を、殺すのか?」
俺の問いかけに兵たちは口を揃えて「殺してください」とこたえた。
そうした問答を重ねていると、ほかの部屋を見ていた兵たちが続々と集まる。その内の一人がこの部屋以外に生き残りはいないことを告げると、とうとう少女は顔を伏せて泣き出した。
やがて集まった兵たちから「殺してください」や「滅してください」と促す声が上がった。
それは頭の中で繰り返し繰り返し反響する。やがて思考に靄がかかってきて、考えが遠くなるのがわかる。
誰かが強い口調で「殺せ!」と口にし同調して過激な言葉が増え、兵たちはダン!ダン!と足踏みをして音を鳴らす。
「−−いい加減にしろよお前ら」
騒ぐ兵たちの言葉を、頭の中でリフレインする国王や兵たちの言葉を、覆われそうになる頭の中の靄を、振り払うように叫んだ。
「こんな可愛い娘が、悪者なわけねぇだろうが!」
背中に括られていた大きな抜き身の剣を振るい、オレンジ色に光る斬撃を足元に飛ばす。
一閃。
召喚された時にそれまでの記憶を失った俺が、唯一覚えていた剣の振り方。もともと覚えていたのか、召喚された勇者に付与されるものなのかはわからない。
身体は動くけど、それ以外の戦闘技術は皆無だったから、おそらく後者だろう。
唯一使える技を一瞬の目くらましに使い、俺はその少女を連れて窓から飛び出していた。
外からよく見れば城の作りは随分と古いのがわかる。少女の着ている服も、城で倒れていたほかの従者が着ていたシンプルなものとそうは変わらないデザインで、王城にいた貴族たちとも違い衣服にそこまで金をかけていないことがわかる。
兵士の装備もそうだ。王国兵はもちろん俺が身につけている「伝承の勇者様の装備です」と言って渡された少しくたびれた皮の防具一式と比較しても、この城の兵の装備はボロボロだった。
この娘達は、きっとなんの罪もない。この偏狭でひっそりと仲間内で暮らしていただけなのだろう。
ああ、胸糞悪い。最悪だ。
だんだんと思考力が戻ってくると先ほどまで行っていた行為に怒りを覚える。なんで黙って従っていたんだ、と自分を責める。
さっきまでの曇った感覚が今はないから、おそらく召喚時に洗脳でもされていたのだろう。記憶がないのも故意にやられている気がする。
だが、彼女にとっては、そんなこと言い訳にならないだろう。一夜にして家族も家も失い自分の命さえ失うところだった。
償いにもならないだろうがせめてこの娘だけは守ろうと、少女を抱える手にぎゅっと力を入れ、追ってくる兵から逃げるためその場を後にした。
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