訪い
自分が離れで死にかかっていた時、一方で兄はずっと忙しくしており、桜がすっかり散ってしまう頃までほとんど家にいなかったそうな。
アキムラがひどく寂しがり、頻繁に離れへ訪れた。元気がなく、絶不調の兄を見てなおさら沈んで帰っていって、来なくても良いのにと思うこともあった。
それでも、訪ねてきてくれる人がいるというのは良い。アキムラが来てくれると、少し体が軽くなる気がした。
兄の多忙が落ち着いてきて、いつもの元気を取り戻してきたアキムラが離れへ来てくれた。
体に障ると思ったのか、いつもたてていた足音もなく、元気もない。
不意に訪れて、ちょこん、と廊下に膝をついた。
「あにうえ、おかげんいかがですか」
ほんのり微笑むのも可愛らしくて、春の桜みたいだった。
「アキムラ…とても良いよ。ありがとう」
「そう、ですか」
微笑みが薄れる。
積み重ねた座布団にもたれ、やっとこさ体を起こしている兄がよほど死にそうに見えるらしい。毎度顔を青ざめさせるのも、見慣れたものだ。
春も、最早虫の息の兄を気遣ってか、はたまた父に止められでもしていたのか、少しばかりの話をして母屋へ戻って行っていた。
その背中の小さいことと言ったら、こちらまで心がしくしく痛んだものだ。
「なんて顔をしているの。本当だよ。ただ、体が鈍ってしまって動けないんだ」
からから笑うと、初めて、アキムラもにぱっと笑った。
アキムラが笑うと、陽だまりみたいな暖かさがある。
「おげんきそうで、なによりです!」
自分の不調をそこまで気にかけてくれていたとは、嬉しいような、面映ゆいような、くすぐったくて、心が満ち満ちていく。
兄と自分を、同じくらい大事に思ってくれるとは、昔の自分は想像しただろうか。
兄はただ大きくて、アキムラにとっても自分は大したものにはなり得ないと諦めていたけれど、アキムラに兄として扱われるのは素直に嬉しいものだった。
「あの、おおあにさまは、はなれにこられましたか?」
「いや…お忙しい方だ。私の元にまで足を運ぶ時間は無いだろう」
「そうですか…」
アキムラが思案顔で黙り込んだ。
「何かあるのか」
自分に用があるようなことを口にでもしていたのだろうか。
自分は離れで、家族とは違う流れを生きている。隠居生活をしている老人のようなもので、家のことは聞こえてこない。
少しばかり心配になる。
眉間にしわを寄せた兄に慌てたのか、アキムラは胸の前で手を振り、同時に頭を横に振った。
「いえ!おおあにさまにかぎってどうしてだろうとおもっただけですよ」
「ああ…それは多分、私が苦手だからだ」
「え…」
予期せぬ返しだったのか、アキムラはくりくりのつぶらな瞳をめいっぱいに開いて、時がそこで止まってしまった。
「おい、アキムラ、アキムラ」
「あ…あにうえ、は、おおあにさまのことが、おきらいなのですか…?」
まるで両親に叱りつけられた幼子のような悲壮感だ。この世の終わりにする顔である。
それと、その返しでアキムラの中の兄が分かったような気がする。
やはりアキムラの中でも、兄は恐ろしく完璧で、神なる存在なのだということを。
「違う。兄上が、私を苦手だと言ったのだ」
それで今度こそ、アキムラは心臓まで凍りついたらしい。溶けるまでしばしの時間を要した。
その様子が可笑しくて、笑ったけれど、腹に力が入らないせいか、どこか力無い笑い方になった。
「………おおあにさまの、おはなし、いやでしたか?」
しばらく経って、アキムラの氷は溶けた。
凍っている間に、過去の自分を振り返り、まずかったのかと考えたらしい。
「いいや、兄上のことはとても尊敬している。ああなれたらと、思ったこともあった。私では到底、届かないと、思い知らされたのだけれどね」
「そんな、ことは…!おおあにさまは、まえに、あにうえは…」
アキムラはそこで言葉を切った。
「?…私が何と」
「……あ、いえ、なんでも、ありませぬ」
アキムラにしては歯切れ悪く、曖昧な返事だった。笑って誤魔化そうとしていた。自分がしていると、他人のそれもわかるようになる。
「そう」
詮索されたくないことならば、無理に聞くことは無い。アキムラが曖昧にしたがるならば、それはきっと自分にとっても良いこととは少し違うのかもしれない。
ただ少し、兄が自分をアキムラに対して何と言ったのか。そのことは気になった。
その日からぱたりと、アキムラの訪いはなくなった。




