異世界からのラブレター
文通をした事があるだろうか。
ネット環境が充実しているこの時代に、わざわざそんな事をする人間はほとんどいないだろう。
でももし、ある日突然、不思議な手紙が届いたとしたら。
あなたは、一体どうするだろうか?
それの存在に気付いたのは偶然だった。
その日、嫌な事から逃れるように学校をサボって自転車を走らせた僕は、とある海岸に辿り着いた。
何も考えたくなくて、ただトボトボと砂浜を歩いていた。
その時足元で何かが光った。良く見れば、どうやら空き瓶らしい。
ほとんどが砂に埋もれており、どう見てもただのゴミだった。でもその時の僕は、それがどうしても気になって仕方なかった。
手が汚れる事も気にせずに、思わず拾い上げた一本の空き瓶。
その中には綺麗に折りたたまれた手紙のような物が入っていたのだ。
メッセージボトル。
そんな単語が頭に浮かんだ。
空き瓶に手紙を入れて海なんかに流すあれだ。
他にも呼び方はいろいろあるらしいのだが、それに関してはどうでも良いだろう。
とにかくそれを拾い上げた時、まるでずっと探していた物が見つかったような、そんな不思議な感覚を覚えたのだ。
丁寧に砂を掃い落して瓶に嵌っているコルクを開けると、甘い花のような香りがした。
その香りに癒されつつ手紙を取り出すと、そこには見た事もない文字が書かれていた。
にも拘らず、僕はそれを読む事が出来たのだ。
『会った事もないお友達へ』
そんな言葉から手紙は始まっていた。
そこに書かれていたのは、まるで物語のような内容だった。
送り主は、当時の僕より一つ年上の十六歳の少女。
彼女は自身が保有する膨大過ぎる魔力が原因で、生まれてからずっと高い塔の最上階に閉じ込められているのだという。
世話をしてくれるメイド達にも恐れられており、必要最低限のやり取りがあるだけなのだそうだ。
彼女の孤独を紛らわせてくれるのは、部屋にある大量の本だけ。
ある日彼女は、その中から運命とも言える一冊の本を見つけた。
その本に書かれていたのは、世界間転移の為の古代魔法だった。
多大な魔力が必要な為に現代では廃れてしまったその魔法を、彼女は嬉々として独学で学び、そして実践した。
それがこのメッセ―ジボトルという訳だ。
物理法則を無視して飛ばされたそれには、返信用の魔力も満たされているのだという。数十人もの優秀な魔法使いが共同で行うような大魔法を彼女はたった一人でやってのけたのだ。
膨大過ぎる魔力を持っている彼女だからこそ出来た奇跡だった。
まぁ当然、そんな事を言われても信じられる訳がない。
それはまるで子供向けのおとぎ話のように感じられた。これでイケメンの王子様でも迎えに来れば、物語が始まるのだろう。
とはいえ、一つだけ不可解な点がある。
初めて見たはずのその文字を僕が読めてしまっている事についてだ。
手紙には、瓶を開けてから最初に目にした言語を理解できる。そんな魔法が込められていたと書かれているが、果たしてそうなのだろうか。
正直信じざるを得ない気がするが、常識に囚われてしまっている僕には、簡単には信じる事が出来なかったのだ。
だからと言ってこれを放置しようとも思わなかった。
書いた返事を瓶に入れて蓋をするだけで、相手に届くらしいから。ただの冗談だと確かめる為にも、それを試さない訳にはいかないだろう。
『寂しがり屋のお姫様へ』
少しだけふざけて、そんな感じで返事を書いた。
綺麗にたたんで瓶に入れて、指示通りに蓋を閉める。
「嘘だろ……」
思わずそんな言葉がこぼれたのは仕方のない事だと思う。
だってどこにでもあるような普通の瓶が虹色に輝いたかと思うと、光が治まった頃には中の手紙が完全に消えてしまっていたのだから。
呆気にとられて、しばらくぼーっとしてしまった程だ。
僕らの文通はこんな形で始まった。
夏の初めの事だった。
手紙という性質上、メールに比べて待つ時間が長い。
魔法を使ってるのだからすぐに届くような気がしたのだが、僕らのやりとりには一週間ほどのタイムラグが存在していた。
待つ。というのは非常にじれったくもあり、それ以上に楽しみでもあった。
メールでは味わえない、不思議なワクワク感がそこにはあったのだ。
僕らは手紙を通して色々な事を話した。
彼女の生い立ちや境遇を親身になって聞いたり、逆に僕の現状を聞いて貰ったり。
どんな世界に住んでいて、どんな生き物がいて、どんな技術があって、どんな食べ物があって、どんな暮らしをしているか。
どれだけ話しても、話題は尽きる事がなかった。
彼女の話は、まるで物語のようで僕の中二心をくすぐってくれた。
魔法の事や魔物の話なんかは特にワクワクした。
時折彼女のいる塔からは、遥か遠くを飛ぶドラゴンが見えるのだという。
まるで空想の中の出来事が、彼女の所では実際に起きていたのだ。
そんな相手とやりとりをしていたら、自分も彼女のいる世界に行けるのではないかという考えに至るのも当然だった。
しかし残念。
瓶と人間では転移するのに必要な魔力量の桁が違う。
もし、どうしても彼女の側に行くとするのなら、彼女を含めた魔法使い数百人分の、命を燃やす程の魔力が必要になるのだそうだ。
僕としても誰かを犠牲にしてまで異世界に行きたいとは思わないし、そもそもそれでは彼女に会えないのだから全くもって意味がなかった。
そんなやり取りをしている内に、あっという間に三年が過ぎた。その頃には彼女との文通は僕の生活になくてはならないモノになっていた。
たぶんあれが僕の初恋だったのだと思う。
顔を見た事もないのに、彼女の事を思うだけで胸が張り裂けそうだった。
そしてそれは彼女にとっても同じだったようで、いつしか僕らの手紙は読むだけで恥ずかしくなってしまうような内容で溢れかえっていたのだ。
きっとあの時の僕らの関係だからこそ、出て来たであろう恥ずかしい言葉の数々がそこにはあった。
あの時、僕は一体どれだけ彼女に対して愛の言葉を綴ったのだろうか。
今となってはもはや分からないけれど、十や二十では済まなかった事は間違いないだろう。
でも……。
どんなに恋い焦がれた所で、僕らは文字通り住む世界が違った。
『会いたい』
何度そう思った事だろう。
どんなに願った所で、どんなに方法を模索した所で、それが叶う事はなかった。
それでも。
文章だけのやり取りだったとしても。
彼女は僕にとってかけがえのない存在で、決して失いたくないと思っていた。
それなのに。
終わりはいつでも突然やってくる。
彼女の世界に魔王が現れたのだ。
そして魔王を倒すには、異世界から勇者を召喚しなければならないのだという。
その代償は、魔法使い数百人分の命。
当然そこには膨大な魔力を持つ彼女が含まれていた。
あまりにも無慈悲だと思った。
彼女の住む世界は僕の住む世界よりも、ずっとずっと残酷だった。
『死にたくない』
その文字は随分と歪だった。
そして周りにはいくつも水滴を垂らしたように、滲んだ後がたくさんあった。
どうして……。
そう思わずにはいられなかった。
でもどんなに僕が願った所で、どうする事も出来なかった。
手紙のやり取りしか出来ない僕には、何の力もありはしないのだ。
もちろん、ただ黙って諦めた訳ではない。
こちらの世界の科学技術でなんとかならないかと必死になって調べたのだ。
でも僕はただの学生で、しかも彼女の世界を正確に理解出来ている訳でもなかった。
結局のところ、彼女の文通相手以上になる事は出来なかったのだ。
彼女からの最後の手紙には、こう書かれていた。
『転生の魔法を使って必ず会いにいくから』と。
あれから三年。
当然と言うべきか、僕は未だに彼女に出会えていない。
やはり転生なんてのは物語の中だけの話なのだろう。
僕は大きく息を吐き出して空を眺めた。
「お待たせ」
声がした方を向けば、つい最近知り合ったばかりの女性が手を振っていた。
いつまでも落ち込んでばかりの僕を見かねた友人が、彼女を紹介してくれたのだ。
そして今日は三度目のデート。
紹介された日を入れれば、会うのはこれで四回目だ。
たったそれだけなのに、僕は彼女に対して不思議な居心地の良さを感じていた。
まるでずっと前から知っていたような不思議な何かを。
デートの帰り道。
街頭で照らされた道を二人で歩く。
彼女といると時間が過ぎるのが早い。あっという間に終わってしまった一日を悔やみながら、少しでも長く一緒にいようと歩くペースが遅くなる。
それまで弾んでいた会話も自然と減って、何とも言えない沈黙が降りかかる。
でも、その沈黙さえも心地良く感じてしまうのだから不思議である。
そんな折、彼女が口を開いた。
冗談っぽく話しているのに、そこには僅かに緊張の色を感じる。
「もし、私が前世の記憶を持っているって言ったら笑う?」
ドキリとした。
まさかそんなはずは……。
ぼくはじっと彼女を見つめる。
口元は笑っているのに、彼女の目は真剣そのものだった。
ただの冗談かもしれない。
でも信じてみたかった。
「笑わないよ。もしかして高い塔の上に閉じ込められてたりしたの?」
「――えっ?」
彼女の目が見開かれた。
それだけで僕は確信した。
世界も時間さえも飛び越えて、彼女が僕の前に現れてくれたのだと。
「やっと会えたね。寂しがり屋のお姫様」
彼女の目から、はらりと涙がこぼれた。
おまけ。
暑い夏の日。
照り付ける太陽から逃れるように、僕らはエアコンの効いた部屋の中で過ごしていた。
バラエティ番組を観ながら、一緒に笑い、肩を寄せ合う。
ただそれだけの事が最高に幸せに感じる。
まさか本当に会えるとは思ってもいなかったから。
今こうして一緒にいる事が奇跡のように感じる。
いや、実際奇跡なのだろう。
それは僕らが特別だという訳でなく、きっと皆同じなのだと思う。
大好きな人が自分と同じ気持ちでいてくれて、一緒に過ごす事が出来る。
当たり前のように感じる人が多いかもしれないけれど、これは当たり前なんかじゃない。これこそが奇跡なのだと、そう思う。
何気ない日常の中にある小さな幸福の連続こそが、何よりも得難く、何よりも価値があるのだと僕は知った。
つまり何が言いたいのかと言えば、僕は今最高に幸せだという事だ。
「そういえば……」
「どうしたの?」
ソファーから立ち上がり、クローゼットを開ける僕を彼女が不思議そうな顔で眺めている。
「これ何かわかる?」
「あっ……」
取り出したのは、前世の彼女から送られて来た手紙の束。
「一緒に思い出を振り返るってのはどうかな?」
「うん」
気軽に返事を返す彼女に、僕は思わず苦笑してしまう。
それに対して彼女の表情は訝し気だ。僕はなんでもないと言って手紙をテーブルの上に置いた。
それから僅か数分後。
顔を真っ赤にして悶える彼女がそこにいた。