1.私の隣にはいつも彼がいた
『あたしに何かあったら助けること』
『あたしが死ぬときはいっしょに死ぬこと』
『あたしを好きになること』
私が悪魔に言った契約の内容だ。
私が悪魔を召喚してしまったのは、私が8歳のときだった。
たまたま、近くに置いてあった『悪魔の召喚方法』という、明らかにうさん臭い本を開いてしまったのが原因だった。
幼い頃特有の好奇心に負けて、つい本に書いてあったことを試してみたら、本当にユーシアと名乗る悪魔を召喚してしまったのだ。
そこで交わした契約。
驚きでなかなか回らない頭から、何とかひねり出した契約だった。
この悪魔との契約が私の人生を狂わせるなんて思ってもいなかった。
契約したての頃は、主人と悪魔という関係も理解できず、ユーシアに悪魔としてでは無く、普通の人間の友達として接していた。
「ユーシア」
と、後ろから呼ぶと、勢いよく振りかえってくる驚いた顔が好きだった。
その顔が見たくて、
「ユーシア、ユーシア」
と、何度も呼んでいた。
実際は年がひと回りも違ったが、対等の友達としてユーシアと過ごしていた。
川で水遊び、広場で二人だけの鬼ごっこ、草原を日が暮れるまで走り回った。
私の家はわりと有名な貴族だった。
そのせいで、周りの人に敬遠されていた私には友達がいなかった。
そんな私に初めてできた友達はユーシアだった。
友達がいることが嬉しくて、毎日のようにユーシアとこもりっきりだった家を出て、外で遊んだ。
何物にも変えることが出来ない、幸せな時間。
それが消え去ってしまったのは私が10歳のときだった。
あの『悪魔の召喚方法』と書かれた本が置いてあった部屋で、今度は父の日記を見つけたのだ。
そこには、悪魔について様々なことが書かれていた。
ユーシアについて知ることが出来ると思い、夢中になって読んだ。
そして、ユーシアたち悪魔の持つ力や生態を知った。
そのとき、私はあることを思いついた。
嬉しい気持ちでいっぱいの私は、すぐにユーシアに会いに行った。
ユーシアは家の近くで見つけた、二人だけの秘密基地の小屋にいた。
「ユーシア!ユーシアってすごいんだね」
「リスナ?どうしたんだ?いきなり・・・」
「それなら私をこの国のお姫さまにして!それで、ユーシアは私の王子さま!」
私はその頃、読んでいた本の影響でお姫さまや王子さまに憧れていた。
日ごろから、この国のお姫様になれてたら、と思っていた。
ただの子どもの空想。
だけど、本来なら叶うはずもない願いだったのに・・・
「あなたが望むなら」
願いを叶えるだけの力を持つ悪魔が言った。
ただ、窓から差す夕日の逆光のせいでどんな表情をしていたのかは分からなかったけれど。
この日が私達のこれからの運命を決めたのだった。
それから数年たって、そんな願いも忘れてしまった頃。
夜、ベッドで眠っていた私を起こしたのはユーシアだった。
その手は真っ赤に染まっていた。
「リスナ、起きて。ちょっと来てよ」
寝起きだった私は、ユーシアの赤い手が何を意味するのか、ということまで頭が回らなかった。
確かに心のどこかで嫌な予感を感じていたのに。
大人しくユーシアについて行った私が見たのは、
両親だったはずの物。
いや、それは正しい考えではなかったかもしれない。
それが両親だと言える根拠はほとんど無いのだから。
潰された顔面、跡形もないほどに肉片となった身体、千切れた服。
吐き気が込み上げた。
それを飲み込みながら、傍らにいるユーシアを見る。
返り血を全身に浴びたユーシアは、まるで知らない人のようだった。
「あなたがやったの?」
私の声は震えていた。
「もちろん。リスナが望んだんじゃないか」
「こんなこと望んでないわ!」
「だって、リスナはこの国のお姫さまになりたいんだろ?」
「それとどう関係があるのよ!」
「こいつらを殺せば、リスナが権力者になれるじゃないか」
そのとき、私はやっと悪魔について理解した。
主人と悪魔の関係も。
つまり、この悪魔は私が望めば何でも叶えてくれるのだ。
どんなことでも。
それはなんて恐ろしく、甘美なことなんだろう。
私はこの悪魔が愚かで哀れで、そして愛しかった。
私を必要としてくれるユーシアが。
誰よりも。そこに転がっている、私を必要としてくれなかった両親よりも。
私の唇はこのとき確かに笑みの形をしていた。
それから、私の転落の人生が始まった。
両親の跡をついで、この国の貴族となった私は権力に酔っていた。
しかし、人間というものは現状に満足しない。
もっともっと、と更に甘い蜜を求めた。
そして、本当にこの国の姫にまでのし上がった。
そのためにさまざまな汚いことを悪魔にやらせた。
このときには殺人なんてもう気にしなくなっていた。
人が死ぬ。
それだけ。
気になるのは、自分がどれだけ楽しく時間を過ごせるのか、ということ。
だから、こんなことになったのだ。
今、私は20歳だ。
今、私の屋敷は燃えている。
きっと誰かが火をつけたのだろう。
恨まれて当然のことを私はした。
最初は逃げようとしていたが、私のドレスでいっぱいの洋服棚が足に乗っていて、とてもじゃないが動けない。
そして、目の前にはユーシアの顔がある。
死にたくない、と正気を失って喚く私の顔をつかんで、無理やり目を合わせた。
そのおかげでようやく正気に戻れた。
悪夢から覚めたような心地だ。
この数年は本当に悪夢のようなものだった。
昔を思い出してみると、それが良く分かる。
たとえ権力があっても、金があっても、昔のあの頃に比べるとまったく幸せではなかった。
いつもどこかで、不安を感じていた。
しかし、これは悪夢ではなく現実だ。
今も現実として私を苦しめている。
このままなら、私は死ぬだろう。
だけどそれも当然か、と私は思い直す。
これはきっと罰なのだ。
私に対する。
私は酷いことをした。
両親に、他の権力者に、なによりユーシアに。
ユーシアが拒めないことを知りながら酷いことをさせた。
私なんて死んで当然だ。
だけどユーシアには死んで欲しくない。
ユーシアは何も悪くないのだから。
「ユーシア・・・」
ああ、こうして名前を呼ぶのはいつ以来なんだろう。
ずっと、呼んでなかった。
「どうしたの、リスナ?」
「死なないで」
ただ、ユーシアに生きていて欲しくて。
私なんかのせいで、ユーシアが死ぬことに耐えられなくて。
もっと言いたいことがあるのに、言葉が頭の中で渦巻くだけで、口からは出てこない。
かわりに涙が出た。
ユーシアが涙で歪む。
「俺は死ぬよ」
「どうして?」
断言するユーシアに私は震える声で尋ねる。
「だって、リスナが言ったんじゃないか。死ぬときは一緒だって」
契約のことだ。
私はすぐ思い当たった。
契約ではなく本心で言ってくれたら、どんなに嬉しかったか。
「そうだね。契約したね」
「違う!リスナが好きだからだよ!」
どきん、と胸が鳴った。
だけど、それも契約だった。
悪魔だから、契約には従わなければいけないんだろう。
しかし、このままでは本当にユーシアが死んでしまう。
私のせいなのに。
そして、思いついた。
簡単なことだ。
「契約を破棄して」
それがどんなに辛いことだとしても。
「いやだ!俺はリスナが好きなんだ!」
私だってユーシアが好きだ。
きっと、初めて会ったときから。
だけど、ユーシアの『好き』は契約だから。
私が好きになれ、と言った。
「命令よ。契約を破棄して」
私はもう大粒の涙が止まらなかった。
それでも、なんとか毅然と言い切った瞬間、ユーシアの顔は絶望に染まった。
愛してる、アイシテル、あいしてる。
だれよりもユーシアを。
たとえ、ユーシアが私を忘れても。




